想い −前編−



「月影先生が亡くなった・・・」
それは紅天女の試演から3日後の事だった。
北島マヤと姫川亜弓のどちらが後継者になるかを審議している渦中の事だった。
突然の知らせに誰もが戸惑いを隠せなかった。
マヤと亜弓は直ちに月影千草が眠る梅の里へと向かった。
そして変わり果てた千草と対面したマヤは誰よりも悲痛な感情を露にした。

「・・・先生・・・いや・・・いや!」
肉親のいないマヤにとっては親代わりであり、また演劇の師である千草の死は
誰よりも深刻なものだった。
マヤは千草から一歩たりとも離れようとはせず、その亡骸にしがみついて泣いていた。
その姿の痛々しさに弔問客は皆、涙を浮かべる。
「・・・マヤさん、しっかりして、先生は亡くなったのよ」
いつまでも千草から離れないマヤに亜弓が言う。
「・・・私から先生を奪わないで!!!」
千草から引き離そうとする亜弓をはねつける。
もう、マヤの視界には月影千草以外は見えていないようだった。
マヤがずっと千草にすがっているので、棺の中に入れる事も、埋葬する事もできずという状態が続く。

「これは一体・・・」
月影の死を聞いてから2日後、婚約者の鷹宮紫織を連れて、ようやく真澄が現れる。
真澄が目にしたのは千草に寄り添うマヤの姿だった。

「マヤさんは昨日からああして、食事も取らず、先生の側を離れないんです」
源造の言葉に真澄の胸が痛む。
「誰が何を話し掛けても、耳に入らないようなんです」
涙ながらに源造は言葉を続けた。
真澄はそれを聞いて、マヤの前に進み出る。

「ちびちゃん、離れるんだ」
真澄の言葉にマヤは何の反応もしめさず、千草にしがみついたままだった。
「ちびちゃん・・・マヤ」
彼女の肩を掴み、自分の方を向かせる。
その瞳は空ろで月影以外は何も見えていない。
マヤのそんな表情に彼女の母親が亡くなった時の事を真澄は思い出した。
歯を喰いしばるように唇を噛み、マヤを見つめる。
「マヤ!!しっかりしなさい!!君は紅天女なんだぞ!!!月影先生の後継者なんだぞ!!!」
彼女の両肩を掴み、揺する。
「・・・紅・・・天女・・・」
その言葉にようやく彼女の瞳に光が戻る。
「そうだ。さっき、演劇協会から発表があった。紅天女は君に決まった」
真澄の言葉に周辺にいた関係者たちがざわつく。
亜弓はその知らせにたまらず、その場を立った。
「君が今しっかりしなければ誰が紅天女を守っていくんだ!」
真澄の真剣な言葉にマヤの意識は段々現実に戻り始める。
「・・・紅天女・・・私の長年の夢・・・そして、先生の・・・」
そこまで呟くと、ポロポロと涙が流れてくる。
「・・先生!!!」
声あげてマヤが泣き出す。
真澄はそんな彼女の涙を受け取るように強く抱きしめていた。

「・・・真澄様・・・」
紫織は抱き合っている二人を見つめ嫉妬を感じていた。


「毛布を持ってきました」
いつしか真澄の腕の中で泣きつかれたマヤは眠りについていた。
「ありがとう」
マヤを腕から解放すると、源造の持ってきた毛布を彼女にかけてやる。
「壊れてしまうかと思いましたよ」
マヤを見つめながら、源造が呟く。
「・・・乗り越えてくれるといいんだがな・・・」
マヤの頬に軽く触れながら言う。


「マヤさん、落ち着きましたの?」
真澄がマヤの眠る部屋から出ると、待ち構えていたように紫織が彼の前に現れる。
「えぇ。今は眠っています」
「それはよかったですわ」
「目覚めた時が・・・また心配ですが・・・」
「・・・そうです・・・わね」
マヤを思う真澄の言葉に胸が苦しくなる。
「・・・私はいろいろと用があるので、今日はこちらのお寺に泊まります。紫織さんはホテルに戻っていてくて下さい。今、水城君に送らせますから」
用件を告げると、真澄は紫織の前から立ち去ろうとした。
「・・・真澄様、私はあなたの婚約者ですわよ」
何かに釘を指すように真澄の背中に言い放つ。
「・・・えぇ。もちろん。承知しています」
感情を表さない声で真澄はそう言い、その場を後にした。


翌日、月影千草の告別式が行われた。
マヤは昨日までとは違い、毅然とした態度で葬儀に出席をしていた。
参列者が涙する中、マヤだけは涙を流さず、じっと千草の遺影を見つめていた。

「・・・マヤさん、遅れましたけど、おめでとう」
葬儀が終わると、亜弓がマヤに言う。
「えっ」
「紅天女よ。あなたが紅天女で先生は喜ばれたと思うわ」
亜弓の中で悔しさはなかった。
彼女の舞台を見た時から、こうなる事は見えていた。
だから、覚悟はできていた。
でも、それでも、もしかしたら・・・という僅かな可能性にしがみつき、祈るように日々を過ごしていた。
マヤにおめでとうを言えるまで知らせを聞いてから一日が経つ。
彼女の胸の中にあるのは悔しさよりも、淋しさだった。
ずっと、目標にしていたものを失う寂しさが心の中を占めていた。
「・・・どうして、私が選ばれたか不思議。亜弓さんの舞台を見てしまった時、正直言って、私、足が震えたの」
不安そうにマヤが口にする。
「あなたの実力よ。あなたの紅天女は誰よりも素晴らしいものだったわ」
「・・・亜弓さん・・・」
「もっと、自分の演技に自信を持ちなさい。あなたは紅天女なのだから」
亜弓は厳しくマヤに言った。
「いい事、自分を卑下しては駄目よ」
そう言い残し、マヤの前を後にする。



「・・・マヤは?」
葬儀も終わり、寺を出ようとした時、彼女の姿がない事に気づく。
「・・・マヤさんなら、谷に行きました」
源造が真澄に言う。
昨日まで千草にしがみついていた彼女が真澄には気になった。
何だか、嫌な予感がする。
「・・・水城君、紫織さんを頼む」
そう言い残し、真澄は梅の谷へと向かった。


しばらくぶりに訪れた梅の谷は何一つ、変わらず、見事に梅が咲きほこっていた。
マヤの胸にズシリと千草の死。そして、紅天女がのしかかる。
長年追い求めていたものを手にしたのに喜びよりも、その重圧の方が強かった。

「・・・先生・・・私に演じられるのでしょうか?」
梅の木を見つめながら、呟く。
今までただひたすら紅天女を演じてみたいという思いだけで彼女は演じてきた。
しかし、いざ手にしてみて、なぜ自分が?という思いが強くなっていた。
あの姫川亜弓よりも、自分が選ばれた事が信じられなかった。
「・・・私の演技はまだまだ亜弓さんには及ばないのに・・・」
マヤは不安でしかたなかった。
これから先、紅天女を演じていき、もしその評判や名声を自分が落としてしまったら・・・。
演劇会の幻の名作と言われているものが、自分が演じる上で大した事のないつまらないものになってしまったら・・・。
そんな恐ろしい考えが次々と浮かび上がってくる。
しかも、もうそんな不安を話せる月影はこの世にはいない。
世界中で自分だけが取り残されていってしまったような孤独がマヤを包み込む。

「もう、日が暮れるぞ」
突然かけられた声にハッとし、振り向く。
「・・・速水さん・・・」
真澄の姿に胸が苦しくなる。
どんなに好きでも、愛していても手に入らない事が彼女の胸をしめつけた。
「何しにここへ?」
苦しい感情を隠すために、つい、きつい言い方になる。
「君を探しに来た」
その言葉にマヤの胸が高鳴る。
「・・・今日は泣かなかったな」
マヤに一歩近づき、見つめる。
「・・・涙が出なかったんです。悲しすぎて・・・」
そう言ったマヤの不安そうな表情に真澄はつい、抱きしめたくなる。
「・・・私、怖いんです。先生がいなくなって・・・私が紅天女になって・・・。怖くて仕方がないんです」
心の中の悲鳴を搾り出すように口にする。
「・・・怖くて・・・怖くて・・・どうしたらいいのか・・・」
薄っすらと涙を浮かべ、すがりつくように真澄を見つめる。
その瞳に真澄の心の中に切なさが溢れる。
思わず伸ばしそうになった手を引っ込め、彼女に背を向ける。
「君はそんなに弱い人間だったのか!」
真澄の口から出た言葉はマヤが求めていた慰めの言葉ではなかった。
「君は先生の死に甘えているたけだ!!君の先生が今の君を見たら間違いなく引っ叩くだろう」
くるりと振り向き、厳しい視線をマヤに向ける。
「今の君は俺の知っている北島マヤではない!!俺の知っている彼女はどんな逆境にも耐え、乗り越えていった」
その言葉にマヤの中の何かが奮い立つ。
「先生の事を思うなら、紅天女を守れ。そして、公演を成功させるんだ。君ならそれはできるはずだ」
こんな時に俺は君を抱きしめる事も、慰めの言葉をかける事もできない・・・。
もし、全てが許されるなら、俺は・・・。
マヤを苦しそうに見つめる。

「・・・速水・・さん・・・」
そんな真澄の視線を真っ直ぐに受け止め、見つめ合う。
二人にとって、忘れられない想いが蘇る。
ピタリと抱き合い、一夜を過ごしたのはこの谷だった。
あれから、そんなに時間は経っていないのに、酷く昔の事のように思える。

これ以上好きになってはいけない・・・。
決して結ばれる事はないのだから・・・。

そんな想いが二人の心のにブレ−キをかける。

「・・・戻ろう」
マヤから視線を逸らし、そう言うと、真澄は自らの想いを振り切るように歩き出した。



「真澄様、心配していましたのよ」
マヤと一緒に寺に戻った真澄に紫織が言う。
「紫織さん、先に戻って頂いてよかったのに・・・」
「私はあなたの婚約者ですから。待っているのは当然ですわ」
マヤの前でここぞとばかりに”婚約者”という言葉を響かせる。
マヤは真澄と紫織を見ているのが辛かった。
「・・・紫織さん、速水さんを借りてしまってごめんなさい」
淋しそうな笑顔を浮かべ、紫織を見つめる。
そんなマヤの大人びた表情に呼吸が止まりそうだった。
「いいえ。いいんですよ。マヤさん。真澄様はお優しい方ですから」
真澄の事を何もかも知りつくしたような調子で言う。
「・・・えぇ。本当に、速水さんは優しい人です」
真澄をじっと見つめ、呟く。
そんなマヤの視線に心が揺れる。
「ハハハハハ。君からそんな言葉が出るとはね。俺は冷血漢じゃなかったのか」
心の動揺を隠すように笑い飛ばす。
「・・・いえ、速水さんは・・・冷血漢なんかじゃありません・・・いつも、いつも私を支えてくれて・・」
思いの篭もったマヤの瞳に真澄は言葉を忘れじっと、彼女を見つめる。
そして、二人の視線が自然に重なり合う。
「・・・真澄様、はやく行きましょう!」
ただならぬ二人の空気を読み取り、紫織が声を荒げる。
「えっ・・・あっ、はい」
我に返ったように気のない返事をし、紫織を見る。
視線で水城に紫織を連れていくように促し、またマヤを見つめる。
「じゃあな。ちびちゃん、また東京で」
そう言い、真澄はゆっくりと歩き出した。
「あの、待って下さい・・・」
思わず、真澄に駆け寄り、その手を掴む。
その瞬間、雷にでも打たれたような衝撃が二人の体に駆け巡る。
驚き、互いを見つめる。
水城に連れられて、寺の玄関に向かった紫織はそこにはいなかった。
いるのは真澄とマヤの二人だけ・・・。
「・・・マ・・ヤ・・・」
彼女に掴まれた手を強く握り返す。
真澄の行為にマヤの頬がカァ−と赤くなる。
「・・・あの・・・お葬式の時は・・・ありがとうございました」
真澄の顔を見れず、俯いたまま言葉を口にする。
「速水さんがいなかったら私・・・どうなっていたか・・・」
そう言い、真澄を見つめた瞬間、抱きしめられる。
一瞬、何が起きたのかわからず、マヤは大きく瞳を見開いた。
煙草とコロンの混ざった香がする。
そして、目の前には真澄の広い胸が・・・。
「・・・速水・・さん?」
やっと、口を開き真澄の名を口にする。
「・・・もう少しこのままで・・・。今日もずっと君を抱きしめていたかった。壊れそうな、危うい君を見て、俺はどんなに君に手を伸ばしたかったか・・・」
苦しそうに言い、マヤをさらに強く抱きしめる。
二人はそれ以上は何も言わず、静かに互いの鼓動が重なり合うのを聞いていた。



「お待たせしました」
紫織たちよりも5分程遅れて、真澄が車に乗り込む。
「遅かったですわね」
苛立ったように紫織が口にする。
「・・・今後の事について、少し話していたものですから」
「今後?紅天女の事ですか?」
「えぇ」
「相変わらずご熱心ですわね。私たちの結婚にもそれぐらい熱心になって頂きたいわ」
皮肉を込めて紫織が口にする。
「・・・紅天女の公演を見届けるまでですよ」
「・・・そうだと宜しいんですけど」



「・・・速水・・さん・・・」
真澄が帰った後、魂が抜けたように、マヤはぼんやりとしていた。
きつく抱きしめられた感触が今でも体に残る。
「マヤ、どうした?」
麗が心配そうに声をかける。
「・・・恋しいなぁと思って」
マヤから出た以外な言葉に麗は驚いたように彼女を見た。
「恋しいって・・・先生が?」
「・・・先生も・・・そうだけど・・・。違う人」
「紫の薔薇の人か?」
「・・・うん。どんなに好きになっても、愛しても届かないってわかっているのに、気持ちが止まらないの・・・。そして、もっと、好きになっていく・・・」
切なそうに瞳を細める。
「・・・マヤ」
いつのまにか大人になったマヤを麗は優しく見つめた。
「そこまで誰かを好きになれるあんたが羨ましいよ」
そう言い、優しくマヤの肩を抱いた。



「やっと、戻ってきたか」
演劇協会に行くと、ぶっきらぼうにマヤに誰かが声をかける。
「先生!」
嬉しそうに、黒沼を見つめる。
「おめでとう。マヤちゃん」
黒沼の後ろから桜小路が現れる。
「・・・桜小路・・・くん」
「また、宜しく。阿古夜」
そう言い、マヤに手を差し出す。
「えぇ。宜しく。一真」
力強く、握手を交わし合う。
「さて、本公演の打ち合わせに行こうぜ」
黒沼がそう言い、二人を促すように歩き出した。



「俺に話しとは何だね?」
社長室に通されると、真澄が待ち構えていたようにマヤを見た。
真澄の姿に抱きしめられた事を思い出す。
「・・・あなたに、紅天女を預けようと思って来ました」
余計な感情を切り捨て、冷静に口にする。
その言葉に真澄の表情が強張る。
「・・・ちびちゃん、どういうつもりだ?」

「あなたに上演権の管理をお願いしたいんです。受けて頂けませんか?」
思いがけないマヤの言葉に戸惑いを感じる。


「・・・なぜ、俺に?」
「あなたなら、きちんと守ってくれると思ったからです。それに・・・」
どんな形でもいいから繋がっていたいから・・・。
そう言いそうになった言葉を飲み込み、違う言葉を口にする。
「あなたなら紅天女を悪いようにはしないと思うから・・・」
「・・・いいのか?あんなに嫌っていた大都に任せて・・・」
「私は大都にではなく、速水さん、あなた個人にお願いしているんです」
真剣な眼差しで彼を見つめる。
「・・・マヤ・・・。わかった。少し考えさせてくれないか?」
「宜しくお願いします」
そう言い、マヤはソファ−から立ち上がった。
「・・・失礼します」
真澄に一礼をし、立ち去る。
そんな姿に、真澄は彼女がすっかりと大人になったのだと胸をざわつかせた。
この間、葬儀で見た彼女と同一人物だとは信じられない程だった。
紅天女を手に入れた彼女が急に大人として成長したように思える。

「・・・俺に管理を頼むとはな・・・」
戸惑いを隠すように、煙草を一つ口にする。
もし、上演権の管理を引き受ければ、一生彼女と繋がりを持つ事ができる。
例え、紫織と結婚しても、それは誰にも切る事のできぬ繋がり。
マヤの申し出に真澄の心は揺れていた。



「北島、芝居に集中しろ!」
稽古中にぼんやりとしているマヤに黒沼が怒声を飛ばす。
「あっ、すみません」
ハッとし、他の役者が演技するのを見つめる。


「マヤちゃん、どうしたの?」
休憩に入り、桜小路が聞く。
「・・・うん、別に」
笑顔を作って見せる。
「・・・僕には隠さないで欲しいな」
マヤの顎を掴み自分の方を向かせる。
「・・・隠してなんか・・・いないわ」
視線を逸らす。
「・・・紫の薔薇の人の事?」
「えっ」
桜小路から出た言葉に表情を強張らせる。
「・・・僕じゃ駄目かな・・・。僕じゃ君の支えになれないかな」
じっと、マヤを見つめ、口にする。
「・・・好きだよ。マヤちゃん」
そう言い、困惑している彼女の唇を奪う。

「・・・いつでも君を見てる」
唇を離し、そう告げるとマヤの側から離れる。
突然の出来事に、マヤはただ、ただ、呆然としていた。



「真澄様、そろそろ私たちの結婚を真剣に考えて下さい」
苛立ったように紫織が口にする。
「・・・考えていますよ。いつだって」
心にない言葉を口にし、ワインを飲み込む。
「じゃあ、式の日取りはいつにするつもりですか!」
デザ−トに伸ばしていた手を止め、真澄を見る。
「・・・それは・・・」
紫織から、視線を逸らし、考えるように宙を見る。
「紅天女の公演が終わったら、なんて許しませんわよ!」
いつにない気迫で真澄に詰め寄る。
「・・・わかりました。では、公演の日程、それから興行元が決まったら、あなたの好きなようにしましょう」
真澄は全てを覚悟したような面持ちで答えた。



「上演権はどうなっている?」
月影千草の死を聞いてから、すっかり、気力を無くした英介が口にする。
「・・・今、交渉中です。彼女は大都でやってもいいと言ってくれました」
「・・・そうか」
淋しそうに呟く。
「わしはな、どうしても大都で紅天女が見たい。それだけが、唯一、月影千草への
償いとなる気がする」
「償い?」
珍しく、気弱な英介を見つめる。
「・・・あぁ。今や紅天女と言えば、演劇界の宝だ。そして、そこから生まれる利益もまた、破格なものになるだろう」
「なるほど、大都が全面的にバックアップできれば、余計な虫ケラどもを寄せ付ける事ができない・・・という訳ですか」
「そうだ。あれほどのものを守るには大きな盾が必要になる。まして、北島マヤはそういう事に疎い。
大都が離れれば、一気にあの子は食い物にされてしまうだろう。わしはそんな所を見たくはないのだ」
「お義父さん、どうして、僕にそんな事を話すんですか?」
「おまえなら、紅天女を守ってくれると思ったからだ」



紅天女・・・。
演劇界の幻の名作・・・。
そんな舞台を私に演じる事はできるのだろうか・・・。
「はぁ・・」
マヤの口からため息が漏れる。
演じる毎に紅天女への不安が募っていく。
今まではただ、それを演じる為に無我夢中で走ってきたが、いざ、手にしてしまうと、
やはりそうはいかなかった。
今まで考えなかった余計な事まで考えなければならい。
マヤの手に紅天女が渡ってから、毎日のように芸能関係者、興行に名乗りを上げる多数の企業などが彼女の元に訪れていた。
そして、思い知ったのだ。
紅天女が他の演劇とは全くの別格である事を・・・。
そんな演劇を自分が演じ、そして、守っていかなければならない・・・。
役者として、管理者としての重圧に全てを投げ出したくなってしまう。
まだ、公演する劇場も、日程も決まってはいなかった。

「浮かない顔だな」
稽古が終わり一人、稽古場にいると、声がした。
聞きなれたその声に胸が高鳴る。
「・・・まだ劇場も、興行主も決まってないんだってな」
「・・・速水さん・・・」
振り向き、彼を見つめる。
「・・・私には重すぎます」
「そうだな。君は役者だからな・・・」
煙草を一つ取り出しながら言う。
「どうして、今回大都は誘いに来ないんですか?あんなに欲しがっていたのに・・・」
そう、大都だけは手の平を返したように何も言ってこなかった。
その事がまたマヤを憂鬱にさせていた。
「・・・そんな事はないさ。今は裏工作をしている最中なんだ」
冗談とも本気ともとれないような表情で真澄が言う。
「速水さんおとくいの裏工作ですか」
「あぁ」
煙草の煙を吸い込み、マヤを見つめる。
「・・・速水さんになら、そんな事をしなくてもお任せするのに・・・。上演権の管理をお願いしたはずです」
マヤの言葉に真澄は優しい笑みを浮べた。
「そうだったな。一つ聞きたい。どうして俺に管理を任せる気になった?」
「・・・それは、この間言ったはずです」
「あれは建前だ。俺は君の本心を聞きたい」
彼女に近づき、詰め寄る。
「・・・本心?私の・・・」
「そうだ。君の本心だ」
マヤに近づき、彼女を壁際まで追い詰める。
彼女を囲うように壁に片手をつく。
その至近距離に、マヤの鼓動が大きくなる。
「・・・それは・・・あなたを・・・」

愛しているから・・・。

じっと、真澄を見つめ、その言葉を心の中で呟く。
時が止まったように見つめ合い、互いの心を探りあう。

Trrrrr・・・。Trrrr・・・。

止まった時間が動き出す。
携帯の音に弾かれたように、二人は視線を外した。

「・・・速水だが」
マヤに背を向け、電話に出る。
彼女はそんな真澄の背中をじっと見つめていた。
「・・わかった。すぐ、戻る」
そう言い、携帯を切る。
「相変わらず、お忙しそうですね」
「えっ、あぁ・・・一応、社長だからな」
マヤの方を向き、苦笑を浮かべる。
「・・・受けるよ。君の申し出。必要な手続き等は、明日すまないが、社の方に来てくれないか?」
真澄の言葉にマヤが大きく瞳を見開かせる。
「・・・本当・・・ですか?」
「嘘を言っているように見えるか?」
マヤの反応にクスクスと笑いながら応える。
「・・・いいえ。ただ、信じられなくて・・・」
彼女の言葉を聞くと、真澄は突然、腕を掴み、引き寄せた。
「・・・速水・・・さん?」
思わぬ距離に戸惑いがちに言うと、真澄の手がマヤの前髪を軽くあげ、真澄は彼女の額に
唇を寄せた。
「・・・契約の印だ。これで現実感がわくだろ?」
優しく彼女の額にキスをし、優しい瞳で見つめる。
「じゃあな。待ってるよ」
呆然としているマヤを置いて真澄は社に向かった。
稽古場に一人残された彼女は今起きた出来事にこれ以上ないほど顔を赤くし、心拍を上げていた。


「マヤ、マヤ!」
「えっ」
アパ−トに帰ってきてから、心ここにあらずの彼女に麗が声をかける。
「やっと気づいたか」
麗の数十回目の呼びかけによやく彼女が振り向く。
「あんたに電話だよ」
そう言われ、受話器を渡される。



「よく、来て下さいましたわね」
待ち合わせの公園に現れたマヤに紫織が言う。
夜の公園は人通りもなく、どこか不安にさせるものだった。
街灯の下で二人は顔を見つめ合い、それぞれの思いを巡らせた。
「・・・真澄様に紅天女の管理を頼んだそうですわね」
低い声で紫織が話し始める。
「・・・そのお話、なかった事にして下さらない?」
紫織の言葉にマヤの表情が凍りつく。
「・・・嫌です!これは私と速水さんの問題です。なぜ、あなたにそんな事を言われなければならないのですか?」
次の瞬間、怒りが溢れ、強く彼女に言い放つ。
マヤの言葉が予想外だったのか、紫織は驚いたように彼女を凝視した。
「真澄様がなぜ、紅天女にこだわるかご存知?」
言葉を選ぶように紫織が話し出す。
「えっ・・・」
そう言われて、マヤの頭の中が真っ白になる。
「真澄様のお義父様ははたから見れば、異常な程紅天女に執着してきたわ。そのせいで真澄様は
幼い頃に実のお母様を亡くし、そして、お義父様に復讐を誓った。いつか、紅天女を手に入れ、速水英介を裏切ってやる・・・とね。真澄様にとって、紅天女は復讐の道具なのよ」
マヤは紫織の言葉に大きな衝撃を受けた。

紅天女が復讐の道具・・・。

その事がマヤの心を締めつける。
「マヤさん、私はね。真澄様にそんな事はさせたくないの。悲しいですわ。いくら血が繋がらなくても
いがみ合う親子だなんて・・・。私は真澄様と幸せな家庭を築いて真澄様の心の傷を癒してあげたいの。だから、お願いします。真澄様にだけは紅天女を渡さないで下さい」
薄っすらと、涙を浮かべ、真剣な眼差しでマヤを見つめる。
その言葉に紫織の真澄を思う一生懸命さが伝わって来る。
マヤは呆然と紫織を見つめていた。



速水さんにとって紅天女は復讐の道具・・・。
母親を奪った事への・・・。
紫織さんの言う通りなのかな・・・速水さんの事を思えば、紅天女から遠ざけるのが一番なのかもしれない・・・でも、それでも、速水さんとの繋がりが欲しい・・・。
もうすぐ、結婚してしまう・・・あの人との繋がりが・・・。

「そう思うのは私のエゴですか?速水さん」

マヤは大都芸能のビルを見上げ、呟いた。




「・・・遅い」
「えっ、何かおっしゃいました?」
真澄の側にいた水城が答える。
「いや、今日、マヤが契約を交わしに来るはずだったんだが・・・」
そう言い、時計を見ると、もう午後9時をすぎていた。
「稽古が長引いているかもしれませんわね」
「あぁ・・・かもな」
「あら?あれマヤさんではありません?」
水城が窓の外に目をやると、小さな影が見えた。
「えっ」
水城に言われ、真澄も窓の外に目を移すと、ビルの前で佇んでいる少女が目に入る。
弾かれたように真澄は社長室を出て、マヤの元に向かった。



「マヤ!」
突然、声をかけられて、ビクッとする。
「・・・速水さん・・・」
息をきらせて走ってきた真澄がいた。
「どうして、中に入らないんだ。契約の準備はできているぞ」
そう言い、彼女を連れて行こうと、手を掴む。
その手は氷のように冷たかった。
「君、いつからここにいたんだ!」
もう11月の後半を回るこの時季は決して暖かいとは言えなかった。
「・・・さぁ、わかりません。ぼんやりとしていたので」
マヤの瞳はどこか空ろだった。
「・・・何かあったのか?」
心配するように彼女を見つめる。
「・・・速水さんにとって、紅天女は復讐の道具にすぎないと聞きました」
マヤから出た言葉に真澄は嫌な予感がした。
「・・・それは・・確かに、そういう部分もあったが・・・」
否定できない事実に歯切り悪く答える。
「私、速水さんと何か繋がりが欲しかったんです。だから、あなたに上演権の管理をお願いしようとしました。
・・・でも、紅天女をそんな風に思っている人に、やっぱり、管理はお願いできない。きっと、月影先生もそう思うと思います」
マヤは真澄を見つめ、ずっと考えていた言葉を口にした。
マヤの言葉に真澄が呆然とする。
「・・・それは確かに、否定ができないが・・・でも、俺はそれ以上に君の側にいたいんだ!」
立ち去ろうとするマヤに真澄が想いを口にする。
マヤは驚いたように真澄を見つめていた。
「・・・君が大切な存在なんだ。俺にとって・・・。だから、君を守りたい・・・」
愛しさの募る瞳でマヤを見つめる。
マヤの瞳にじわりと涙が浮かぶ。

”私は真澄様と幸せな家庭を築いて真澄様の心の傷を癒してあげたいの。だから、お願いします。真澄様にだけは紅天女を渡さないで下さい”

真澄の手に触れようとした瞬間、悲しそうな紫織が心に浮かぶ。
マヤはハッとして、手をひっこめ、真澄に背を向けた。
「私が、あなたを愛してる・・・好きだと、言ったらどうするんですか?それでも、私の側にいたいと思いますか?」
マヤの声は僅かに震えていた。
「結婚するあなたが、私の側にいる事は辛すぎます。手に入らないとわかっているあなたが側にいるのは辛いんです。これ以上・・・私を苦しめないで下さい。
やっと、決断したのに、そんな優しい言葉かけないで下さい」
マヤの肩が震えていた。
「・・・マヤ・・・」
堪らず、後ろから華奢な彼女の背中を抱きしめる。
「・・・放して!こんな事されたら離れられなくなる!私、速水さんの結婚を壊す嫌な女になっちゃいます!」
「・・・構わない・・・」
マヤをきつく抱きしめ、搾り出すように声で告げる。
真澄の言葉に涙が溢れ出る。
それでも、マヤは最後の力を振り絞って、真澄の腕の中から無理矢理飛び出た。
「・・・やめて!!」
全身から悲痛な叫び声をあげる。
「私の事を思うならほっといて!!」
マヤはそう言い、走り出した。
その次の瞬間、車道に飛び出した、彼女の体が宙を舞う。

「・・・マヤ!!!!!」
一瞬の沈黙の後、真澄は叫び声をあげ、道路に転がる彼女に駆け寄った。
彼女はぐったりとしていて、意識はなかった。





                                   つづく


【後書き】
ちょっと原作にそったものを書いてみたくなり、Catなりにその後を想像してみました。
このお話、一、二ヶ月程前からちょびちょびと書いていて・・・やっと、アップできるぐらいの形になったので出してみました(笑)
さて、この後はどうなるんでしょう?
という訳で、後編でお会いしましょう♪


2001.10.16.
Cat





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