Heartwarming
AUTHOR まゆ
「社長は会議が長引いてしまっていて。マヤちゃん、少し待っていてもらえるかしら?」 社長秘書の水城がマヤの前にミルクティーを置いた。マヤは速水に「次の舞台のことで打ち合わせをしたいから」と呼ばれて 大都芸能を訪ねてきたのだが、相変わらず鬼社長は仕事に追われているらしい。 「あ、別に気にしないで下さい。私、今日はこのあと特に予定もないですから」 会議が終わらないのは水城のせいではないのに申し訳なさそうな顔を見せる彼女に、マヤの方が恐縮してしまう。 「そう?ごめんなさいね。何かあったら秘書室に声をかけてちょうだい」 「はい」 大都芸能の社長室。この部屋に丁重に案内され、社長秘書自らがお茶を淹れてくれるようになるなんて、とマヤは苦笑した。 『紅天女』を受け継いだ今、彼女は大都芸能所属の俳優たちの中でも一目置かれた存在だし、まして社長の速水の恋人なのだ。
そのくらいの待遇など当然のことなのだが、マヤはまだそういう扱いに慣れてはいない。それにこの部屋は、制止を振り切って 乗り込んで、部屋の主に向かって思いつく限りの悪口雑言を並べ立てる場所だった。泣いたりわめいたり、今思えば赤面の至りだ。 だが、速水はその都度マヤの相手をしてくれたものだった。 (速水さん、本当にお仕事が忙しかったでしょうに・・・) あの頃だって、速水さんはちゃんと私の話を聞いてくれていたんだ、とマヤは今さらながらに気付かされる。この部屋でだけではない。 どこで出くわした時もあの人の言動はすべて、私のためのものだった、と・・・。
マヤは目の前のティーカップを手に取り、口元に運んだ。ぬくもりが喉から胃へとゆっくり伝わっていくのがわかる。 水城が淹れてくれるミルクティーはマヤのお気に入りだ。おざなりにパウダーを使ったりせず、きちんと牛乳を温めて、ロイヤルミルク ティーにしてくれる。甘いものが大好きなマヤも、これだけは砂糖抜きで紅茶の香りとミルクのこくを楽しむことにしている。 (水城さんに教えてもらった通りにやるんだけど、どうして私だとこの味がでないんだろうなあ?) 相変わらず芝居以外のこととなると不器用なままの自分にため息が出る。いっしょに習った速水好みのコーヒーの淹れ方もまだまだ 及第点には程遠い。 とはいえ、今はお茶の淹れ方より芝居のことで手一杯だ。ま、長い目で見ていただくとしましょう、とマヤはカップの中身を飲み干した。 お茶を飲んでしまうと手持ち無沙汰なマヤはソファから腰を上げ、応接セットの奥に置かれた速水の執務机の前に立った。大きく重厚な 机に革張りの椅子。机の上は電話と未決書類の山。袖机に置かれたパソコンの画面のスクリーンセーバーが幾何学模様を映し出している。 クリスタルの灰皿とライターのセットが置いてあるのも速水らしい。 (・・・速水さんの椅子だぁ)
速水に抱きしめられるようなそんな気分を味わえるかもしれない。マヤは誘われるように机の向こうへと歩み寄り、椅子の背を引いた。 座ろうとしたところで、見覚えのあるものが椅子の上にあることに気付いた。 (これは・・・私が・・・・・・) 紫のバラのひとへ、とマヤが聖に託したひざ掛け。「ふたりの王女」の出演料をもらうと彼女は紫のバラのひとのためにこのひざ掛けを 選んだのだ。その匿名の篤志家が誰なのか、まったく知らなかった頃に。 「多分、お年を召した方なんです。趣味のよい方で、お金持ちの、とてもおやさしい方なんです・・・」 デパートの店員に一生懸命相談して選んだ品は、色目も柄も地味で控えめだが、なかなか上品な雰囲気で、軽くて暖かなものだった。 マヤは椅子の上のものを思わず手に取ってみた。紫のバラのひとが実は速水だったと知っている今見ると、このひざ掛けは彼が使うには あまりに地味だ。それでも、少し色あせ、手触りもやや毛羽立ちを感じるところからすれば、速水がこのひざ掛けをずっと使ってくれて いたことがよくわかる。 (あれ、煙草の焼け焦げが・・・もう、速水さんったら。でも、本当に、本当に気に入ってくれたんだ・・・) これを贈った後、聖を通じて「とても気に入りました」と返事をもらってはいたが、使い込まれたひざ掛けを目の当たりにして、マヤは 不意に涙がこみあげてきた。 (速水さん・・・私の・・・紫のバラのひと・・・) マヤはひざ掛けを広げてショールのように羽織ってみた。煙草とコロンの混じった匂いがマヤを背中から包み込む。マヤがよく知る 速水の匂い。頬を伝うものはますます流れの勢いを増していく。 「やあ、待たせて悪かったね」 その時、ドアが開いて待ち焦がれた長身がマヤの視界に飛び込んできた。 「・・・何してるんだ?」 マヤは慌てて手の甲で目の周りを拭ったが、ごまかせるはずもない。 「何で泣いてる?そんなに待たせたか?」 大股で机に歩み寄って来た速水は、少し腰をかがめてマヤの顔を覗き込み、彼女の肩を覆うものに視線を転じた。 「ああ、それか。ずっと隠れて使ってたんだ。残業で誰もいない時とかな。でも、もう堂々と使えるから、こうしてこの部屋に置いて いるんだよ」 照れ隠しなのか、速水はやや早口でそう言うと、ふわっとマヤの肩からひざ掛けを剥いだ。 「ダメだよ。これは俺が女優の北島マヤさんからもらった大切なものだからね。悪いが貸してやれない」 素性の割れた後援者はいたずらっ子のような顔を見せ、慣れた手つきでひざ掛けをたたみ、椅子へ戻した。 「それに、君を包むのは、このひざ掛けじゃなくて・・・」 マヤの背中がまた暖かくなった。煙草とコロンの混じった香りは同じだけれど、さっきよりずっと強い。仕立てのよいスーツを まとったたくましい腕がマヤの胸の前で交差される。 「速水さん!」 マヤは肩越しに振り返った。速水が目を細めてマヤの黒髪に口づけている。 「君を温めるのは俺だけの特権だからな」 耳元に注がれた涼しげな声にマヤの頬が上気する。 (じゃあ、速水さんに温めてもらえるのは・・・私だけの特権、なのかな?) 打ち合わせのためにここに来たことをしばし忘れて、マヤはいつまでも極上のぬくもりに身を預けていた。 |
【Catの一言】
まゆさん素敵な短編ありがとうございます♪♪心の中がほんわかと温かくなりました♪♪
ひざ掛けの使い方がとってもいいです♪♪