紅 天 女 -4-
いつまで、悩んでいても仕方がない・・・。 結果がどうなろうと・・・この気持ちをあの人にぶつけてみよう。 私の中にある、この想いを・・・。 マヤは9日ぶりに東京の地を踏んだ。 「マヤさん、次、会う時は試演ね」 別れ際に亜弓が言う。 「えぇ・・・」 亜弓の目を心配するような表情を浮かべる。 「・・・私が見えないからと言って、手を抜いたら、承知しないわよ。 私はあなたに同情してもらう程、落ちぶれてはいないわ」 マヤの様子を感じると、亜弓は厳しい表情で言った。 「・・・亜弓さん・・・」 心の中を見透かされた言葉にドキッとする。 「お互い、全力で勝負・・・いいわね」 力強い言葉にマヤの表情から同情するようなものはなくなった。 そこにあるのは、ライバルとしての顔。 「・・・絶対、負けないわ」 マヤの口からしっかりとした言葉が出る。 「・・・フフフ・・・。私もあなたになんか負けないわ」 ライバルとして、しっかりと握手をする。 「また、逃げ出したら、私がお尻を叩きにいくわよ」 クスリと笑い、亜弓はハミルと共に、マヤの前から去った。 「・・・亜弓さん・・・ありがとう・・・」 マヤは自分をライバルと言ってくれる相手がいる事が嬉しかった。 久しぶりに、紅天女と向き合いたいと思った。 「・・・マヤちゃん!!!」 キッドスタジオに現れたマヤに誰よりも先に桜小路が声をかける。 マヤは照れたように、おどおど、稽古場に入った。 「・・・ただいま・・・」 小さく呟くと同時に桜小路がギュッと彼女を抱きしめる。 会いたかった・・・会いたかった・・・会いたかった・・・。 桜小路の胸の中に強く、想いが巡る。 「・・・心配したよ・・・」 「・・・桜小路くん・・・ごめん」 頬を僅かに赤くしながら告げる。 「ゴホンっ!いつまで、くっついているんだ」 黒沼がマヤを抱きしめたまま、離しそうにない桜小路に言う。 「えっ・・・」 その言葉に我に返り、パッとマヤを離す。 他の俳優たちの視線が痛く二人に注がれていた。 マヤは耐えられず、赤い顔を益々赤くさせる。 「・・・北島、ここに来たという事は紅天女を掴んだのか?」 黒沼の言葉に一瞬表情が曇る。 「・・・正直、まだ、掴めたとは言えません。でも、私なりの紅天女を演じてみたくなったんです!」 マヤの瞳には何かを掴もうとする強い光があった。 やっと、迷いをふっきたようだな・・・。 心の中で黒沼はニヤリと笑みを浮べる。 「よし!時間はないぞ!稽古だ!!」 黒沼の声とともに、稽古は始まった。 「・・・そうか。戻ってきたのか・・・」 聖からの報告に、真澄は複雑な想いに駆られた。 真澄は今すぐにでも、稽古中の彼女に会いにいきたかった。 しかし、それは許されない事・・・。 今後、大都芸能の速水真澄としてしか、彼女とは会わないと決めた誓いを破るものだった。 マヤ・・・会いたい・・・。 ずっと、胸に抑えていた想いが今にも飛び出してしまいそうだった。 「・・・ご苦労だった」 聖にそう言い、真澄は携帯を切った。 「・・・真澄様、何かありましたの?」 目の前の紫織が聞く。 「・・・北島マヤが戻って来たそうです・・・」 その言葉に紫織の中に僅かな不安が生まれた。 「・・・そうですか・・・」 「稽古をお願いします」 小野寺と歌子の前に現れた亜弓は、今までの彼女と何かが変わっていた。 彼女の周りを取り巻く、オ−ラが別人のように晴れやかだった。 亜弓もマヤと会った事で、自身の抱えていた迷いを断ち切ったのだった。 今、彼女の中にあるのは、紅天女を演じたいという強い想いだけだった。 「・・・時間がないわ。始めるわよ」 歌子は役者としてまた一つ成長した亜弓を温かく迎えた。 試演まで後、一週間を切っていた。 「・・・それと、今日の午後はキッドスタジオに演劇協会の方々と行く予定になっています」 真澄が出社すると、水城がいつものように、一日のスケジュ−ルを口にする。 「・・・キッドスタジオに?」 その言葉に、真澄の心は揺れた。 「えぇ。今日は偵察に行く予定になっていますが・・・」 「・・・そうか。今日だったのか・・・」 小さく呟く。 「何か問題でも?」 真澄の浮かない表情を見つめながら、言う。 「・・・いや。何でもない・・・」 水城の入れたコ−ヒ−を口にしながら、答えた。 「いいか。今日は本番のつもりでやれ」 集まったメンバ−に黒沼が言う。 「今日は観客が来るからな」 黒沼の言葉に誰もが緊張したように表情を浮べた。 「・・・黒沼さん、観せてもらうよ」 演劇協会の理事長が、言う。 「えぇ。どうぞ」 自信たっぷりの瞳で理事長を見る。 「・・・あれ?そういえば、もう一人、客が来るはずだが・・・」 協会のメンバ−の中に速水がいない事に気づく。 「あぁ。あの人なら、少し遅れると言っていたよ。構わず始めてくれとの事だ」 「・・・そうですか」 その日の稽古のできはまずまずのものだった。 100点満点とはいかなくても70点、80点あたりのできだ。 試演を3日後に控えたものとしては丁度いいできである。 誰もがそう思っていた。 しかし・・・。 パンパン・・・。 稽古が終わると、誰かが手を叩いた。 その音にハッとして、ふり向くと速水が戸口に立っていた。 「中々素晴らしい」 いつもの冷静な声で、口にする。 「・・・速水のダンナ、今来たのか」 黒沼が口にする。 「えぇ。予定外の仕事が延びてしまってね。だが、最後の場面だけで十分でした」 そう言い、マヤを見つめる。 久しぶりに顔を会わせ、マヤはドキッとした。 「・・・君はまだ、紅天女を掴んでいないようだ」 その一言に、マヤと、黒沼だけがハッとする。 そう、確かにマヤはまだ紅天女を掴めてはいなかった。 今、マヤが演じた紅天女は平凡で、ありきたりで、梅の谷で観た月影の紅天女からは程遠いできであった。 他の演劇協会の者は誤魔化せても速水の前では隠せなかったかと、黒沼は苦い顔をする。 また、マヤの中の自信が揺らぎ始める。 「・・・後、3日だ・・・どうする?」 わざと冷たい口調でマヤに言う。 「・・・演じるまでです。私の紅天女を」 強い眼差しで速水を見る。 そこにはもう、恋に悩む彼女の姿はなかった。 「・・・なるほど・・・楽しみだ」 挑戦的な笑みを浮べる。 マヤの中で演じられない事への悔しさが募る。 マヤ、俺に君の情熱を見せてくれ・・・。 君の中の紅天女を・・・。 じっと、マヤを見つめ、願うように心の中で呟く。 「黒沼さん、試演期待していますよ」 黒沼の方を向き、そう言うと、速水はキッドスタジオを後にした。 速水さん・・・。 マヤは遠くなる後姿を見つめていた。 「・・・北島、行って来い」 黒沼がマヤの背中を押すように言う。 「えっ・・・」 「言いたい事、速水のダンナにぶつけて来い」 「・・・はい」 黒沼の言葉にマヤの心の中の何かが駆り立てられた。 「・・・速水さん!」 車に乗ろうとした時に、呼び止められる。 駆け足で寄ってくる彼女に、胸が僅かにざわめき始める。 「・・・ちびちゃん・・・」 「・・・あの、お話が・・・あります」 顔を真っ赤に染めて、マヤが言う。 「少し、歩かないか・・・」 速水のその言葉を合図に、二人は近くの公園内を歩いていた。 木々からは葉が落ち、寒さを強調しているように見えた。 「・・・寒くないか?」 稽古着のまま出てきたマヤを気遣うように言う。 「・・・大丈夫です・・・」 久しぶりにこうして、速水と一緒にいられる事に、マヤの心臓は大きく高鳴り、寒さどころではなかった。 「・・・強がるな。薄着だぞ」 そう言い、真澄は自分のコ−トをマヤの肩にそっとかける。 フワッと速水の香がした。 ドキッ・・・。 呼吸が止まりそうになる。 「でも、速水さんが・・・」 「大丈夫。俺は冷血漢だから、寒くないのさ」 マヤを安心させるように、言う。 その言葉にクスリと笑みを浮べる。 「・・・で、俺に話しって?」 煙草に火をつけながら、聞く。 「・・・えぇ・・と、その・・・」 いざ、真澄を目の前にすると、ドキドキがいっぱいになり、言葉が出てこない。 「うん?何だ?」 もじもじとするマヤを見つめる。 「・・・あの、私、好きな人がいます・・・」 思い切って、口にする。 エッ・・・。 その言葉に驚いたように立ち止まる。 ”・・・好きな男がいるからだよ。それも生半可な想いじゃない・・・” いつかの黒沼の言葉を思い出す。 「・・・それで、その・・・」 そこから先の言葉が苦しくて、切なくて、中々出てこない。 真澄は固まったようにマヤを見つめていた。 「・・・その人に、紅天女の舞台見てもらいたくって・・・、私の想いを知ってもらいたくって・・・」 しどろもどろになりながら、何とか言葉を続ける。 ・・・マヤ・・・。 「あの、私の気持ち、その人に届くでしょうか?」 真剣な眼差しで速水を見つめる。 「・・・あぁ。君が精一杯の演技をすれば、きっと、届くよ・・・」 優しい表情を浮べる。 ・・・速水さん・・・。 真澄の表情に気持ちが溢れ出す。 「・・・そろそろ戻るか・・・君は、まだ稽古の途中だろ」 静かにそう言い、真澄は来た道を戻り始めた。 つられるように、マヤも歩き出した。 二人はその後、何も言葉を交わさなかった。 「・・・ありがとうございました」 キッドスタジオの前に戻って来ると、マヤは肩にかかっていた真澄のコ−トを渡した。 「・・・いや」 無表情にコ−トを受け取る。 「次は試演で・・・だな」 そう言い、真澄は車に乗り込もうとした。 「・・・速水さん、あの、私の好きな人は・・・紫の薔薇の人です」 試演まで、また速水に会えないと思うと、そんな言葉が勝手に口を出る。 「・・・えっ」 驚いたように彼女を見つめる。 「・・・紫の薔薇の人が好きです・・・」 真澄を一心に見つめ、告げる。 マヤ・・・。 真澄を見つめる瞳に愛しさがこめられているような気がした。 まさか・・・俺だと知っているのか? 暫く、二人は見つめ合っていた。 「・・マヤちゃん」 桜小路の声が、二人を現実に戻した。 「・・・先生が、稽古始めるって・・・」 速水に軽くおじぎをし、マヤを見つめる。 「・・・う、うん」 真澄を目の前にして、マヤは離れ難かった。 「・・・ちびちゃん、気持ちが届くといいな。じゃあ」 真澄はそう言うと、車の中に入り、運転手に行き先を告げた。 速水さん・・・私の、気持ち、あなたに届きますか? 小さくなる車を見つめながら、マヤは想いを巡らせていた。 |