紅 天 女 -7-



   そこに立っているのは北島マヤとは別の顔をした女優だった。
   舞台開演5分前、誰一人、彼女には話し掛けられなかった。
   ガラリと別人のようなオ−ラを放つ彼女に皆が萎縮する。
   共演者も、演出家の黒沼も、彼女には何の言葉もかけられなかった。
   マヤの心は今、紅天女と一体化していた。
   身体中に不思議な感覚を感じる。
   自分が自分であって、自分ではない・・・。
   そんな感覚だった。

   ・・・マヤ・・・。

   幕が開き、いよいよ彼女の出番になると、誰もが驚いた。
   ただ、舞台に出てきただけなのに広がる威圧感。
   天女としての顔と、普通の娘としての顔を持つ・・・それが、マヤの紅天女だった。
   月影が演じたのもと、亜弓が演じたのもと、全く違うものだった。
   その新鮮さ、斬新さに、誰もがため息をつく。
   彼女の演技は話が進むにつれ、輝きを放っていた。

   そして、速水は舞台から送られてくるある想いに気づいた。
   最初は気のせいだと思っていたが、時折、舞台上の紅天女の視線が自分を捉えているようなのだ。

   「あの日、はじめて谷でおまえをみたとき、阿古夜にはすぐにわかったのじゃ」
   舞台の中央に立ち、視線を客席に向ける。
   その先にあるのは速水だった。

   「おまえがおばばのいうもう一つの魂の片割れだと・・・年も姿も身分もなく出会えば互いに惹かれあい、
   もう半分の自分を求めてやまぬという・・・名前や過去が何になろう巡りあい、生きてここにいる。
   それだけでよいではありせぬか。捨てて下され、名前も過去も、阿古夜だけのものになって
   下され・・・のう、おまえさま」

   紫の薔薇の人・・・。
   これが、私のあなたへの想いです。
   あなたが好きです・・・。

   「・・・マヤ・・・」
   彼女の視線を受け、真澄の体が熱にうつかされたように熱くなる。
   まるで、愛の告白を受けたような、そんな気持ちにされた。
   真澄にはこれが、舞台なのか、演技なのか、わからなくなっていた。

   観客たちの心はマヤの真っ直ぐな告白に誰もが胸を熱くした。
   彼女の紅天女には本物の恋が宿っていた。

   月影はその想いに気づいた。
   マヤの中に激しい恋の想いがある事を・・・。

   恋に身を焦がす阿古夜は美しかった・・・。
   最初に出てきた時はただの村娘という感じだったが、幕が進む事に、
   一真への想いが強くなる毎に美しくなった。

   そして、いよいよクライマックス・・・。
   記憶を取り戻した一真が梅の木である彼女と対面するシ−ンに移る。

   「・・・阿古夜・・・どうして、どうして、おまえが梅の木なのだ・・・」
   一真扮する桜小路の表情は演技だとは思えない苦悩が浮かぶ。
   それは、マヤへの報われない恋心を反映しているかのように思える。
   阿古夜は何も答えず、弱った体で微笑んだ。

   ドキッ・・・。

   その表情の儚さに、誰もが驚く。

   「・・・おまえさまに出会えて、阿古夜は幸せじゃった・・・」
   幸福そうな笑みを浮べる。
   「・・・おまえさまの腕に抱かれ、おまえさまの瞳に見つめられ・・・阿古夜は幸せじゃった・・・」
   また、視線を客席に向ける。
   そして、視線は真っ直ぐ速水へと注がれる。
   言葉では表現できない想いを伝えるように、じっと、見つめる。

   ・・・マヤ・・・。

   速水はもういてもたってもいられなかった。
   許されるなら、今すぐにでも舞台の上にかけあがって、彼女を抱きしめたかった。
   唇を噛みその想いにただ、ただ、耐えている。

   「・・・切って下され・・・おまえさま・・・」
   両手を広げ、無防備な表情を浮べる。
   「・・・切って下され・・・おまえさまの為なら、この命惜しくはない・・・」
   その表情は天女の顔と、恋する娘の顔の両方を持っていた。
   観客の心は強く、胸を掴まれたような、そんな気持ちにさせられる。
   「・・・阿古夜・・・」
   観客側を見つめている阿古夜の背中に一真は斧を振り上げた。
   誰もが息を呑む。

   カラン・・・。

   一真の手から斧が落ちた。
   「・・・阿古夜・・・わしには切れん・・・おまえを切る事など・・・」
   背中から阿古夜をギュッと抱きしめる。
   愛しそうに阿古夜を抱きしめる一真は演技だとは思えなかった。
   真澄の心に複雑な想いが溢れる。

   「・・・この肉の体が朽ち果てようと・・・阿古夜の魂はおまえさまと一緒じゃ・・・、
   切って、下され・・・おまえさま・・・のう、おまえさま・・・」
   阿古夜の瞳から静かに涙が溢れる。
   それは亜弓が演じた阿古夜とは全く別の表情をしていた。
   亜弓が演じたのは神女としての色が強かったが、マヤが演じるのは恋に身を燃やす女の姿だった。
   そして、時折見せる天女の顔はより神々しさを引き立てた。

   「・・・阿古夜の命を貰って下され・・・」

   阿古夜はそう言うと、一真が落とした斧を広い、自分の体に振り下ろした。
   ゆっくりと崩れ落ちる阿古夜の表情はこの世の物とは思えない程、美しかった。
   「・・・阿古夜!!!!!」
   一真の悲痛な声が響く。
   「・・・おまえさまが・・・好きじゃ・・・もう、離れはせぬ・・・」
   遠くなる意識で阿古夜は一真に抱きしめられ、ゆっくりと瞳を閉じた。


   幕が閉じても、皆、言葉を失ったように呆然としていた。
   そして、自然と瞳に涙がこみあげてくる。
   阿古夜の想いが一人、一人に伝わり、胸を熱くさせた。

   長い静寂の後には割れる程の歓声と拍手で溢れ返っていた。


   マヤ・・・よく演じました・・・。

   月影の瞳にも涙が溢れていた。
   今、一人の弟子が師を越えた瞬間だった。


   「・・・マヤさん・・・」
   マヤの舞台を観ていた亜弓は言葉が出てこなかった。
   何て激しい想いなの・・・。
   何て切ない阿古夜なの・・・。
   涙が止まらなかった。
   舞台を越えたマヤの紅天女に亜弓は心の底から拍手を贈った。


   再び幕が開き、出演者が舞台に現れる。
   皆、自分の演技に満ち足りた表情を浮べていた。

   ・・・速水さん、私の想い、届きましたか?

   視線を真澄の席に移すと、もうそこには彼の姿はなかった。
   速水は人知れず、会場を出ていた。





                                         

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