最終更新日 2002/05/25

Spiritual Freedom

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自由の偏在性

 

インドを表現する時に、『ニンゲンは犬に食われるほど自由だ』と語った藤原新也さんのサイトを見つけた。
インドへ行ってしまうと、ホテルから出られなくなってしまう人と、インドから出られなくなってしまう人の2種類しかないと言われるくらい強烈な国だという話はよく聞くけれど、やはりその話は本当なのだと写真を見るたびに感じる。
自分自身、インドへ行きたいと思ったことはない。
それっくらい何となく怖ろしいイメージでもあり、それでいて、すべてがどーでもよくなってしまうような雰囲気に圧倒されてしまったら、それこそすべてがどーでもよくなってしまうのではないかという恐怖心があるせいだ。
あまりにも死が日常的に落ちている世界なのかもしれない・・・

死が日常的に落ちてる世界か・・・・・
なんか和んでしまう。
こーいうことに和んでしまうという自分が酷く情けなくもあり、酷くホッとしてしまう。
生きることに生命に絶対的な価値観を持っている世界に生きていると、逆に死がごく普通に落ちている世界に対して嫌悪感と同時に安堵感を感じてしまうこと自体が不思議。
これも一つのデカダンスなのかもしれないな・・・

おっそろしいほど簡単に人が死ぬ世界では、おっそろしい勢いで人口が増え続けていることも事実であり、そのライフサイクルを考えると短くもあり長くもあり、それでいてとても長いスパンで自由で生きている人たちが存在していることがミステリアスであり、それでいて自分という人間がおっそろしいほどの長寿国でいつも誰かの介護を気にしながら生きている国で生きていると、それが嬉しくもありアホらしくもあり、愚かしさ故にすべてがどーでもよくなってしまう。

いろんな現実があるのだろうな・・・
人間の数だけ現実があり、それぞれの現実がどこか融合しないところが時空であり、それでいてそれぞれの人がそれぞれに現実だと感じる世界に融合しながら生きているに過ぎないわけで、それを考えると人間がどこまでも自由な生き物であることを痛感する。
それでいて、その自由さを認めたがらない。
精神は自由であり、自由であるからこそ、怖ろしき現実が現実として存在していることも事実であり、だからこそ人は他人の自由を否定したいだけなのかもしれない。
秩序の破壊された世界・・・・
そこに存在するのは、つまりは狂気と呼ばれるものなのかもしれないけれど、あたしから見て狂気と感じるその姿は、残念ながら彼らの日常なのだということを垣間見ると、最早何かを定義することすらどーでもよくなってしまう。

写真の物語る意味は深いけれど、猟奇性を感じないのはそれが日常だからなのかもしれないな・・・
だから、ヘンに説得力がある。
でも、彼らの日常をやはり自分の日常にはしたくないと思うあたしは、偏見のかたまりなのだろうか・・・
誰か知っていたら、おしえてほしい。

(『屁理屈日記』 2002/02/10より)

 

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