〜Sweet Recollections−3−〜
速水真澄は少々緊張した面持ちで愛しい女性が来るのを待っていた。 鷹通との事業の処理も終わり、鷹宮家とはようやく綺麗な関係に戻れた彼は 今日こそは彼女にプロ−ポ−ズをするという目標を立てていた。 全てはこの日の為に今まで死ぬ程忙しい思いをしてきたのだ。 睡眠を削り、休日を削り、仕事、仕事の毎日・・・。 それらに耐えられたのは彼女と早く結婚したい!そんな思いからだった。 「・・・そろそろ来るかな」 腕時計を見ると待ち合わせ時間になる頃だ。 大都劇場ロビ−から彼は入り口に慌てて駆けて入ってくる小さな影を見つけた。 今日の彼女は淡い紫色のワンピ−スを着ていて、まるで紫の薔薇のブ−ケのようだった。 彼はそんな彼女を瞳を細めて見つめる。彼女は誰かを探すようにロビ−を見回す。 そして・・・。 「あっ!やっぱり、あなただったのね」 彼の姿が彼女の視界に入る。 その瞬間、嬉しそうな笑顔を彼女が浮かべた。 彼だけに向けられる零れ落ちるような笑顔。 胸の中がキュンとする。 「紫の薔薇と椿姫のチケットが部屋の前に置かれていた時は驚いたわ。 速水さん、ずっと忙しいって言っていたから・・・今月はもう会えないと思っていた」 彼女が彼に駆け寄る。甘い香水の香りが鼻を掠めた。 「君を驚かせたくてね。今日は一日付き合って頂けますか。お嬢さん」 そう言い、彼は彼女に手を差し出した。 「えぇ。喜んでお付き合いさせて頂きます」 マヤは彼の手の上に自分の手を差し出した。 二人はその瞬間、プッと笑い出し、しっかりと手を握った。 「あら、マヤさんもいらしていたの?」 不意に誰かの声がかかる。 「あっ!亜弓さん!」 マヤが声のした方を振り向くと、亜弓とハミルの姿が目に入った。 「母の公演に来て下さったのね。ありがとう」 姫川歌子主演の椿姫はマヤが初めて公演を見た年から毎年のように定期公演が行われていた。 「劇が終わったら、後で母の楽屋を訪ねてあげて。あなたが観に来てくれた事を知れば、きっと喜ぶわ」 亜弓はマヤとしっかりと手を握り合っている速水の姿に微笑んだ。 「速水社長も是非、母に会って行って下さい。さてと、邪魔者はそろそろ退散しようかしら。ハミルさん行きましょう」 そう告げると、亜弓は先に劇場の中に入って行った。 「ははははは。見られちゃった」 亜弓の視線が握り合った二人の手にあった事に気づき、マヤは苦笑を浮かべた。 パッと離れようとしたが、何せ突然だったので、驚いたように彼女を見るしかできなかった。 「・・・あぁ・・・そうだな」 速水も同じように苦笑を浮かべる。 何だか照れくさくて彼は亜弓の顔を真っ直ぐに見る事ができなかった。 「さて、俺たちもそろそろ客席に行こう」 「・・・速水さん、覚えていますか?」 客席に座り、マヤは場内を感慨深そうに見渡した。 「あぁ。覚えているよ。二人が初めて出会った場所だ」 膝の上に置かれた彼女の手をそっと握る。 「君は小さな少女で・・・今と同じ、どこか危なっかしい所があったな」 クスリと笑う。 「えっ?そうですか?」 マヤは片眉を上げて彼を見た。 「だって、俺に初めて会った時、君は俺にぶつかってこなかったか?」 速水の言葉に朧気に彼と出逢った時の事を思い出す。 「だって・・・劇場になんて来たのも初めてだったし、人が大勢いたし・・・。でも、よくそんな昔の事覚えていますね。 私はここで速水さんと初めて会った事は覚えていたけど、細かい所までは言われてみないと思い出せない」 「・・・なぜか君の事は印象が強かったんだ。初めて会った時から気になっていたのかな」 優しい笑みを浮かべ彼女を見る。 その視線に何だか彼女は顔が赤くなる。 「・・・そんな嬉しい事言ってくれても何も出ませんよ」 照れを隠すように冗談っぽく口にする。 「いらないよ。俺は君とこうして一緒にいる事ができれば何も望まない。俺にとって君が全てなんだから」 「・・・速水さん・・・」 彼の言葉に胸が熱くなる。 「今日は嬉しい事いっぱい言ってくれるんですね」 「君には寂しい思いをさせてきたからな。サ−ビスデ−さ」 おどけたように言った彼の言葉にマヤはクスクスと笑みを零した。 「じゃあ、今日はいっぱい甘えちゃおっと」 そう言い、マヤは彼の肩に頭を乗せた。 「まぁ、マヤさんに、速水社長!お久しぶりです」 舞台が終わった後、マヤと速水は亜弓に言われた通りに、姫川歌子の楽屋を訪れた。 歌子は彼女の姿を見るなり、舞台の上とは違う笑顔を浮かべた。 「お久しぶりです。舞台とっても良かったです!」 マヤは舞台の感動を伝えるように歌子の手を力強く握りしめた。 「本当に素晴らしかったです」 キラキラと瞳を輝かせ歌子を見る。 「ありがとう。あなたにそう言って頂けると嬉しいわ」 歌子は握られた手を力強く握り返した。 「毎年公演を見せてもらっているが、今年の椿姫は最高の出来でした」 速水も賞賛の声をかける。 「ありがとうございます。速水社長。今年は最後の公演なので、演出家の先生には無理を言って、自分の納得いくまで やらせて頂きました」 「えっ?最後なんですか?」 歌子の言葉にマヤは残念そうに口にする。 「来年からは亜弓が椿姫を引き継ぐ予定なの。そろそろ私は身を引かないとね。それに、新しい事も始めてみたいし」 「亜弓さんが?」 「えぇ。きっと、私とは違う椿姫を見せてくれるわ。あら、噂をすれば」 そう言い、歌子が戸口に視線を向けると、亜弓と、ハミルが立っていた。 マヤも速水も彼女の視線を追うように戸口を見つめる。 「ママ、とっても良かったわ」 亜弓は歌子のもとに駆け寄り、女優姫川亜弓とは違う無邪気な笑顔を浮かべた。 「ありがとう。何だか、こうして亜弓と、マヤさんの顔を見ていると、『奇跡の人』の舞台を思い出すわね」 歌子の言葉にマヤも亜弓もその頃の想いを思い出す。 「あなたたちと共演するのは大変だったわ。もう、叩かれたり、噛まれたり、殴られたりで」 クスクスと懐かしむように歌子が笑う。それにつられてマヤも亜弓も、微笑を零す。 「特にマヤさんとの時は大変だったんでしょ。ママ」 亜弓の言葉にマヤは顔を赤くした。 「はははは。確かに、観ていてもあんなに元気のいいヘレン、俺は後にも先にも見た事なかったよ」 亜弓の言葉に乗るように速水が言う。 「本当、マヤさんと共演した時は特に生傷が絶えなかったわ」 歌子の言葉にマヤを除いた全員が一斉に笑う。 マヤは首筋まで真っ赤にして俯いていた。 「もう、速水さんまで一緒になって、人の事からかって」 楽屋から出ると、頬を膨らませてマヤは速水を見た。 「ははははは。からかうだなんて、俺はただ真実を言っただけさ、ちびちゃん」 ”ちびちゃん”優しい響きが残るその言葉に、マヤは瞳を細め、彼を見つめた。 「・・・あの時食べた鯛焼き美味しかったですね」 マヤは立ち止まり、壁際に置かれている椅子に目を留めた。 「鯛焼き?」 彼も彼女に合わせるように立ち止まる。 「ほら、『奇跡の人』の公演の時、ロビ−で一緒に鯛焼き食べたでしょ。速水さん、子供の頃はよく食べたって言ってたわ」 彼女の言葉に彼もようやくその時の事を思い出す。 あの時、彼女に演劇について聞いたような気がする。彼女の言葉の端々からは彼が知る事のなかった情熱が感じらた。 彼女がとても羨ましかった。速水の家に引き取られ、英介の引いたレ−ルの上を反発心と復讐心だけで歩いてきた。 その頃の彼にとって仕事は速水英介が築いてきたものを全て奪う為だけの手段だった。何の情熱も感じた事がなかった。 「・・・速水さん?」 黙ったままの彼が急に寂しげな表情を浮かべる。 「・・・鯛焼きが食べたくないか?」 「えっ」 小さく、マヤが声をあげると彼は彼女の手を取った。 「行こう」 彼女に笑顔を浮かべ、彼は歩き出した。 「あそこがいい!!」 そう言い、マヤは公園内にあるブランコに座った。 速水は鯛焼きの入った紙袋を持って彼女の隣のブランコに腰を下ろした。 「さぁ、熱いうちにどうぞ、お嬢さん」 彼女に鯛焼きを手渡す。 「ありがとう。いただきます」 マヤは幸せそうにそれを受け取り、パクついた。そして、速水も。 懐かしい味に二人は笑顔を浮かべた。 「鯛焼きなんて食べたの久しぶり」 「あぁ。本当だ」 「どうですか?子供の頃のお味の方は?」 彼女にそう聞かれ、彼は瞳を細め母と二人だけで暮らしていた頃を思い出す。 「・・・幸せがどういうものかを思い出した。そして、今も自分があの頃と同じように幸せだという事に気づいたよ」 彼女に瞳を向ける。 「君と出逢って、俺は本当に幸せだ。君が俺に幸せをくれた」 穏やかな瞳で彼は彼女を見つめていた。 「・・・それは、私も同じです。あなたとこうして一緒にいる事ができて、とっても幸せです。速水さん、ありがとう」 彼女はとびっきりの笑顔を彼に見せる。 「私、紫の薔薇の人が・・・速水さんがいなかったら、きっと女優としても成功する事ができなかった。紅天女を演じる事ができなかった。 あなたは私に沢山のものをくれた。夢も希望も、そして・・・人を愛する気持ちも・・・全てあなたが教えてくれた」 そう口にし、彼女はブランコから立ち上がると、彼の前に立ち、彼を抱きしめた。 「本当にありがとう」 頭の上で彼女の声がする。速水は彼女に抱きしめられ瞳を閉じた。 彼女との出逢いを思い出す。彼女が舞台で輝きを放った瞬間を思い出す。 そして、初めて誰かのファンになり、仕事の利益とは関係なく、速水真澄として匿名で紫の薔薇を贈った日の事を思い出した。 気づけば彼女から目が離せなくなっていた。彼女が舞台に立つ度に、彼女に何かがある度に、自分の気持ちに戸惑いながらも、惹かれていった。 「・・・俺の方こそ、ありがとう」 瞳を開けると、彼は顔を上げ、彼女に腕を伸ばすと、唇を重ねた。 暫く二つの影はそのまま重なったままだった。 つづく 【後書き】 何とか今週アップ分書けました(^^;いやぁぁ、今回は短くてすみません。今週はちょっと時間がなかったもので(笑) 二人の思い出巡りのツア−まだ続きます。次回がラスト予定になっております。 ここまでお付き合い頂きありがとうございました♪ 2002.6.25. Cat |