届かぬ想い〜4〜
『・・・晃一・・・』
愛しい男の名を呼び、彼女は男の愛撫に、艶やかで切ない表情を浮かべる。
彼女の一つ一つの仕草からは男への愛しさが溢れる程だった。
その様子を見ていた、スタッフたちは、彼女の豹変ぶりに皆、息を呑んだ。
昨日まで、ベットシ−ンにうろたえていた彼女は消え、そこにいるのは愛する男に愛される
女の表情だった。
「・・・化けた・・・な」
一ノ瀬は彼女の演技の一つ一つを食い入るように見つめていた。
「式は一ヶ月後に挙げましょう」
真澄の口から出たその言葉に、紫織は瞳を大きく見開いた。
「真澄様、やっと、私と結婚してくれる気になったんですね」
真澄の心がやっと自分に戻ってきたと思い、紫織は満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を目にした途端、罪悪感に胸が痛んだが、真澄は表情には出さなかった。
「但し、一つだけご理解願いたい事があります」
真澄はこれから口にする紫織にとっては辛いであろう言葉を言うかどうか、迷っていたが、
愛するものを抱いて、もう、自分の心に嘘はつけないと悟り、彼女に本心を打ち明ける事にしたのだった。
「・・・私は恐らく、今までも、これから先も、あなたを愛する事はないでしょう・・・。
愛のない結婚をあなたに受け入れられる覚悟はありますか?」
いつもと変わらない優しい口調で述べられるが、その内容は紫織にとって信じ難いものだった。
目の前が真っ白になり、今にも倒れてしまいそうだった。
「・・・あの女優なんですか・・・紅天女を演じた女優が、あなたの愛する人なのですか?」
強く拳を握り、震える声で、尋ねる。
真澄はその言葉に、真っ直ぐに紫織を見つめると、静かに頷いた。
その瞬間、紫織は血の気が引いていくのを感じ、その場に倒れた。
「・・・素晴らしかったよ、君の演技は」
一ノ瀬はそう言い、マヤを見つめた。
「・・・ありがとうございます」
少し、照れたように言った彼女の瞳が、辛そうだったのを一ノ瀬は見逃さなかった。
「・・・愛する男に抱かれる喜びを知ったのか?」
一ノ瀬の言葉に、マヤはカァ−と赤くなった。
「ハハハハハ。君は嘘のつけない性格なんだな」
一ノ瀬は可笑しそうに彼女を見た。
「好きな男に抱かれたにしては・・・辛そうに見えるが・・・。僕の気のせいか?」
マヤは一ノ瀬に全てを見透かされていると知り、ポツリと口を開けた。
「・・・監督の察した通り、私は最愛の人に抱かれました。でも・・・」
そう言い、涙ぐみそうになる。
「・・・彼は私の手の届かない所にいる人なんです。どんなに思っても、私の気持ちは届かない・・・。
私は彼にとってただの商品にしかないんです」
「思っているだけでは・・・気持ちは届かないぞ」
マヤの様子を見て、一ノ瀬は思いも伝えらなかった自分自身の過去の辛い恋を思い出した。
「えっ」
その言葉にはじかれたように一ノ瀬を見つめる。
「・・・僕にも昔、君のように想いを寄せる人がいたよ・・・。だが、結局は気持ちを伝えられなかった」
その頃の想いを思い出したのか、一ノ瀬は苦い表情を浮かべた。
「想っているだけでは、相手には伝わらない。時には思い切って、気持ちを口にする勇気も必要なんだよ」
一ノ瀬は優しい瞳でマヤを見つめる。
「・・・でも」
躊躇いがちに、彼女は視線を伏せた。
「自分の気持ちに拒絶されるのが怖いか?」
図星をついたその言葉に、マヤはハッとした。
「傷つく事を恐れていては駄目だ。きっと後悔を残す事になる・・・僕のように」
一ノ瀬は淋しそうに、そう告げた。
「でも、彼を目の前にして、何て言ったらいいか・・・私・・・」
「素直な気持ちを口にすればいい・・・それだけだ・・・」
そう言い、一ノ瀬は優しく彼女に微笑んだ。
”愛のない結婚をあなたに受け入れられる覚悟はありますか”
病院のベットの上で意識を取り戻した彼女の脳裏に浮かぶのはその一言だった。
真澄様・・・あなたは酷いお方だわ・・・。
こんなに、こんなに愛しているのに・・・。
気づくと、涙を流していた。
気持ちがぐちゃぐちゃに乱れ、彼女は声をあげて泣いていた。
「・・・社長は只今、外出中ですが・・・」
秘書の一人がマヤにそう言う。
社長室の脇にある秘書課に水城の姿は見当たらなかった。
「・・・そうですか・・・」
マヤは来た道を戻るしかなかった。
エレベ−タ−ホ−ルの前で、彼女はぼんやりと、真澄との夜を思い出していた。
つよく抱きしめる真澄の腕・・・。
優しい愛撫・・・。
彼の手によって開かれていく体・・・。
そして、目が覚めると消えていた彼・・・。
その時の寂しさが胸を掴み、泣いてしまいそうだった。
「・・・何て顔してるんだ?」
急に声をかけられ、驚いて見上げると、エレベ−タ−から真澄が出てきた。
あの夜以来の彼に、胸が締め付けられる。
「・・・その、速水さんに会いたくて・・・」
自分から出たとは思えない、珍しく素直な言葉に彼女は驚いた。
真澄もその言葉を聞くと驚き、彼女を見つめた。
マヤ・・・。
今すぐにでも、状況が許されるなら、彼は彼女を強く抱きしめ、その唇と、体を重ねてしまいたかった。
彼女を抱いてから、より深くなった愛情に、彼は息もできぬ程の苦しさをずっと感じていた。
だが、理性が彼の気持ちに抑制をかける。
「それはまた、珍しいな。今日は雪が降るんじゃないか」
いつものように軽口をたたき、笑い飛ばす。
「・・・あの、少し私にお時間をくれませんか。話したい事があるんです」
真澄のいつもと変わらぬ態度に、マヤは怯まなかった。
彼女の瞳に真剣さを感じると、真澄は側にいた水城に、一言、二言告げ、再び彼女の方を向いた。
「ちびちゃん、昼飯はもう済ませたか?」
「えっ」
そう言われ、時計を見ると、短針はもうすぐ”1”を指そうとしていた。
「・・・俺はまだなんだ」
真澄は優しく笑いかけた。
真澄がマヤを連れて来たのはカンジの良い、イタリアンレストランだった。
高層ビルの最上階にあるその店からは、街並みを見渡す事ができた。
「ステキな所ですね」
マヤはその店がとっても気に入り、嬉しそうに告げた。
彼女好みの店に連れて来れて真澄は満足そうに笑う。
「ここのパスタは絶品なんだ」
そう言い、彼女にメニュ−を渡す。
二人ははたから見れば恋人同士のような、和気藹々としたム−ドで食事を楽しんでいた。
不思議、速水さんに会えない時は、あんなに淋しくて不安だったのに・・・。
今はとても穏やかな気持ちになれる。
マヤはそんな事を考えながら、チラっと真澄を見た。
ふいに、彼と視線が合い、今度は胸が締め付けられるような息苦しさに襲われた。
「うん?どうした?」
マヤの反応に真澄は不思議そうに聞いた。
「いえ、何でもないです」
恥ずかしそうに頬を赤らめ、彼から視線を逸らす。
そんな、仕草に真澄は可笑しくて、笑い出した。
突然、笑い出した彼にマヤは驚いて見つめた。
「・・・何がそんなに可笑しいんですか?」
「いや、君の仕草が・・・」
笑いを堪えながら、真澄が言う。
その言葉に、また馬鹿にされたと思い、彼女は少しムッとし膨れっ面を浮かべ、真澄の笑いに拍車をかけた。
「・・・もう、いいです。好きなだけ笑って下さい」
マヤは彼の笑いに成す術なくそう言った。
「まぁ、そう膨れるな」
やっと笑いが落ち着くと、真澄が言う。
「さて、で、俺に話って?」
その言葉にマヤはドキリとする。
「また、ベットシ−ンが演じられない・・・なんて言うじゃないだろうな」
冗談のつもりで口にしたその言葉に、真澄も、彼女も胸が苦しくなる。
「・・・すまない。失言だった」
信じられないように自分の口に触れ、窓の外を見つめる。
その表情が、辛そうに見え、またマヤの胸は痛んだ。
「・・・私、この間、嘘をつきました」
「えっ」
以外な彼女の言葉に、真澄はじっと彼女を見つめた。
「あなたなら、仕事の為に女を抱けるって言いましたけど・・・。本当は違います」
真澄はその言葉に胸がざわめき始めるのを感じた。
「私があなただから抱かれたいと望んだから・・・、あなただから・・・」
マヤは精一杯の素直な気持ちを口にし、熱っぽい瞳で彼を見つめた。
「・・・マ・・ヤ・・・」
どう反応していいかわからず、真澄は彼女から視線を逸らした。
「・・・すみません。いきなりこんな事言われて、迷惑でしたよね。今言った事は忘れて下さい」
真澄の反応を拒絶ととったマヤはいたたまれなくなり、席を立った。
マヤはレストランを飛び出すと、涙を堪えながら、エレベ−タ−が開くのを待っていた。
「待て!」
そう言われ、振り返ると真澄が立っていた。
その姿に胸がきゅんとする。
彼から逃げてたくて、咄嗟に開いたエレベ−タ−に乗り込むと、”閉”のボタンを押していた。
閉まりそうな扉を両手で制し、真澄は無理矢理エレベ−タ−に乗り込んだ。
真澄たち以外にも数人が乗っていたので、二人は何も言わず、ただ視線を交わしていた。
真澄の手は強く彼女の手を握っていた。
その温もりと、力強さに、マヤは生きた心地がしなかった。
互いの思いが交錯し合いながら、エレ−ベ−タ−は静かに下りる。
その時間が永遠よりも長く感じられ、重苦しく二人の胸にのしかかっていた。
「・・・放して下さい」
ようやくエレベ−タ−が地上に着くと、マヤはか細い声でそう告げた。
「やだ」
真澄は静かな声で言い、彼女の手をひいて歩き出した。
無言で駐車場まで歩くと、彼女を車に乗せ、真澄は車を発進させた。
何も言わない彼に、マヤは不安になった。
チラリと横顔を覗いてみても、その表情は何を考えているのかわからなかった。
気づけば、真澄は車を運転し、あてもなく走っていた。
・・・俺は何がしたいんだ・・・。
酷く衝動的な自分に戸惑いを感じていた。
助手席の彼女に視線を向けると、不安そうにうつむいていた。
真澄はその姿にたまらなくなり、車を道路の脇に止めると、彼女を強く抱きしめていた。
「・・・速水・・・さん・・・」
突然、真澄に抱きしめられて訳がわからなくなる。
「・・・俺も君に嘘をついていた」
掠れた声で告げる真澄を彼女は見上げた。
「君を抱いたのは仕事のためなんかじゃない・・・俺が君を抱きたかったから・・・君を愛しているからだ」
思わぬ言葉にマヤは瞳を大きく見開いた。
「信じられなくてもいい。俺の気持ちを受け入れられなくてもいい。だが、知っていて欲しい・・・この気持ちを・・・」
感情に押し流されそうになる。
信じられない真澄の言葉に、驚きと戸惑いと、愛しさがこみあげてくる。
「・・・速水さん、私も・・・愛しています・・」
ずっと憎まれていると思った彼女からの言葉に、今度は真澄が驚く番だった。
「・・・マ・・ヤ・・・」
「ずっと手が届かないと思っていました。あなたが私を見てくれるのは舞台の上だけだと思ってました」
そこまで言うと、マヤは真澄の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「好きです・・・。速水さん・・・」
その一途な瞳と言葉に胸が締め付けられる。
「・・・マヤ・・・」
真澄は抱きしめる腕にさらに強く力をいれ、その唇を奪った。
思いのままに互いに唇を合わせ、すれ違っていた時間を取り戻すように抱き合う。
気づけば、空は茜色に染まり始めていた。
届かぬ想い〜5〜