永 遠 の 恋 〈5〉




マヤは窓に寄りかかるようにして、外を見つめていた。
ビル街の灯りと月が見えた。
急に胸の中が寂しくなる。
一体、自分はここで何をしているのだろう・・・。
紅天女の上演権目的だとわかっていて速水と婚約して、でも、段々、彼と一緒にいる事に耐えられなくなって・・・。
心の隙間を埋めるように、週刊誌に投書をした。
その結果、世間を騒がせ、彼を困らせ・・・そして、自分は?
一体、何を得たというのだろう。
心にあるのは、砂を咬むような虚しい想いだけだ。
彼に愛されない事がこんなに辛いなんて・・・。
ただ、一緒にいるだけで満足できると思った。
心が自分になくても、耐えられると思った。

でも、もう、それは無理だ・・・。
もうこれ以上、彼と一緒にいる事は苦しみしか生まない。
彼に愛されてないなんて耐えられない・・・。

「星は見えるか?」
不意に声がした。驚いて、振り向くと彼が立っている。
「・・・速水さん・・・」
指先が小さく震えだす。
「どうした?幽霊でも見たような顔をして」
クスリと笑い、彼が近づく。
「待たせたな」
彼女との距離10cmの場所に立ち止まり、その存在を確認するように頬に手を伸ばす。
「・・・久しぶりだ」
いつもの優しい笑顔を浮かべ、彼女の前髪を軽くかき上げると、額に唇を落とした。
彼がどんなに彼女の事を大切にしてくれているかわかる。
でも、それでも彼の言葉が信じられなかった。
彼の行動が信じられなかった。
彼から逃れるように背を向け、再び窓の方を向く。

「・・・速水さん、婚約を解消して下さい・・・」

体中の勇気を掻き集め、口にする。
その言葉に彼は眉を上げた。
「・・・本当はもっと、早く言わなければいけないって・・・思っていたんです。でも、あなたと過ごす時間がとても、楽しくて、愛しくて、
言い出せなくなっていました」
彼は何も言わず、彼女の小さな背中を見つめていた。
「もう、私たち限界です。私、これ以上あなたの側にいる事はできません」
彼女の声は真剣だった。決して冗談なんかではない事はわかる。
しかし、それはあまりにも突然過ぎた。心臓を串刺しにされたような衝撃が彼の体中を駆け巡る。
「・・・だから、ここでさよならです。速水さん」
そこまで言い終わると、マヤは彼の方を再び振り向いた。
傷ついたような瞳と視線が合う。
それは彼女の予想に反していた。
彼が悲しそうな瞳をするなんて思いもしなかった。
少しでも、彼は愛してくれたのだろうか・・・。
今更ながら、そんな事を思う。
「・・・理由は?君が婚約を解消したい理由は何だ?」
ようやく、彼が口開く。
「・・・私、あなたを裏切る事をしました・・・だから・・・」
彼から視線を逸らし、告げる。
「・・・裏切る?あの週刊誌の事か?女優Mの告白の事か?」
彼の言葉に、驚いたように再び彼を見た。
「・・・知ってたんですか?」
「あぁ。さっき気づいた」
そう口にし、聖から受け取った週刊誌のゲラ刷りを彼女に差し出す。
「・・・君にしか話していない事だからな」
彼から受け取り、彼女はその文面を見つめていた。
「君が婚約解消を本当に望むのなら、俺は何も言わない。だが、最後に答えてくれ」
彼女を逃さぬように窓ガラスに手をつき、見つめる。
「君が婚約を解消したいのは、俺の事が嫌いだからか?」
彼の突き刺すような視線が痛かった。今までは優しい瞳しか向けなかった彼が、違う瞳で彼女を捕らえる。
ここで、嫌いだと言わなければ・・・。
間違っても好きだなんて言ってはいけない・・・。
「本当の事を聞かせてくれ・・・」
さらに彼女との距離を縮め、見つめる。
今にも二人はキスでもしてしまいそうな近さで互いを見つめていた。

「・・・嫌い」

彼女の唇がゆっくりと動く。
その瞬間、彼は唇を奪った。
それはとても荒々しく、貪るようなキスだ。
「・・・んっ」
苦しそうに彼女が声をあげるが、彼は決して離さなかった。
彼女の背に腕を回し、抱き寄せ、更に深く口付ける。
「・・・速水さん・・・」
ようやく、彼が彼女の唇を解放する。
「・・・これでも、俺の事が嫌いか?」
責めるような瞳で彼女を見つめる。
訳もなく涙が溢れる。
目の前の彼が霞んで見える。

「・・・嫌いです」
再び、口にする。
彼はその言葉にきつく瞳を閉じ、彼女の髪に顔を埋めた。
彼女との別れを惜しむように、彼は暫くそうしていた。

「・・・そうか。わかった・・」
ようやく、彼女を腕から解放すると、哀しそうな瞳で彼女を見つめる。
その瞳に彼女の心が揺れる。
「・・・嫌いだと言われては、どうする事もできないな」
寂しげな笑みを浮かべ、頬に流れる彼女の涙を拭う。
「・・・さよなら。愛していたよ」
そう告げると、来た道を戻るように、ドアに向かって歩き出した。
彼女は彼の背中を見つめていた。
その背中が堪らなく、彼女の胸を切なくする。

「・・・待って・・・」
思わずそんな言葉が毀れるが、彼の耳には届かない。
彼は一度も振り返る事なく、部屋を後にした。





それから一週間後・・・。女優Mの最後のインタビュ−が週刊誌に載った。
速水は事前に手を回して差し止める事もできたが、しなかった。
あの告白が彼女の本心だと思ったから、何もできなかった。
連日のように大都芸能に、速水の家にマスコミが訪れていた。
彼は何も語らなかった。
カメラを向けられても、寂しそうな瞳を浮かべるだけ・・・。
彼にとって、もう、全てがどうでもいい。
マヤが側にいないのなら、どうなっても構わない。
面白おかしく書き立てられようが、彼は何もせず見つめていた。

「真澄様、本当に宜しいのですか?」
見るに見かねて、水城が口開く。
「何の事だ?」
目の前の書類を見つめたまま答える。
「マスコミです。社長が何も言わないのをいい事に、ある事、ない事、書きたてているじゃないですか!」
怒りを露にする。
珍しくて感情的な水城に、彼は口元を緩めた。
「書かれているのは俺なのに、どうして君が怒る?」
水城の方を向く。
「それに、一応記事に目を通しているが、全くの嘘を書かれている訳でもない」
記事は鷹宮紫織との政略結婚。彼が今まで手がけてきた仕事などについて書かれていた。
どれも、速水真澄は血も涙もない冷血な男。自分の利益しか考えないような男だと罵っていた。
冷血漢なんて事は言われ慣れているし、仕事上の利益しか考えないのも真実だったので、彼は何も言わなかった。
「じゃあ、北島マヤと婚約をしたのも紅天女の上演権が欲しかったからだけなんですか!」
苛立ったように、水城は手に持っていた今日発売の週刊誌を差し出した。
「・・・あぁ。そうだ。それ以外に何がある?」
人形のような温度のない表情を浮かべる。
「・・・俺は彼女の上演権目的で婚約したのさ。そして、それを見破られて彼女に婚約を解消されたよ」
冷やかな笑みを浮かべ、彼は自分を笑った。
「・・・嘘・・・。そうやってあなたはご自分を騙すつもりなんですか?」
水城の言葉が鋭く胸に刺さる。
「今のあなたは自暴自棄になっているとしか思えません。本当にいいんですか?
最後まで彼女に本当の事が伝わらなくても・・・。このまま終わりにしてしまっていいんですか?」
水城の言葉に忘れようとしていた未練が大きくなる。
「・・・黙れ・・・」
小さく呟く。
「いいえ。黙りません!」
そう水城が告げた瞬間、思わず手が彼女の頬に向かって伸びる。
水城は叩かれる事を覚悟して一瞬、瞳を閉じる。
しかし、彼の手は触れなかった。
目を開けると、寸前の所で彼の手が止まっていた。
そして、酷く傷ついたような瞳をした彼と視線が合う。
「・・・マヤにいくら好きだと、愛していると、告げても彼女は俺の言葉を信じてはくれないんだ。そんな俺に何ができる?」
疲れたように呟き、彼は床を蹴り、椅子を回転させると、水城に背を向けた。

「・・・・すまないが、一人にさせてくれ・・・」





「・・・速水さん・・・」
マヤはテレビに映る彼を見つめた。
マスコミのインタビュ−に何も答えず、とても苦しそうな表情を浮かべていた。
あんなに苦しそうな彼を見たのは初めて・・・いや、二度目だった。
彼に婚約解消を口にした時も、彼は同じように苦しそうな瞳を浮かべていた。
初めて自分がどれほど、彼を追い詰めたか知る。
後悔が体中に溢れる。
しかし、彼女には彼と婚約を解消するしかなかった。

寂しくて、寂しくて・・・。
そんな想いに耐えるのはもう限界だった。
彼とずっといても感じていた寂しさを埋めるには、一人になるしかなかった。
涙が流れる。
彼と別れてから一週間。ずっと泣いていた。
自分が望んだ事なのに、どうしても涙が止まらなかった。

「・・・マヤちゃん?」
不意に誰かの声がかかる。
テレビから視線を放し、振り向くと、桜小路が立っていた。
今、自分が稽古場にいる事を思い出す。
「もう、休憩終わり?」
薄っすらと浮かんだ涙を拭い、いつもと変わらぬ表情を浮かべる。
そんなマヤの姿が桜小路にはとても痛々しく見える。
「今日の稽古は終わりだよ。黒沼先生の声が聞えなかった?」
「えっ・・・。あっ、気づかなかった」
苦笑を浮かべ、休憩室のソファから立ち上がる。
「マヤちゃん、この後予定はある?」
彼の言葉に一瞬、考えるように黙る。
「・・・別にないけど・・・」
「じゃあ、映画でも観にいこう」
そう言われ、桜小路に連れて来られたのはなぜか大都芸能のビルだった。

「・・・桜小路君。ここは・・・」
戸惑ったように彼を見る。
「映画部の人に買い付けてきたばかりの映画の試写をやるからおいでって誘われたんだ」
戸惑ったマヤの手を取り、ビルの中に入る。
「・・でも・・・」
桜小路はマヤの言葉なんて聞いていないようだった。
速水とマヤが婚約していたのは桜小路だって知っていた事だ。
そして、婚約を解消した事も・・・。
こんな無神経な事をする彼ではなかった。

「あっ!北島マヤ!」
ビルに入ると速水からインタビュ−を取ろうとしていた記者たちが、一斉に駆け寄る。
あっという間に桜小路とマヤは記者たちに囲まれた。
「婚約を解消したそうですが、それはやはり速水社長が紅天女の上演権目的だと知ったからですか?」
「速水社長に渡した上演権は今後どうするつもりですか?」
「女優Mについて北島さんは心当たりがあるんですか?」
一斉に注がれる質問にマヤはどうしたらいいのかわからなくなる。
「やめて下さい!彼女は今は僕と付き合っているんですから!」
マヤを支えるように隣に立っていた桜小路が口にする。
「えっ」
思わぬ事に頭の中が白くなる。
「マヤちゃんが速水社長と婚約を解消したのは僕の想いに彼女が気づいてくれたからです。
僕たちは長い間舞台の上で役を通して互いに思いを寄せていたんです。でも、その事を口にする事はできなかった。
芝居に私情を挟みたくなかった。だから、僕は何も告げなかった。でも、彼女が速水社長と婚約をしたと知ってから、いてもたってもいられなくなって・・・。
だから、思いを告げたんです。そして、彼女は答えてくれました」
真っ直ぐな桜小路の言葉に記者は質問をするのをやめて、彼の言葉を聞いていた。
「失礼します」
桜小路は言いたい事だけを述べると、記者たちに質問攻めにされる前に、マヤを連れてエレベ−タ−に乗り込んだ。

「・・・ごめん・・・」
二人きりになると、桜小路が口開く。
マヤはまだ今起きた事が理解できず、呆然としたままだった。
「ある人に頼まれたんだ。このままだと女優としての君に評判に傷がつくって・・・。
噂の矛先を速水社長と君から離さなければならなかったんだ。でも、今言った事の半分は僕の本音だよ」
真剣な瞳でマヤを見つめる。
「・・・君が好きだよ。マヤちゃん。ずっと前から君が好きだった」
そう告げると、桜小路はマヤを抱きしめた。
彼の言葉に混乱する。

「・・・降りるのか?降りないのか?」
次の瞬間、エレベ−タ−の扉が開き、抱き合っている二人に冷たい言葉がかかる。
「えっ」
聞きなれた声に視線を向けると、そこには速水が立っていた。
10日ぶりに見る彼はとても冷たい顔をしていた。
マヤはハッとしたように桜小路の腕から抜け、彼を見つめる。
「マヤちゃん、この階だよ。行こう」
桜小路が彼女の手を取って、速水に会釈をしながらエレベ−タ−から降りると、すれ違うように彼がエレベ−タ−に乗る。
一瞬、彼の手が彼女の手に触れた気がした。
再び彼を見つめると、愛していると告げるような瞳で彼女を見つめている。
マヤはその瞳から視線が離せなかった。
扉が閉まる直前まで、見つめていた。

「・・・マヤちゃん・・・」
速水を見つめる彼女の瞳に桜小路は自分の恋が叶わぬものだと悟った。




社用車に乗り込み、運転手に行き先を告げると、速水は桜小路との会話を思い出した。

「僕に替え玉をしろと言うんですか?」
眉を潜めて桜小路が彼を見る。
「あぁ。そうだ。何としても噂の矛先を俺とマヤから変えなければならない。君には悪いと思うが・・・。
マヤと交際宣言をしても当然だと思えるのは君しかいないんだ」
このままマヤと速水について騒がれれば、いずれ女優Mの正体も暴かれてしまう。
それを恐れて彼は桜小路に頼るしかなかった。
「・・・それに、君は本当に彼女の事が好きなのだろう?」
桜小路が自分と同じように彼女の事を愛していた事は知っていた。
だから、紅天女の舞台を観た時、胸の中がどうしようもなく妬けた。
そして、年も近く、同じ俳優の彼こそが彼女の隣に立つには相応しいと思えた。
「・・・頼む。俺の為ではなく、彼女の為に引き受けてくれないか?」
「・・・あなたはそれでいいんですか?」
彼の心の中を見透かすように桜小路が口にする。
「本当にいいんですか?そんな事をしてしまって・・・」
彼の言葉に沈黙を置く。
「・・・あぁ」
瞳を伏せ、口にする。
胸が痛んだ。
もう、これでマヤは彼の元に戻る事はない。
彼の思惑通りに行けば、これを契機におそらく、二人はくっついてしまうだろう。
そこまで考えての事だ。
自分以外の男に愛する女を渡さなければならないなんて・・・こんなに辛い事はない。
しかし、今はそうするしかなかった。
彼女を守るために・・・。
自分の事なんて考えてはいけないのだ。
いくら、彼が思いを寄せても、彼女との恋はもう終わったものなのだから。
「わかりました。引き受けましょう」
桜小路の言葉に心から血が流れた気がした。
「・・・そうか。ありがとう。君には感謝するよ」
身が裂けそうな思いで口にする。

「・・・速水さん、一つだけ聞かせてくれませんか?」
帰り際に桜小路が口にする。
「あなたがマヤちゃんと婚約したのは世間で言われているように本当にただ紅天女の上演権が欲しかったからなんですか?
僕にはそう思えない・・・。今のあなたを見ていると、まるで、あなたがマヤちゃんを・・・愛しているように見える」
思わぬ言葉に何と答えるべきか考える。
「本当はあなたはマヤちゃんが好きなんでしょう?今でも愛しているんでしょう?」
「・・・君はロマンチストだな。俺はそこまでセンチメンタルな人間じゃない。ただ、紅天女である彼女に傷がつくのを恐れているだけだ」






「マヤちゃん、まだ速水さんが好きなんでしょう?」
試写を観た帰り、桜小路が口にした。
桜小路はわかっていた。隣に座るマヤが全然映画など観ていなかった事を。
瞳を閉じて、涙を流していた事を。

叶わない・・・。ここまで好きなら割って入っていく事などできない。
そんな想いが彼にこの恋を諦めさせる。

「きっと、速水さんもまだマヤちゃんの事が好きだと思う」
認めたくはなかったが、言うしかない。
これ以上マヤの泣き顔は見たくなかった。
「君たち、ちゃんと好きあっているよ。僕にはわかる」
彼女を自分の手で幸せにする事ができないのなら、せめて、絡まった糸を解いてあげたい。
そう強く思う。
「君も本当は気づいているはずだよ。速水さんが紅天女の上演権が欲しくて婚約したんじゃない事を・・・。
速水さんが誰よりも君を愛している事を・・・」
哀しそうな彼女の顔を見つめる。
「でも・・・」
小さく彼女が呟く。
「・・・速水さんには好きな人がいる。いつか聞いた事があるの。気持ちを胸に秘めたまま七年以上も思う人がいるって・・・。
今も、その人の事を思っているって。だから、速水さんは私なんかを愛してはくれない。もしも、速水さんが私を少しでも思ってくれるのなら、
それは私が紅天女だから・・・。女優だから・・・」
苦しそうな彼女を思わず抱きしめそうになる。
「・・・君と速水さんが出逢ってから、もう、七年以上経っているんだよね。どうして速水さんが言っていた人がマヤちゃの事だとは思わないの?
どうして無理に離れようとするの?速水さんに聞けばいいじゃないか。その女性が誰なのか。マヤちゃんの事をどう思っているのか。」
今、僕にできる事は彼女の背中を押す事しかできない。僕の望みは彼女に幸せだ。
それに、本気で惹かれあっている恋人たちを引き離す事なんて、僕にはできない。
「・・・マヤちゃん、僕、さっきある人に頼まれて記者の前であんな事言ったって言ったよね。
そのある人って・・・。速水さんなんだ。彼は君の事を心配して僕に頼んだんだ」
彼女の瞳が見開く。
「・・・君の事を愛していなければ、できないよ。こんな事・・・」
彼女の瞳が涙で濡れる。
「・・・桜小路君・・・」
泣きじゃくる彼女を桜小路は優しく胸の中に迎えいれた。






速水は別荘を訪れていた。
一人になりたい時はいつもここに来る。
久々に週末は休みを取り、誰にも邪魔される事のないこの場所で過ごす事にした。
窓を開け、テラスに出ると、海の香りがした。
この場所からは海はすぐ目の前だ。
穏やかな波の音に耳を澄ませ、これから先の事を考える。
きっと、来週には桜小路とマヤの事が報道されるだろう。
彼との事はもうこれ以上騒がれる事はない。
マスコミは新しいネタに飛びつくはずだ。
そして、マヤはそのまま桜小路とくっつくはずだ。
全てこれで収まりがつく。

そう、これで良かったんだ・・・。
これで・・・。

なのに、彼の胸に刺さった棘は抜けなかった。
棘は日が経つにつれて大きくなっていく。
彼にはその痛みに耐えるしかない。

Trrrrr・・・。Trrrrr・・・。

不意に電話の音が鳴り始める。
ハッとし、彼は電話の前まで歩いた。
「はい」
「・・・マヤです」
沈黙を置き、電話越しの声が弱弱しく答える。
「・・・あの、テレビ見て下さい。私の気持ちです」
そこまで口にすると、彼女は電話を切った。
不意うちを食らったように彼は何も言えなかった。
暫く、受話器を握り締めたまま呆然とする。
そして、マヤの今の言葉を思い出し、テレビを付けてみた。

「女優Mは私です」
チャンネルを変えていくと、マヤの姿を見つける。
「彼に愛されない事が辛くて、あんな事をしてしまいました。自分でも愚かだったと思います。
それから、数日前、桜小路君が言った事は私を守る為の嘘です。私たちは付き合っていません」
マヤの言葉に彼は驚くしかできなかった。
「北島さんは今でも速水社長の事が好きなんですか?」
記者の質問に一つ間を置いて答える。
「・・・はい。好きです。愛してます」
迷いのない瞳で答え、思いを伝えるように彼女は視線をテレビカメラに向けた。
彼の胸が熱くなる。
いてもたってもいられなくなる。

今すぐ彼女に逢いに行かなければ・・・。
そんな想いに突き動かされ、彼は部屋を出た。


「速水さん」
外に出ると声を掛けられる。
目の前には白いワンピ−スを着たマヤが立っていた。
「・・・どうしてここに?」
この場所にはまだマヤを連れて来た事はなかった。
「・・・聖さんに無理を言って連れて来て貰ったんです」
聖の名前にさっきの電話も納得ができる。
「・・・私、あなたに聞きに来たんです」
一歩彼女が近づく。
「あなたが七年以上も思っていた人が誰なのか・・・」
真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。
「あなたが私と婚約したのは紅天女の上演権目的だったのか・・・」
また一歩彼女が近づき、彼に向かって手を伸ばす。
「答えて下さい」
彼の頬に小さな手が触れた。
目睫の彼女に愛しさが溢れる。
「マヤ。君だよ。俺が長い間想ってきた女性は・・・。それに俺は紅天女の上演権が欲しかったんじゃない。君が欲しかったんだ。
君がとても愛しいから、だから、君と婚約をした」
頬に触れる彼女の手に自分の手を重ねる。
「・・・愛してる。君が誰よりも愛しいんだ。君じゃなければ、俺は駄目なんだ。君が側にいないと、こんなにも不安で、胸が痛くて・・・」
彼の言葉に彼女の瞳から涙の雫が零れ落ちる。
「・・・信じてくれ。俺は本当に君を・・・」
彼の瞳にも涙が浮かんでいた。
「・・・愛しているんだ」
口にすると同時に想いを伝えるようにきつく抱きしめる。
マヤは彼の腕の中で堰を切ったように泣いていた。
やっと、彼の気持ちが本物だった事に気づく。愛されていた事に気づく。
見詰め合う距離が縮まり、二人は静かに唇を重ねた。
そして、ベットに身を沈める。
互いの服を脱がせ、何度もきつく抱きしめ合う。
耳元で囁かれるのは”愛している”という言葉だけだった。
強い想いに溺れるように幾度も体と体を重ね、伝える事のできなかった想いを重ねあう。
離れていた寂しさを埋めるように数え切れない程のキスを交し合う。
時間を忘れ、二人は文字通り愛し合った。

「・・・マヤ・・・」
瞳を開けると、彼女の姿がなかった。
昨夜の事が一瞬、夢のように思える。
心臓が止まりそうになる。
彼はベットから慌てて、起き上がり、部屋中を見回した。
「・・・マヤ、マヤ、マヤ・・・」
彼女を探して何度もその名を口にする。
「・・・ここにいます・・・」
テラスから声がした。
その声に彼は窓が開いていた事に気づく。
「・・・マヤ・・・」
テラスに出ると白いシ−ツを胸に巻きつけた彼女が立っていた。
「・・・海を見ていたの」
嫣然とした表情を彼に向ける。
彼は安堵したように、胸を撫で下ろすと、彼女を抱きしめた。
「・・・君がいなかったから、不安になった・・・」
耳元で、囁く。
彼の言葉に彼女は笑った。
「・・・速水さんがそんな事口にするなんて、意外です」
「君がそうさせるんだ。俺だってこんな事自分が口にする奴だなんて思わなかった」
微苦笑を浮かべる。
「君を好きになって、知らない自分に会うんだ。一体、君は俺に何をしたんだ?」
おどけたような表情を向ける。
「俺はもう、君から離れる事ができないよ。例え、君に嫌いだって言われても、もう離れられそうにない」
彼の言葉の一つ、一つが胸に染みる。
「・・・速水さん・・・」
彼の瞳をじっと見つめる。
愛しさが体中を駆け巡り、涙が流れそうになる。
「あなたこそ、何をしたんですか?私、前よりも、ずっと、ずっと、あなたの事を好きになっている。
あなたを思うと、愛しくて、涙が流れそうになるんです」
その言葉に彼の胸は締め付けられるようだった。
彼女の事が愛しくて仕方がない。
「凄い、口説き文句だ」
クスリと笑い、唇を重ねる。
愛しさを伝え合うキスに、互いの胸に気持ちが溢れる。
「・・・結婚しよう。今度こそ、俺とずっと一緒にいてくれ」
唇を離すと、彼が告げる。
その言葉に涙ぐみそうになる。
「君とずっと一緒にいたいんだ。一緒に年をとって、子供を育てて、孫の顔が見たい。そして、晴れた日には二人一緒に縁側に座ってお茶を飲んでいたい」
彼の言葉に自分たちの未来を描く。
「・・・とっても素敵。私もあなたとずっと一緒にいたいです。一緒にお茶を飲んでいたい」
「・・・マヤ、愛している」
彼女の言葉に嬉しそうに顔を綻ばせ、再び唇を重ねた。




それから、50年・・・。

穏やかな晴れた日に、縁側で肩を寄せ合い、孫たちを見つめる二人の姿があった。
「・・・夢が叶ったな・・・」
何かを思い出したように、彼が呟く。
「えっ?」
お茶を飲んでいた彼女の手が止まる。
「・・・何でもない。少し、昔の事を思い出したんだ」
幸せそうな笑みを浮かべ、彼は彼女を見つめていた。



THE END




【後書き】
GW中に仕上げると公言してしまったので・・・何とか、書き上げました(笑)
今回はラストが浮かばなくて、どうしよう。どうしようと・・・悩みに悩み抜いて何とか(無理に?)終わらせる事ができました。
散々二人をいたぶったので(笑)やっぱり、最後は穏やかに、幸せそうにしたいなぁぁと、思ったら、なぜか老後の二人が
浮かんでしまいました(笑)苦しい展開だったかなぁぁと・・・思いつつも・・・まあ、その・・・ははははは(←笑って誤魔化す)

リクエストをくれたまことさん、ありがとうございました♪何だか、大分リクエストから外れてしまった気もしますが・・・。
まあ、貰ってやって下さいませ♪

ここまでお付き合い頂きありがとうございました♪


2002.5.5.
Cat














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