紅 天 女 -9-



   
   「・・・会うのが怖いですか?」
   後部座席で震えているマヤに運転中の聖が話し掛ける。
   「・・・えっ」
   聖の言葉にパッと顔を上げる。
   「・・・ううん。そうじゃないの・・・。あの人の会えると思うと、胸がドキドキして・・・落ち着かないの」
   頬を赤くしてマヤが言う。
   聖は真澄との会話を思い出し、顔色を曇らせた。


   「聖、マヤを向かえに行って欲しい」
   その言葉に嬉しそうに彼を見る。
   「・・・やっと、お会いする気になったんですね」
   「・・・あぁ」
   マヤと会うはずなのに、真澄の顔色は悪かった。
   「・・・そして、さよならだ。きっと、もうあの子とこんな形で会う事はないだろう」
   辛そうに表情を歪める。
   「・・・真澄様・・・一体、何をなさるつもりですか?」
   「・・・紫の薔薇の人である事をやめる。あの子の心にある俺への恋心を摘み取る・・・ただ、それだけだ」
   無表情に口にする。
   まるで、感情などどこかに置いてきてしまったように・・・。
   「・・・真澄様・・・どうして・・・そんな・・・」
   「・・・知っているだろ。俺には婚約者がいる。大都の速水真澄は恋なんてしてはならない事を・・・。
   彼女を想うなら、俺なんて忘れさせてやる事だ」



   「つきました」
   聖は真澄の別荘の前に車を止めた。
   「・・・ここにあの人が・・・」
   マヤの胸ははちきれそうな程、鼓動を打っていた。


   ・・・マヤ・・・。来たのか・・・。
   窓の外から彼女の様子を見つめる。
   頬を赤くさせ、幸せそうな表情を浮べていた。


   「さぁ、こちらへどうぞ」
   聖はマヤを別荘の中に案内した。
   「・・・わぁ−、素敵」
   目を輝かせ、別荘を見つめる。
   「こちらでお待ちください」
   マヤをリビングのソファ−に座らせると、聖はどこかへと行った。

   ・・・速水さん・・・に会える・・・。

   何だか、嬉しくて涙が出そうだった。
   彼が自分の招待した席に座ってくれた事も嬉しかったが、今はそれ以上だった。 
   紫の薔薇の人として向き合ってもらえる。
   ずっと、待っていた事だ。

   俺に自分が偽れるだろうか・・・。

   聖から報告を聞くと、真澄の胸は高鳴った。
   いよいよ、マヤと対面する時・・・。
   それも、紫の薔薇の人として・・・。
   自分を失ってしまいそうだった。
   マヤの顔を見た瞬間、もしかしたら、抱きしめているかも・・・。
   そんな思いが胸に溢れる。

   「・・・しっかりするんだ・・・真澄・・・」
   自分に言い聞かせ、心に仮面を被る。
   大都芸能の速水真澄としての・・・。




   「・・・よく来てくれた・・・」
   聞き覚えのある声がリビングに響く。
   マヤの後ろのドアが開き、真澄が入ってきたのだ。
   マヤは緊張のあまり、振り向けなかった。
   そして、真澄も自分を抑える為、それ以上は部屋に進まず、彼女の背中を見つめたままだった。
   「・・・君の紅天女・・・見せて貰ったよ・・・とても、素晴らしかった・・・」
   言葉を選ぶように口にする。
   その言葉にマヤは嬉しそうに微笑んだ。
   「・・・あの、私・・・」
   何とか言葉を出そうとするが、喉がカラカラで出てこない。
   真澄は彼女が緊張しているのがわかった。
   顔は見ていないが、背中を見ればわかる。
   クスリと笑みを溢し、彼女の言葉を待った。
   「・・・あなたを想って、演じました・・・」
   マヤの言葉にドキッとする。
   「・・・もう、気持ちを抑えられなくて・・・あなたの事が好きです・・・」
   マヤは思い切って、ソファ−から立ち上がり、後ろを振り向いた。
   「・・・好きです・・・」

   初めて、二人は顔を合わせる。

   ・・・マヤ・・・。
   体中が熱くなる。
   自分に向けられたあまりにも素直な言葉が理性を溶かし始める。
   だが、ここで、自分を出す訳にはいかない。

   「・・・ハハハハハハハ」
   いつもの高笑いを上げる。
   マヤは驚いたように真澄を見た。
   「・・・光栄だよ。ちびちゃん。君にそんなに想ってもらえるなんてね」
   そこにいるのは人を寄せ付けないような表情を浮べる速水だった。
   「・・・速水さん・・・」
   真澄の態度にどうしたらいいのかわからなくなった。
   「どうした?俺が君の気持ちに応えるとでも思ったのか?」
   わざと冷たい言葉を口にする。
   真澄の言葉に鋭利な刃物で刺されたうな気持ちになる。

   そうよ・・・。気持ちを伝えてどうするつもりだったの?
   速水さんが応えてくれると思ってたの?

   「・・・いえ、その・・・伝えたかったんです・・・あなたに・・・」
   そう、私はただ、伝えたいだけ・・・。
   他には何も望まない・・・。

   マヤ・・・。

   一途な瞳に仮面が外れそうになる。
   目の前の彼女が誰よりも愛しく感じる。

  「・・・あなたに気持ちを伝えられて・・・少し、スッキリしました。これで、忘れられます」
  涙を流し、真澄を見つめる。

  私の恋はここで終わり・・・。
  これで、忘れよう・・・。
  決して、結ばれる事はないのだから・・・。

  「・・・今まで、ありがとうございました。私、あなたからの紫の薔薇があったから、ここまで何とかなったんです。
  あなたには言葉では表せない程、感謝しています」
  涙を拭い、しっかりとした表情で、真澄を見つめる。
  その姿が酷く痛々しく見えた。

  彼女は諦めるつもりでここに来たのだ・・・。

  その想いを汲み取ると、真澄の胸は切なさでいっぱいになった。

  「・・・ご婚約おめでとうございます。あなたの幸せを祈ってます。さよなら」
  最後に一度だけ真澄に視線を合わせると、マヤは彼の横を通り抜けて、別荘を出た。


  「・・・追いかけないんですか・・・」
  佇む真澄に聖の声がする。
  「・・・いいんだ。これで・・・。彼女は俺よりもどうするべきか知っていたよ」
  苦笑を浮べる。
  「・・・本当にいいんですか?偽りの心のままで・・・」
  「・・・俺にどうしろというんだ!!」
  壁に拳を振り下ろし、感情を露にする。
  こんな真澄、聖は今まで見た事がなかった。
  「・・・マヤ様はあなたに全てを曝け出した・・・。あなたも一度ぐらい本心を見せるべきです」
  「・・・駄目だ!あの子の恋心に乗じて・・・俺は、きっと、酷い事をしてしまう。
  だったら、ここで何もかも忘れた方がいいんだ・・・」
  苦しそうに瞳を伏せる。

  真澄様・・・。

  どんなに真澄が気持ちを抑えているかその表情を見れば伝わってくる。
  「・・・マヤを頼む・・・」
  最後にいつもの冷静な声で聖に言うと、真澄はフラリと別荘を出た。



  気づけば、マヤは別荘を飛び出し、浜辺を歩いていた。
  夜の海は不気味で全てを飲み込んでしまいそうだった。

  このまま海の中に入れば、消える事ができるのかな・・・。

  呆然とそんな事を思う。
  自然と足は海の方へと向いていた。
  もう、真澄に思いを告げられたのだから・・・。
  紅天女を演じる事ができたのだから・・・。

  未練はないと思った。

  冷たい海水がマヤの足の周りに触れる。
  少しずつ、水位をあげていく。
  叶わない恋を忘れられるなら、何でもできると思った。


  聖はマヤを探していた。
  彼女の足ではそう遠くには行ってないはず・・・。
  しかし、空はもう日が落ち、真っ暗だった。

  マヤ様・・・一体、どこに・・・。



  真澄はぼんやりと、海沿いを歩いていた。
  冷たい潮風が頬にあたる。
  まるで、自分を責めているように・・・。
  感傷的になっている自分があまりにも似合わなくて、自嘲的な笑みを浮べる。

  「・・これでいいんだ・・これで・・・」
  自分に言い聞かせるように幾度もその言葉を口にした。
  そして、ふと浜辺に残る小さな足跡を目にする。
  その足跡は海の方へと向いている。
  足跡を追うように視線を海の中へと向けると、小さな影が海の中にいた。
  真澄の胸の中で嫌な予感がした。
  その影はゆっくりと、ゆっくりと、海の奥へと進む。
  冬の海に入るなんて自殺行為もいいところだ。
  ハッとし、真澄はその影に向かって走った。
  近づくにつれて、影がはっきりする。

  「・・・マヤ!!!」
  紛れもなく、今、海の中に入っているのは彼女だった。
  真澄の声を聞くと、一瞬、足を止め、彼の方を見る。
  そして、次の瞬間、逃げ出すように走り出す。
  海の深い、深い底へと・・・。
  真澄は彼女を捕まえるべく、無我夢中で海の中を走った。
  冷たさも何もかも感じない・・・。
  ただ、ただ、目の前の彼女を早く連れ戻さなければという思いに駆られて。
  真っ黒な海の中を走る。
  その視線はもう彼女しか見えていない。

  「・・・待ちなさい!!」
  そう言われ、強く、腕を掴まれる。
  マヤは驚いたように彼を見つめた。
  海水はもう、マヤの胸の当たりまで来ていた。
  「・・・離して!」
  表情を歪め、彼を見る。
  「・・・君は死ぬ気なのか!」
  掴んだマヤの腕は氷のように冷たかった。
  「速水さんには関係ないでしょ・・・私がどうなったて!」
  自分が子供っぽい事を口にしていると、わかるが、それ以上の言葉は出てこなかった。
  マヤの言葉が心に突き刺さる。
  「・・・このバカ娘・・・」
  ギュッと抱き寄せ、掠れる声で口にする。
  「君に何かあったら・・・俺は・・・生きてはいけない・・・」
  大都芸能の速水真澄の仮面を捨て、素直な気持ちを呟く。
  真澄の言葉が信じられなくて、マヤは涙を浮べていた。
  「・・・嘘・・・そんな・・・」
  「・・・嘘なものか・・・俺は君を・・・」
  腕の中の彼女を真っ直ぐに見つめる。
  そこから先の言葉は出て来なかった。
  「・・・戻ろう・・・このままでは風邪を引く・・・」
  長い沈黙の後、そう言い、真澄はマヤを連れて、別荘に戻った。



  「・・・真澄様!」
  別荘に戻ると、ぐっしょりとズブ濡れになった二人を見て、聖が驚いたように声をあげる。
  「彼女の着替えを用意してやってくれ・・・」
  それだけ言うと、真澄はマヤを聖に任せて自分の部屋に行った。
  残されたマヤは不安そうにいつまでも泣いていた。
  聖は何があったのかは聞かず、彼女をバスル−ムに案内した。
  「・・・着替えはこちらに置いておきます。濡れた服はこの中に入れておいて下さい」
  そう言い、乾燥機を開ける。
  「・・・ありがとうございます。いろいろと」
  やっと、正気に戻ったように聖に言葉をかける。
  「・・・いいえ」



  「・・・マヤは?」
  真澄の部屋に行くと、シャワ−を浴びたばかりのバスロ−ブ姿の彼がいた。
  「下のバスル−ムで只今、シャワ−を浴びています」
  「・・・そうか」
  髪を拭きながら、答える。
  「・・・どうなさるおつもりですか?」
  聖の言葉に真澄は苦笑を浮べた。
  「・・・さあな。俺にもわからん・・・」
  真澄は困惑していた。
  これから、どうマヤに接するべきか・・・。
  海の中で彼女を見つけた時は心臓が止まりそうだった。
  彼に向けられた苦しそうな表情にどうかしてしまいそうだった。
  もう、これ以上、自分の心に嘘はつけないと悟った瞬間だった。
  
  しかし、それは許されない事・・・。
  
  「・・・聖、彼女の服が乾いたら、すぐに送っていってくれ・・・俺の手の届かない所に、彼女を連れて行ってくれ・・・」
  それは真澄の最後の理性の言葉だった。
  真澄には彼女の顔をまともに見る自信がなかった。
  「・・・真澄様・・・」
  「・・・頼む・・・聖・・・」
  情けない声を出す。
  これがあの大都芸能の速水真澄かとは思えない程だった。
  そこにいるのはどうする事のできない恋に悩むただの男だった。











                                         

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