どんな人間にも、一応はペルソナとういものがあって、裏表の無い人間なんてめったに居ない。
とりあえず、他者によって規定された「こうあるべき自分」というのがその人の行動を規定していることが多い。
「こうあるべき自分」と「こうありたい自分」とが表裏一体となり、超分厚いペルソナを形成している人まで居る。
まったくアホらしいのだけれど、こーいう愚かしさはいわば自然の発露らしくて、大抵の人間に、こーいう傾向が備わっている。
あたしの場合は、すでに裏表どころかレインボーとまで言われてしまっている。
つまり、裏表など無関係。
極めて自然色に近いと自分では諦めている。
諦めているからこそ、勝手にカラーを決められて、案外、素直にそれに従う。
すでに、他人に自分を理解してもらおうなどというおこがましさも捨てている。
こー、傾向ってあるからなぁ・・・
パターンというか・・・
そーいうものに当てはめられるのが、単にイヤなのかもしれないし、だからこそ天邪鬼なのかもしれないなぁ・・・
にしても、逆さなのだ。
表に表れた部分は、実は逆さのその人だったりする・・・
ネットは誤解が多いというけれど、慣れてしまえば誤解ではない気がする。
誤解というより、摩擦に近いのかもしれない。
とにかくいろんな人がいるから、ネットは神経をすり減らす?
問題は・・・・ごく自然に自分を表現できない人があまりにも多いということなのかもしれない。
そーいう人に限って、勝手に自分を決めるように他人をも規定してしまう。
こーいう人たちの妄想が大きくなればなるほど、いわゆる「誤解」が発生しやすくなるだけなのかもしれない。
誤解というより、すでに妄想に近い世界だということも、何となくわかってきたし・・・
それでいて、他者の思い込みにより、それにガンジガラメにされてしまうと、なかなか身動きが取れなくなる。
他者の思い込みが、周辺の人や自分までも呪縛してしまうと、ネットではその呪縛を解くのが酷く困難。
こーいう傾向は、ヴァーチャルだけではなく、リアルでも年中起こり得る出来事。
だから、年中、どこかで誰かがすったもんだしているだけ・・・
自分を素直に表現すること・・・
それだけ。
他者に規定されない自分を確保すること。
それだけ・・・
それが相手を自由にし、自分をもラクにする。
(『屁理屈日記』 2002/12/06より)
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