永久(とわ)の想い−9−
ハウザ−が亡くなってから、一月後、マヤは愛を連れて日本に帰国した。
彼女にとって、イギリスはハウザ−との思い出が詰まりすぎていた。
その寂しさから逃げるように日本に帰って来たのだった。
「マヤ。大丈夫かい?」
麗が心配そうにマヤに言う。
「うん。ごめんね。急に来て。来週には愛を連れてマンションに移るから・・・」
申し訳なさそうに麗を見る。
「いいんだよ。私はマヤが帰って来てくれて嬉しいよ。それに、やっと、愛ちゃんに会えた」
愛の頭を撫でながら言う。
愛はすっかりと、麗に馴染んでいた。
今日も朝から麗と一緒に遊んでいたのだ。
「そうだ!愛ちゃんも連れておいでよ。これから、つきかげと一角獣のメンバ−で舞台の打ち上げをするんだ」
麗の言葉にマヤは遠慮がちに”でも”と呟いた。
「みんなあんたに会いたがっているよ。それに、愛ちゃんにだってね。愛ちゃんは来るよね」
麗の言葉に愛は嬉しそうに笑った。
「よし、決まり!マヤ、支度して」
「わ−!マヤ!!!」
愛を連れて、打ち上げの場となる居酒屋に行くと、みんなが驚いたように声をかける。
「きゃゃゃ!かわいい!!!」
愛を見て、黄色い声があがる。
マヤは皆の反応にクスリと笑った。
ようやく、日本に帰ってきたのだと実感する。
私、帰ってきたんだ・・・。
そんな想いが胸に溢れ、マヤは涙を流した。
「マヤ?」
驚いたように麗が口にする。
「・・・ごめん。何だか、ホッとして、張り詰めていた気持ちが緩んで・・・」
涙ぐみながら、言う。
「おかえり。マヤ。大変だったね」
さやかが、マヤにハンカチを差し出し、包み込むような笑みを向ける。
「・・・ただいま」
さやかからハンカチを受け取り、涙を拭く。
「さぁ、今日はじゃん、じゃん飲もう!!」
麗の言葉に皆がコップを手にし、乾杯をした。
「社長、まだお残りだったんですか?」
社長室に入り、水城が驚いたように真澄を見つめた。
「あぁ。今日中に片付けたい書類があったものでね」
少し、疲れきった表情で答える。
「社長、あまり無理すると、お体を壊しますよ」
心配そうに水城が答える。
「・・・自分の限界は知っている。まだ、大丈夫だ」
煙草を取り出し、口にする。
全く、この人は・・・。
まだ、仕事をやめそうにない真澄を少し呆れたように見る。
「そういえば紅天女、どういたしましょうか」
水城の言葉に怪訝そうな表情を浮べる。
「・・・どうするって・・・主役の天女がいないのだから、どうにもならんだろう」
「社長、ご存知なかったんですか?天女様なら先週日本に戻って来ましたわよ」
水城の言葉に思わず、咥えていた煙草を落とす。
マヤが戻っている・・・。
一瞬のうちに真澄の心に落ち着かない想いでいっぱいになる。
「明日、紅天女の公演の事で、お見えになりますわ」
マヤが日本に戻ったのは、紅天女を演じてみたいと思う気持ちもあったからだった。
ハウザ−という支えを失ったマヤは舞台に立てば何かが見えてくると思った。
今の彼女を支えているのは舞台への想いと、娘の存在だった。
「じゃあ、愛の事、宜しくね」
麗にそう言うと、マヤはアパ−トを出た。
自分を奮い立たせるように、外を歩く。
大丈夫・・・。
もう三年もたっているのよ・・・。
私も強くなったはず・・・。
そう言い聞かせ、マヤは大都芸能への道のりを進んだ。
速水の前で堂々とできるように、少しでも動揺をさらす事のないように、マヤは女優としての仮面を被った。
「お久しぶりです」
そう言い、社長室に入って来た彼女は毅然としていた。
一、二ヶ月前にイギリスで会った彼女とはまた雰囲気が変わっていた。
何が彼女を強くさせるのだろうか・・・。
結婚したばかりの夫を亡くし、悲しみのどん底にいるはずなのに、彼女から微塵もそんな様子は見せなかった。
真澄も個人的な感情は切り捨て、ビジネスマンとして、マヤに向き合った。
「久しぶりだ。まぁ、かけたまえ」
マヤにソファ−を進め、彼女が座るの見届けると真澄もマヤの正面にかける。
「君が俺に会いに来たのはこれの事かね」
紅天女の上演権の証書をテ−ブルの上に置きながら、口を開く。
三年前にマヤが紫の薔薇の人へ贈ったものだった。
一瞬の沈黙が二人を包む。
「はい。私が日本に戻ったのは紅天女を演じたいからです。もちろん、上演の全ては所有者であるあなたにお任せします」
しっかりとした口調でマヤは告げた。
「君が上演したいと言うのなら、俺に依存はない。これは、君が月影さんから貰ったものだ。俺は預かっていただけだ」
そう言い、マヤに証書を差し出す。
「・・・いえ。これはあなたに差し上げたものです。私が持っているよりはあなたが持っている方が相応しいと思います。
私はただの俳優にすぎません。演じられさえすればそれで満足なんです。それに、私ではきっと、上演権を守っていくのは大変だと思います。
ご迷惑ではなければあなたに持っていてもらいたいんです」
真澄はマヤの言葉に考えるように彼女を見つめた。
「なるほど。そう言う事なら、俺が預からせてもらおう」
真澄の言葉にマヤはホッとしたような表情を浮べた。
一瞬の緩んだ彼女の表情にドキリとする。
「上演の方は任せてくれ、全て、大都で手配をしておく」
優しい瞳でマヤを見つめながら口にする。
「・・・ありがとうございます」
マヤは深々と頭を下げた。
そんな彼女を見つめながら、この三年の想いを巡らせる。
「君はすっかり、プロの女優になったな」
ポツリと口にする。
その言葉にマヤは不思議そうに真澄を見つめた。
「君と出あった時は、まだほんの子供で・・・俺を見ればいつも何か怒鳴っていたな」
懐かしむようにクスリと笑う。
マヤは真澄の言葉に僅かに頬を赤くした。
「・・・子供だったんです」
恥ずかしそうに口にする。
そんな姿に昔の彼女が重なる。
それが何だかホッとした。
「いつも俺に正面から向かって来る・・・そんな、君が好きだったな」
真澄の口から出た”好き”という言葉に彼の方を見つめる。
この上なく優しい瞳が彼女を見つめていた。
胸の中がざわめき出す。
「あの、私、これで失礼します」
視線を逸らし、慌てて、ソファ−から立ち上がる。
真澄は咄嗟に社長室から出て行こうとする彼女の腕を掴んでいた。
驚いたように彼を見つめる。
真澄に触れられている部分が熱くなり、鼓動が信じられない程の早さで打ち出していた。
三年前に置き去りにしたままの気持ちが再び彼女の胸を締め付ける。
私、まだ・・・速水さんの事を・・・。
「・・・離して下さい・・・」
やっとの思いで言葉を口にする。
か細いマヤの言葉に真澄はハッとしたように彼女の腕を離した。
「・・・すまない」
小さく呟いた真澄の言葉に、日本を立つ前に重なった唇を思い出す。
あの時と同じ瞳で彼はマヤを見つめていた。
「・・・そんな顔しないで下さい」
にっこりと笑い、真澄を見る。
「いつも自信たっぷりの速水さんに似合いませんよ」
茶化すように言う。
「それじゃあ、紅天女お願いしますね」
明るくそう言い、マヤは社長室を出た。
マヤ・・・。
閉まったドアを見つめ、彼もまた、自分の中にある気持ちが変わらない事を再認識していた。
泣いては駄目・・・。
泣いては駄目・・・。
マヤは社長室を出、隣の秘書室を出て、廊下に出た。
エレベ−タ−を待ちながら唇を噛む。
必死に崩れてしまいそうな気持ちを抑える。
そして、エレベ−タ−に乗り込み、一人になると、彼女の瞳を涙が濡らしていた。
声を押し殺しながら、壁に寄りかかる。
果てしない気持ちに飲まれてしまいそうだった。
「・・・社長、社長!」
「えっ」
突然の大きな声に真澄はハッとしたように周りを見た。
重役たちが不思議そうに真澄を見つめている。
彼は今、会議中だった。
「こちらの懸案について社長のお言葉を頂きたいんですが」
水城がそっと、真澄に近づき、耳うちする。
「あぁ。この件についてだが・・・」
マヤと会ってから一週間、こんなふうに真澄の魂はどこかにいってしまったようだった。
「いい加減になさいませ!」
ついに水城が真澄の態度に苛立ったように声を荒げる。
「経営者がそうでは大都は傾きますわよ」
水城の言葉がチクリと胸に刺さる。
「何を怒っているんだ。俺は別にいつもと変わらんつもりだが」
そう言い、何もないというように書類に目を通す。
「ゴホン。真澄様、それ逆さまですわ」
水城に言われ、慌てて直す。
「そんなに気になるのなら、どうして会いに行かないんですか・・・。今更、何を躊躇っているんです。
伝えたい事があるなら、ハッキリ言葉にしなければ伝わりませんわよ!」
何でもお見通しなんだなと、自分の秘書の鋭すぎる洞察力に眉を上げる。
「・・・しかしな・・・」
どうしたらいいのかわからない自分の気持ちに呟く。
「真澄様、表に車を回して置きました。紅天女の視察に行ってもらいます。予定が詰まっているんですから、お早めに支度下さい」
真澄に一言も挟ませずに言うと、水城は社長室を出た。
「・・・やれやれ、おせっかいな秘書を持ったな・・・」
マヤは大都劇場で通し稽古を行っていた。
久しぶりの紅天女に気持ちが研ぎ澄まされていく。
相変わらずの黒沼の怒声をあびながら、心地良さを感じていた。
彼女の中で眠っていた紅天女の仮面が目覚め始めていた。
「きゃははは」
真澄が大都劇場に行くと、どこからか無邪気な笑い声が聞こえてくる。
視線を向けると、見覚えのある小さな少女がロビ−で走り回っていた。
「愛ちゃん、待って!」
劇場の係り者らしき女性が彼女を捕まえるべく、悪銭苦闘をしている。
何だか、前にどこかで見た光景だな・・・。
ぼんやりとそんな事を思いながら、自分の足元の周りを嬉しそうに走り回っている彼女を捕まえる。
ひょいと、抱き上げ、じっとその子の顔を見つめる。
確かに、どこかで会ったような・・・。
真澄に抱き上げられにっこりと笑う。
興味津々に真澄を見つめ、真澄の顔に小さな手が触れる。
その瞬間、胸を締め付けられるようなそんな気持ちに襲われた。
「・・・速水社長、すみませんでした」
劇場の職員が真澄に声をかける。
「えっ、あっ、いや・・・。この子は君の子かね?」
職員の方を見ながら言う。
「いえ、その子は・・・」
と、口にしようとした瞬間、劇場の電話が鳴る。
「少しいるから、俺が預かっているよ」
真澄の言葉に、”すみません”と言いながら、慌しく鳴る電話の方に駆けていった。
「君も一緒に紅天女でも見るか?」
腕の中にいる少女に尋ねるように口にする。
真澄の問いに少女はわかってか、わからずか、笑顔を見せた。
舞台の上のマヤは別人のような表情を浮べていた。
久しぶりに目にする紅天女の姿に胸がギュッと掴まれたような気持ちになる。
少女も舞台の上のマヤを目を丸くして見つめていた。
その表情が何だか、芝居を見ている時のマヤに似ているように思えた。
かわいいな・・・。
チラリと少女を見ながら、そんな事を思う。
「よし!休憩だ!」
黒沼の声が飛び、マヤは紅天女から北島マヤに表情を戻した。
ふと、客席の方に視線を向けると、後ろの方に真澄がいた。
しかも、なぜか、その腕には愛を抱いている。
どうして、速水さんが愛と一緒に・・・。
このまま真澄と会うのは不味いと思い、わざと彼に気づかないフリをする。
「桜小路君、ちょっと」
側にいた彼に声をかける。
「うん?」
困り果てた顔をした彼女を見る。
「速水さん、いらしていたんですか」
桜小路に声をかけられる。
「あぁ。ちょっと、視察にね。稽古見せてもらったが、三年のブランクを全く感じなかったよ」
満足そうに真澄が口にする。
「ありがとうございます。その言葉を聞いて、少し、ホッとしました。ところで、速水さん、その子・・・」
桜小路の視線が愛に注がれる。
「あぁ。ちょっと、子守りを頼まれたんだよ。この子も中々の芝居好きのようだ。夢中で君たちの演技を見ていたよ」
柔らかい表情を浮かべ、愛を見つめる。
「出演者の子かね?」
速水の言葉に桜小路は”はい”とだけ告げ、誰の子かは言わなかった。
「愛ちゃんて言うんですよ。かわいいでしょ」
「愛ちゃんか・・・」
呟き、愛に宝物でも見るような視線を送る。
マヤは物陰に隠れて離れた所から、速水と愛を見つめていた。
愛に向ける彼の視線に胸が切なくなる。
もし、彼の子だと告げたら、愛を受け入れてくれるのだろうか・・・。
そんな思いが一瞬、過ぎる。
「駄目よ。そんなの」
頭を左右に振り、自分をしかるように口にする。
彼には絶対、知られる訳にはいかない・・・。
彼の重荷になるような事なんてしたくない・・・。
「マヤちゃん、はい」
速水が帰った後、桜小路が愛を連れてマヤの前に現れる。
「ありがとう。桜小路君」
愛を抱きしめ、告げる。
一瞬、愛から真澄のコロンの香がした。
彼が抱きしめていてくれた事がわかり、愛しさに涙が出そうになる。
「マヤちゃん、どうしたの?」
今にも泣き出しそうなマヤを心配するように見る。
「・・・ううん。何でもないの・・・何でも・・・」
込み上げてくる涙を堪えるように言う。
「マミ−?」
愛が心配するようにマヤを見つめる。
「愛ちゃん・・・」
マヤは愛を強く抱きしめ、ついに耐え切れず、ポロポロと涙を溢した。
劇場を出、迎えの車に乗り込み真澄はある事に気づいた。
携帯がない・・・。
上着の内ポケットに入れておいたはずの電話が見あたらなかった。
「すまないが、もう少し、待っていてくれないか」
運転手にそう告げると真澄は車を降り、再び、劇場の中に入った。
「何でもないのよ。もう大丈夫」
一泣きして、落ち着くと桜小路に言う。
「控え室に行って、愛にご飯を食べさせて来るわ」
時計を見ると、もう、午後5時を回っていた。
いつもなら、愛はとっくに夕飯を食べている。
今日の稽古は遅くまで続く事がわかっていたので、マヤは愛の為にお弁当を持ってきていた。
「マヤちゃん、本当に大丈夫?」
桜小路が優しく聞く。
「大丈夫よ」
いつもの笑顔を見せて、マヤはホ−ルを出た。
Trrr・・・。Trrr・・・。
マヤが控え室に着いた時にどこからか、携帯の着信音のようなものが聞こえた。
急いで自分のバックの中を覗くが、マヤの携帯は鳴っていなかった。
Trrrr・・・。Trrrr・・・。
鳴り止まない音に耳を傾けると、椅子にちょこんと座っている愛から聞こえているようだった。
「愛?何を持っているの?」
愛は何かを洋服の中に隠していた。
愛にはお気に入りの物を隠す癖があった。
そのせいか、よく物がなくなり、マヤを困らせていた。
マヤの言葉を無視するようにあさっての方を向く。
「こら。愛。そんな態度だと、どうなるかわかる?」
厳しい表情を向ける。
「・・・わかんない」
愛の言葉にマヤは彼女のお腹をくすぐりはじめた。
「きゃははは。きゃははは」
実は愛はマヤにこうしてお仕置きされるのが好きで、わざと困らせる事をしているのだった。
「出さないと、こうよ。ほら、ほら」
容赦なく、愛のお腹をくすぐる。
コトンッ。
愛の服から携帯が落ちる。
マヤはそれを拾うと急いで電話に出た。
「もしもし」
電話に出たその声に真澄は驚いた。
「マヤか?」
真澄の声に今度はマヤが驚く番だ。
「・・・速水さん・・・」
思わぬ電話の相手に言葉を失う。
「・・・その、今、君が持っているのは俺の携帯だと思うんだが・・・。君は今どこにいる?」
一瞬の沈黙の後に真澄が口にする。
「えっ、あっ、控え室にいます」
慌てて答える。
「そうか。じゃあ、今から行く」
そう言うと、真澄は電話を切った。
えっ・・・速水さんがここに来る?
ハッとし、愛を見る。
不味い、愛と一緒にいる所を見られる訳には・・・。
「ありがとう」
電話ほ置くと、真澄は劇場の受付にそう言った。
しかし、どうしてマヤが俺の携帯を・・・?
控え室に向かいながら、ふと、そんな事を思う。
確か今日はマヤとは会っていない・・・。
舞台の上の彼女を見つめていただけだ・・・。
あの子と一緒に・・・。
うん!?
真澄の中で何かが過ぎる。
「・・・愛ちゃんて言ったよな・・・あの子」
「いい。愛、かくれんぼよ。出て来たら負けるからね」
そう言い、控え室のクロ−ゼットの中に愛を隠す。
コンコン・・・。
ドアを叩く音がする。
「はい。どうぞ」
クロ−ゼットのドアを閉め、口にする。
扉が開き、真澄が部屋に入ってくる。
一瞬、視線が重なり、胸が高鳴る。
「あの、これですよね」
躊躇いがちに携帯を差し出す。
「あぁ」
確かに自分のものだと、確認しマヤから受け取る。
その瞬間、指と指が触れ、強い衝撃が二人の体を駆け巡る。
驚いたように互いの顔を見つめ合い、そして・・・真澄は溜まらず、マヤを抱き寄せた。
「・・・ずっと、こうしたかった・・・」
しっかりとマヤを抱きしめ彼女の耳元で囁く。
耳にかかる熱っぽい声にマヤの中にある真澄への想いが走り出しそうになる。
「・・・ずっと、後悔していた。君を抱いたあの夜に自分の気持ちを告げなかった事を・・・後悔していたんだ」
少し掠れた声が告げる。
「・・・俺は君を・・・」
マヤを真っ直ぐに見つめる。
「マミ−?」
真澄が次の言葉を口にしようとした瞬間、クロ−ゼットから愛が出て来た。
愛は抱き合っている二人をきょとんとした表情で見つめていた。
「・・・愛ちゃん」
愛に驚いて、真澄の腕が緩んだ隙にマヤは愛に駆け寄った。
今、確かにマミ−って・・・まさか、この子はマヤの子?
そういえば、この子を初めて見たのは、イギリスのハウザ−のオフィスだった。
鮮明に記憶が蘇り、じっと愛を見つめる。
「・・・君の子だね?」
確信をついたように口にする。
真澄の言葉にビクッとする。
マヤは誤魔化すべきか、正直に言うべきか迷っていた。
「Is she your mother?」
答えないマヤの代わりに真澄は愛に向かって英語で話し掛けた。
愛は大きく頷いて、マヤに抱きついた。
やっぱり・・・。
愛に真澄がいくら話し掛けてもきょとんとして、ただ笑っていたりしていた訳を知った。
イギリスにずっといたのだ。
日本に来たばかりの愛にはまだ日本語は馴染みのあるものではなかった。
「I love my mother most in the world」
真澄を見つめながら、たどたどしく愛が口にする。
マヤはその言葉に胸が熱くなった。
私、この子の事を隠そうとしていた・・・。
クロ−ゼットに愛を隠していた事に罪悪感が募る。
「I also love your mother most in the world.」
愛を優しい瞳で見つめ、口にする。
マヤはその言葉に瞳を大きく見開いた。
「・・・君を愛している。何があってもこの気持ちは一生変わる事はない」
真澄の言葉にポトポトと涙が毀れる。
「・・・私はあなたの気持ちに応えられない・・・」
マヤの中にあるハウザ−への想いがそう口にさせた。
ハウザ−よりも真澄を愛している事が罪の意識となって彼女の心に刺さる。
本当はすぐにでも、真澄の広い胸の中に飛び込んで行きたかった。
でも・・・。
マヤにはできなかった。
命を引き取る瞬間、淋しそうにマヤを見つめていたハウザ−の瞳が頭から離れないのだ。
「・・・わかっている。君がハウザ−氏を愛している事は知っている。それでも、口にせずにはいられなかった」
マヤの心を見透かすように口に言う。
「・・・すまない・・・。君を悩ませるつもりはなかった・・・ただ・・・」
そこまで口にし、真澄は自分の方を見つめている愛と視線があった。
「・・・その子はハウザ−氏との子供ではないね」
真澄の言葉にドキリとする。
マヤにとって一番聞かれたくない事だ。
「・・・父親の名前は言えません」
冷たく突き放すように言う。
マヤの反応にあの晩の事が浮かぶ。
「その子は2歳ぐらいか・・・となると、父親と関係を持ったのは三年前・・・。丁度、俺と君がベットを共にしたのも、それぐらいだった・・・」
真澄の言葉に、ビクッとマヤの肩が震える。
「やめて下さい!!」
真澄の方を振り向き、叫ぶ。
その表情は涙に濡れていた。
「いくら言葉がわからないからと言っても、愛の前なんですよ・・・」
母親の顔をし、マヤが言う。
「・・・お願いです。この子の父親は誰かは聞かないで下さい」
辛そうに表情を歪めるマヤに真澄はそれ以上言葉を続けられなかった。
「・・・父親の名前は言えないか・・・」
行き着けのバ−に行き、答えを求めるようにグラスを何杯も空ける。
あの子はやっぱり俺の子ではないのか?
違うとしたら・・・一体、誰の子だ?
一瞬、桜小路の事が浮かぶが、違う気がした。
嫉妬に近い気持ちが苛立ちをさらに募らせる。
自分以外にマヤのぬくもりを知っている者がいるかと思うと、許せないのだ。
勝手だな・・・。
そんな事を思うなんて・・・。
見境のないジェラシ−に苦笑を浮かべ、またグラスを空ける。
「・・・答えられない・・・相手か・・・」
マヤがどんな想いで愛を産み、育てて来たかを考えると胸が締め付けられた。
「・・・くそっ!」
マヤは速水に真実を口にする事はできなかった。
言ってしまえば、速水の腕の中に飛び込んでいかずにはいられない自分が嫌だったからだ。
ハウザ−は愛を実の娘のように接してくれた。
そんな彼の想いを裏切りたくはなかった。
マヤは一生、真澄に自分の気持ちを口にする気はなかった。
愛さえ側にいてくれればいい・・・。
それ以上は望んではいけないと自分を戒めるように何度も心の中で呟く。
マヤの表情からは日に日に笑顔が消えていった。
そして、ある日、マヤは舞台の上で倒れた・・・。
「・・・マヤ!」
病室のベットの上で眠る彼女は青白く、少し痩せたように見えた。
「・・・どうして、マヤがこんな目に・・・」
やりきれない想いが胸を締め付ける。
「・・・速水さん・・・」
凍りついたようにマヤを見つめる彼に誰かが声をかける。
振り向くと、愛を連れた麗がいた。
愛はベットの上で眠るマヤを不思議そうに見つめていた。
「・・・マミ−?」
不安気に声を駆けるがマヤからは何の反応もない。
「・・・マミ−、マミ−、マミ−・・・」
マヤに必死で声をかけるが、その声は届かなかった。
母親を呼ぶ、愛の健気な姿に胸が熱くなる。
真澄は愛を安心させるようにギュッと抱きしめた。
「愛ちゃん、ママは今、ご病気なんだ」
愛にわかるように英語で話す。
「病気?マミ−、お熱があるの?」
愛の言葉に真澄は頷いた。
「だから、ママが治るまで、おじさんと一緒にいてくれるかな?」
真澄の言葉に愛は考えるように真澄を見た。
「・・・うん」
少し、涙ぐみながら頷く。
真澄はそっと、愛の髪を撫でた。
「青木君、マヤが目覚めるまで愛を俺に預からせてくれないか?」
麗の方を向き、真澄が口にする。
麗はその言葉に驚いたように彼を見た。
「・・・頼む。この子と一緒にいたいんだ。淋しい思いはさせない。必ず面倒を見る。だから・・・」
めったに人に頭を下げない彼が麗に頭を下げ、頼む。
真摯な真澄の気持ちが伝わってくる。
「・・・どうして・・ですか?」
麗の言葉に真澄は瞳を細めて愛とマヤを見つめた。
「・・・彼女を愛しているから・・・そして、この子の事も・・・」
その日から真澄は愛と生活を共にした。
愛を連れて帰った屋敷の者たちは皆驚いていたが、すぐに愛を受け入れた。
誰もが彼女をかわいがっていた。
真澄は麗に言った通り、仕事漬けになる毎日から、生活を愛中心へと切り替えた。
それ程、真澄にとって愛は愛しい存在だった。
例え、父親が自分ではなかったとしても、愛する女性の子供なら、愛しく思えた。
毎日会社を午後8時には出て、マヤの病室を訪れ、その後は愛が待つ家へと帰りを急いだ。
「ましゅみ、ご本、読んで」
愛と真澄はすっかり同じベットで眠る仲になっていた。
毎晩のように真澄は愛に絵本を読んであげた。
愛は嬉しそうに真澄の声に耳を傾ける。
時折、マヤを恋しがって泣く事はあったが、そんな時は真澄が優しく一晩中でも抱きしめていた。
そして、季節は流れ、マヤが意識を戻さぬまま愛は3歳の誕生日を迎えた。
「今日は愛の幼稚園の入園式だったよ。君にも見せてあげたかったな」
幼稚園の制服を着た愛を連れて、マヤの病室を訪れる。
「マミ−、愛ね。バラ組みなんだよ」
嬉しそうにバラ組みとかかれバッチをマヤに見せる。
そんな光景が微笑ましくて、クスリと笑みを溢す。
「・・・ねぇ、ましゅみ。マミ−いつお目目をあけるのかな・・・」
じっとマヤを見つめたまま、ポツリと淋しそうに愛が口にする。
「・・・愛が悪い子だから・・・マミ−、お目目開けないのかな・・・」
愛の大きな瞳から大粒の涙が毀れる。
”もう、意識は取り戻す事はないでしょう・・・”
マヤが入院してから一月後、医師からの見放された言葉が脳裏に蘇る。
「そんな事ない。ママは愛がいい子だって知ってるさ」
愛の頬に触れ、親指で大粒の涙を拭い去る。
「あと少ししたら、きっと目を開ける。もう少し、待っていよう」
「・・・あと少しって?どのくらい?来週の遠足まで?その次のお歌の発表会まで?」
不安そうに真澄を見つめる。
「・・・そうだな・・・。お歌の発表会までには・・・きっと、ママ起きるよ」
気休めにしかならないとわかっていても、愛に見つめられて、そう言わずにはいられなかった。
「だから、それまで、もう少し、我慢しような」
愛の髪を愛しそうに撫でながら言う。
真澄の言葉に頷き、小さな手で涙を拭く。
マヤ、俺は愛にこれ以上、何て言ってやればいい・・・。
愛を抱きしめ、眠ったままのマヤに心の中で問い掛ける。
俺も愛も君が恋しくて堪らない・・・。
頼む、もう一度だけ、瞳を開けてくれ・・・。
愛の為に・・・。
俺の為に・・・。
「マヤ」
そう声をかけられて、振り向くと、ハウザ−がいた。
「・・・ジョン」
彼との再会に薄っすらと、涙を浮べる。
「私、私・・・」
気持ちを口にしようとするが、涙で言葉が出てこない。
「しっ。何も言わないで・・・」
人差し指をマヤの口の前で、立てる。
「君の言いたい事はわかっている。本当はね、ずっと知っていたんだ・・・。
君が愛しているのは僕じゃないって・・・。僕は彼の代わりにはなれないって・・・」
淋しそうにマヤを見つめる。
「だから、いいんだよ。彼の元に行って・・・。僕は僅かな間だけど、君と、愛の側にいる事ができて、
幸せだったから・・・。それに、やっと、ステラに会えたんだ・・・」
穏やかな笑みをマヤに向ける。
「いつまでも、ここにいちゃ駄目だ。君を待っている人たちがいるよ」
そう言い、ハウザ−が示した場所からは、真澄と愛の姿が見える。
「マヤ、二人のもとに帰るんだ・・・」
いつの間にか、真澄は仮眠ようのベットで愛と一緒に眠ってしまったようだった。
薄っすらと目を開けると、窓の外には琥珀色の月が出ていた。
そして、それを見つめている彼女の姿があった。
「・・・マヤ・・・」
ベットから起き上がり、窓の外を見つめている彼女に驚いたように声をかける。
真澄の声にマヤはゆっくりと振り向いた。
「夢の中で、彼に、ジョンに会ったの。そして、帰れって言われた・・・」
「・・・待ってたよ。君が帰って来るのを・・・」
真澄の瞳から一筋の涙が落ちる。
マヤの瞳にも涙が浮かぶ。
「会いたかった。あなに。私、あなたの事・・・」
そこまで言い、言葉を詰まらせる。
真澄は彼女の存在を確めるようにしっかりと抱きしめた。
「・・・いい、何も言わなくて・・・。君がこうして、この世に存在してくれるなら・・・、俺は何も望まない・・・」
涙に掠れる声で呟く。
マヤは真澄の腕の中で閉じ込めていた感情を解放するように泣き崩れていた。
その日から3日後、マヤは退院した。
「マミ−!見てみて!」
公園内を走り周りながら、愛が目を輝かせてマヤに話し掛ける。
マヤはそんな愛が堪らなく愛しかった。
「あっ!ましゅみ!!」
マヤと愛の方に向かって歩いて来る真澄の姿を見つめて、嬉しそうに彼の名を口にする。
”愛ちゃんね、ずっと、速水さんといたんだよ・・・。”
麗の言葉が心に浮かぶ。
退院してから一週間、マヤは麗や、愛から毎日のように真澄の事を聞かされていた。
その話を聞いた時、マヤはとても信じられなかった。
慌しい生活を送る彼が愛の為に時間を割いてくれていたなんて・・・。
「愛。いい子でいたか?」
真澄に駆け寄って来た愛を抱き上げ、優しい瞳で見つめる。
「うん」
元気の良い返事する。
「・・・君は、もう大丈夫かい?」
愛を抱き上げたまま、マヤに近づき、気遣うように見つめる。
「・・・はい。もう、大丈夫です。速水さんこそ、無理言ってすみませんでした。お仕事中だったでしょ?」
実は今日、速水がマヤたちの前に現れたのは愛がどうしても真澄に会いたいと、ぐずった為だった。
「いや、いいんだよ。俺も愛と君に会いたかったから・・・」
そう言った時の真澄の瞳に胸が高鳴る。
「・・・あの、本当にいろいろとありがとうございました。愛の事ではすっかりお世話になってしまって・・・」
視線を逸らし、少し早口で言う。
「おちびちゃんとの生活、中々楽しかったよ」
「えっ」
真澄の言葉に思わず、彼を見る。
「おちびちゃん二号って言った方がいいかな」
クスリと笑い、マヤを見つめる。
懐かしい呼び名にマヤの表情が綻ぶ。
「そう言えば、速水さんによくそう言われてからかわれましたよね」
「そうだっけ?あれは俺なりの親しみを込めた呼び名だったんだかな」
真澄の言葉に今度はマヤがクスリと笑う。
「あっ!ましゅみ、おろちて!」
愛が何かを見つけ、真澄に言う。
「えっ、あぁ」
少し名残惜しそうに愛を地面に降ろす。
愛は真澄の手から離れると、公園内の池の前に行き、珍しそうに水鳥たちを見つめていた。
「好奇心旺盛だな」
微笑を浮かべながら、愛を見る。
「それに、あんな無邪気な表情が君にそっくりだ」
眩しいものでも見つめるように瞳を細める。
「・・・どうして、私が意識のない間、愛を預かってくれたんですか?」
ずっと、疑問に思っていた事を口にする。
「えっ」
愛から視線をマヤに移す。
「忙しい社長のあなたが、仕事を削って愛の為に随分と時間を割いてくれたと聞きました」
真澄はマヤの言葉に何かを考えるように、視線をまた愛に戻した。
「・・・以前、君に言ったよな。君を愛しているって・・・」
真澄の言葉にドキリとする。
「その気持ちは俺の中で変わる事はないって・・・。だから、例え、愛の父親が見知らぬ男でも、
俺は愛が愛しくて堪らないんだ。愛する人の娘だから・・・。君を想う程、愛が愛しくて堪らない・・・」
愛しさを伝えるような視線をマヤに向ける。
「・・・速水さん・・・」
真澄の深い想いに胸が熱くなる。
「君に振り向いてもらえなくても、俺は生涯、君を愛し続ける。これだけは何があっても変わらないんだ。君には迷惑かな、やっぱり」
その言葉にマヤの心の扉が開く。
「・・・愛って名前をつけたのは、愛する人との間の子供だったからなんです。私、あの子を授かった時、とても、嬉しかった。
神様からプレゼントを貰ったみたいで・・・だから、産もうって決めて、イギリスに渡って・・・」
真澄より、一歩先を歩き、愛を見つめる。
「・・・あなたに迷惑をかけたくなかったから、愛の事は黙っていたんです。あなたの重荷になりたくなかったから・・・」
くるりと、真澄の方を振り向き、真っ直ぐに彼の視線を捉える。
マヤの言葉に大きく瞳を見開き、彼女の次の言葉を待つ。
「・・・愛はあなたと愛した合った時にできた子です」
マヤの言葉に嬉しさがこみ上げてくる。
「・・・私も、この気持ちは変わらない。どんなにあなたを忘れようと思っても忘れられなかった。あなたが愛しくて、愛しくて仕方がないの。
あなたに会う度にどれだけあなたを愛しているかを知るの・・・どうして、こんなに心があなたに惹かれるかわからない。もう、自分でもわからない程
あなたを愛しているんです」
胸の内の想いを全て口にし、真澄を見つめる。
「・・・マヤ・・・」
真澄はギュッと彼女を抱きしめた。
二人は初めて、互いが同じ思いだった事を知った。
「もう、君も愛も放さない・・・。ずっと、ずっと、一緒だ・・・」
真澄の言葉にマヤは静かに頷いた。
そして、三ヶ月後・・・。
純白のウェデイングドレスに身を包んだマヤがいた。
「マミ−、お姫様みたい・・・」
目をキラキラと輝かせ、愛がマヤを見つめる。
「ありがとう、愛」
幸せそうな笑みを浮かべ、愛を見つめる。
「そろそろ時間だぞ」
真澄が花嫁の控え室の扉を叩き、顔を出す。
「あっ、ますみ!」
白いタキシ−ドを着た彼に愛が声をかける。
「おっ、かわいいなぁぁ」
愛のフワフワのドレス姿にこれ以上ない程、顔を緩ませる。
「ゴホン。花嫁には何か言葉はないんですか?」
愛に目を奪われている真澄にマヤが言う。
「えっ、あぁ・・・」
マヤの方に視線を移し、その美しさに言葉を失う。
素っ気無い返事にマヤはやれやれというカンジで愛を見た。
「あなたにはまだ負けないわよ」
と、わざと嫉妬深そうに愛に言った。
「愛だって、マミ−に負けないもん」
よくわからずに愛が口にする。
その瞬間、可笑しくて、真澄とマヤは笑みを溢した。
幸せな笑い声がいつまでも親子3人を包んでいた。
THE END
【後書き】
終わった−−−!!!ここまで長かったです(笑)
今回はMeilan様のリクエスト(←リクエスト内容を知りたい方はここをクリック)に沿って書いたつもりですが・・・
う・・ん、やっぱり、少し、脱線気味だったかな、なんて、反省する箇所も少々(笑)
まぁ、とにかく、無事書き終われた事にホッとしております。
ここまで、お付き合い下さった方、お疲れ様でした♪
リクエストを下さったMeilan様、訪問者の方々に感謝の気持ちを込めて・・・。
以上、Catでした。
2001.12.2.