―――  同居物語 3 ――― 


「マヤ、俺は、君を・・・」
目の前の彼女に想いを伝えるべく口を開く。

「真澄さん?」
見つめ合っている二人に、誰かが邪魔をするように声をかける。
「えっ?」
マヤから視線を放し、声のした方を向くと、そこには懐かしい顔があった。
「・・・理香子・・・」
驚いたように彼女を見つめる。
「やっぱり、真澄さんだったのね。お久しぶり」
美しい笑顔を浮かべ、彼を見つめる。
マヤは真澄の表情からその女性と彼が親しい関係である事を知った。
何だか、胸がチクリとする。
「随分とかわいいお嬢さんをお連れなのね。そちらの方は?」
真澄の目の前に座っていた化粧気のないマヤを見つめる。
マヤは何だか、落ち着かない気持ちになった。
「・・・あぁ。彼女は紅天女候補の女優なんだ」
そこまで、口にしてハッとする。
真澄の言葉にマヤの表情が曇ったからだ。
しかし、ここでそれ以外何と紹介すればいいのだ?
「・・・北島マヤです」
ペコリとマヤが頭を下げる。
「まぁ、紅天女。それは凄いわ。そういえば、真澄さんの夢だったわね。紅天女を上演させるっていうのが」
懐かしむように理香子が笑う。
「あぁ。今も変わらない。俺の夢は紅天女だ。
まぁ夢が実現するまでにはまだ時間はかかりそうだかな。候補の女優たちはまだまだ少女だ」
優しい笑みをマヤに向ける。
「ふふふ。相変わらずなのね。真澄さんは。それじゃあ、また。真澄さんにマヤさん。紅天女が上演されるの楽しみにしているわ」
そう告げると、彼女は真澄たちの席を後にした。

マヤは今の女性は誰だったの?と彼を見つめた。
それを感じて、彼が口を開く。
「彼女は俺の大学時代の友人だよ」
真澄が答えたのはそれだけだった。



部屋に戻るまで、マヤは無口だった。
どうしたのだろうと?時折彼女を見つめるが、彼女はそれには答えず、すぐに真澄から視線を外した。

「今日は疲れたんで、先に休ませてもらいます」
そう告げると、マヤは自分の部屋に篭ってしまった。
何だか、彼女の態度に寂しさを感じるが、今日はいろいろと連れまわしたしなぁぁと、思い、真澄はそのままにした。

時計は午後9時を指していた。
眠るにはまだ早い。
マヤは自分の部屋で一人になると、ベットに横になった。
さっきから、レストランで会った女性の顔がちらつく。
彼女は美人で、落ち着いていて、マヤよりも大人だった。
当然、大人の速水と釣り合う。
そして、自分は・・・。

「・・・紅天女候補の女優・・・」

真澄が口にした言葉に何か悲しいものを感じた。
それが何なのかわからない。
彼は何一つ間違った事を言っていない。
なのに、なんだろう。この胸を締め付ける気持ちは・・・。
彼と同居する事になってから、何かが変わり始めていた。




「おはよう。よく眠れたかい?」
朝、リビングに行くと、ス−ツ姿の真澄がいた。
眩しい程、よく似合う。
長身の彼の体にとても合っている。
恐らく、オ−ダ−メイドなのだろう。
生地も高校生のマヤがどんなに働いても買えない程、高価そうだ。
そして、そんな高価なス−ツが当然のように彼は似合ってしまう。

彼がとても遠く感じる。

自分と彼が一緒にいる事は誰がどう見ても相応しくない。
この部屋に来て、彼と自分の生活の違いを実感したが、落ち込む事はなかった。
昨日、レストランで親しそうに理香子と話す彼を見てから、落ち込むばかりだった。
「どうした?俺の顔に何かついているか?」
じっと、真澄を見つめたまま、何も告げない彼女に心配になる。
「いえ。何でもありません」
そう口にすると、マヤは彼に背を向けバスル−ムに顔を洗いに行った。

やっぱり、何かが変だ・・・。

朝食を彼女と一緒にとりながら、真澄は思う。
昨日はこっちから何も言わなくても、彼女はいろいろと話していたのに、今朝は別人のように無口だ。
それに、とてもよそよそしい。

「・・・ちびちゃん・・・」
コ−ヒ−カップをテ−ブルに置き、彼女を見る。
真澄の声にビクッとしたように彼の方を向く。
彼女の視線と合う。
その視線がとても悲しそうだ。
「・・いや、その・・・、今日は君は何時に帰ってくるのかなと、思って」
聞きたい事と全く違う事を口にする。
「・・・今日ですか。今日は学校が終わるのは4時ぐらいで、その後、バイトがありますから、帰りは9時ぐらいだと思います」
「そうか」
その後の会話が続かず、なぜか気まずい。
真澄は彼女が無口な理由を聞きたかったが、結局その後は何も言えなかった。

「じゃあ、行ってきます」
制服姿の彼女が告げる。
真澄は玄関まで彼女を見送った。
「あっ、待って」
部屋を出て行こうとした彼女を呼び止める。
マヤは脚を止め、彼の方を見た。
「忘れる所だった」
苦笑を浮かべ、彼女の前に合鍵を差し出す。
「これがないと部屋には入れないぞ」
マヤは手にした鍵を見つめた。
これから真澄と一緒に住むのだという事を実感する。
しかし、どうしてなのだろう?
どうして、彼は自分と一緒に住む事を望んだのだろう。
いくら、考えてもわからない。
広い部屋に、彼女の為に用意された新しい家具や、服。
ちっとも彼が得をしているとは思えない。

「・・・どうしてですか・・・」

掌の上の鍵を握り締め、問うように彼を見る。
「えっ?」
彼女の言葉の意味がわからず、眉をあげる。
「どうして私と一緒にいたいと思ったんですか?私が速水さんの為にしてあげられる事は何もないのに・・・。
それなのに、速水さんは私に広い部屋をくれて、いろいろな物を買ってくれて・・・
私、紫の薔薇の人にお礼がしたいと思ったのに、これじゃ、まるで反対」
今にも泣きそうな表情を浮かべる。
真澄は彼女の言葉に瞳を見開いた。
「・・・ごめんなさい。私、何言っているんだろう。今度こそ、行ってきます」
彼が困ったような顔をしている事に気づくと、マヤは慌てて、部屋を出た。

「・・・どうして・・か」
閉じられたドアを見つめ、真澄は自分に問い掛けるように呟いた。





「北島さん、北島マヤさん!」
速水との事を考えていると、彼女を呼ぶ声がした。
「えっ」
気づくと、彼女の目の前に教師が立っている。
今は授業中だった事を思い出す。
「あっ、すみません。わかりません」
咄嗟に口にする。
その瞬間、教師は呆れたように苦笑を浮かべた。
「私はまだ、あなたに問題を解いてとは言っていませんよ」
教師の言葉にクラスメイトたちがクスクスと笑い出す。
「それに、今は国語の時間です」
マヤの机の上に出されていた数学の教科書に視線を落とす。
「・・・あっ、すみません」
マヤは赤くなりながら、数学の教科書をしまった。

「マヤちゃん、何かあったの?」
昼休み屋上で一人、昼食を食べていたマヤに友人の佐野美恵子が話しかける。
「えっ、別に何もないよ」
いつもと変わらぬ笑顔を浮かべる。
「何もない?嫌いな数学の教科書をずっと出しっぱなしで?」
美恵子の言葉にギクリとする。
「また、お芝居の事でも考えていたの?」
美恵子の言葉に、「う、うん」と頷く。
まさか、速水と同居生活を始めたなんて言える訳はない。
まだ、麗にさえ言っていない事なのだ。
「・・・でも、お芝居の事、考えている時と何か違うなぁ」
疑うようにマヤを見る。
「・・・それよりも、恋でもしたみたい」
クスリと笑い、思った事を口にする。
その瞬間、マヤは顔が熱くなった。
「・・・恋だなんて、まさか、私があんなやつに!」
むきになったように大声をあげる。
「・・・あんなやつ?」
美恵子の言葉にハッとする。
「う、うん。何でもないの。さて、午後の授業に行こう」
マヤは苦笑を浮かべて、誤魔化すように屋上を出た。





「社長、お客様がお見えになっていますが、約束はないそうです」
デスクの上のインタ−ホンから水城の声がする。
「名前は?」
書類に目を通しながら口にする。
「川村理香子様と申してました」
その言葉に一瞬、動きが止まる。
「・・・通してくれ」

「・・・ごめんなさい。お忙しいのに」
社長室に現れた理香子は上品な白いス−ツを着ていた。
腰まである髪を項でとめ、いかにも仕事をしている女性という感じた。
「いや、今日は一つ約束がなくなって、丁度時間を持て余していたんだ」
クスリと笑い、彼女にソファをすすめる。
「水城くん、俺はコ−ヒ−で」
そこまで、口にして、親し気に理香子を見る。
「彼女はレモンティ−だ」
珍しく打ち解けた表情を浮かべる真澄に、水城は川村という人物が、余程、真澄と親しい仲であった事に気づいた。
「かしこまりました。今、お持ちします」
そう告げ、水城が社長室を後にする。

「・・・覚えていてくれたのね」
彼と二人きりになると、嬉しそうに理香子が口にした。




「遅くなっちゃったな」
時計を見ると、もう、午後10時を過ぎていた。
急いで、マンションに向かう。
ふと、横断歩道で立ち止まると、反対側の通りが目につく。
洒落たレストランから見覚えのある女性が出てきた。
「・・・あの人は・・・確か・・・」
考えるように、じっと、見つめていると、今度は男が出てくる。
マヤはその姿を目にして、ドキッとした。

「・・・速水さん・・・」

理香子と何か楽しそうに話している彼の姿が目に留まった。
胸がズキリと痛む。
マヤは二人が迎えの車に乗り込むのを見つめていた。




「ただいま」
午後11時、真澄が帰宅する。
しかし、部屋の中は真っ暗で、彼女がいる形跡はなかった。
「・・・マヤ?」
部屋中を見回すが、彼女の姿はどこにもない。
確か、彼女は今日は9時には戻ると言っていた。
時計を見つめ、不安になる。
いてもたってもいられずに、彼は帰ってきたばかりの部屋を出た。
しかし、彼が彼女の居場所を探すといっても全く検討がつかない。
とりあえずは彼女の学校を探し、バイト先に行ってみたが、彼女の姿はなかった。

「一体、どこに行ったんだ・・・」
途方にくれたような気持ちになる。
彼女の身に何かあったのではと胸が張り裂けそうだ。
もう、残る場所は彼女が住んでいたアパ−トしかないが、アパ−トの前を訪れると、彼女が住んでいた部屋は真っ暗なままだった。
それでも、僅かな希望を胸に、彼はアパ−トの扉を叩いた。

トントン・・・。

誰かがドアを叩く音がする。
真っ暗な部屋で一人、膝を抱えて泣いていたマヤはその音に、顔を上げた。
麗が公演を終えて、戻ってくるのは来週だった。
予定が変わったのだろうか・・・。
それとも、誰か違う人?

一瞬、速水の顔が浮かんだ。

今は彼には会いたくない。
だが、扉を叩いていたのが、もしかしたら麗だったら・・・。
そう思うと、ドアを開けない訳にはいかなかった。

「・・・ここにいたのか!」
マヤがドアを開けると、速水が立っていた。
「はや・・・」
彼の名前を告げようとする前に、突然、抱きしめられる。
力強い腕と、広い胸板に動悸が早くなる。
「・・・心配したぞ・・・」
腕の中にいる彼女に掠れる声で口にする。
彼の温もりに、言葉に、胸が熱くなる。
気がつくと、マヤは泣いていた。




速水はマヤに帰らなかった理由を聞かなかった。
一緒にマンションに帰った後も、彼は何も言わなかった。
その事に少し、ホッとする。
どうしてアパ−トにいたか聞かれても、マヤには答えられなかった。
ただ、理香子といる真澄を見て、寂しくなったのだ。
自分が速水とは釣り合わない人間だと言う事を思い知ってしまったから。

だから、マンションには帰らなかった。
アパ−トに戻り、寂しさに押しつぶされたまま泣いていた。
それなのに、彼が迎えに来てくれた事が嬉しかった。
強く抱きしめられた時、その腕の安堵感に涙を流した。
彼の側にいる事がこんなにも不安な心を癒してくれるとは知らなかった。
いつの間にか、彼と一緒にいる事に居心地の良さを感じていた。

コンコン・・・。

真澄が書斎で持ち帰った書類に目を通していると、遠慮がちなノックの音がした。

「どうぞ」
真澄の声に、おどおどと、マヤが入ってくる。
「あの、コ−ヒ−淹れてきました」
彼専用のコ−ヒ−カップを机の上に置く。
「・・・ありがとう」
真澄は嬉しそうにコ−ヒ−を口にした。
「・・・とても、美味しい・・・」
瞳を細め、彼女を見つめる。
真澄の言葉にマヤは恥ずかしそうに俯いた。
「明日も学校だろ?こんな時間まで起きていて、ちびちゃん、起きられるのか?」
軽くからかうように口にする。
真澄に言われて、時計を見ると、もう、午前2時を回っていた。
「・・・速水さんこそ、明日も朝早いのに、起きてて大丈夫なんですか?」
対抗するように彼を見る。
「俺は眠らない事に慣れているから、大丈夫なんだ」
「うわぁ、不健康」
真澄の言葉に挑発するように言う。
「何?」
眉を上げ、彼女を見る。
「だって速水さん、煙草好きだし、コ−ヒ−好きだし、お酒も飲むでしょ?その上睡眠も取らないなんて、絶対長生きできませんよ。
それに」と口にして、彼を見る。
「何だ?」
彼は不機嫌そうに眉を潜め彼女を見る。
「・・・速水さん、もうすぐ30でしょ?無理すると、年とってから大変だって、誰かが言ってました」
マヤの言葉に、口にしていたコ−ヒ−を噴出しそうになる。
「ごほっ、ごほっ・・・、コラ、人を年寄り扱いするな!俺はまだ20代だ!」
ムキになったように彼女を見る。
「私から見れば、随分と、年寄りです」
「うっ」
彼女の言葉に落ち込む。
「君は俺を落ち込ませに来たのか?」
「えっ・・・いえ、その・・・」
真澄の言葉に、余計な事を言いすぎた事に気づく。
ついつい、彼にからかわれると、反発したくなる。
本当はこんな事を言いに来たのではないのに・・・。
「そりゃ10代の君からみたら、俺は年寄りだが、君だって、後二年もすれば二十歳で、30になるのだってあっという間だからな」
彼はすっかりマヤの言葉に拗ねていた。
「・・・速水さんから見れば、私は子供ですか?」
ふと、理香子と一緒にいた彼を思い出す。
「いつまでも、私の事を”ちびちゃん”と呼ぶのは私の事を子供だと思っているから?」
「えっ」
思いつめたような彼女の表情に驚く。
「・・・速水さんが、言ったように、後、2年もすれば、二十歳です。もう、大人です。なのに、あなたはいつまでも・・・」

初めて会った頃と何一つ変わらない。
ずっと、あなたは私を中学生のように扱う。子供のように・・・。

「・・・どうした?」
デスクから離れ、彼女の前に立つ。
マヤは自分が何を言いたいのかわからなかった。
一体、何がこんなに辛いのか・・・。
何が心を苦しめるのか・・・。
「何だか、今日の君はいつもと違うな・・・。いや、昨日の夜から君はどこか変だ。何かあるなら、話してくれないか?
俺たちは同居人だろ?それぐらい言ってくれてもいいはずだ」
彼女の頬にそっと触れる。
彼の体温が触れられた場所に伝わった。
「・・・自分でも、わからないんです。何に苛ついているのか・・・。どうして、こんなに胸の奥が苦しいのか・・・」
不安気な瞳で彼を見上げる。
その瞳を暫く、見つめ、口を開く。
「・・・君は言ったよな。”どうして”って。
どうして、俺が君と一緒にいる事を望むのかって。君が俺の為にしてあげられる事は何もないのにって」
彼の言葉に頷くように瞳を閉じる。
「それは、俺がそうしたいから。君と一緒にいる事がとても楽しいんだ。
俺は人の醜い部分を沢山見てきた。俺に近づく連中は皆、下心があるからだ。
だが、君は違う。君はいつも真っ直ぐに俺に向かってくる。俺の嫌味に素直に怒ったり、喰ってかかってきたり・・・」
そこまで口にすると、真澄は優しく笑った。
「・・・この俺にそんな事するのは君だけだ。君しかいないんだ。俺が心を許せるのは・・・」
真澄の言葉に閉じていた瞳を開く。
「君は唯一、一緒にいて安心できる。君といると素直になれるんだ」
そこまで、口にすると、彼女の腕を掴み、引き寄せる。
「・・・俺をこうして無防備にできるのは君だけだ・・・」
あっという間に真澄に抱きしめられる。
「だから、君には側にいてもらいたい・・・」
彼の言葉に寂しいと思っていた気持ちが癒される。
胸の中が温かくなる。
「・・・改めて、申し込む。これからも俺と一緒にいてくれるか?」
腕の中の彼女を見つめる。
マヤはその言葉に小さく頷いた。


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