嘘つき−真実−


誰にも邪魔されない場所で彼は彼女と話したかった。
日本にいる僅かな間に彼女にはできるだけの事をしておきたい。
そんな想いから、思い切って、彼女を連れ出したが、さっきから、何も言葉が浮かばない。
車内には硬質な沈黙が流れる。
何と、話掛けたらいいのか・・・。二人とも会話のタイミングを掴めず、黙ったままだった。
そんな時、彼女が小さく声を上げる。
「・・・危ない!」
そう言われハッとする。彼の運転する車は対向車とぶつかりそうになっていた。
大きくハンドルを切り、何とか回避する。その弾みに車が蛇行し、シ−トベルトをしていなかった彼女は彼の胸の上に倒れた。
触れ合った温もりに彼女の胸は大きく高鳴った。
「大丈夫か?」
顔を上げると、心配そうな彼の視線とぶつかる。
「・・・えっ・・あっ、はい」
僅かに頬を紅め、彼女は彼から離れた。
「どこに連れていってくれるんですか?」
彼とのきまづい沈黙を埋めたくて、彼女は何とか口を開くが、窓は外を見たままで、彼の方は向いていなかった。
「・・・さぁな、俺もどこに車を走らせているのか、よくわからない」
苦笑とともに、彼が口にする。
「君はどこに行きたい?」
そう問われ、彼女は一瞬、考えるように瞳を閉じた。
「・・・遠くに行きたいです・・・」
日常の事も、演劇の事も彼が紫の薔薇の人だという事も忘れさせてくれるような遠くへ行きたかった。
誰も知らない場所で何も考えずに過ごしたかった。
「・・・速水さん、連れて行って・・・」
瞳を開け、彼の横顔を見つめる。
彼も彼女と同じような思いだったかも知れない。このまま何もかもを忘れ、彼女とどこまでも遠くへ行けるのなら、行ってみたい。
煩わしい事を全て放り出し、彼女と二人だけで過ごせたら・・・と、一瞬夢に見る。
しかし、彼女には嫌われている。もし、ここで好きだと、告げても彼女を戸惑わせるだけで、自分を好きになどなってくれる訳がない。
「・・・伊豆に行こう。別荘があるんだ」
そう告げ、彼は真夜中の高速に車を走らせた。



「君は俺に何か言いたい事があるんじゃないか?」
伊豆に着くと、明け方の浜辺を二人は歩いた。
この間から彼女の様子がオカシイ事は気づいていた。そして、水城にもハッキリと言われたのだ。
今、マヤが何かを悩んでいると。それも、おそらくは彼に関係した事だと。
「・・・この間、俺に言ったよな。”嘘つき”って・・・。あの言葉の意味はどういう意味なんだ?」
一番聞かれたくない事を聞かれ、彼女は砂浜を歩く足を止めた。
波と波が打ち砕ける音が響き、月明かりだけに照らされた漆黒の海の色は不安な心をかきたてた。
「・・・速水さんこそ、私に言いたい事があるんじゃないですか?」
今日の速水はどこか追い詰められたような瞳で彼女を見つめていた。
そのせいか、いつもの軽口が、一度もきかれない。
だから、彼と彼女の会話はどこがギクシャクとしていて、沈黙だけが大きくなってしまう。
互いに言いたい事を言えない・・・そんな思いに戸惑っているのだ。
「あぁ。ある。君に何か伝えたくて、ここまで来た」
彼の右側に立ち、海を見つめる幼なさが残る彼女の横顔を見つめる。
まだ彼女は高校生で、自分とは11も年齢が違う。そんな現実を彼は再認識した。
だが、それでも、彼女を愛している。例え振り向いて貰えなくても、嫌われたままでも・・・。
「だが、君の顔を見たら、何を言いたかったのか、わからなくなった」
そう告げ、口の端を微かに緩めた彼の表情に悲哀が生まれる。
マヤは見てはならぬものを見たような心地になり、彼から視線を外すと、砂浜に腰を下ろした。
「・・・月が綺麗・・・」
そう彼女に言われ、彼は空を見上げた。
明け方の薄く透明な白色の月が見える。腕時計を目にすると、午前4時になろうとしていた。
「・・・切ないな・・・」
そう呟き、彼も砂浜に座る。
マヤはらしくない彼の言葉に意外そうな顔を浮かべた。
「なんだ?」
彼女の視線に、彼は可笑しそうに問う。
「いえ、何だか、速水さんらしくない言葉だったので」
素直な彼女の言葉にプッと噴出してしまう。
「君は本当にストレ−トだな。俺だって人間だ。月を見て切なくなる気持ちだって持っている」
いつものような調子で口にし、彼が笑顔を向ける。
穏やかなその笑顔になぜか落ちつかない気持ちになった。
「だって、速水さん、いつも全然そんな所見せてくれないから・・・。本当のあなたを見せてくれないから・・・だから、私は・・・」
そこまで口にし、俯くと、白い砂の粒を見つめた。
「・・・全然あなたがわからない・・・」
マヤの言葉に彼は悲しげに微笑を浮かべた。
「そうだな。俺もよく自分がわからない。君とは敵同士なのに、こんな所まで来てしまった」
敵同士・・・。彼が告げた言葉が何だか、痛い。
「君は俺が嫌いなのだろう?なぜついてきた?」
俯いたままの彼女の方を向き、問いかける。
なぜと言われて、彼女もわからなかった。確かに彼の事は嫌い・・・なはずだ。
”つきかげ”を潰した憎い相手だ。だが、その一方でも、自分を支えてくれた紫の薔薇の人でもある。
今日ここに来たのは彼が紫の薔薇の人だからだろうか・・・。それとも・・・。
いくら考えても答えはでない。
「・・・まぁ、いい。答えたくないのなら、無理に答えなくても」
何も言わぬままの彼女に告げると、彼は砂浜から立ち上がった。
「さぁ、帰ろう。今日は撮影があるのだろう?」
彼女に手を差し出すと、素直に彼の手を取り、彼女は立ち上がった。
二人は別荘までの距離、手を繋ぎながら歩いた。




「・・さぁ、着いたぞ」
うとうとと助手席で夢の狭間を歩いていた彼女に声がかかる。
彼に言われ、窓の外を見ると、彼女のマンションの前だった。
陽は昇り、もうすっかり朝になっていた。ここで速水とはお別れ・・・。そう思った瞬間に離れ難い想いが胸を駆け巡った。
結局、速水に紫の薔薇の事も聞けず、何一つ言いたい事は言えなかった。
そして、速水も・・・。彼女に何も言えなかった。
「・・・速水さん・・・」
何かを言いたく、思い切って彼の名を口にするが、彼を目の前にすると、やはり何も言えず、そこから先の言葉は出てこなかった。
彼女の代わりに口を開いたのは彼の方だった。
「・・・ちびちゃん、気をつけるんだ。一人になっても負けるな。どんな時でも自分の才能を信じろ。君はきっと紅天女になれる」
真剣な表情を浮かべ、口にした彼はまるでどこか遠くに行ってしまうような口ぶりだった。
「いいな。気をつけるんだぞ」
速水がどんな想いでその言葉を口にしているのか、彼女にはわからない。
ただ、彼女は頷くしかなかった。


そして、それから一週間後、彼女は彼がアメリカに行ってしまう事を知った。
その事を教えてくれたのは、水城だった。
「・・・速水さんがアメリカに?」
震える手で持つティ−カップは彼女の手を離れ、床に落ちる。

ガシャン・・・。

カップの割れる音がし、彼女は弾かれたように席を立つと、カフェテリアを後にした。
行く先は彼の元、大都芸能だ。
雑踏の中を訳がわからなく夢中で走っていた。
脈が速くなり、呼吸が苦しくなる。
苦しくて、苦しくて立ち止まりそうになるが、走った。
逢いたかった。今は彼の顔が見たかった。
だから、必死で走った。途中、人やものにぶつかり、転ぼうと、彼女は立ち上がった。

「速水社長はもう、空港に行かれました」
ようやく大都芸能に着くと、受付の女性がそう告げる。
その言葉にマヤは力なく、その場に崩れた。
もう、速水に逢えない・・・。その事実に涙が浮かぶ。
自分がどれ程、速水に逢いたかったか、初めて気がついた。彼に対して特別な想いがあった事も・・・。
「マヤちゃん、まだ間に合うわ!」
床に崩れ、泣いている彼女に希望をもたらすような声がかかる。
「・・・水城さん・・・」
涙を腕で拭い、見上げると、息を切らせた水城が立っていた。
「さぁ、早く!」
水城が差し出す手を掴むと、マヤは立ち上がり、水城とともに走った。
大都芸能の前に止めてあった水城の車に乗り込むと、成田空港へと車を走らせた。
マヤは祈るような気持ちで、車に乗っていた。
どうしても、彼に逢いたい・・・。速水に、一目でもいいから逢いたい・・・。
そんな想いが胸をきつく締め付けていた。




出国の手続きを全て終わらせると、速水は空港内のカフェで時間を潰す事にした。
平日の夕方、空港には思ったよりも人はいなかった。
マヤの事は全て彼の腹心の部下である聖に頼んである。彼女の様子を全て報告してくれると、聖は約束してくれた。
もしも、英介が彼女を潰すような事をすれば、彼はすぐにアメリカから戻るつもりだった。
そして、その時はどんな事をしても彼女を守る。例え、親子の縁を切る事になっても、今の地位を失う事になっても・・・。
それが、彼の愛し方だ。見返りは何も望まない。もし、望むとすれば、それは彼女の演じる紅天女を観る事だけだった。
ふと、顔を上げると、隣の席に座る男が読んでいた雑誌に目が止まる。
その表紙には小さくだが、彼女の姿があった。
キラキラと輝くような幸せそうな笑顔。それは彼女が演劇をしている時の表情だ。
本当に楽しそうに、彼女は芝居の事を話す。そんな彼女の顔を見ているのが好きだった。
思わぬ宝を見つけたような気持ちに、彼の胸の中に温かいものが流れ込む。
「・・・君の紅天女、楽しみにしているからな・・・」
彼女の写真に向かって小さく呟くと、彼はブリ−フケ−スを手に席を立った。




第2タ−ミナルの前に車をつけると、水城はマヤを降ろした。
「今行けば、出国ゲ−トの前で社長に逢えるはずよ」
水城の言葉を聞くと、マヤは広い空港内を駆け出した。
初めて来る空港にどこがどうなっているかよく、わからない。
焦燥感に駆られながら、彼女は何度も空港の職員に場所を聞き、ゲ−トに向かって走った。
そして・・・。

ドンッ!

駆けていた彼女に突然、誰かがぶつかる。
いや、彼女がぶつかったと言った方がいいのか・・・。とにかく、彼女は誰かにぶつかり、倒れそうになった。
「すみません。急いでいたもので」
倒れそうになった彼女をぶつかった相手は支えてくれた。
「・・・ちびちゃん・・・」
驚いたような声が彼女の耳に入る。その言葉を聞いた瞬間、彼女は顔上げ、ぶつかった人物を見つめた。
「・・・速水さん・・・!」
マヤは信じられないような偶然に神様に感謝したい気持ちになった。
「どうして、君がここに・・・?」
突然の彼女との再会に、速水は何と言ったらいいのかわからなかった。
マヤは涙を浮かべ、彼を見ていた。
「まさか、俺を追いかけてきたのか?」
ポロポロと大粒の涙を流す彼女にハンカチを差し出し、聞いてみると、彼女は頷いた。
彼にとってそれは、何よりも驚いた事だった。まさか、自分を追いかけてきてくれるなんて夢にも思わなかった。
「・・・どうした?俺に何か言いたい事があったのか?」
涙に濡れる彼女の頬をハンカチで拭いながら、口にする。
再び彼女は頷くが、涙で言葉が出ない。
そんな様子のマヤを彼は困ったような、嬉しいような気持ちで見つめていた。
「・・・しょうがない子だな。そんなに泣いていては何も言えないぞ」
甘く叱咤するように言うと、彼は華奢な彼女の体を抱き寄せた。
大きく自分を包み込んでくれるような温もりに彼女は安堵感を感じた。
そうだ。彼はいつだってこうして紫の薔薇で彼女を包み込んでくれた。今、初めて紫の薔薇の人と彼のイメ−ジが重なる。
ずっと抱えていた戸惑いが少しずつ彼の腕の中で溶けていく。
このままずっと、二人は抱き合っていたいと願ったが、彼に残された時間はもう無かった。
「・・・しっかり、頑張るんだぞ。俺はいつだって、どこにいても君を見ているからな」
腕の中の彼女にそう告げると、彼は最後にギュッと想いを伝えるようにきつく抱きしめ、彼女を解放した。
「・・・じゃあ、またな。ちびちゃん」
床に置いていたブリ−フケ−スを手にし、彼はゲ−トに向かって歩き出した。

「・・・速水さん!!!私、あなたに喜んで貰えるような紅天女を演じます。
だから、だから、私が紅天女を演じられるようになったらきっと、観に来て下さい!!一番いい席を用意して待っています!!」

彼の背に向かって言葉を投げかける。
彼は一度だけ振り返ると、彼女に笑顔を向け、ゲ−トに消えた。




「行ってしまったわね」
展望室から飛び立つ飛行機を見つめていると、寂し気な声がした。
横を向くと、彼女と同じように哀しそうな顔をした水城がいた。
「・・・水城さん・・・私・・・」
涙を浮かべ、水城を見る。
水城はマヤの気持ちを察したようにそっと彼女の髪を撫でた。
「しっかりしなさい。社長はちゃんと帰ってくるわ。ああ見えて、あなたのファンなのよ。きっと、あなたが紅天女を演じる頃には帰ってくるわ」
水城の言葉にマヤは驚いたように瞳を見開いた。
「・・・速水さんが私のファン・・・?」
「えぇ。それもかなりの熱烈なファンよ。あなたの出た芝居は必ず観ているのよ」
いつも紫の薔薇とともに、添えられたカ−ドを思い出す。その内容はいつも彼女を力強く励ましてくれた。
あの言葉こそ彼の本当の気持ち・・・。偽りのない気持ちなのだ。
「・・・私、必ず紅天女を演じてみせます」
涙を拭い、新たな決意とともに、彼女は空を仰ぐと、遥か上空の彼を想った。




                                         終わり


【後書き】
試験期間中でも妄想が耐えないCatです(笑)何かガラカメが書きたいと思い立ち、書いてみました。
このお話もう少し続きを書いてみたい気もしますが・・・このままもいいかな、なんて思って、ここでエンドの文字を入れて
みました。高校生マヤちゃんと真澄様のお話が読みたいと最近頂くメ−ルに多くあったので、挑戦してみましたが・・・。
満足して頂けたでしょうか?(笑)
試験があけたら、連載中の物をアップするつもりです。お待ちの方、もう少々お待ち下さいませ。

ここまでお付き合い頂いた方、ありがとうございました。では、次回のお話で。


2002.7.21.
Cat

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