届かぬ想い〜5〜
”愛のない結婚をあなたに受け入れられる覚悟はありますか?”
紫織の頭の中にその言葉が回る。
初めて愛した人から、告げられた悲しい一言。
幾度涙を流しても流しきれない・・・。
愛しています・・・。真澄様・・・。
あなたと一緒にいられるなら、私は何でもできる。
例え、私の方を振り向いてもらえなくても・・・あなたの側にいたい・・・。
迷惑だと思われても、疎まれても、嫌われても・・・。
あなたといたい・・・。
窓の外を見上げると月が浮かんでいた。
その月に自分の想いを重ね、紫織はまた泣いていた。
「・・・月が綺麗だな・・・」
夜の港を散歩しながら、真澄がポツリと呟く。
そう言い、どこか辛そうに月を見つめる真澄の表情に、マヤはドキっとした。
「・・・綺麗ですね」
海から吹く程よい風にマヤは心地良さを感じていた。
二人は何を話す訳でもなく、海を見つめ、月を見つめ、互いを見つめていた。
届かないはずの想いが通じ合い、幸せだった。
穏やかな気持ちが二人の心に溢れる。
苦しい気持ちきが消え、愛しさが募る。
しっかりと繋がれた手からは互いの温もりを感じる。
時折、顔を見合わせては優しく微笑み、また月を見つめる。
一晩中、二人はそうして、気持ちが通じ合えた喜びに浸っていた。
「・・・このまま、君とずっといられれば、いいのにな」
空がうっすらと白みはじめた頃、夜の終わりを惜しむように、真澄が口にした。
マヤも同じ気持ちだった。
このまま夜が明けてしまえば、二人は現実に戻らなければならない・・・。
真澄には婚約者がいて、その結婚を取りやめる事は不可能に近かった。
その事が、彼女の心の平安を乱し始める。
「・・・おいで・・・」
彼女の不安を読み取ると、真澄は彼女を抱きしめた。
微かにコロンと煙草の香がする。
そこはいつのまにか彼女が最も安心する場所になっていた。
「誰と結婚しようと、俺が愛するのは君一人だけだ・・・。何があっても、生涯、その気持ちは変わらない」
力強く、彼女を抱きしめ、耳元で囁く。
その言葉に彼女は切なそうに真澄を見上げた。
「・・・嬉しいです。あなたから、その言葉を聞けて・・・」
彼女の瞳から幾筋もの、涙が流れ落ちる。
真澄の言葉に嬉しさがこみ上げる反面、醜い気持ちも浮かび上がった。
”誰と結婚しても・・・”
そう口にした彼は心を決めているのだ。
マヤ以外の女性と結婚する事を・・・。
例え想いが通じ合えても二人は結ばれる事は許されない。
そんな辛い現実が彼女の心を鋭くえぐる。
「・・・強く抱きしめて下さい。今のこの時を忘れないように・・・」
「・・・マヤ・・・」
悲しそうな瞳に、真澄の胸はしめつけられた。
彼女の想いを悟ったように、強く抱きしめると、互いの唇を合わせる。
二人がしっかり結ばれている瞬間を心に刻むように、互いを感じていた。
この胸のときめきはあなただけのもの・・・。
例え、永遠に結ばれる事はなくても、私が愛するのはあなた一人・・・。
あなたが誰と結婚しようとも・・・私の気持ちは変わらない・・・。
今のこの時があるから・・・。
あなたと、気持ちが通じ合えたこの瞬間があるから・・・。
あなたが私の魂の半身だから・・・。
マヤ・・・。
俺は忘れない・・・。
君と想いが通じ合えた日を・・・。
君のぬくもりを・・・。
君を愛する切ない想いも、苦しい気持ちも君に捧げる。
俺が心をかき乱すのは君だけだ・・・。
感情の全てを君にあげよう。
例え、君と結ばれる事はできなくても、俺が愛するのは君一人・・・。
俺の魂の半身は君だから・・・。
幾度、生まれ変わっても、俺は君を愛する。
君への気持ちは永遠に変わらない・・・。
表面上は結ばれる事はできなくても、俺は君を愛し続ける。
朝日に照らし出され、二人は互いの鼓動を聞いていた。
「・・・社長・・・?」
「えっ」
ぼんやりとしていると、突然、誰かに呼び止められる。
真澄がハッとし、回りを見つめると重役たちは、不思議なものでも見るような顔を浮かべていた。
「・・・会議中ですわよ」
横からそっと水城が真澄に耳うちする。
「あぁ。すまない。聞いていなかった。もう一度頼む」
真澄の言葉に会議室にいた面々は目を丸くして彼を見た。
マヤと気持ちが通じてから一週間、彼はずっとこんな感じだった。
「・・・心ここにあらず・・・ですわね」
会議が終わり、社長室に戻った真澄に、水城が呟く。
「・・・何の事だ?」
「鬼社長が間じかに迫っていてる結婚にほうけている。
これが今、社内での一番の噂だと言うことはご存知ですか?」
水城は皮肉めいた口調で告げた。
さすがの真澄もその言葉に苦笑を浮かべる。
「鬼の霍乱と言う訳か・・・」
「真澄様、しっかりして下さい。今のままでは誰かに足元を掬われましてよ」
諭すように水城は言った。
「あぁ」
真澄は水城がいれてくれたコ−ヒ−をすすりながら答えた。
「・・・マヤさん・・・ですか?あなたがそうなる原因は」
真澄の隙をつくように出たその言葉に、思わず、口にしていたコ−ヒ−に咽る。
「君は何でもお見通しなんだな」
すっかり、頭が上がらないというような表情を浮かべる。
「・・・秘書ですから。社長のことはよく知ってますわ」
水城は、優しく微笑み社長室を後にした。
真澄妻、好きな人の事なら、何でも、わかりますのよ。
社長室のドアを閉めると、愛しむようにドアを見つめ、水城は静かに笑みを浮かべた。
「マヤさん?」
紫織が大都芸能のビルに入ろうとすると、入り口付近でビルを見つめる彼女の姿が視界に入った。
「あっ」
急に声をかけられて、マヤは戸惑ったように紫織を見つめた。
”愛のない結婚をあなたに受け入れられる覚悟はありますか?”
そんなマヤの姿と、真澄の言葉が重なる。
彼女に対する嫉妬心に湧き上がり、紫織はきつく彼女を睨んでいた。
こんな子が真澄様の心を独り占めにするなんて許さない。
この子さえいなければ、真澄様の口からあんな言葉は出なかったのに・・・。
憎い・・・。この子が憎い・・・。
「あの、紫織さんでしたよね。速水さんの婚約者の」
気まずい空気を何とかしようと、マヤは口を開いた。
「えぇ。今日も真澄様と、お式の打ち合わせに来ましたのよ。そうだ。
私と真澄様の結婚式には是非いらして下さいね。私、あなたの紅天女を見てから、ファンになりましたのよ」
作り笑いを浮かべていたが、マヤを見つめる紫織の瞳は笑っていなかった。
”私と真澄様の結婚式・・・”
そのフレ−ズにマヤの胸がキリリと痛む。
想いが通じても・・・私の手が届く事はない・・・。
でも、届かなくても、愛する気持ちは変わらない。
マヤは紫織の言葉に怯まずに笑顔を浮かべた。
「おめでとうございます。速水さんと紫織さんの結婚式、是非行かせてもらいます」
真っ直ぐな彼女の笑顔に紫織は腸が煮えくり返るの感じる。
何?この余裕は・・・。
私たちの結婚など自分には関係ないというの?
紫織は怪訝そうにマヤを見つめた。
「失礼しますわ。真澄様との約束の時間に遅れてしまいそうなので」
紫織はそう言い、ビルの中に入っていった。
紫織の後姿を見つめる彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
「笑って、おめでとうって言えて、私、偉かったよね」
自分に問い掛けるように呟く。
速水さん、あなたはやっぱり届かない人・・・。
私、もう、あなたには会いません・・・。
あなたに私のことで辛い思いをさせたくないから・・・。
あなと紫織さんの結婚を祝福したいから・・・。
さよなら、私の愛する人・・・。
心に強く決意を刻むと、彼女は静かに大都芸能のビルに背を向け、歩き出した。
「あなたの心が私になくても、私は構いませんわ」
紫織は真澄を真っ直ぐに見つめた。
その言葉に彼女のただならぬ思いが伝わってくる。
「・・・そうですか」
重たい表情を浮かべ、紫織を見る。
気丈に見えるその瞳の下には涙のあとが見えた。
罪悪感が真澄を襲う。
「式は、真澄様が提案した日にちで問題はありません」
事務的な表情で、そう言い捨てると、紫織は応接室のソファ−から立ち上がった。
その様子を彼はじっと見つめていた。
「・・・真澄様、あなたの心が私になくても、あなたを愛する気持ちは変わりません」
ドアの方を向き、僅かに震えた声で、告げると、紫織は応接室を後にした。
「・・・紫織・・・さん」
紫織の言葉に良心が痛むのを感じた。
「・・・マヤ・・・、君に会いたい・・・」
真澄は窓の外に浮かぶ月を見つめ、彼女と見つめた月を思い出した。
<届かぬ想い〜6〜>