最終更新日 2002/05/25

Spiritual Freedom

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愛するひととは言葉なき道をいっしょに歩いてくれるひと

 

詩集と格闘するといつも思う。
なんてボキャブラリーが少ないのかと。
それでいて、詩の届かないところまでそれは続いていくらしい。
言葉の届かないところまで、言葉は続いていく。
その奥深さを考えると、言葉は生き物であり、自由であり、何かを伝えられるものでありながら、実は何も伝えられないものである気がすることがある。

心の奥底を伝えられる、表現できる言葉があるなら教えて欲しい。

  深層?
    真実?
   本音?

何となくそれっぽい言葉はあるけれど、この場合は、魂という言葉が一番それに近い気がすることがある。

精神がどこにあるのかわからない。
わからないけれど、それは存在しており、言葉さえも届かない世界は心の奥底に存在し、我らを支配している。
自分ですら気が付くことはないかもしれないその存在を、もしかすると魂と呼んでいるに過ぎないのかもしれない。
だとすれば、死は屍だ。
とすれば、死は魂の死だ。
どこかへたどりつけそうで、どこにもたどりつけないという感覚は、もしかすると精神の魂と呼ばれているところに近い感覚なのかもしれないな。
自分ですらよくわからないのだから、他人にわかるはずもないけれど、他人にはきっと自分が生きているか死んでいるかくらいの区別はつくと思うのだ。
ところが自分はダメだ。
信じるかどうかは別として、よく死んでもすぐには自分が死んだことに気が付かないと言う人までいるくらい死はあっけないものらしい。
本当だろうか?
もっとも脳に酸素があるうちは、脳は生き続けているらしいけれど、どうもそういうこととも違う気もするし・・・

詩集を読んでいただけなのに、どうしてこういうことに繋がってしまうのだろう・・・
困った。

そうそう・・・
谷川俊太郎の詩集のせいだ。
彼の詩集は、彼があまりにも長い間詩の世界で生きていたことを教えてくれた。
彼の編んだ「愛の詩集」には、彼の簡単なメッセが添えられているだけだ。
あたしには、彼の詩よりも、彼のメッセのほうが意味深に感じられるくらい貴重だ。
何ともはや・・・・・

詩・・・・・・
詩がどこにでも落ちているものであり、生きている限り湧いてくるもだとすれば、彼は詩を投げ出せとまで語っている。
きっとみんなの心の中に詩はあるけれど、それは言葉の届かない世界からのメッセだから、言葉にならないということで終わってしまっているだけなのかもしれないな。

短歌の文法辞典の「はじめに」よりも、谷川の詩集の「あとがき」のほうが遥かに素敵だ。
それが事実なのだから仕方が無い。
敢えて、積極的にその二つを羅列して比較しようとも思わないけれど、そのくせ、あたしは嫌いな短歌を嫌いな古語を使って詠むことが多くなった。
あー、天邪鬼はいつまでもどこまでも天邪鬼なのだろーか?

悩む。
誰か、この性格を直して欲しい。
無理だ。
人間、諦めが肝心だ。

(『屁理屈日記』 2002/02/20より)

 

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