紅 天 女 -6-
大都劇場に審査員、関係者が集まりつつあった。 もちろん、今回の審査には月影千草の姿もある。 黒服に身を包み、源造を伴っている彼女は誰が見ても、容態が悪いのだとわかるものだった。 「・・・千草・・・」 速水英介もまた、劇場に現れ、変わり果てた月影の姿に胸を痛めた。 そして、自分がしてきた罪の大きさに今更ながら、後悔をした。 マヤが紫の薔薇の人に招待した席は姫川亜弓の演技が始まっても空席のままだった。 今日、真澄は紫織とともに、別の席で芝居を観ていたのだった。 今回の試演で注目すべき点は何と言っても、梅の谷で月影千草が唯一演じなかったクライマックスのシ−ンであった。 この部分をどう演じるかが勝敗を握っていると言っても過言ではない。 姫川亜弓の紅天女は人間だとは思えなかった。 亜弓が舞台に登場した途端に、劇場内の空気ばガラッと変わり、そこにいるのは正しく、天界の女だった。 仏師一真に一途な恋心を燃やす姿は可憐であり、その一生懸命さに切なくなるものがある。 ・・・アユミ。 ハミルは舞台の上の一真にいつの間にか、嫉妬に近い想いを抱いていた。 亜弓の瞳には一真しか見えていないように思える。 ただの芝居だとわかっていても、胸がキリリと痛んだ。 観客は亜弓が演じる天女の一挙、一動に心がかきむしられた。 ・・・亜弓さん・・・。 月影は彼女の演技にかつての自分を重ねた。 想いが蘇り、目頭が熱くなった。 ここまでの演技を見せるとは月影の予想以上だった。 月影は嬉しかった・・・。 こうして若い俳優に紅天女が継承される事を・・・。 一蓮・・・あなたの魂は、まだここにある。 マヤは亜弓の演技は見なかった。 一人、控え室に篭もり、自分の中の紅天女への想いを巡らせていた。 「おまえさまの宿命の為なら、阿古夜はこの命を差し出そう」 舞台はクライマックスへと突入していた。 記憶を取り戻した一真はその宿命を遂行する為、斧を手に持ち、梅の木の神木の前に立っていた。 そして、初めて、自分の愛した女がその神木に宿る姫神だと知った。 「・・・阿古夜・・・おまえが、梅の木だとは・・・わしはどうすればいい・・・」 愛する者の命を我が手殺めなければならない事に苦悩の表情を浮べる一真。 阿古夜は一真の前に両手を広げ、彼を抱きしめた。 「・・・切ってくだされ・・・おまえさま・・・おまえさまの為なら、この命、惜しくはない・・・」 阿古夜の表情は穏やかなものだった。 全てを受け入れる覚悟をしたような・・・そんな顔だった。 そこには、神女としての慈しみに溢れる姿がある。 観客の誰もが、ため息をつく。 神と仏の恋物語はそこで幕を閉じた。 一瞬の間の後、ワ−ッと拍手が沸き起こる。 会場中は全員総立ちだった。 ・・・終わった・・・。私の紅天女が・・・。 亜弓の心にもう思い残す事は何一つなかった。 自分なりの紅天女を演じられた事に満ちたりた気持ちになる。 「・・・亜弓さんの紅天女、終わったみたいだよ・・・」 控え室にいるマヤに桜小路が伝えにくる。 「・・・そう」 マヤの表情は空ろだった。 「・・・マヤちゃん?」 彼が声をかけても、振り向かず、ふらっと控え室を出る。 桜小路は追いかけず、ただ、その場にいた。 「・・・素敵でしたね。今の紅天女・・・」 紫織が頬を僅かに赤くさせ、真澄に言う。 「・・・えぇ・・・」 真澄は言葉を失っていた。 亜弓の紅天女が完璧すぎた為に・・・この後のマヤの演技が心配だったのだ。 亜弓以上の演技をしなければ、舞台は観るにもつまらないものになってしまうだろう。 しかし、あれ以上の紅天女などあるのだろうか・・・。 もし、あるとすれば、それは梅の谷で見た月影千草の紅天女だった。 亜弓を越え、月影を越えた紅天女をはたして、マヤが演じられるのか・・・。 「・・・真澄様?」 突然、席を立って彼に驚いたような声をあげる。 「・・・すぐ戻ります・・・」 一言残し、真澄は席を離れた。 「・・・アユミ・・・」 亜弓の控え室を訪れ、ハミルが声をかけた。 かけられた声はいつもと様子の違うものだった。 「・・・ハミルさん?」 亜弓がそう口にした途端、強く抱きしめられる。 「・・・君を離したくない・・・ずっと、このままで・・・」 熱い想いの篭もる声は恋する男のものだった。 亜弓の頬が赤くなる。 「・・・アユミがどこか遠くへ行ってしまったようだった。僕の手の届かない遠くへ・・・」 亜弓の存在を確めるべく、抱きしめる腕に更に力を入れる。 「・・・苦しいわ・・・ハミルさん。私はここにいるわよ・・・」 戸惑ったように、口を開く。 「・・・アユミ・・・好きだ。愛してる」 ハミルの言葉に大きく瞳を見開く。 「・・・ハミル・・・さん・・・」 ハミルの唇がそっと、亜弓に重なる。 亜弓は素直にそれを受け入れていた。 マヤに何か言いたくて、控え室に行ったが、そこには誰もいなかった。 もう舞台の袖に移動したのだろうか・・・。 舞台は一時間の休憩を挟んでから開始予定だった。 今なら、まだ袖に行っても、マヤと話す時間があると思い、真澄は急いで、来た道を戻った。 「うん?」 ふと、劇場の外に目をやると、真澄が紫の薔薇の人として贈った打ち掛け姿のマヤがいた。 慌てて、ドアを掴み、外に出る。 「・・・マヤ!」 ぼんやりとしている彼女の意識に声がかかる。 振り向くと、そこには恋し恋焦がれる速水がいた。 「・・・速水さん・・・」 胸が凄い勢いで鼓動を打ち始める。 マヤを目の前にして、真澄は何も言えなかった。 あんなに何かを言いたいと思ったのに、ただ、ただ、彼女を見つめる以外、何もできない。 自分は何時の間に彼女をこんなに愛していたのだろうか・・・。 出会ってから今まで歳月を真澄は思った。 長い沈黙が二人の間に流れる。 「・・・私、今日、紫の薔薇の人に演技観てもらいたくって、招待したんです」 沈黙を破るようにマヤが口を開く。 「・・・今まで、ずっと、紫の薔薇の人に支えてもらったから・・・ どんなに辛くても、あの人からの紫の薔薇があったから・・・だから、私・・・」 苦しそうに言葉を詰まらせ、真澄を見つめる。 ・・・マヤ・・・。 「だから、あの人に観てもらいたいんです。私が紅天女を演じるのはこれで最後かもしれないから・・・」 胸の中の想いを曝け出すように言う。 真澄の胸の中に彼女の想いが痛い程伝わってくる。 「・・・ちびちゃん、しっかりな。きっと、紫の薔薇の人も君の演技を観ている・・・」 優しい瞳をマヤに向け、真澄は劇場に戻った。 俺は何を迷っていたのだろう・・・。 彼女はこんなにも俺に素直な心を見せてくれているのに・・・。 速水さん・・・。 観ていて下さい・・・。 例え、紫の薔薇の人としてでなくても、私はあなたに演技を観てもらえるなら・・・幸せです。 あなたに全ての想いを捧げます・・・。 「・・・真澄様?」 マヤの紅天女が始まる直前に劇場に入って来た真澄は無表情で紫織の横を通り過ぎた。 彼が座ったのはマヤが紫の薔薇の人にと招待した席だった。 マヤ、俺はここから君を観ている・・・。 君の長年のファンとして・・・。 紫の薔薇の人として・・・。 |