この舞台が終わったら、あの人に伝えよう・・・。
私が選ばれても、選ばれなくても・・・。
この想いをあの人に告げよう・・・。

この舞台が、試演が終わったら・・・。

――――あなたが好きでしたと・・・。




                    ――――  告 白  ―――――




「速水さん、来てくれたんですね」

マヤの試演が始まる一時間前、速水は楽屋に訪れた。
姫川亜弓の紅天女の試演は終わったばかりだった。
これ以上の紅天女はないと思える程、完璧な仕上がりだった。
彼女は亜弓の舞台を観ていなかった。

「・・・あぁ」

彼が紫の薔薇の人として贈った打掛姿の彼女に息を呑む。
舞台化粧に身を包んだ彼女はいつもよりも艶かしく見える。
楽屋には彼と彼女しかいなかった。
「君があがっているんじゃないかと思って、からかいに来たのさ」
いつもの調子で口にする。
速水の言葉に、マヤは微笑を浮かべた。
「・・・観てて下さいね。私の紅天女を」
大きな黒い瞳が彼を真っ直ぐに見つめる。
その真剣な眼差しに、胸の中がざわめく。
「あなたに一番観てもらいたいんです」
思いもよらない言葉に、彼は大きく瞳を見開いた。
「・・・どうしたんだ?君が俺にそんな事言うなんて・・・」
戸惑いを隠すように苦笑を浮かべる。
「俺は君の母親を殺した男だぞ。それに、俺は君よりも亜弓君が選ばれた方が都合がいい」
自分の心を抑える為に、彼女を傷つける。
一瞬、彼女の瞳が曇る。
「・・・知ってます」
瞳を伏せ、彼から視線を外す。
その表情は儚く見えた。
「・・・でも、私はあなたに観てもらいたい・・・。紫の薔薇の人であるあなたに・・・」
彼女の言葉に我が耳を疑う。

―――――彼女は今、何と言ったのだ?

「・・・知ってました。あなたが、紫の薔薇の人だって・・・」
彼女の言葉に胸が大きく脈うつ。
速水は何も言えなかった。
ただ、彼女を見つめている以外・・・。

「・・・舞台が終わったら、もう一度、楽屋に来てもらえますか?」
不安気な瞳で彼を見つめる。
「えっ」
喉の奥からやっと、小さな声が出る。
彼女はそっと、微笑んだ。





「真澄様、どちらにいらしていたのですか?」
客席に戻ると、婚約者の鷹宮紫織が彼を心配するように見つめていた。
「ちょっと、用事を思い出しまして」
さしさわりのない言葉を交わす。
「姫川亜由美さんの舞台素晴らしかったですわね」
紫織は今観た紅天女にとても感激していた。
「あれ以上の紅天女は絶対見られませんわ。きっと、彼女で決まりでしょうねぇ」
彼に同意を求めるように見つめる。
確かに、紫織が言った通り、あれ以上の紅天女なんて、想像ができない。
マヤは一体、どんな舞台を見せてくれるのか・・・。
もしも、彼女が紅天女に選ばれない事があったら・・。

そう考えると、なぜか、胸がキリリと締め付けられた。





「北島大丈夫か?」
演出家の黒沼が舞台袖にいる彼女に声をかける。
「・・・えぇ」
そう答えたマヤは見た事のない程、落ち着いた表情を浮かべている。
「きっと、大丈夫です」

―――あの人が観ていてくれるから・・・。

マヤは舞台幕を見つめ、客席の彼を思った。
彼との年月を思い出す。
初めて出会ったのは、この大都劇場だった。
とても優しそうな人・・・。
それが第一印象だ。
でも、その印象はすぐに崩れ、嫌な奴。大嫌いな奴・・・。
そう思うようになった。
ずっと、彼を憎んできた。
劇団"つきかげ"を潰し、母を奪った彼を・・・。

だから、時折見せる彼の優しさを見ようとはしなかった。
本当は誰よりも傷つき、寂し気な瞳を持つ人。
海のように広い真心を持つ人。
ずっと、彼女を見つめていてくれた人。

「・・・速水さん・・・」
小さく、彼の名を呟き、抱きしめられた夜を思い出した。

それは、試演の3日前だった。
場所はキッド・スタジオ。
マヤが紅天女を掴めず、一人、稽古をしている時だった。

「・・・どうして・・・ここに」
目の前の彼に胸が張り裂けそうになる。恋しくて、恋しくて・・・。ずっと彼の事を思っていた。
紅天女を演じる度に彼の顔が浮かぶ。彼の姿が浮かぶ。
「偵察に来たのさ」
彼が呟き、一歩彼女に近づく。
「・・・どうやら、君はまだ紅天女を掴めていないようだな」
彼の言葉に胸がズキリと痛む。
「亜弓君はもう、掴んでいるようだ」
煙草を取り出し、手馴れた様子で火をつける。
「・・・どうする?」
煙を一口吸い、彼女を見つめる。
「ここで、下りるか?」
冷たい瞳で彼女を捕らえる。
「・・・下りる・・・?」
彼の言葉に頭の中が真っ白になる。
「今、下りれば、大都が君の面倒を見よう。十分に君は紅天女候補として、姫川亜弓の引き立て役になってくれた。
ここで、下りても世間は君をあざけ笑ったりはしない。むしろ、君に同情してくれるさ。姫川亜弓では相手が悪すぎたとね」
冷たく笑う。
「君と亜弓君の紅天女争奪戦は十分に世間を惹き付ける事ができた。ここが潮時だ。君は下りるんだ」
彼の言葉に心が凍りつく。
悔しくて、悔しくて、涙が浮かぶ。
「・・・それは、あなたが望む事なんですか?」
小さく問いかける。
「・・あぁ。そうだ。君が演じるよりも客が入る。彼女の方が名が売れているからな。それに、君は大都では演じないのだろう?
だったら、尚更だ」
彼の言葉にきつく唇を噛み締める。
「・・・わかりました。あなたが、望むのなら・・・私は下ります」
速水は思わぬ彼女の言葉に大きく瞳を見開いた。
「・・・何だと」
小さく呟く。
「今、何て・・・」
訳のわからない怒りが込み上げてくる。
「・・下りると言ったんです・・・」
哀し気な瞳で彼を見つめる。
言葉を捜すように無言になる。
苛立つように、煙草を近くの灰皿に揉み消す。
「・・どうしてだ!どうして、そんな事を言うんだ!そんなの君らしくない!!君はずっと、紅天女を目指してきたのではないのか!
君の紅天女への想いは俺なんかの言葉で簡単に変わるものだったのか!」
思わず、声を荒げる。
マヤは彼の言葉に驚いたように、暫く呆然とした。
そして―――。
「・・・あなただから、あなたが望むからそうするんです!!」
胸の中の葛藤を彼にぶつける。
「・・・あなただから・・・」
涙交じりの声で呟く。
「・・・マヤ・・・」
涙に濡れる彼女を見つめる。
その瞳はとても、悲し気で、辛そうだった。

―――どうして、彼女がそんな事を言う。なぜ、そんな表情をするんだ・・・。

彼女の表情に胸がかき乱される。
冷静ではいられない。
閉じ込めていた想いが顔を出す。
「・・・速水さん、どうして私が紅天女を掴めないか知っていますか?」
深く呼吸をし、涙を拭いながら告げる。
「・・・演じようとすれば、する程、胸の中に浮かぶんです。苦しい気持ちが、恋しい想いが・・・」
胸を押さえ、苦しそうに速水を見る。
「・・今も、こんなに苦しい・・・。胸が苦しいんです・・・」
彼女の視線に胸が締め付けられる。
今すぐにでも、華奢な体を抱きしめてしまいたかった。好きだと言ってしまいたかった。
しかし、そんな事は婚約している彼にはできない。それに、彼女に嫌われているはずの彼がそんな事を告げたからと言って何になるのだ。
拳を強く握り、自分を抑える。
「・・・私には幸せな恋なんて、わからないから・・・だから、だから・・」
涙に言葉を詰まらせる。
「・・・速水さん、教えて下さい。あなたの本当の気持ちを・・・。あなたは本当に私に下りて欲しいんですか?」
震える声で聞く。
今にも彼女は壊れてしまいそうだった。
速水はきつく瞳を閉じた。

「・・・俺は・・・君に・・・」
胸の奥が熱い。
喉がカラカラと渇き出す。
瞳を開け、張り裂けそうな想いを口にする。
マヤは震える瞳で彼の口が静かに開かれるのを見つめていた。
次の瞬間、大きく瞳を見開く。
大粒の涙が頬を伝う。
二人の影が重なる。
速水はきつく彼女を抱きしめていた。


「・・・俺は君の紅天女が観たい・・・」

それが彼が告げた言葉だった。
熱い抱擁に胸が、心が、彼を愛していると告げる。
決して口にする事はできない想い。言ってはならない気持ちが胸を締め付ける。
それでも、今だけは、彼の腕の中で愛される夢を見ていたかった。
彼の温もりの中にいたかった。

マヤは一晩中、彼の腕の中で泣いていた。


翌朝、彼の姿はなかった。
代わりに彼女の肩に掛けられていた大きな上着。
手に取り、きつく抱きしめる。
彼の香りが鼻を掠めた。
愛しさが溢れる。彼の姿が浮かぶ。

「・・・速水さん・・・」
マヤはずっと、上着を抱きしめていた。


「マヤちゃん、行こう」
桜小路の声がかかる。
ハッとし、彼の方を見る。
「・・うん・・・」
マヤは真っ直ぐに舞台を見つめた。
もう、迷いはない。静かに瞳を閉じ、紅天女と一体化する。
彼への想いを篭めて・・・。

そして、舞台は始まった。



速水は彼女との約束通り、再び楽屋を訪れた。
いや、もう抑えられなかったのだ。自分の想いを・・・。閉じ込めていた気持ちを・・・。
彼女の紅天女を目にしてしまったから。彼女の気持ちを知ってしまったから。
彼女が腕の中に飛び込んでくる。
速水はしっかりと抱きとめた。
もう、彼に彼女を放せる事なんて、できなかった。
舞台の上から投げかけられた真っ直ぐな視線に幾度も、席を立ちそうになった。
心が、魂が彼女を求めていた。

――――魂の片割れだと・・・。

「・・・速水さん、私、私・・・」
腕の中の彼女が一心に見つめる。
「・・・わかっている。わかっている。そうだ。俺もだ。・・・俺も・・・」
彼女の瞳を真っ直ぐに捕らえる。
「・・・俺も君が好きだ・・・」

ずっと、君が好きだった。
君だけを見つめていたんだ・・・。
ずっと、ずっと・・・。



The End




【後書き】
このお話は某所様への投稿品として書いたものなのですが・・・。読み返してみて中途半端なあまりの駄作だったので、
某管理人様に泣きついて違うものを書き直させて頂きました。という訳でお蔵入りとなった一品でございます(笑)
アップするものが、ちょっと何もなかったので・・・、出させて頂きました。
ひゃゃゃ。ごめんなさい!こんもの読ませてしまって(焦)

Cat

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