サクセスストーリー3

 動きは二日後の火曜日にあった。朝礼を終え、外回りの準備をしようとしていたとき、おれは課長に応接室に呼ばれた。いやな胸騒ぎを感じながら、おれは応接室に入った。
 課長はおれに一枚の紙を差し出した。
「このFAXがうちの営業所に届いたのだが」
 おれは読む。それは告発状だった。
 おたくの会社にとある宗教団体のナンバー2が潜んでいます。信者から「先生」と呼ばれている彼は毎週日曜日に信者に講演し多大な謝礼を教団から受け取っています。彼を営業の第一線に置かれている貴社は、何がしかの対策を考慮されるべきです。彼が勤務中に布教活動をしているという噂もあります。
 明らかに本村くんの字で文章が書かれ、その下に心霊写真のように目線が入れてあるおれの写真が貼り付けらていた。日曜日にホーソン実験の話をしているときのやつだ。
 おれはその告発状を見た瞬間、笑いがこみあげそうになった。すべて本村くんが仕込んだことであるのは、明白だったからだ。必死に笑いを堪えて、笑いを堪えると人間は厳格な顔つきになるようで、厳格な顔をしておれは目線を上げた。課長も厳しい顔つきだ。
「これは、君だね」
 課長が講演をしているおれの顔を指差す。
「そうです」
 課長は、大きく息を吐き、とうはいに大きくもたれ、からだを反らした。
「困るんだよな」
「どうしてですか?」
 おれは反感に満ちた声を出す。
「信仰は自由ですよね。たしかに、おれはこの教団の幹部信者です。だけど、それと仕事は別です」
「しかしな、ここには君が勤務中に布教活動していると書いてある」
「それは、噂だと書いてあるじゃないですか。誰かが勝手に、わたくしが教団の幹部で、会社では外を回っているから、その外回りのついでに布教活動をしているかもしれない、と邪推しただけですよ。そんな事実はありません」
 課長は唇をなめ、小刻みに頭を上下に振った。
「じゃあ、ここに書いてある謝礼はどうなんだ?」
「それは、受け取ったことがあります。でも、それはわたくしが講演を行った謝礼であり、税金も払ってます。会社には迷惑をかけていません」
「つまり、サイドビジネスだと言いたいのか?」
「いえ、ビジネスではないです。自分の信仰活動です」
 課長は、ほほう、なるほどといってバカにしたように笑った。
「しかし、その信仰活動で仕事に本腰が入らないようでは困る」
「だから、それは関係ないでしょ。会社を休んで講演しているわけではなく、日曜日にやっているんですから。それに、信仰活動で仕事に本腰が入らないと困るとおっしゃるなら、課長をはじめ多くの人は、葬式だ、法事だと会社を休まれてるではないですか」
 課長は顔を紅くする。頭に血が上っている合図だ。
「それとこれでは話が違うだろ!」
「どう違うんですか! 説明してください」
 おれは会社に入ってはじめて上司に向かって大きな声を出した。これまで蓄積されていたストレスがやわらぐ。
 課長は、まあまあ落ち着け、と諭すように言う。おれが大声出すのを見て仰天しているのか、右のこめかみあたりをずっと擦っている。
「まず、世間的なイメージが違うよな。うちは客商売だ」
 課長の話の途中でおれは口を挟んだ。
「偏見です」
「うん、そうかもしれん。ただな、君が普通の信者だったらそういう理屈も通るんだ。だが、君の場合は違う。教団で講演をして謝礼も受け取っているようだ。極端な話をするならば、君は、坊さんが病院で働いていたらいやだろう。そうは思わないか」
 たとえ話が、本村くんに比べ課長は遥かに下手だ。おれのほうがうまいかもしれない。ためしてみよう。
「でも、お坊さんの中には他に仕事を持っている方がたくさんいらっしゃるじゃないですか」
 課長は考える。おれは苛立っていると相手に思わせるために、わざと舌打ちをした。
「それはそうだな。わかった、さっきの話は撤回する」
 話が撤回できるということは、非常に便利なことだ。おれが失言すれば、おそらくそこを突かれて何も言えなくなっていただろう。立場が上の人間の特権だ。
「じゃあ、わたくしに疑わしい点はないですよね」
 課長は言葉につまった。入社試験のエントリーカードに自宅付近の地図を書かせ、被差別部落出身者の入社を拒もうとするようなしけた会社だ。おれを辞めさせたいのは、やまやまだろう。
「しかしな、会社としては実際不利益なんだよ」
「どこが不利益なんですか?」
 おれは無意識に奥歯を強く噛みしめていた。胸の奥からむらむらと怒りが喉元に上がる。
 課長は、うーんと考えて黙りこんだ。おれは、まだまだ課長に絡みたい。だが、言っても無駄なこともわかっている。どこまで話しても平行線で何の進歩もないだろう。
 おれは大人になろうと思った。カウンセリングの基本は自分を抑えることである。自分の意見を言わず、クライアントの意見に合わせる。本村くんのマニュアルにはそう書いてあった。
「じゃあ、会社はおれにどうしてほしいんですか?」
「悪いようにはしないが、辞めてほしい。それもいま辞めてくれるなら、自主退社ってことっで退職金も出せる。この話がもっと上に行けば、君は懲戒解雇になり、退職金も出ない可能性だってある。だから、わたしも君の上司として、君が自主退社することを薦める。最後のわたしからの命令だと思って、聞いてはくれないか」
 踏ん切りはついている。会社を辞めることに悔いはない。警察にとっては灰色は白かもしれぬが、一般社会において灰色は黒だ。いずれ、おれが懲戒解雇になるのは見えている。本村くんがここまでやってくれたんだから。
「わかりました。今日限りで辞めましょう」
 課長は、悪かったなと一言言い、すでに準備していた退職手続きの用紙を取り出した。
 その日の夜、本村くんに電話した。本村くんは退職金が出たことにえらく驚いていた。本村くんは退職金が出なかったときのために、おれに退職金相当の金も用意していたらしい。その金は、これからの信念会の活動費用としてプールされることになる。
 私事での自主退社、退職金も結構出た。おれは最高の形で会社を辞められた。本村くんが踏ん切りつけてくれたおかげだ。
 

 信念会が本業になってから、信者をカウンセリングする仕事をはじめた。だいたい、週に一回から二回はやる。ただし、コンスタントに何曜日と決まっているわけではない。信者から申し込みがあってからやるので、これまででいちばん忙しかった週で週に三回ぐらいだ。カウンセリングは完全予約制のため、前の週には次の週の予定がわかる。そのため、空いた時間はなるたけ本村くんと重複させ、二人で勉強した。
 本村くんとの勉強の内容は、大きくわけてふたつある。ひとつめは簡単に言えば自分はできると信じて成功した人を探す作業だった。そのようなモデルには有名人がが選ばれ、たいていそれはスポーツ選手だった。成功した有名人が、どうして成功したのかを二人で理由付けした。中には、オリンピックで共産圏の国が強いのは国家に対して忠誠を尽くすほど国を信じているからだ、オリンピックでアメリカが強いのはキリスト教があるからだ、なんていう強引な理由付けもあった。
 ふたつめは、心理学である。といっても、フロイトだのユングだのと学者の高説をふむふむと聞くような学識の高い勉強ではなく、世の中に出回っているハウツー本を読み漁り、信念会の考えに近いものがあったら取り入れるという作業だった。世の中にはただならぬ数の、成功するためとかプラス思考とか相手の気持ちを読むとか自信をつけるとかいう本が出回っている。成功するための本が、ちょっとも売れずに失敗するというケースもあるようだ。そういう本まで、おれたちは読んだ。ただし、ベストセラーになった本だけは、どんなに賛同したくなるような内容が書いてあっても、逆に批判するアイデアを練っていた。こんな本は売れてますけどここに書いていることはインチキです、こんな本よりも信念会のほうが確実にうまくいきます、と言えば信者が喜ぶからだ。
 あとは毎週日曜日、集まりなり、勉強会である。カウンセリングの合間に勉強したことがこの場で活かされる。講演のほうも、場数を踏むうちにおれも本村くんにひけを取らない講演ができるようになった。それにはもちろん慣れもあったが、それ以上に本村くんの教え通りにやり、ひとつひとつ信者の反応を確認し自信を深めたことが大きかった。本村くんは、講演のさい、ゲッペルスの考えたヒトラーの演説術を真似ていた。おれもそれを実際にやってみたら、見違えるほど反応がよくなった。拍手が鳴り止むまで話さない、身振り手振りを大きくする、そんな単純なことで人の心を掴めるのである。
 信者は増える一方である。もちろん、やめていく信者も比例して増えているが、毎月やめた信者の倍は入信していた。信じれば必ずできる、というのが信念会の理念だが、おれも本村くんも必ずうまくいくと信じていた。そして、うまくいっていた。おれたちは、信念会で信者たちに信じればうまくいくからと信じこませているが、それを完全に実証していた。そのため、他の人たちをしあわせにするには、信じこませるのがいちばんだと信じていた。
 本村くんははじめ、中小企業の社長が有限会社よりも株式会社のほうが響きがいいから自分の会社を株式会社にしてしまうのとそう変わらない気持ちで、信念会を宗教法人にすることを考えていた。しかし、信念会は葬式や結婚式もしないし、修行僧もいない。そのため、里川さんと竹下さんも混ぜて話し合った結果、いまのところ法人化は見送っている。
 信念会が大きくなっていくうちに、問題になったのは他の宗教との兼ね合いである。信念会の信者は創立当時から、他の宗教と関係がある人が大多数だった。信念会に入っていても、代々続く宗派で葬式や法事をするし、地元の祭りに参加する人までいた。信念会は宗教であったが、死後の世界への考え方はまるで扱っていなく、神も祭っていなかった。
 あるときの勉強会で、たまたま講演に来ていた人にそこを突っ込まれた。
「信念会は、お葬式や結婚式はやられないのですか? クリスマスや初詣もやるのですか?」
 この質問に信者たちは大きくどよめいた。きっと、熱心な信者でもそのような考えに及んだことはなかったに違いない。本村くんが信念会からは宗教臭さを徹底的に排除していたからだ。ぼくらでも、クリスマスパーティーもやったし、初詣には賽銭を投げた。お盆に墓参りに行ったことまである。ぼくらも信者も、能力開発程度にしか信念会を捉えてなかった。
 本村くんは、そんな質問にもうろたえずにまごつくことなく即答した。
「わたくしたちは伝統も何もない、小さな宗教団体ですので、お葬式や結婚式をやる予定はありません。平均的な日本人と同じで、クリスマスを楽しみ、除夜の鐘をつき、初詣にも行きます。わたくし個人の考えでは、ひとりの人間がいくつの宗教を持ってもいいと思っています。宗教というのは人をしあわせにするものだと考えていますから、人をしあわせにするものにはたくさん接してしあわせになったほうがいいではありませんか」
 本村くんの声は、雑音のない透明な空気に響いていた。信者は熱心に頷いている。
「歴史では、悲惨なことに宗教を理由に戦争まで起こっていますが、ひとつの宗教が他の宗教といがみあったり、弾圧したりすることは哀しいことだと思います。昔から宗教は信じるものは救われると言いますが、これは転じて信じるものしか救われないという側面がありました。わたしたちはそれではいけないと考えています。他の宗教でしあわせになれる方がいたら、それはそれで素晴らしいことですし、他の宗教の信者の方でも信念会を訪ねてくだされば、わたしたちなりにできる限りのお手伝いをしたいと思っています」
 質問の主は、それを聞いて、何か反論したそうだった。しかし、それは盛大な拍手でかき消された。多くの信者は立ちあがり、おーっと声を出しながら競うように大きな音で手を鳴らしていた。
 この本村くんの回答により、信念会の他の宗教に対する態度は決まった。今後、このことを問われる機会は今のところなかったが、もし訊かれたら、このときの本村くんの説明をベースにすればいいというマニュアルができあがった。
 しかし、そんなことに関係なく、信者たちはどんどんしあわせになっていた。しあわせというのは本人の気の持ちようで変わるものである。受験に合格したいと思う学生には、必死に勉強するならば合格すると教え、勉強させるのがいちばんいい。もちろん、限界の作用によって落ちることもあるが、それは落ちた学校より行くことになった学校のほうが本人にあっているなどといくらでも言うことができる。それを信じて、その学校に通えば、まず、学生はその学校で満足した。人からこの学校のほうが志望校よりもあっている、と言われればなかなか否定できない。上を見ればきりがないけど、頂点がそんなにいいところかどうかはわからない、途中でも見晴らしのいいところはたくさんあるし、頂点が空気が薄すぎたり、寒かったりすることもある。それが限界という概念のある信念会の解釈だった。だから、欲深い信者は限界の話を聞くとさっさとやめていったが、それ以外の信者は自分の身の丈にあったしあわせを感じていた。
 信念会が特に力を発揮したのは、いまにも自殺しそうな悩みを抱えた信者に対してであった。いまの局面を打開したいとうじうじ悩む信者に、行動すれば必ずいい方向にことが運ぶからと信じこませて、行動させれば、間違いがなかった。姑のいびりに悩む主婦は姑に自分の気持ちを本音で話して姑になんでも言える仲になった、学校のいじめに悩む中学生には先生にいじめの現状を話させ、泥沼のケースではいじめっ子を訴えるという裁判沙汰にまでなったが、とにかくいじめられなくなった、会社の人間関係がうまくいかないことに頭を抱えている会社員には自信を持って人と話すことを教えたり、転職させたりして解決した。人が悩んでいることの大半は、行動すれば解決するような些細なことなのである。カードで破産して自分に自信が持てないという若い女性には、自信を持つためにひとつの趣味を薦めそれを達成させて自信をつけさせた。借金で首が回らない零細企業の経営者には働けば金が生まれるんだからと説得し、借金が返せそうなら働けるように心をケアし、返済が苦しいようなら破産まで薦めたが、苦しいながらも幸せだと思っている人が多い。そうやって、信念会は着実にたくさんの人の心を豊かにした。
 もっとも、信念会に相談に来られても解決のしようがない悩みもあった。特に病気関係は、まったくおてあげだった。末期癌の患者さんが来ても病院に行ってくださいとしか言えない。その虚脱感は本村くんでさえ、へこむほどだった。いくら信じても、確実によくなると言えるものでなければ、おれたちは軽々しいことを言えなかった。
 死は、人間の限界であり、それに直面する病気もまた、信念会には限界であり、どうすることもできないのだ。
 だが、限界以外のことでは信じさせれば、信者はしあわせになる。
 それを目の当たりにしているうちに、いつのまにか信念会をおれも心の底から信じていた。
 信じたおかげだろうか?
 会社を辞め、信念会に入ってから、何事も物事がとんとん拍子に進んだ。講演は上達するし、カウンセリングで悩む人に信じこませるのもすぐにコツを飲みこんだ。息子の仕事に理解がなかった両親や親戚も、説得すればわかってくれ、両親はいまや信念会の信者である。収入も安定していて、金額もサラリーマン時代より一ケタ違う。それから何と言っても、もうすぐ、信念会の職員の竹下さんと結婚することが決まった。
 おれは人に確実にしあわせになってほしいと願っているうちに、確実にしあわせになってしまった。
 信じる者は救われる、とはよく言ったものである。

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