決 断
AUTHOR 
janky



「あなたなんか大っ嫌い!!」
まだマヤの言葉が耳に残っている。
踏みにじられた紫色のバラ。蒼白の顔のマヤ。涙。次々とあの日の場面が思い起こされる。
「本当に、彼女を泣かせてばかりだ。」
真澄は微かに苦笑し、軽く息を吐いた。
息は白くけむり、沈丁花の花の色に溶け込んでいく。
速水邸から会社まで車を使わずとぼとぼと歩いているうちに、公園の一角の、少し奥まった所で行き止まっていた。
早朝からの雨のせいか、それとも普段からそうなのか、周りに人の姿は一向に無かった。
人の気配が無いことを確認した真澄は、そっと差していた傘をはずして天を仰いだ。雨に打たれて香りを強めた沈丁花の植え込みがちょうど真澄一人を隠している。
「大都になびかないのなら、北島マヤを潰せ。」
英介の言葉が脳裏に浮かぶ。
試演の日までもうあまり無かった。
先ほどまでの白い息が体が冷えるにつれ色を失い、真澄の身体は周りの温度と同化していく。
体の芯まで熱を奪おうとする冷えた空気と凍りつくような冷たい雨が真澄には心地よかった。
「何とかしなければ」
視線を落として、雨にけむる沈丁花の白い花を見詰めてつぶやいた。

マヤは稽古場に行く道のりをいつもと違う駅で降りて、普段通らない公園を横切った。
「あなたなんか大っ嫌い」
自分が口にした言葉がいつまでも離れない。
踏みにじられた紫のバラとあの人の笑い声。いつまでも耳をぐるぐる駆け回る。
「やっぱり嫌われてたんだ・・・はじめから・・・」
辛くてもやっぱりあきらめなくちゃいけないんだ。
そして紅天女も演技できるようにしなくっちゃ。
試演の日が迫っている。
・・・でもどうしたら・・・
昨夜も泣きに泣いて、涸れ果てたと思われたマヤの瞳からまた涙がにじんでくる。
それを誤魔化そうとして傘を持つ両手に、ほうっと息をかけて立ち止まった。
その吐きかけた白い息の行方を目で追って、横道から少し奥にほのかに香る白い花を見つけた。
「いい香り・・。なんて花かな?」
グスッと鼻をすすって、マヤは横道に足を動かした。
桜や楠の木々の奥の方に、雨にけぶりながら潔い白い花の群れがある。
マヤが更に奥に足を入れると、身を切るような冷たい雨にも臆せず凛として咲き立つ白い花々に囲まれて、一人雨に濡れながら花に負けないほど凛々しく立っている人影がかすんで見えた。
マヤは目を凝らして見詰めて、そして体が固まった。
「速水さん・・」

何とかしなければと口にしたけれど、本当の処、真澄の算段は出来ている。
後は、心を決めて実行するだけ。
(何を俺は恐れているのだ。)
母を見捨てた憎かった筈の養父。
母の遺言のような言葉。
マヤ。
心なんてとっくに死んでいた。
傷つくことや、相手を思いやることなんてあるはず無かった。
どんな冷酷な手段も平気で取れた。
・・・けれど、この死んだはずの心をマヤが生き返らせてくれた。
誰かを傷つけることを躊躇う。それは人を思いやるという優しさ。愛しさ。
無いはずと思っていた感情をマヤが引き出してくれたのだ。

あの子のためなら、もう一度心を殺すくらい。

マヤは動けないでいた。
ここにいちゃいけない。
速水さんに気づかれない内に、早くここから立ち去らなければ・・・。
そう思っていても、体が動かず、真澄から目を離せずにいた。
本当はさしたる時間ではなかったのだろうが、マヤにはとても長い時間に感じる。
どれくらいここに速水さんは立っていたのだろう・・。
冷たい雨に同化した様にたたずむ真澄の姿が、マヤの心をじんわりと締め上げる。
速水さん、何かが違う。
言いようの無い不安がマヤに沸き起こる。
その真澄がゆっくりと振り向き、マヤと視線が合った。
(しまった!!)
マヤは内心慌てふためく。
真澄は何も言わず、マヤを見続けている。
マヤはいても立ってもいられない居ごごちの悪さを感じ、真っ赤になった。
この間、紫のバラを踏みにじられ、笑われてからそう日がたってないというのに・・・
マヤはつくづく自分の要領の悪さがいやになる。
(ああ、あたしってなんて馬鹿!)
一人で百面相しながらマヤは、真澄を取り巻く固い空気に気押されつつも、その場から立ち去ることだけは出来なかった。

いつもなら。
・・・いつもなら、何が無くても、マヤに絡んできては、かまってくる真澄が一言も発さない。
ただ二人の間を葉々を鳴らして落ちる雨の音が埋めるだけ。
その二人の間の空気がまた冷気を増してきて、マヤはブルッと身体を震わした。
冷気がマヤの心を落ち着かせていく。
真澄がまだ傘を差していないことに気づいて、マヤは自分の傘を少し真澄のほうへ差し出した。
そのマヤの手を真澄はそっと押し戻した。
いつもと変らない真澄の大きな手なのに、いつものような暖かさはなく、氷のようなその手の冷たさにマヤの心に先ほどからの不安が戻ってくる。
凛とした眼は、いつものように涼しげであったが、マヤはやはり不安を感じずにはいられなかった。

速水さん、遠くに行っちゃうんじゃ・・・。
マヤの本能が忠告する。
今までだって二人が近い存在だと思ったことは無い。
大っ嫌いだとののしった時だって、酷い言葉で罵った時だって。
速水さんが婚約を発表した時だって。
こんなに遠く距離を感じてしまうことは無かった。

そうして、真澄は自分の傘を拾い上げて、公園の本道に戻るためにマヤの横をすり抜けた。
「速水さん、待って下さい!」
振り返ってマヤが叫んだ時には、もう真澄は雨の奥のほうに、けむって姿が見えなくなっていた。
マヤには雨にけぶる公園の細い道が、なんだか心の中の不安とよく似ているように思えた。



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【Catの一言】
jankyさん、初投稿ありがとうございました♪雨と沈丁花と真澄様(笑)のイメ−ジが重なって切なさを際立たせてますね。
何か速水さんの気持ちがじ−んと伝わってきてホロリとしてしまいました。是非、是非、この後の二人がどうなったか続き書いて頂きたいです。
宜しくお願いします♪

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