―――  同居物語 9 ――― 

闇夜に白く浮き上がる肌。
震えるような瞳で彼を射抜く瞳。
彼女を安心させるように何度も耳元で囁く。

「・・・愛してる」

しなやかに伸びる肢体。
胸の膨らみに顔を埋め、彼女の匂いを吸い込む。
甘い石鹸の香りがふわりと鼻を掠める。

「・・・速水さん・・・」
小さく彼女が彼の名を口にする。
顔中を赤くした彼女が可愛い。
男を知らない無垢な体。
純粋な瞳が全てを語っている。

「・・・どうした?怖くなったか?」
彼女の顔を見つめる。
その瞳は未知の体験へ対する躊躇いが浮かぶ。
今にも泣き出してしまいそうな顔で首を振る。

やはり、俺は彼女に無理をさせすぎたのだろうか・・・。

不意に罪悪感に襲われる。
彼女は高校生で、まだ男を知らない。
そんな現実が胸を占める。
いくら好きでも、愛していても・・・、この行為は早すぎる。
互いの気持ちを知ってから、そんなに日は経っていない。

少し頭を冷やすべきなのか・・・。

露になっている彼女の肌を隠すようにシ−ツで包む。
小さく震える彼女を抱きしめ、瞳を閉じる。
暫くして、涙をしゃくりあげるような声が聞えた。

彼女が泣いている・・・。

驚き、目をあける。
大粒の涙を流す彼女がいた。

「・・・マヤ・・・」
彼女の名前を呟き、涙に口付ける。
「・・・私、私・・・」
不安気な瞳で彼を見つめる。
涙が溢れ、言葉にはならない。
彼はそんな彼女の気持ちがわかる気がした。
「・・・いいんだ。無理するな。俺はこうして君と一緒にいられるだけで幸せなんだから」
彼女の頬に、額に唇を落とし、優しい瞳で見つめる。
「時間はいっぱいある。俺たちはまだ始まったばかりだろう?」
彼の言葉に胸がいっばいになる。
張り詰めていた気持ちが溶かされていく。
「・・・速水さん・・・」
マヤは彼の胸に顔を埋め、安心するように瞳を閉じた。
真澄はそんな彼女の寝顔を見つめていた。
今夜、初めて目にした彼女の裸体を思い出す。
本当は、今すぐにでも、彼女の体中に唇を這わせ、どんなに愛しているかを伝えたかった。
しかし、彼は寸前の所で堪えた。
やはり、まだ彼女には早すぎるのだ。
これから少しずつ彼女とはそういう段階を踏めばいい。
無理矢理そう思い込み、柔らかな彼女の体を抱きしめながら、彼も瞳を閉じた。


窓から太陽が差し込み、その光に誘われるようにマヤは再び瞳を開けた。
目の前には速水の顔がある。
とても無防備な寝顔に胸の中がドキリとする。
「・・・大好き・・・」
彼の顔を見つめ、呟く。
口にした言葉に何倍も、何十倍も気持ちが大きくなる。
どうして、こんなに彼を好きなのか・・・。
もう、何も考えられない程、彼が好きだ。
心が、魂が訴える。
好きだと、大好きだと・・・。
こんなに熱い気持ちが芝居以外にある事をマヤは知らなかった。

ふと、昨夜の事を思い出す。
彼に優しく抱きしめられ、数え切れない程のキスをした。
しかし、彼はそれ以上はしなかった。
初めて彼の前に裸体を曝け出した時、心臓が爆発するかと思った。
自然と体中が震え、怖かった。
泣いてしまいそうだった。

彼はそんな思いを見透かしたように、優しく微笑んだ。
そして、抱かなかった。

安堵とともに、何か心に引っかかるものを感じる。
一体、自分は彼に抱かれたかったのか、それとも・・・。

「・・・そんな顔をしてどうした?」
彼の声がかかる。
思考を止め、再び彼を見つめる。
マヤは何も言わず微笑んだ。
「おはようございます」
「おはよう」
挨拶を交わすと、真澄は彼女の頬に優しく口付けた。
「さて、今日は釣りに行こう」
いつもと変わらぬ様子で言い、彼はベットから起き上がった。




「釣れたか?」
真澄が運転するクル−ザ−で二人は海に出た。
マヤは生まれて初めての釣りを楽しんでいるようだった。
「まあまあですね」
得意気な顔をしてみせる。
こうして海の上で彼と並んで釣竿を持つのも何だか、新鮮で嬉しい。
「速水さんは?」
マヤの言葉に真澄は苦笑を浮かべた。
「さっぱりだな」
両手を上げ、お手上げだというジェスチャ−をする。
マヤはクスクスと笑っていた。
そんなマヤを真澄は瞳を細めて見つめていた。
今日の彼女は本当によく笑う。
それも、本当に楽しそうな笑顔を浮かべるのだ。
かつて、彼女が自分にそんな表情を浮かべるなんて想像もした事がなかった。
顔を合わせれば、ゴキブリか何かを見るような顔で”大嫌い”なんて連発していた頃が嘘のようだ。

「速水さん、引いていますよ」
ぼんやりと彼が幸せに浸っていると、マヤの声がする。
「えっ?」
慌てて、釣竿の方に意識を集中すると、確かに引いていた。
それもかなりの力だ。
これは思わぬ大物かもしれない。
強く釣竿を握り、糸を巻く。
マヤは真澄の隣に立ち、網を持って待っていた。
そして、ようやく、魚が顔出す。
マヤは素早く、網の中に魚を入れた。
魚は勢いよく、バタバタと網の中で暴れる。
「きゃゃ!速水さん!」
網を持ちきれないというように声をあげる。
「かしてみろ」
網を受け取り、真澄はバケツの中へと魚をほおった。
「・・・クロダイかぁぁ・・・」
バケツの中の魚をまじまじと見つめ、呟く。
「えっ! 鯛なんですか!!速水さん凄い!!」
はしゃいだようにマヤが飛び跳ねる。
「これで、君とは五分五分って所かな」
マヤはアジを三匹釣っていた。


その日の昼食は真澄が釣れたばかりの魚を調理したものだった。
マヤは彼の側に立って鮮やかな彼の包丁裁きを関心するように見つめていた。

「・・・本当・・・速水さんって何でもできるんですねぇぇ」
テ−ブルの上に乗った料理をじっと見つめる。
「そうか?」
マヤの言葉に少し照れたように呟く。
「速水さんなら、奥さんいらないんじゃないですか?」
彼女の言葉に口にしていたワインに咽そうになる。
「冷たい事言うなぁぁ。いくら料理ができても、俺は君と結婚したい」
思わず出てしまった言葉に、真澄はハッとした。
「えっ」
マヤもその言葉に料理につけていた箸を止める。
「えっ・・・だから・・その・・・」
ワインのせいではなく、口にした言葉に顔中が火照るのがわかる。
誤魔化すように、咳払いをし、改めて彼女を見つめる。
もう、目の前の彼女は真っ赤だった。
真澄は決心した。
深く深呼吸をすると、穏やかな口調で告げる。
「今すぐという訳ではないが・・・。いつか、俺は君と結婚したい。君以外考えられないんだ」
彼の言葉に胸の中がいっばいになる。
嬉しくて、嬉しくて涙が溢れてくる。
「・・・嫌か?」
手を伸ばし、彼女の涙に触れる。
マヤは精一杯首を左右に降った。
「・・・嬉しい・・・。嬉しくて・・・嬉しくて・・・」
涙を浮かべたまま笑顔を浮かべる。
真澄はどうやら、その涙が喜びの涙なのだと知るとホッとした。
表面上は平然としいるが、本当はもう、心臓がドキドキして仕方がないのだ。
彼女といるだけで、胸が時めき、呼吸ができない程、気持ちが溢れる。
「それは、俺のブロポ−ズを受けてくれた事になるのかな?」
おどけたように口にする。
マヤはその言葉にえへへと笑みを浮かべていた。

昼食を終え、二人はクル−ザ−の上から海を見つめていた。
穏やかな波の音に耳を澄ませながら、寄り添うように立つ。
ただ、静かに海を見る。

「・・・寒くないか?」
陽が傾きかけ風が少し冷たくなり始めてきたのを感じると、
気遣うように真澄が声をかける。
「ううん。大丈夫です」
マヤはにっこりと微笑んだ。
「そうだ」
真澄はまだマヤに渡していないものを思い出した。
「なんです?」
不思議そうに彼を見る。
「少し目を閉じていてくれるか?」
悪戯を思いついたように彼が告げる。
「えっ、あっ、はい」
マヤは彼に言われたように目を閉じた。
彼女が目を閉じた事を確認すると、真澄は上着のポケットから、ずっと渡せずにいたアレを取り出した。
「よし、いいぞ」
そう言われ瞳を開けると、マヤの目の前に彼の手の平が差し出されていた。
「・・・速水さん・・・」
驚いたように手の平の宝石箱を見つめる。
「ずっと、君に渡そうと思っていたんだ。受け取ってくれるか?」
マヤは躊躇ったように、宝石箱を手にした。
中を開くと、薔薇をモチ−フにしたアメジストのネックレスが輝いていた。
「アメジストは真実を映す宝石だそうだ。俺の中の真実は君を愛した事だ」
彼の言葉に瞳を見開く。
胸の中がいっぱになる。
「もう、速水さん、また泣かせる気ですか」
嬉し涙を浮かべながら、彼を見る。
「今日は私、泣いてばかり・・・。こんなに嬉しくて泣いたの初めてです」
マヤの言葉に穏やかな笑みを浮かべる。
「知ってたか?俺はいじめっ子なんだ。君を泣かせる事を生きがいにしている」
彼の言葉にマヤはクスクスと笑った。
「知ってましたよ。あなたが意地悪だって。さんざんあなにはからかわれて来ましたからね」
甘い響きが含まれる彼女の言葉に心がくすぐられたような気になる。
「付けてくれますか?」
彼にネックレスを渡す。
「あぁ、もちろん」
彼は嬉しそうに彼女の白い首にネックレスをつけた。
「・・・とても、綺麗だ・・・」
彼女の首筋にそっと、キスをする。
マヤは嬉しそうにアメジストを見つめた。
「そういえば、私、まだあなに聞いてなかった」
思い出したように口にする。
「うん?何をだ?」
優しく彼女を見る。
「・・・どうして、紫の薔薇を贈り続けてくれたんですか?」
マヤはずっと、彼に聞いてみたいと思っていた言葉を口にした。
彼女の言葉に彼は夕陽の光を浴びた海を見つめた。
「初めて君の舞台を見た時は若草物語のベスだった。今でも忘れないよ。あの強い衝撃を。
君は40度も熱があるのに、それを少しも客席に見せなかった」
振り返るように瞳を細める。
「あんなに強い情熱がある事を俺は初めて知ったんだ。そして、君の命の輝きをあの舞台で見た気がする。
舞台が終わった後は、何だか胸が熱くなって、気がつけば君に紫の薔薇を贈っていた」
そこまで口にすると、再び視線を彼女に戻す。
「そして、君を知れば知るほど、惹かれていったんだ。君の女優としての才能に、君という女性に」
彼女の頬にそっと触れる。
「だからかな。俺が紫の薔薇を贈り続けたのは」
マヤは再び彼の言葉に感動していた。
「速水さん、ありがとう。私、あなたがいたから、ここまで何とかやってこれました。
まだ紅天女までは遠いかもしれないけど、いつか、演じられる女優になってみせます。
そしたら、あなたを紅天女の舞台に招待していいですか?」
一途に彼を見つめる。
そんな瞳に彼もまた胸が熱くなった。
「あぁ。君に招待してもらえるなんて光栄だ。もちろん、喜んで招待を受けるよ」
彼の言葉を聞くと、マヤはギュッと彼に抱きついた。
「良かった。あなたが紫の薔薇の人で・・・。本当に良かった・・・」





「休暇はどうでございました?」
3日間の休暇を終えて出社した速水に水城が声をかける。
聞くまでもないとわかりながらも、彼の楽しそうな表情につい、つい聞いてみたくなる。
「久しぶりにゆっくりと休めたよ」
彼にしては珍しく笑顔を浮かべながら、答える。
最近の彼は本当に変わったと思う。
以前は厳しい表情しか浮かべなかった彼が、時々こうして柔らかな表情を浮かべるのだ。
「それは良かったですわ。無理にスケジュ−ルを詰めたかいがありましたわ」
水城の言葉に今週は休みがない事を悟り、彼は苦笑を浮かべた。
「どうやら、山のように仕事が堪っていそうだな」





「マヤ、何かいい事あったのか?」
朝から稽古場でにたにたとしているマヤに麗が声を掛ける。
「えっ・・・別に」
「別にって顔じゃないぞ」
麗の言葉にさすが鋭いと思いながらも、マヤは誤魔化したように笑った。
「今日は月影先生がいらっしゃる日でしょ。お芝居に集中しなきゃ」
劇団つきかげと一角獣は間近に迫った公演の稽古に余念はなかった。
今回はマヤも役をもらう事ができ、久しぶりに彼らと一緒に舞台に立つ事になる。
月影が練習を見に来てくれるまでに、少しでも役を掴んでおきたかった。
「麗、稽古始めるよ」
そう言い、彼女は嬉しそうに舞台の上に立った。
そんな時のマヤの表情は本当に舞台が好きなんだと実感できる。
「はいはい」
これ以上、マヤから聞きだせない事を悟ると、諦めたように麗も舞台に上がった。





「・・・速水さん、遅いなぁぁ」
時計は午前0時を回ろうとしていた。
今日は土曜日。
いつもなら、彼はもう少し早い時間に戻って来るはずだが、3日間の休暇で溜め込んだ仕事の処理に追われていた。
昼間は舞台稽古に集中をしていた為、彼が側にいない事は気にならないが、こうして部屋に戻って一人でいるとやっぱり、寂しい。
「こんなんじゃ、駄目だなぁぁ」
段々彼から離れられなくなっている自分に呟く。
この3日間、彼と一緒にいたためか、一人でいる事が堪らなく哀しい。
いつの間にか彼が側にいる事は当たり前のようになっていた。
一体、いつからこんなに情けなくなってしまったのだろう。
バルコニ−に出て、彼がしていたように星を探す。
しかし、やはり星は見つからなかった。
夜空にあるのはモヤモヤとしたスモッグと薄っすらと浮かぶ月だけだった。
「・・・こんなんで、私、紅天女の舞台に立てるのかな・・・」
彼に依存しているの自分に気づく。
このまま彼と一緒に生活を続けていいのだろうか。
際限なく、彼の事が好きになって少し怖くなる。

「あっ、速水さん・・・」
空から視線を落とすと、赤いフェラ−リから彼が降りてくるのがわかった。
「・・・あの人は・・・」
彼を見送るように運転席から降りてきた女性に目をとめる。
間違いない、あの女性だ。
マヤよりもずっと大人の、速水と似合いすぎる程似合う女性。
胸の中がチクリと痛む。
醜い気持ちが浮き上がってくる。
堪らずマヤは部屋の中に入った。



「起きていたのか」
部屋に戻ると彼はリビングのソファに座るマヤを見つける。
「・・・まだ眠るには早すぎますから」
テレビの画面を見つめながら、答える。
マヤの言葉に時計を見ると、0時半を回った所だ。
いつもの彼女ならとっくにベットの中にいる。
「子供はもう寝る時間だと思うぞ」
クスリと笑み浮かべる。
彼の言葉にチクリと痛んだ胸が再び痛む。
「言ったでしょ。子供じゃありませんって」
刺々しさの含む言い方に、彼女の機嫌が悪い事がわかる。
「何かあったのか?」
上着を脱ぎ、ネクタイを解くと、彼女の隣に座った。
すぐ近くに彼の気配を感じて、マヤはドキリとした。
しかし、彼の方は向かず、テレビを見つめ続ける。
「別に、何もありません」
昨日までの彼女とは別人のような素っ気無い態度に、何だか彼は悲しくなる。
「何でもないって態度じゃないと思うがな」
彼の言葉に何だか、ムッとする。
「私がどうしようと、速水さんには関係のない事です」
苛立ったように告げる。
「お姫様はご機嫌斜めという訳か・・・」
お手上げだと言わんばかりに口にする。
「夜更かしは程ほどにするんだぞ」
彼女の頭を軽く撫で、ソファから立ち上がる。
これ以上彼女といると話がこじれそうなので、彼はそうしたのだ。
それに、明日も仕事で朝は早い。
彼に日曜日なんてものは当分なさそうだった。
「俺は先に休ませてもらうよ」
それだけ告げると、彼はリビングを後にした。
一人きりなると、涙が込み上げてくる。
彼女はとうとう彼の顔を見る事ができなかった。




シャワ−を浴び、彼は一日の疲れを癒した。
やはり、休み明けの仕事はいつもよりも疲れる。
何だか、今日はくたくただった。
今すぐにでも、ベットに倒れ込み、睡眠を貪りたかったが、どうもさっきのマヤの態度が気になって仕方がない。

彼女はまだリビングにいるのだろうか・・・。
何を怒っていたのだろうか・・・。

テレビを見つめていた横顔は随分昔に見た事がある。
あれはまだ彼が紫の薔薇の人だとは知らず、喧嘩をしていた頃の彼女だ。
この3日間はとても幸せな時間を過ごした。
四六時中彼女と一緒にいる事ができて、とても楽しかった。
それは彼女も同じだったはずだ。
今朝、彼を送り出した時の彼女はとても幸せそうに笑っていた。
それが、どうだろう?
彼が部屋に帰って来ると、そこにいたのはまるで別人のような彼女だ。
彼の方を一瞬たりとも見ず、テレビばかり見つめていた。
明らかに何かがあったに違いはなかったが・・・。
彼に思い当たる事は何一つない。

「・・・はぁぁ・・・」
小さくため息をつき、彼は思考を止めた。
これ以上考えていてはきりがないからだ。
気づけば、一時間以上シャワ−を浴びていた。



マヤはまだリビングにいた。
ここにいれば、もう一度彼に会える気がしたからだ。
ひとしきり泣いた後、彼に対してとった態度が悪かったと気づいた。
彼の部屋を訪れようかとも思ったが、そこまで素直な性格ではない。
「・・はぁぁ・・・」
面白くもないテレビを見ながら、ため息をつく。
時計に視線をうつすと、もうすぐで午前2時を指そうとしていた。
明日は朝早くから舞台の稽古がある。
こんな時間まで、本当は起きているべきではなかったが、眠る気にもなれない。
結局マヤは一晩中、リビングで起きていた。

「マヤ?」
朝になり、彼が再びリビングに行く頃には、彼女はすっかりと夢の世界に入っていた。
「まさか、一晩中ここにいたのか・・・」
彼女の寝顔を見つめる。
「こんなに薄着で・・・」
バシャマ一枚で、丸くなるようにしている彼女に心配するように口にする。
真澄は彼女の部屋からブランケットを持ってくると、彼女を包み込んだ。
「昨日はどうして機嫌が悪かったんだ?」
眠る彼女に問いかける。
「また俺は君を怒らせるような事をしたのか?」
彼女をブランケットごと抱きしめる。
彼女の髪に顔を埋め、甘い香りを吸い込む。
真澄は暫くそうしていた。


「速水さん?」
彼女が目を覚ました頃には真澄の姿はなかった。
何だか悲しくなる。
彼が掛けてくれたブランケットを見つけると、胸の中が切なくなった。
「・・・速水さん・・・」
彼の名を告げ、まるで彼の代わりのようにマヤはブランケットを抱きしめた。




「マヤ、遅刻だぞ!!」
一時間以上も遅れて、マヤは地下劇場に現れた。
ついていない事に月影も来ていたのだ。
「やる気がないのなら、来る必要はありません!」
芝居に対しては誰よりも厳しい月影の言葉だった。
「すみません」
マヤは必死で謝った。
「今日はあなたは稽古をしなくていいです」
その言葉は何よりも鋭くマヤの胸に刺さる。
何とか取り繕うと、幾度も頭を下げて謝るが、月影は許してはくれない。
仕方がなく、マヤはその日は劇場の隅から皆の稽古の様子を見つめていた。
こんな時はやはり、速水の事が浮かぶ。
今頃何をしているのかとか、昨夜はなぜあの女性と一緒だったのかなどと。
月影はマヤの様子をそっと見つめていた。
彼女が芝居以外の事を考えいる事が容易にわかる。

バシッ!!

突然頬に鋭い痛みを感じ、マヤは我に返った。
目の前には厳しい表情をした月影がいる。
「今すぐ出て行きなさい!!ここにはやる気のない人間は必要ではありません!!」
マヤは驚いたように月影を見た。
「・・・先生・・・」
何と言葉を口にしたらいいのかわからない。
「あなたは今、舞台以外の事を考えていましたね。そんな人間はいらないと私は言っているんです」
月影の言う通りだと思った。
公演が間近の芝居の稽古中に例え、舞台の上にいなくても、彼女は他の事を考えていたのだ。
以前の彼女ならそんな事はなかった。
速水を好きになる前の彼女なら・・・。
「・・・すみません・・・」
いたたまれなくなり、劇場を飛び出す。

外に出ると、雨が降っていた。
マヤは雨の中を歩いた。
そして、思う。
自分が変わったと・・・。
速水と生活をする前の自分と今の自分が芝居に対して大きく変わっていた。
以前は芝居の事だけ、紅天女の事だけを考えていたのに、今はその半分は速水の事を考えている。
彼に会えない時は泣いてしまう程悲しい。
このままでは、紅天女なんて掴める訳がない。
彼の事を好きになりすぎて、気持ちが上手くコントロ−ルできないのだ。
頬に触れ、月影のビンタを思い出す。
あの一発で、マヤは気づいた。
自分が速水に溺れすぎていると・・・。
舞台になんか立てる状況ではないと・・・。

「・・・私、これ以上・・・速水さんといてはいけない・・・」

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