紅 天 女 -11-



   「・・・まだいらしたんですか?」
   水城が社長室に行くと、真澄の姿があった。
   「・・・あぁ・・・。仕事がたまっているから・・・」
   無表情に答える。
   「・・・紅天女が決まったしな・・・」
   ポツリと言った真澄の言葉がなぜか悲しそうに聞こえた。
   「・・・マヤさんと早速、交渉を進めるんですか?」
   水城の言葉に一瞬、切なそうな表情を浮べる。
   「・・・そうだな・・・。あの子と話さなければならないな・・・」
   フゥ−とため息を浮かべる。
   まるで大きな難題を抱えたような表情だ。
   「・・・水城君、君が交渉の窓口になってくれないか?」
   「えっ」
   真澄の言葉に以外そうに眉を潜める。
   「・・・俺は今、冷静に仕事を行う自信がないんだ・・・」
   仕事に対して、こんな弱音を吐く彼を見たのは初めてだった。
   それだけ、彼にとって北島マヤへの想いは大きいという事だ。
   「・・・そんなの社長らしくないですよ・・・。ずっと、上演権を求めてらしたじゃないですか。
   いざ、交渉の席になったら逃げるんですか?」
   水城の言葉が心に突き刺さる。
   「・・・そうだ。逃げるんだ・・・」
   低い声で呟く。
   「・・・所詮、俺は弱い男だ・・・」
   「・・・真澄様・・・」
   水城は何と言葉をかけたらいいのかわからなかった。
   「・・・少し考えさせて下さい・・・」
   そう言い、水城は社長室を出た。



   マヤは熱い想いに駆られて、大都芸能の前まで来ていた。
   ビルを見上げると、社長室のある階にはまだ明かりがついている。

   ・・・速水さん・・・。

   胸が熱くなる。
   真澄への想いが溢れて、苦しくて、苦しくて・・・どうしようもなくなる。

   「・・・マヤちゃん?」
   水城が丁度、ビルを出るとマヤの姿が目に入った。
   「・・・水城さん・・・」
   驚いたように水城を見つめる。
   「・・・社長に会いに来たの?」
   黒沼からマヤの気持ちを聞いている水城にはピンときた。
   「・・・あの、速水さん・・・まだいますか?」
   「・・・えぇ・・・いるけど・・・」
   水城はマヤを見つめながらある考えが浮かんだ。
   「・・・マヤちゃん、社長に会いたい?」
   「・・・はい・・・」
   水城の言葉に躊躇いなく答える。
   「・・・いいわ。じゃあ、私についてきて」



   Trrrr・・・。Trrrr・・・。

   ぼんやりと煙草を吸っていると、社長室の電話がなった。
   「・・・はい・・・」
   「よかった。まだいらしたんですね」
   その声は水城だった。
   「先ほどのお話、引き受けます。但し、一つ条件があります」
   「・・・条件?」
   水城の言葉に真澄は眉を寄せた。
   「今から私の言う場所に行って、そこにいる方と会って下さい。それが、条件です」
   真澄の返事も聞かず、一方的に用件を述べると、水城は電話を切った。

   「・・・いつから、社長より秘書の方が偉くなったんだ?」
   電話を置きながら、文句の一つや二つを口にしてみる。
   しかし、水城の言葉を無視する訳もなく、真澄は渋々、言われた場所に出向いた。



   真澄様、あなたもマヤちゃんも、もっと話し合うべきです・・・。
   心の中を曝け出すべきです。

   水城は電話を切ると今夜の二人の行く末がどうか、良い方に向かうよにと、月を見つめた。



   コンコン・・・。

   水城に待つように言われた部屋にいると、ノックがされた。

   ・・・速水さん・・・。
   マヤの胸がはちきれそうな想いでいっぱいになる。

   「・・・マヤ・・・!」
   水城に言われた場所はとあるホテルの一室だった。
   中から出て来た人物に驚きを隠せない。
   「・・・どうして・・・君がここに?」
   信じられないものでも見るようにじっと、マヤを見つめる。
   「・・・水城さんが・・・ここに連れて来てくれたんです」

   余計な事を・・・。

   「・・・送って行こう・・・」
   真澄は部屋の中に入らず、無表情でそう言った。
   「・・・鍵を貸しなさい・・・チェック・アウトしてくるから・・・・」
   「あの、待って下さい・・・」
   今にも行ってしまいそうな真澄にマヤは精一杯の声をかけた。
   「・・・うん?何だ?」
   「私、速水さんに話したい事があります。水城さんも社長と話すなら、ここでゆっくり向き合うべきだって・・・」
   訴えるような視線を向ける。

   ・・・マヤ・・・。

   「・・・お願いです。部屋に入って、私の話を聞いて下さい・・・」
   マヤに見つめられて、抵抗の言葉なんてどこかへ消えてしまったようだった。
   「・・・いいだろう・・・」
   諦めたように言い、真澄は部屋に入った。

   窓の大きいその部屋からは鮮やかな夜景が見えた。
   ビルの一つ一つの明かりと、それらを照らす月明かりが夜景を彩った。

   真澄とマヤはテ−ブルを挟み、ソファ−に座った。
   マヤは緊張したように正面の真澄から視線を外す。

   「・・・どうした?俺に話しがあるんじゃないのか?」
   いつまでたっても何も口にしない、マヤに言葉をかける。
   「・・・あの・・」
   言いたい事はいっぱいあるのに、いざ目の前にすると、何も言えない。
   また沈黙が二人を包む。
   真澄はテ−ブルの上に置かれたあるものに気づいた。

   「君もどうだね?」
   ワインボトルを手にマヤに尋ねる。
   おそらく、水城が気をきかせて置いておいたのだろう。
   「・・・えっ・・・あっ、はい。いただきます」
   マヤと自分のグラスにワインを注ぐ。
   「・・・君の紅天女に」
   マヤにワイングラスを渡すとグラスをカチャリとくっつける。
   「えっ・・・」
   真澄の言葉に驚いたようにやっと、顔を上げる。
   そこには優しい瞳をした真澄がいた。
   「やっと、俺の顔を見たな」
   ワインを口にし、クスリと笑う。
   「・・・一つ、聞いていいか?」
   グラスをテ−ブルに置き、伺うように見つめる。
   「・・・えっ、あっ、はい」
   マヤは緊張でカラカラに乾いた喉を潤すためにワインを口にする。
   「俺が紫の薔薇の人だって・・・いつ知った?試演で君が招待してくれた席に座った時、
   君は少しも驚いていないようだった」
   「・・・忘れられた荒野を覚えていますか?」
   ワイングラスを見つめながら、思い出すように言葉にする。
   「・・・あぁ。君と黒沼さんの初めての舞台だ。君は狼少女を演じたんだっけな」
   懐かしそうに瞳を細める。
   そして、マヤに手を噛まれた事を思い出し、可笑しそうに笑う。
   「・・・そういえば、君に手を噛まれたんだっけな・・・それも、思いっきり・・・」
   真澄の言葉にマヤはカァ−っと赤くなった。
   「・・・だって、あれは速水んが・・・」
   少し、ムッとしたように真澄を見る。
   不意に、二人の視線が絡み合う。

   「・・・それで、忘れられた荒野がどうしたんだ?」
   意識的に視線を逸らし、理性で繋ぐ。
   「・・・速水さんが来てくれた初日だけだったんです。青いスカ−フを使ったの・・・」
   マヤの言葉に真澄はあぁ、なるほどというような表情を浮べた。
   「・・・紫の薔薇の人からのカ−ドには青いスカ−フって書いてあったから・・・ 
   それで、気づいたんです。あなたが紫の薔薇の人だって」
   真っ直ぐに真澄を見つめる。
   「・・・なるほど。俺とした事がとんだ失態をしたようだな」
   苦笑を浮べる。
   「私、気づいたんです。いつも誰が私を見ていてくれたか・・・。
   冷たい言葉の裏にあるあなたの真心にやっと、気づいたんです」

   マヤ・・・。

   「・・・だから、私はあなたを・・・」
   切なそうに瞳を細める。
   マヤの瞳に真澄の理性のタガが緩む。
   「・・・君も知っているだろう。俺には婚約者がいる」
   マヤの言葉を遮るように口にする。
   それは、自分の心にも言い聞かせるような言葉。
   「・・・悪いが俺はこれで失礼する」
   ソファ−から立ち上がり、彼女に背を向ける。
   まるで、彼女から逃げるように・・・。

   「・・・わかっています。私の叶わぬ恋だと・・・
   でも、好きなんです。あなたに婚約者がいても・・・。この気持ちはもう止められないんです・・・」

   涙に混じるマヤの言葉に胸をぐっと掴まれたような気がした。

   「・・・好きです。速水さん・・・あなたが好き・・・」

   その言葉に真澄の中の理性が完全に崩れる。
   「・・・ごめんなさい・・・。速水さんを困らせる事を言って・・・」
   振り向き、かける言葉なくマヤを見つめる真澄に言う。
   「・・・もう、自分でも・・・抑えられなくて・・・」
   マヤの頬に幾筋もの涙が伝わる。

   「・・・マヤ・・・!」

   耐えきれず、真澄は彼女を腕の中に閉じ込めていた。
   「・・・もう、いい、わかったから・・・君の気持ちはわかったから・・・」
   ギュッと抱きしめ、掠れる声で口にする。
   「・・・速水さん・・・」
   マヤは真澄の腕の中で泣き崩れていた。

   どうする事もできない想いを胸に真澄はマヤを抱きしめていた。





                                         

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