紅 天 女 -15-



「・・・月影千草が・・・死んだだと・・・」

その知らせに、速水英介は言葉が出てこなかった。
いつかはこうなる事はわかっていたが、それが今日だとは思えないのだ。
英介の瞳に薄っすらとと涙が浮かぶ。

「わかった。支度をする」
側近の者にそう告げると、英介は車椅子から立ち上がった。




月影の葬儀は梅の谷の近くのあの山寺で静かに行われた。
月影を慕う者がみな、思い、思いに集まり、往年の大女優を見送った。
その中にもちろん、速水真澄の姿もある。

月影さん・・・とうとう、逝ってしまわれたんですか・・・。

棺の中の月影を見つめ、感慨深そうに見つめる。
思えば月影との出会いは紅天女の上演権を巡るものだった。
真澄が何度、上演権を得ようとしても、決して彼女は首を縦には振らなかった。
いくら金を積もうと、どんな汚い工作をしようと・・・月影は屈しなかった。
真澄にとって、それは衝撃的な事だった。
何よりも大切なものがある事を知らなかった彼には、月影がなぜ、そこまでして上演権を手放さないのかわからなかった。

しかし、気づけば、自分も月影と同じように紅天女を思うようになった。
彼にとってはただの復讐の道具に過ぎなかった紅天女が、今では、何よりも大切なものである。
今になって、月影の紅天女に対する想いが十分に理解できた。

心から月影の死を悲しく思う。
彼にとっても、月影は大きな存在だった。

「・・・千草・・・」
棺の前に立っていると、後ろから悲痛な声がした。
振り向くと、そこには英介の姿があった。
参列客は皆、速水英介の姿に驚く。
真澄は英介と対峙するように向き合った。

「・・お義父さん・・・来ていたんですか・・・」
真澄の中に複雑な感情が巡る。
英介に”もう言いなりにはならない”と告げて以来、顔を合わせる事はなかった。

”会長は、真澄様同様紅天女を心から愛しています。そんな会長がマヤさんを傷つける事などするはずかないからです”

先日の聖の言葉が脳裏を掠める。

本当に、マヤに刺客を差し向けたのはあなたではないのですか?
英介をじっと見つめ、無言で問い掛ける。
英介は真澄に何も言わず、月影の棺の前に立ち、その亡骸を見つめた。

「・・・千草・・・」
月影を見つめる英介は今まで、真澄が見た事のない程、寂しげで、悲しそうだった。
その表情からはどれだけ月影を思ってきたかを読み取る事ができる。
マヤを深く愛した真澄には英介が異常な程、紅天女に魅入られていた事が、わかる気がした。
彼はその激しい想いが故に、不幸になった老人の一人にすぎないのだ・・・。

なぜか、今は紅天女の打ちかけの為に母親を犠牲にした英介の事が許せる気がした。
心の底から愛した女に憎まれる事しかできなかった英介の不器用さが、不思議と真澄と重なるようだった。

この人もただ、不器用な人なのだ・・・。

月影を見つめる英介の背中に軽く会釈をすると、真澄は寺を出た。

「・・・ゲジゲジの恋か・・・」
煙草を取り出し、空を見上げた。
「・・・俺も同類だな・・・」






「・・・マヤ?」
麗が病室にいくと、ぼんやりと瞳を開けている彼女の姿が目に入る。
ベットに駆け寄り、もう一度彼女の名を呼ぶと、微かに笑った。

彼女が意識を取り戻したのは月影の葬儀から二日後だった。

マヤは暫く、ぼんやりとし、やがて自分が置かれている状況を思い出した。
刺された事が脳裏に過ぎり、腹の辺りがズシリと痛む。

「・・・痛いのか?」
眉を潜めた彼女を心配するように見る。
「・・・うん。少しだけ・・・。麗、今日は何日?私、どれぐらい眠っていたの?」
不安そうに麗を見る。
「・・・二週間ぐらい経ったかな」
麗の言葉に大きく眉を上げる。
「二週間?私、そんなに眠っていたの?」
「あぁ。正直、そろそろ心配したよ」
「・・・私が意識のない間、何か変わった事はあった?」
マヤの問いかけに、月影の事が浮かぶが、目覚めたばかりの彼女に告げる事ではないと思った。
「・・・いや、何もないよ。あんたは余計な事は考えず、静養してなきゃ・・ね」
無理に笑顔を作り、元気づける。
「・・・うん・・・」
麗の言葉にマヤは何か引っかかるものを感じた。




真澄が東京に戻ってから、吉報が二つあった。
一つはマヤの意識が戻った事、そして、もう一つは聖が持ってきた報告書だった。
その報告書はマヤを刺した男についてのものだった。
「・・・よく、調べてくれた・・・」
書類をざっと見つめながら、目の前の聖に労いの言葉をかける。
「いえ。私はただ、自分の仕事をしたまでですから・・・」
「で、この男の雇い主はわかったのか?」
男は街のチンピラだった。
男の意思でマヤを刺したとは到底考えられず、誰かに雇われたと考えた方が妥当だった。
「えぇ・・・。実は確証はまだ、得られないのですが・・・」
そう言い、そっと真澄に耳打ちする。
「・・なんだと!」
以外な雇い主に真澄は声を荒げた。
「・・・信じられない・・・どうして・・・」
それは素直な言葉だった。
「まだ、現時点では証拠はありませんが・・・ですが、恐らくは・・・そうだと思います」
「・・・そうか、ご苦労だった。引き続き、調査を頼む」
真澄の言葉を聞くと、聖は一礼してその場を去った。





「よかった。目が覚めて」
可愛らしい花束を持って桜小路をマヤを見舞った。
「・・・桜小路くん・・・ごめんね。いろいろと心配かけちゃって」
花束を嬉しそうに受け取りながら、微笑む。

マヤちゃん・・・。

そんな表情にも、桜小路の胸は高鳴った。
一層、このまま抱きしめてしまいたいという衝動に駆られるが、寸前の所で耐えた。
「・・・傷の方はどう?」
ベットの側の椅子に座り、当り障りのない会話を続ける。
「うん。後、一週間もすれば、抜糸して、退院だって言われた。でも、当分、大人しくしていないと駄目だって」
一瞬、瞳を伏せる。
「・・・じゃあ、稽古はできないね」
「うん。でも、セリフを言うぐらいなら」
「駄目だよ。マヤちゃん、セリフを口にしたら、体も動かしたくなるよ。きっと、君の事だから」
マヤの考えを見透かすように言う。
「えっ・・・だって・・・」
「神様がくれた休暇だと思ってゆっくり休んだら?紅天女の試演からずっと忙しかっただろ?」
「・・・う・・ん。そうだけど・・・何かしていないと、今は余計な事を考えてしまいそうで・・・」
切なそうに、マヤの瞳がどこかを見つめる。
「えっ?」
マヤの言葉と、表情の意味が今ひととつ掴めず、不思議そうに見る。
「・・ううん。何でもない。そうだね。せっかくだから、ゆっくりしようかな」
ハッとし、マヤはいつもの表情を浮かべた。

ヤダ・・・。
私、もう、あの人の事考えている・・・。


「マヤちゃん、もうすっかりよさそうね」
桜小路とマヤが話していると、水城が現れる。
「・・・水城さん・・・」
嬉しそうに水城を見る。
「・・・これ、預かってきたわよ」
そう言い、水城は手にしていた紫の薔薇の花束を彼女に渡した。
驚いたようにじっと、薔薇を見つめる。

速水さん・・・。

切ない思いが募り、気づけば、マヤは涙を流していた。
マヤの様子に桜小路と水城は驚き、何と言葉を述べたらいいのかわからなかった。
彼女を励ますつもりで、持ってきた花束だったが、水城は大きく失敗した事を悟った。

「・・・ごめんなさい。何でもないの・・。ただ、ちょっと、驚いて・・・もう、貰えないと思っていたから」
涙をゴシゴシと拭い、笑顔を作る。
「ありがとう水城さん。あの人にもありがとうって伝えといて下さい」
「えぇ。伝えるは必ず・・・」



「水城さん」

水城が病室を出ると、先に出ていた桜小路が声をかけた。
「あら、まだいたの?」
「えぇ。あなたに聞きたい事があったから・・」
「何かしら?」
「・・・紫の薔薇の人・・・」
桜小路がそう呟いた瞬間、水城は僅かに眉を上げた。
「マヤちゃんの足長おじさんで・・・大切な人ですよね。水城さんは紫の薔薇の人の正体を知っているんですか?」
真剣な表情で水城を見る。
桜小路の言葉にどう答えるべきか、水城は考えを巡らせた。
「・・・そうね。知っているわ」
長い沈黙の後にハッキリと告げる。
桜小路はその言葉に少し驚いたように水城を見た。
「・・・マヤちゃんも・・・誰か知っているんですか?」
「・・・えぇ」
桜小路の中でやっぱりという思いが浮かぶ。
あの薔薇を見つめた時の彼女は紅天女の舞台の上で切ない恋を演じた阿古夜そのものだった。
「聞いていいですか?紫の薔薇の人が誰か・・・」
「・・・それは言えないわ」
瞳を閉じ、静かに口にする。
「そうですか・・・」
桜小路はそれ以上を何かを言う訳でもなく、諦めたように会釈をして、歩き始めた。
その様子を見て、水城も桜小路と反対の方に歩き出す。

「・・・速水さんじゃないんですか?紫の薔薇の人って」
歩き始めた水城の背中に桜小路が投げかける。
その言葉に驚いたように水城は立ち止まった。
「・・・言えないって言ったでしょ」
何事もなかったような涼しい表情で桜小路を振り返り、告げると水城は再び歩き出した。





「彼女の様子はどうだった?」
社に戻った水城を社長室に呼びつける。
「えぇ。元気そうでしたよ」
その一言にホッと胸を撫で下ろす。
「後、一週間で退院だと言っていました」
「・・・そうか」
「・・・会いに行かないんですか?彼女、社長に会いたいって私の帰り際に一言漏らしましたよ」
水城の言葉に瞳を見開く。
「・・・バカな。俺は彼女をこれ以上ない程傷つけたんだぞ。俺の顔なんて見たいとも思わないはずだ」
真澄の言葉にクスリと笑う。
「・・・真澄様がどんな気持ちでその言葉を述べたか・・・きっと、彼女はわかっていると思いますよ。
私、今日、紫の薔薇をお見舞いに持っていきましたの」
「何!水城くん、そんな事頼んでいないぞ。俺は!」
「あら、社長にお見舞い用のお花は何がいいですか?って聞いた時に彼女が喜びそうなものを持っていってくれって
聞きましたよ」
水城の言葉に真澄は黙るしかなかった。
「それで、彼女、紫の薔薇の花束を見た時にどうしたと思います?」
「・・・壁にでも投げつけたか」
無愛想に答える。
「まさか。彼女、涙を流して、愛しそうに薔薇を抱きしめていました。社長にありがとうって伝えて下さいって言われました」
水城の言葉にマヤへの恋しさが募る。
抑えていた気持ちが全身に広がり、胸が熱くなる。
「会いに行って下さい・・・。きっと、何よりも真澄様が会いに行く事が彼女を喜ばせる事だと思います」
「・・だが、俺は・・・」
自身の思いに苦しむように、瞳を伏せ、窓の外を見つめる。
「・・・紫織様の事を気にしているんですか?」
心の中を言い当てられたようで、ドキリとする。
「真澄様、もっとお楽に考えたらどうですか?ただの見舞です。そこまで婚約者に気を遣うべきではないと思いますが」
「・・・今は会えない・・・。ただの見舞でも、俺は彼女に会う事はできないんだ」
葛藤を吐き出すように告げると、水城を見る。
「・・・もういい。下がってくれ。用があったら呼ぶ」
いつもの冷淡な表情を浮かべる。
水城は真澄に一礼して、社長室を出た。





「真澄様がいらしてくれるなんて、嬉しいです」
鷹宮の屋敷に現れた真澄を、僅かに頬を赤らめた紫織が出迎える。
「・・・今日はあなたに聞きたい事があってきました」
冷静な表情で紫織を見つめる。
「・・・何ですの?」
紫織がそう尋ねた瞬間、机の上にファイルを乗せる。
「・・・ご覧になって下さい」
真澄は表情一つ変えず、告げた。
紫織はその言葉にそっとファイルの中身を見つめる。
「・・・これは・・・!」
彼女の表情に明らかな動揺が浮かぶ。
真澄はその表情を観察するようにじっと見つめていた。
「・・・知っているでしょ。この間、ある女優が何者かに刺された事を」
煙草を口にし、フ−っと煙をはく。
「そのファイルの男は彼女を刺した男です。私の部下が見つけてきました」
真澄の穏やかな口調に、ファイルを持つ、紫織の手が震え出す。
「そして、その男を問い詰めるとある人物の名を口にしたんです」
真澄がそう言った瞬間、紫織の手からファイルが落ちる。
紫織は堪らず、真澄から逃げるように部屋を出ようとしたが、素早く、彼に腕を掴まれる。
「・・・なぜです?」
か細い紫織の腕をギュッと握り締めながら問いただすように見つめる。
「・・・離して下さい!」
真澄の腕を引き払おうと、降るが彼の手は緩む事はない。
「・・・答えて下さい!なぜですか!」
怒りをぶつけるように声を荒げる。
真澄から視線を逸らすように顔をそむけるが、彼がそれを許さない。
紫織を壁に押し付け、空いている方の手で顎を掴み、真澄の方を向かせる。
今まで見せた事のない、ゾッとするような恐ろしい瞳で紫織を見つめていた。

「・・・やめて!離して!!誰か!誰か!」
目の前の真澄が恐ろしくなり、声を荒げる。
「お嬢様。どうなさいました!」
二、三人の使用人が駆けつけ、二人がいた応接室に入ってくる。
真澄はさっと手を離し、何もなかったように紫織から離れた。
「・・・何でもない。ただの痴話ゲンカだよ」
穏やかな様子で真澄は使用人たちに言った。
「・・・そうですか」
真澄の言葉に安心したように使用人たちは部屋を出、再び、真澄と紫織だけになる。
紫織は怯えたように真澄を見ていた。
「・・・あなたを告発する気はありません。ただ、知りたいんです。なぜ、あなたがそこまでしたか」
さっきよりも冷静な様子で紫織を見る。
「なぜ、彼女を刺させたんですか?」
真澄の問いかけに紫織は静かに涙を流した。

「・・・不安だったんです・・・。あなたが、いつまでも私の方を見て下さらないから・・・」
小さく言葉を口にする。
「・・・私、ずっと、ずっと、不安なんです!!!」
心の中の声を叫び、悲痛な表情を浮かべる。
「・・・いくら、愛しても・・・あなたは私を愛してはくれない・・・だから・・私は・・・」
真澄はそっと、紫織に近づき、泣き崩れる彼女を宥めるように抱きしめた。

俺が彼女を追い詰めたのか・・・。
全ては俺のせいか・・・。

子供のように泣きじゃくる紫織の姿にいつかのマヤの姿が重なった。








                                         

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