人間は、誰しも孤独だと思うのだ。
だからこそ、人は愛を求め、のた打ち回らなければならない。
時に、裏切られ、傷つきながらも、それでも愛を模索する人たちは多い。
恋愛は、孤独と相性がいい。
思春期になり、やがては親や家庭から自立する時期に達すると、それなりに孤独を覚える。
そして、恋に憧れる。
男の子の場合は、それはもっと性的な衝動に近い感覚なのだろーか?
あたしには、よくわからない。
性差があっても不思議はないだろう。
そして、それ以前に愛に恵まれていなければ、親の愛を求めて模索してしまう。
愛は目に見えないけれども、生きるに必要なもの。
孤独に強い人は、心の中にたくさんの愛を持っている。
神の愛を模索する人たちは、自ら孤独の道を歩む。
それでいて、人は孤独になりたいという願望を持つ。
不思議。
誰かといるよりも、一人でいたいという願望。
癒し・・・・・・
この言葉があまり好きになれない。
つまり、心の疲れた人たちは、一人になることを渇望する。
癒しを求め、模索する。
だけど、癒しって何なのだろう?
つまりは、一人になること。
静かになること。
一人になること、静かになること、孤独になることにより、癒される。
不思議。
目に見えない何かを感じることが出来るようになるからかもしれない。
目に見えない何か・・・・・
つまりは、精神であり、心であり、自由だ。
心の静かな人にしか、神さまは感じられないらしい。
つまり、愛を感じるためには、心が静かにならなければならない。
愛は、孤独と相性がいいのかもしれない。
そして、愛とは孤独を埋めるために存在するのかもしれない。 (『屁理屈日記』
2002/01/24より)
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