紅 天 女 -18-


「・・・速水社長・・・」
突然現れた速水の姿に桜小路は言葉がなかった。
「君たちを連れ戻しに来た」
鋭く、桜小路を見る。
「・・・彼女は部屋にいるのか?」
速水の問いに桜小路はハッとした。
「お断りします。いくらあなたでも、今、マヤちゃんと僕を連れ戻させる訳にはいきません!」
桜小路は速水に飲まれないように鋭く見つめ返した。
「それはどういう事だ?君たちは役者としての仕事を放棄するのか?」
尚も威圧するように桜小路を睨む。
「・・・いえ。公演までには必ず戻ります。しかし、今は駄目です」
「今は駄目とはどういう意味かね?」
「マヤちゃんは今、精神的に追い詰められているんです。月影先生が亡くなったのを知ってから、彼女は、彼女は・・・」
そこまで口にして、桜小路は胸が熱くなる。
マヤと過ごしたこの十日間は辛いものだった。
彼女は常に涙を流し続け、そして、目を離すと自らの命を絶とうとさえしたのだ。
抵抗するマヤを何度も何度も止めた。
泣き崩れる彼女を何度も抱きしめた。
その度に胸が潰れてしまいそうだった。
桜小路は自分の無力さを知った。
どんなに話かけても、彼の声はマヤには届いていないようだった。

「今は彼女をそっとしといてあげて下さい」
懸命に速水に訴える。
しかし、彼に桜小路の言葉を聞く余地はない。
「興行主として、そうはいかない」
そう言い、真澄は旅館内の廊下を歩き出した。
桜小路は慌てて追いかける。

「やめて下さい!!!!」
彼の前に出ると両腕を広げ佇む。
「何の真似だ?」
不快そうに真澄は眉をあげた。
「今、あなたにマヤちゃんを会わせる事はできない!!」
桜小路は速水に対するマヤの気持ちを知っていた。
「どきなさい」
真澄は低い声で命令する。
「いいえ。いくら社長の要求でも無理です!」
桜小路はマヤを守りたかった。
「・・・もう一度言う。どきなさい」
真澄の声が廊下に吸い込まれるように響く。
「嫌です!」
一歩も引かぬというように桜小路は真澄を睨んだ。
「・・・君は何の権限があって、俺を止める?ただの共演者としてか?それとも男として愛しているからか?」
真澄の問いに、桜小路は考えるようにゆっくりと瞳を閉じた。

「・・・愛しているからです」

一瞬の沈黙を置き、速水を見つめる。
潔い桜小路の言葉に真澄は胸の奥がズシリとした。
嫉妬と、羨ましいという気持ちが混ざる。
決して彼には口にできなかった言葉。
それを桜小路は何の迷いもなく言い放った。

「・・・僕はマヤちゃんを愛しています。もう、ずっと、前から・・・」

桜小路の瞳に、真澄は自分と同じ想いを見つけた。
どんなに深くマヤを愛しているか、不思議とわかる気がした。

「あなたはどうなんですか?ただ、仕事の為だけに彼女を迎えに来たんですか?」
桜小路はずっと聞いてみたいと思っていた。
速水の気持ちを・・・。
本当は随分前から気づいていた。
速水が向けるマヤへの瞳が特別なものだという事に。

「・・・君は俺に何を言わせたいんだ」
気持ちを隠すようにできるだけ感情の篭らない声で告げる。
「あなたの気持ちです」
真っ直ぐな視線を速水に向ける。
「・・・気持ちか・・・。君は、やはり、まだ若いな・・・」
真澄にはあまりにもストレ−トに感情をぶつけてくる桜小路が眩しく見えた。
若さがなせるわざなのか・・・。
それとも、マヤを愛するが故なのか・・・。
人に感情を見せるなんて事は真澄には決してできない。
自分にさえ気持ちを隠してきた彼にはない純粋さが桜小路にはあった。
真澄はふと、桜小路と同じ年齢の頃の自分を思い出した。

「・・・だが、それだけでは彼女は守れない」
そう口にし、上着を脱ぎ、ネクタイを緩める。
「君がどかないのなら、力づくで通るまでだ」
Yシャツの袖を巻く利上げ、射抜くように睨む。
「・・・守ってみせますよ」
桜小路は真澄の挑戦を受けるように、拳を向けた。
寸前の所で、真澄は交わす。
真澄は力加減抜きで、彼の腹に拳を入れた。
「うっ」
桜小路が低く呻く。
「・・・こう見えても君の倍は喧嘩慣れをしているのでね」
挑発するように桜小路の耳元で囁く。
「通す気になったかね?」
真澄がそう口にした途端、桜小路は渾身の力を込めて、真澄に殴りかかった。
拳が唇を掠め、真澄は唇から血を流した。
「・・・言ったでしょ、守ってみせるって・・・」
怯む事なく真澄に言い放つ。
「・・・なるほど、いい根性だ」
拳で血を拭い、真澄は二発目を桜小路にくらわせた。

二人の殴り合いは圧倒的に真澄の優勢だったが、殴り倒しても、倒しても、桜小路はがむしゃらに向かってきた。
騒ぎを知り旅館の女将と数人の男たちが二人を止めるまで、殴り合いの喧嘩は続いた。
怪我は桜小路の方が多かったが、真澄も無傷という訳にはいかなかった。



「役者の顔に傷をつけてしまったな」
医務室で手当てが終わった桜小路に真澄は話しかけた。
「・・・これぐらい、舞台化粧で隠れます」
苦笑を浮かべて、桜小路は腫れた頬に触れた。
「社長こそ、唇が腫れてますよ」
桜小路の言葉に真澄も苦笑を浮かべる。
「・・・ここまで下らない喧嘩をしたのは久しぶりだ。全く、この俺が子供相手に熱くなるとはな」
煙草の煙を吐き、桜小路を見る。
二人は視線が合うと、互いを認めるように軽く笑いあった。

「・・・あなたなんでしょう?マヤちゃんに紫の薔薇を贈り続けていたのは?」
桜小路の言葉に一瞬、驚いたように瞳を見開く。
「・・・どうして、そう思う?」
二本目の煙草を取り出し、口に咥える。
「・・・いつからか、マヤちゃんの瞳が紫の薔薇の人と、あなたの事を話す時と同じに見えるようになったからです。
それに、僕と同じように昔から彼女の側にいたのはあなたしかいない事に気づいたんです」
真澄は瞳を細めて紫煙を見つめた。
桜小路の問いに否定も肯定もせず、真澄はただ、煙を見つめていた。
真澄の反応に桜小路はそれ以上追求はしなかった。
真澄が否定をしなのが”そうだ”と言っているように思えたからだ。

「まだ彼女を無理に連れ戻す気ですか?」
そう問われ真澄は自分でもよくわからなかった。
彼女を連れ戻しに来たのか、それとも、ただ会いたいだけなのか・・・。
立場上は無理にでも連れ戻す為だと言ったが、本心とは少し違う気がした。
「・・・さあ。どうかな。まぁ、とりあえず、今日の所は連れ戻せそうにはないようだ」
そう口にし、真澄は桜小路に背を向けた。

「・・・待って下さい!」
速水の歩みを止めるように桜小路が口を開く。
「何かね?」
振り返り、再び彼を見る。
「・・・彼女に無理をさせないと約束できるのなら、会って下さい」
桜小路はもう、マヤを救えるのは速水しかいない事を知っていた。
ただ、それを認めたくはなかった。
だから、余計、速水をマヤに会わせたくはなかった。
しかし、ほんの少しでも、速水のマヤに対する想いを感じ、会わせるべきだと確信した。
「君も可笑しな男だな。あんなに必死になって俺の前に立ち塞がっていたのに、今度は会わせてくれると言うのか」
クスリと笑みを浮かべる。
「・・・噂で聞く程あなたが冷たい人ではないとわかりましたから。特にマヤちゃんに対しては・・・」
桜小路の言葉に真澄は軽く眉を上げた。
「・・・なるほど、俺の評価は少しはあがったという訳か」





「・・・マヤちゃん、お客さんだよ」
窓から夕暮れの空を見つめていると桜小路が部屋に入って来た。
「お客さん?」
桜小路の方を振り向き、彼の怪我に驚く。
「・・・どうしたの!?」
マヤの問いに桜小路は苦笑を浮かべた。
「・・・ちょっと転んだだけだよ」
そう言い、桜小路は襖を開けた。
マヤはそこに立っていた人物に更に驚いた。
「僕は少し出かけて来るから、マヤちゃん、お客さんの相手お願いするよ」
桜小路は真澄と入れ替わるように部屋を出て行った。

そして、部屋にはマヤと真澄の二人だけが残された。








                                         

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