届かぬ想い〜2〜



              ”なぜ?”
                  頭の中に回るその言葉・・・。
                  信じられない事に、私は今、速水さんにキスされている。
                  重なった唇から、柔らかい彼の唇を感じる。
                  胸が、鼓動が、早くなる・・・。
                  頭の芯が真っ白になって・・・立っていられなくなる。



                  自分でも信じられない・・・。
                  俺は何をしているのだろうか・・・。
                  唇を離し、彼女を見つめる。
                  言いようのない気まづさに息が詰まりそうになる。
                  ただ、彼女の涙を見ていたら、身体がかってに動いていた。
                  感情の赴くままに・・・俺は・・・。

                  「・・・どうして?」

                  小さな声で、彼女がそう言った。
                  その問いに、俺は言葉が出てこなかった。
                  彼女を見つめ、苦笑を浮かべる。

                  「・・・すまない」
                  搾り出すようにやっと出た言葉はそれしかなかった。
                  一体、俺は何を詫びているのか・・・。


                  コンコン・・・。
                  ドアを叩く音がして、扉が開く。

                  「社長、そろそろ会議のお時間ですが」
                  水城君はそう言い、社長室に入ってきた。
                  「あぁ・・・そうか。今行く」

                  名残惜しそうに、彼女をじっと、見つめ、俺は社長室を出た。


                  パタン

                  ドアが閉まった瞬間、私はその場に座り込んでいた。
                  気が抜けて、足に力が入らない。
                  ふと、床に落ちた紫の薔薇の花束が視界に入る。
                  彼が私を抱きしめた感触が思い浮かぶ。
                  そして、重なった唇。
                  何が、どうして、そうなったのか全くわからない・・・。
                  頭でいくら考えても答えは出なかった。

                  ただ、心に強く浮かぶのは速水さんを愛しく思う気持ち・・・。
                  それだけだった・・・。




                  「映画に出てみる気はないか?」
                  いつぞやかのパ−ティ− で顔見知りになったプロデュ−サ−がそう言った。
                  「君の紅天女の演技を見て、是非使ってみたいという監督がいるんだよ」
                  脚本を渡され、その内容に・・・今までの自分とは違うものを感じる。
                  「・・・これは・・・」
                  「・・・君が演じるのは大人の女だ」
                  「・・・大人の女?」
                  何だかその言葉が酷く自分とは違う世界のような気がする。
                  「監督がね、君に大人の恋を演じて欲しいと言っているんだ」
                  「・・・大人の恋?」
                  私にできるのだろうか・・・。
                  自分の恋にさえ翻弄されっぱなしなのに・・・。

                  でも、何か心に惹かれるものがその脚本にあった。
                  「監督さんに会ってみたいわ」





                  「一ノ瀬監督の映画に出演するそうです」
                  社長室に入ってくるなり、水城は開口一にそう言った。
                  一ノ瀬といえばその斬新な映像センスで独特の世界を作り出し、
                  数々の映画賞を総なめにしている今、一番注目されている若手の監督だった。
                  「誰がだね?」
                  「マヤさんです」
                  「・・・マヤが?」
                  何だか嫌な予感がする。
                  確か、彼の映画に出る主演女性は皆・・・脱ぐのだ。
                  彼は女性を撮らせたら右に出るものはいないというぐらい、綺麗に撮る事でも定評があった。
                  いくらなんでも、マヤならそんな事する訳ないだろう・・・。
                  彼女はまだ・・・子供・・・。いや、もう大人か・・・。 
                  だが、中身はまだまだ子供だ・・・。
                  そんな彼女が脱ぐなんて事をするだろうか?
                  きっと、ない・・・。

                  次々と浮かび上がる不安を払いのけるように、俺はそう思い込んだ。
                  だが、俺の嫌な予感は的中する事になった。





                  「次のシ−ンはベットシ−ンだ」

                  突然、そう言われ、顔が一気に赤くなる。
                  脚本を貰った時点で、ベットシ−ンがある事は知っていた。
                  しかし、それは最後の方のシ−ンで・・・。
                  まさか、撮影開始から一週間も経たないのに、撮るとは思ってもみなかった。
                  「・・・一番ハ−ドなのから撮れば、ヒロインの気持ちに入り易いからな」
                  まだ30代前半の監督は何事もない、普通の事のように言った。
                  「それに・・・君との呼吸も合うようになる」
                  そう言った瞳が何だか優しく見えて、気恥ずかしさを感じる。
                  「・・・わかりました。頑張ります」






                  「何!マヤがベットシ−ンだと!!」
                  身体中が嫉妬の炎で燃える。
                  「社長、どちらへ?」
                  上着を手にし社長室を出ていく俺に水城君が尋ねる。
                  「決まってる!やめさせるんだ」
                  マヤが他の男と絡んで・・・しかも、それは何人もの目に触れるなんて・・・耐えられるわけがない!!
                  「真澄様、気でも違ったんですか?彼女は女優ですよ。彼女が選んだ仕事に口を挟むんですか?」
                  今にも飛び出しそうな俺を牽制するように言う。
                  「君まで何を言っているんだ!」
                  彼女の方を向き、怒鳴り散らす。
                  「・・・では、お聞きしますが・・・あなたは何の資格があって、マヤさんをお止めになるんですか?」
                  そう言われて急に弱気になる。
                  確かに、俺はマヤの恋人でもなければ、彼女の所属するプロダクションの者でもない。
                  だが・・・俺は・・・。
                  「彼女はもう大人ですよ。あなたが口出しすることではありません」
                  静かだが、厳しい口調で俺を制す。
                  何だか、胸の奥がきりきりする。
                  自分と彼女の距離を言われたようで悲しくなった。





                  「カット−!!」
                  監督の声がスタジオ中に響く。
                  回りのスタッフたちはまたかという疲れた顔つきで私を見つめていた。

                  「・・・どうした。君のその瞳は愛する男を見る目じゃないぞ」
                  ベットの上で、今にも泣き出しそうな私にそう言う。
                  「・・・すみません。今度こそは」
                  「いや、今日はもういい」
                  何かを諦めたように言われた。
                  無理もない、もうこれで30数回目のNGなのだから・・・。
                  朝からこのシ−ンだけ・・・。
                  今日は1シ−ンもまともに撮れなかった。




                  「君は好きな男に抱かれた事はまだないのか?」

                  撮影が終わって、監督に話があると言われ、連れて来られたのはホテルのスカイバ−だった。
                  落ち着いたム−ドの中に流れるジャズが何だか耳に心地よく流れる。
                  「・・・はい」
                  目の前のカクテルを呷り、静かに頷いた。
                  「恋の経験は?」
                  そう言われ、速水さんの顔が脳裏に浮かんだ。
                  「・・・なるほど・・・恋人はいるのか」
                  私の表情を読み取るように呟く。
                  「・・・恋人なんていません・・・ただの片思いです」
                  恋人と呼べる関係だったら、どんなにいいのだろうか・・・。
                  「・・・片思い・・か」
                  静かにそう言い、彼はグラスを見つめた。
                  「はっきり言うが・・・今のままでは俺は君を撮る事ができない」
                  その言葉に胸がチクリとする。
                  「・・・今の君は抱き合う喜びを知らない・・・」
                  確かに・・・。
                  私にはそういう気持ちはわからなかった。
                  「・・・どうすればいいですか?」
                  「・・・抱かれるんだな・・・好きな男に・・・」
                  そう言われた瞬間、カ−ッと身体中が熱くなる。
                  「じゃなければ・・・君はこの役を理解できない・・・」
                  ・・・理解できない・・・。
                  その言葉は私にとってショックな一言だった。
                  今まで、どんな難しい役でもその人格になりきれたはず・・・。
                  なのに、今回は・・・。

                  しかし、役を掴む為に抱かれるなんて・・・。
                  絶対無理・・・。
                  私の愛する人は私の事をただの女優としてしか見てないだから・・・。
                  そう、女優として、商品としてしか・・・。
                  商品・・・。
                  その言葉に何かがひっかかる。


                  ”商品だから、大事にしてくれるんですか”

                  ”誰でも価値がある間は大事にされるものだ”

                  ”あたしを温めて下さい・・・あたしは金の卵かもしれないんでしょ、だったらわがままを聞いて下さい”

                  いつか梅の谷で交わした速水さんとの会話が私の頭の中に鮮明に浮かび上がった。

                  そうよ、商品としてなら・・・抱いてくれるかも・・・。
                  もう、それしか私にはない。
                  これは最後の賭け・・・。
                  彼をフッ切る為・・・役者としての使命を果たす為・・・。

                  彼に抱かれる事で何かが変わる・・・。
                  そんな気がしていた。





                                                  届かぬ想い〜3〜




                                                             
                                                                                                               

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