続・NO TITLE <1>
彼の口から出たのは思いもよらない言葉・・・。 その言葉の意味を確かめたくて、口を開くが、声が出ない。言葉が出ない。 喉の奥がカラカラと乾き、胸が押し潰されそうな勢いで鼓動を鳴らしている。 見上げると私を捕らえる彼の瞳と重なった。 互いに互いを見つめたまま、距離は縮まる。 そして・・・彼の唇が額に触れた。 唇ではなく額に・・・。 「・・・おやすみ」 額から唇を離すと、たった一言、彼が告げる。 それ以上の言葉は彼から聞けなかった。 小さくなる彼のシルエットを私は何も言わずに見つめていた。 ”君が好きだ” 思わず彼女に告げてしまった言葉を何度も頭の中で反芻する。 一体彼女はどうとったのか・・・。 大きな瞳はこれ以上ない程、見開かれ、言葉の意味を問うように俺を見ていた。 馬鹿な事をしてしまったと今更ながら思う。 いくら彼女を愛していても、手にしてはならない、告げてはならない思いだったのだ。 彼女の事を思うなら俺の事など忘れさせてやらなければならない。 俺には彼女を幸せにする事なんてできないのだから・・・。 「まだ起きてらしたの?」 その声で現実に戻る。 振り向くと、妻が立っていた。 「・・・あぁ。仕事を少し持ち帰ったんで」 妻は蒼白い顔をしていた。 ここの所体調が悪いようで、今夜のパ−ティ−に本来なら彼女にも同伴してもらうはずだったが、 見合わせる事になった。 「君こそ、起きていて大丈夫なのか?」 椅子から立ち上がり、戸口に立つ彼女に近づく。 「・・・えぇ。大丈夫ですわ」 儚く彼女が笑う。まるでこの世のものとは思えない程、それは酷く現実感がなかった。 彼女が心配だった。 結婚してから3年。彼女の体調が悪くなったのはここ半年程だ。 もともと体は丈夫な方ではなかったが、最近は特に具合が悪そうに見えた。 「ごめんなさい。今夜もパ−ティ−だったのに行く事ができなくて」 申し訳なさそうに白い額には皺が寄る。 「いいんだ。気にする事はない。どうせ退屈なパ−ティ−だったんだから。それより、こんな時間まで起きていたのか?」 時計を見ると午前1時を指していた。 「あなたの顔が見たくて」 彼女の一途な言葉に胸が痛む。 俺の心が誰にあるのかは彼女はとっくに気づいている。 それでも、彼女は俺の事を思ってくれる。俺を愛してくれる。 どうして俺はマヤではなく、彼女の事を愛せなかったのだろう。 こんなに思ってくれる女性を妻にしながら、人間的に好きになる事ができても、愛する事ができない。 なぜ、この結婚をしてしまったのだろう・・・。互いにとって辛い思いしか残さない、利益だけを考えた結婚になぜ俺は承諾をしてしまったのか。 「・・・そんな顔なさらないで。あなたがいけないんじゃない」 細い彼女の指が頬に触れる。まるで俺の考えを読むようにそう告げ、彼女は哀し気に微笑んだ。 「・・・紫織さん・・・」 彼女の指に触れると、随分と痩せたような気がした。 余計な肉はとれ、骨だけしかない。 「・・・疲れました。今夜は一緒に眠ってくれませんか?」 彼女の言葉を聞くと、痩せ衰えた体を抱き上げ、彼女を寝室に運び、自分も彼女の隣に横になった。 そして、そっとその体を抱きしめる。彼女の息遣いや、鼓動を感じる事ができた。 こうして彼女を抱きしめたのは随分と久しぶりだった。 背中や、腰に腕を回すと、どれだけ肉が落ちているかわかる。 今、彼女から離れられるばずがない。彼女が頼れるのは今は俺だけなのだ。 どんなに愛していようと・・・俺の恋は諦める事しかできない。 それが、俺が決めた道だ。もう、よそうマヤの事を考えるのは・・・。 今は、病弱な妻にできるだけの事をしよう。それが愛する事のできない謝罪だ。 「えっ・・・。今、何て・・・」 目の前の桜小路くんを見つめる。 周りの雑音が急に小さくなり、そこには彼と私の二人しかいないような気がした。 「・・・僕と結婚して欲しいんだ」 同じ言葉をもう一度彼が告げる。今まで見た事のない熱い瞳、迷いのない瞳・・・。 強い瞳に見つめられ、テ−ブルの上のコップを滑らせる。 ガシャン! 床にコップが叩きつけられ、グラスが割れ、氷と水が弾け散る。 すぐにウェイタ−が駆けつけ、呆然とする私を横目に残骸を片付けた。 「マヤちゃん大丈夫?」 心配するように彼が口開く。 「・・・う、うん・・・。その、私・・・、もう行かないと、ドラマの撮影があるから・・・」 頭の中が真っ白だった。何を自分が口にしているのかよくわからない。 ただ、このままここにいてはいけない気がして、逃げるように私は席を立ち、カフェを出た。 桜小路くんの声が後ろで聞こえた気がしたが、私は答えず、道端に止まっているタクシ−に乗り込んだ。 「大都芸能まで」 咄嗟に告げた自分の言葉にハッとする。 一体、私は大都芸能まで行って何をするのか? そう考えた瞬間、あの人の姿が浮かぶ。 あの夜、あの人の言葉を聞いてから、二週間以上顔を合わせていなかった。 意識的に会わなかったと言った方がいい。 怖かったのだ。この次、彼に会ったらあの言葉の意味を聞いてしまいそうな自分が・・・。 聞いてしまったら全てが嘘になってしまう気がする。あの夜の事も、彼を思っていた年月も・・・。 だから・・・。 「やっぱり、渋谷のY2スタジオまでお願いします」 運転手にそう言い直し、窓の外を見つめると、ため息を一つついた。 「速水社長!」 思わぬ再会・・・・。不運な巡り合わせ・・・。 どうして会いたくない時に限ってこの人に会ってしまうのか。 スタジオに着き、その声に私は暫く金縛りにあってしまっように動けなかった。 彼は丁度廊下で誰かに呼び止められていたのだ。 早く、逃げなくては、彼が私に気づかなぬ内に、早くどこかに行かなければ・・・。 そう思うけど、体は石のように動かない。指先が小さく震えだす。 何かの彫像のようにその場に立ったまま、瞳だけは彼の方を向いていた。 低い彼の声が耳の中を透き通る。彼の身振りや仕草が胸の端に鈍い痛みを落とす。 今にも心が”彼を好きだ”と叫び出してしまいそうだ。 お願い。私に気づかないで。話し掛けないで・・・。 普段は神なんてものは信じる事はないが、この時ばかりは祈らずにはいられなかった。 しかし・・・。 「北島くん!」 彼と話していた五十嵐監督が、そう声を掛けた。 もう逃げられない。こうなっては彼の前に出て行くしかない。 深く呼吸をし、何度も心の中で”落ち着け”と呟く。 大丈夫、いつものようにしていれば何も怖い事はない。自分は女優で、彼は大きな芸能社の社長。 ただそれだけなのだ。彼に軽く女優北島マヤの挨拶をすればいいのだ。 「こんにちは。速水さん、五十嵐監督」 意を決したように監督と、彼がいる所へと足を進め、そう口にした。 今日は五十嵐監督に話があると言われ、午後の予定を一つ繰り上げる事になった。 撮影中の映画についてアドバイスが欲しいとの事だったが、その映画は北島マヤが主演を務めていた。 できれば、今は彼女と顔を合わせたくはなかった。彼女の顔を見て理性的に振舞えるか自信がなかったからだ。 幸いにも彼女はまだスタジオには現れてはいなかったが、その事に何だか肩透かしを喰らった心地になる。 そして、彼女の顔を一瞬でも、一目でもいいから見たいと思っていた自分に気づいた。 どんなに理性では抑えてみても心の奥底ではやはり、彼女に逢いたい・・・。逢いたくて、逢いたくて仕方がない。 体中が、細胞の一つ一つが彼女を求めているのだ。 「社長、どうかしましたか?」 五十嵐監督の太い声がハッとさせる。 「誰かをお探しで?」 どうやら無意識のうちに視線は彼女を探していたようだ。 「・・・いえ。その、見事なセットですねぇぇ」 誤魔化すようにセットを見つめ、ヨ−ロッパの建築方式について、あれこれ口にした。 「やっぱり、わかってくれますか!いやぁぁ、さすが速水社長!お目が高いですなぁぁ」 どうやら的を得た言葉だったようで、五十嵐監督は上機嫌に今回のセットのコンセプトについて話してくれたが、 半分以上は頭には入らない。 考える事はやはり、彼女の事ばかり。情けない程、頭の中が彼女でいっぱいだった。 何度も、何度も彼女の事を諦めようと言い聞かせても、心の奥で湧き立つ思いを抑える事ができない。 こうして、彼女と少しでも関連のある場所にいるだけで、もう、俺は俺でなくなっているようだ。 たかが女優じゃないか!しかも11も年下の!! 何をそんなに気に病む必要がある。 身も蓋もない事だとわかっていても、そう自分に言い聞かせるしかない。 あの日、彼女の言葉を聞いてしまった俺には・・・もう、それしかないのだから。 「北島くん!」 不意に目の前の五十嵐監督がそう告げたから、体中が固まってしまう。 まさかと、思いながら監督の視線を追うと、その先には・・・彼女がいた。 途端に思考が彼女一色になる。彼女から視線が離せなくなる。 体中が凄い勢いで鼓動を打ち始める。それは周りにいる者にも聞こえてしまうのではないか?と思う程だ。 彼女の口の端がゆっくりと上がり、俺と監督を見つめた。 そんな何気ない笑顔一つで、俺はもう正体がなくなってしまいそうだ。 彼女が好きだ。彼女を愛している。そんな言葉が何百回も、何千回も頭の中でぐるぐると回る。 胸の中に溢れるこの気持ちをどうすれば塞き止める事ができるのか。 出るはずのない答えを求めて、脳の別の部分が考え始めるが、やはり答えは出ない。 いや、そもそもそんなもの最初から存在するものではないのだ。 彼女に恋をしてしまった時から、俺は出口のない迷路に入ってしまったのだ。 「こんにちは。速水さん、五十嵐監督」 傍に来ると、彼女は心地よい鈴の音のような声で口にする。 ただの挨拶、ただの言葉なのに、どぎまぎとして、気を抜くと、頬が赤くなってしまいそうだ。 「やぁ、北島くん、待っていたよ。今日も宜しく頼むよ」 そう言い、五十嵐監督が彼女の肩に軽く手を乗せる。 自分はそんなに嫉妬深い男ではないと思っていたが、その思いは見事に打ち砕かれた。 自分以外の人間が彼女に触れる事がこんなにも苛立つ事だとは・・・。 今まで、彼女の舞台を見ながらこんな思いを一体、俺は何度してきのたか。 「今日はご機嫌斜めですか?」 黙ったままの俺に彼女がおどけたように口にする。 あぁ。わかっている。きっと、俺は今物凄い仏長面で君を見ているのだろうな。 「君も大分人の顔色が読めるようになってきたようだ」 わかっていても表情を崩す事はできない。五十嵐監督、いや、五十嵐の手が彼女に触れている以上俺は不機嫌なままだろう。 「監督、田所プロデュ−サ−からお電話です」 スタッフの一人がそう言うと、五十嵐は俺に簡単な挨拶をして、その場を離れた。 そして、彼女と二人きりになる。 今度は違う緊張感が更に険しい顔にさせる。 彼女と何を話したらいいのか・・・。何を言うべきなのか・・・。 突然二人きりにされた事に胸をギュウと絞られたような苦しさに襲われ、それは沈黙となる。 話しかけようと口を開いてみるが、言葉は出て来ず、まるで金魚のように口をぱくぱくさせる自分が不甲斐ない。 しかし、その場から離れる事もできず、彼女に気づかれぬように、視線をやる。 彼女も俺と二人きりで困ったように俯いていた。 「・・・その、最近は・・・どうだ?」 自分でも何を聞いているのかわからないが、これ以上の沈黙に彼女を縛り付けるのが何だか気の毒に思われ、 思い切ってその一言を発する。 「えっ?」 驚いたように彼女が顔を上げ、俺を見る。 「いや・・・だから、その。調子の方はどうだ?何か困った事はないか?」 重なった視線に少し早口に告げると、彼女は一瞬、驚いたように瞳を止めた。 本当に何かあったのか? 会話を探す為に何気なく口にした言葉だったが、どうやら核心をついてしまったようだ。 「どうした?何かあったのか?」 今度は真剣な言葉に変わる。彼女に何かある度に身を切られるような心地になってしまう。 彼女が心配で、心配で仕方がないのだ。 「・・・いえ。何もありません。仕事は順調ですし・・・毎日がとっても楽しいです」 そう言い、笑顔を作った彼女がなぜか無理をしているように見えた。 「・・・本当か?」 余計な一言だとわかっていても、ついそんな言葉を口にしてしまう。 俺の言葉に一瞬、彼女の表情が曇るのがわかる。 昔から、こういう事で彼女は嘘をつくのが下手なのだ。 やはり何かあったに違いない・・・。 彼女を不安にさせるのは・・・この間の事なのだろうか。 自分を抑えきれず告げてしまった一言・・・。 彼女はどう感じ取ったのか。 その事を聞くべきなのかもしれないが、聞く側が冷静ではいられない。 この間の晩、彼女の気持ちはハッキリと聞いてしまったのだから。 「北島さん、そろそろ撮影が始まります。準備して下さい」 その言葉は彼女と過ごす時間の終わりを告げる。 「あの、私、もう行かないと。速水さん、心配して下さってありがとうございます。本当に、私は大丈夫ですから」 軽く頭を下げると、彼女は逃げるようにセットの方に駆けていった。 撮影が始まると、速水さんは最初の2,3TAKEだけを見て、いつの間にかスタジオからいなくなっていた。 何だか急に寂しくなる。あんなに彼と二人きりの時間に戸惑っていたのに。 スム−ズな会話は何一つできなかった。もっと平気なふりをしなければと思えば、思う程彼の前に立つと不自然になってしまう。 彼は気づいていたのだろうか・・・。私の中の動揺を、葛藤を・・・。 だから、困った事はないのかと聞かれたのかもしれない。 彼は何でも見通しているのだ。あの鋭い瞳は私の心の中をきっと知っている。 何が不安で、何に迷っているのか・・・。そして、こんなにも彼を好きな事を・・・。 あの夜の言葉を彼に確かめたい・・・。聞いてみたい・・・。 でも、私にはそんな勇気はない。勇気がなかったから、彼が結婚する前に伝えられなかった。 舞台の上でしか想いを表現する事はできなかった。 「・・・はぁ、弱虫」 「誰がだい?」 一人口にしてみると、誰かが私の言葉に反応する。 「えっ?」 顔を上げると、桜小路くんがいた。彼とは昼間カフェで別れたきりだ。 突然の言葉に私は逃げ出してしまったのだ。 「待っていたよ。マヤちゃんが帰って来るのを」 部屋の前に座っていた彼が立ち上がる。 「・・・桜小路くん・・・」 何と告げたらいいのかわからない。彼にプロポ−ズをされて、何て答えればいい? 「あの、私・・・」 何とか言葉を探すがどの言葉も違う気がする。今、彼に言うべき事は・・・。 「困ったって顔してるね。そうだよね。突然あんな事言うべきじゃなかったよね」 いつもと変わらない優しい笑顔を彼が浮かべる。 「・・・困っただなんて・・・そんな・・ただ、驚いて・・・」 「驚く?僕の事はやっぱり男としては見られない?」 そう告げると彼が腕を掴み、私を引き寄せた。 思いもよらない距離に芝居の時とは違う熱さを感じる。 何度も、何度も紅天女の稽古で一真である彼とは抱き合ったはずなのに。 「・・・ずっと、ずっと君が好きだったんだ」 耳に掛かる温度の高い声に胸が苦しくなる。 「・・・マヤちゃん、君が誰を好きなのか知っている。でも、そろそろ僕を見て。僕に気づいて」 真っ直ぐな瞳が私を捕らえる。逸らす事さえも許さないというように。 「・・・桜小路くん・・・」 喉の奥が熱い。こんなに熱い彼は見た事がなかった。 「・・・君の好きな人は結婚をしているんだ。もう既婚者なんだ」 彼の言葉に現実を叩きつけられる。鋭利なナイフで胸をえぐられた気がした。 わかっている。そんな事は言われなくてもわかっている。 でも、それでも・・・私は・・・。 「・・・それでも、好き。あの人が好きなの!例え他の人のものでも構わない!!」 涙と一緒に出た自分の言葉に驚く。こんなにもハッキリとあの人への気持ちを口にしたは二度目だった。 彼の体が強張るのがわかる。 「マヤちゃん・・・それは、不倫って言うんだよ」 数瞬の沈黙の後、諭すような静かな声で彼が告げる。 不倫・・・。その言葉の響きに自分の想いが急に浅ましいものに思えた。 確かに、結婚している人に想いを抱く事はそうなのかもしれない。 どんなに、純粋に好きだと、愛していると言っても世間ではそれを”不倫”と呼ぶのかもしれない。 「・・・ごめんなさい。桜小路くん。私、あなたの気持ちに答える事ができない」 涙を拭い彼を見ると、同情するような、困ったような瞳で私を見ていた。 「・・・マヤちゃん・・・」 彼の腕からだらりと力が抜け、私を解放する。 「・・・おやすみなさい・・・」 そう告げ、その場に彼を残して部屋の中に入った。 「どうかなさいましたか?」 その言葉に自分がぼんやりとしていた事に気づく。 「いえ」 意識を目の前の事実に取り戻す。 ここは病院で、妻が倒れ、一週間前に運びこまれたのだった。 担当医は難しそうな顔をしている。 「検査の結果ですが・・・。やはり、進行しているようです」 ”進行?”その言葉に何か引っかかるものを感じる。 妻は昔から虚弱体質でその為、慢性的な貧血に悩まされていたようだったが、さして重い病気ではないはずだ。 薬さえ飲み続けていれば日常の生活には支障はないと本人から結婚する前に説明を受けた。 「このまま治療をしなければ、命の保障はできませんよ。ハッキリした事はまだ言えませんが、 恐らく他の場所にも転移はしているでしょう」 話が飲み込めない。一体、妻の体に何が起きているのというのだ。 背筋がさっきからぞくぞくとしていた。 これから聞かされる事に嫌な予感がするが、しかし、聞くしかないのだ。 一体、妻は、紫織さんは何の病気なのか・・・。 「先生、妻は何の病気なんですか?」 今度は俺の言葉に医者が驚く番だった。 「ご存知ないのですか?」 その問いに大きく頷くと医師の口がゆっくりと開く。 「・・・あなたの奥さんは白血病です。今すぐに化学療法と骨髄移植を行う必要があります」 目の前が暗くなる。 白血病だと?一体いつから?いつから発病したのだ? 彼女はそんな素振りを見せなかった。ただ、最近は体調が悪いと言っていたが・・・。 そんな・・・。どうして隠した。どうして気づかなかった。 「妻は、知っていたんですか。自分の病気の事を」 「えぇ。3年前から通院されています」 「真澄様、いらしてたの?」 病室の白いベットの上で眠っていた彼女が目を覚ます。 彼女の病気の事を知ってから、二時間程、ここから窓の外を見つめていた。 彼女が起きたら言いたい事はいっぱいあったが、弱弱しい声に、言葉が出てこなくなる。 「今日は君の担当医に呼ばれたんだ。化学療法を受ける事に同意して欲しいと言われた」 彼女の瞳が大きく見開かれる。 「・・・そう。知ってしまったんですね」 全てを悟ったように告げ、彼女は俺から視線を外して天井を見つめた。 「どうして黙っていたんです。僕と結婚する前から通院していると聞きましたが」 責めるように彼女を見つめる。 「・・・言ったらあなたは私と結婚してくれましたか?」 沈黙を置いて彼女が口にする。その言葉は思いのほか胸にズシリと響く。 「私はどうしても、あなたと一緒になりたかった。だから、だから・・・」 彼女の頬から涙が零れ落ちる。 その涙が今は酷く痛々しく見えた。 いつの間に彼女はこんな表情をするようになっていたのか。 寂し気で、辛そうな表情を・・・。そして、俺は気づかなかった。 いや、見て見ぬフリをしていたのかもしれない。 夫として失格だ。妻の異変に気づかなかったなんて。 例え、形だけの政略結婚でも・・・。 「・・・言えなかった。私の事などあなたの目には入っていない事を知っていたから。あなたの心が私にないのはわかっていたから。 馬鹿な女です。私は。心を縛る事などできないのに。それでも一緒にいたかった・・・」 嗚咽を漏らしながら告げる言葉に胸が締め付けられた。 「・・・離婚して下さい。真澄様。私の事はどうぞお忘れになって下さい。・・・私にはあなたを止める権利はありません」 背を向け、震える声で彼女が口にする。 「・・・紫織さん、何を言うんです!あなたは僕の妻です。これからも。例え病気だろうと・・・」 ベットの端に座り、背中から彼女を抱きしめた。 より華奢になった体は涙に震えていた。 「・・・真澄様・・・。でも、私は・・・私は・・・」 彼女が振り向く。 「今は病気を治す事だけを考えましょう。僕たちは夫婦なんですから」 それは心からの言葉だった。 今はとにかく彼女についていてあげたい。こんな状態の彼女と離婚などできるはずがない。 自分の幸せなど考えてはいけないのだ。 どんなに心が惹かれようとマヤの事はもう忘れるしかないのだ。 俺はこの人と今は結婚をしているのだから。 To be continued 【後書き】 という訳で(←何がだ 笑)続きます。桜小路のプロポ−ズ、シオリ−の病気に翻弄される 二人を書いていくつもりです(笑)はたてしてこの後はどうなっちゃうんでしょね(笑) 2002.7.7. 現実逃避中のCat |