紫の薔薇




「大都芸能の速水真澄があなたのお母さんを殺したのよ」
その言葉がずっとマヤの心の中を占めていた。

殺してやりたい・・・殺してやりたい・・・。
あの男を・・・。
仕事の為に私の母を殺したあの男を・・・。
つきかげを潰し、今度は私から母を奪ったあの男を殺してしまいたい。

「・・・マヤちゃん、大丈夫?」
病室にいる彼女を水城が見舞った。
明らかにマヤの表情は憔悴しきっている。
水城の問かけには何も応えず、ぼんやりと宙を見つめていた。
まるで、どこかに心を置いてきてしまったような、そんな表情だった。

「・・・マヤちゃん・・・」
痛々しいマヤの姿に水城の胸も痛んだ。






「マヤの様子はどうだ?」
社に戻った水城に速水が問い掛ける。
「・・・あまりにもショックが大きすぎて、精神の後退をおこしていると・・・担当医が言っていました」
水城の言葉に大きく瞳を見開く。
「・・・何だって・・・精神の後退だと・・・」
二日前に真澄が病室に行った時は彼女は大きなショックを受けていたが、何とか彼と会話をしていた。
マヤの容態が急変したのは、真澄が病院を出てから、数時間後だった。
突然、意識を失い、それから目を覚ましたと思ったら、何にも反応がないのだ。
誰が何を話し掛けても、マヤはただ、ぼんやりとしているだけだった。
「・・・治る見込みは?」
搾り出すような声で口にする。
「・・・彼女が現実を受けいられられた時だそうです。それがいつになるかは全く・・・」
重たい表情で水城が答える。
「・・・そうか。ご苦労だった」
「・・・社長、いえ、真澄様、これからあの子をどうなさるおつもりですか?」
厳しい視線を真澄に向ける。
「・・・何があっても、大都があの子を守るさ・・・こうなってしまった責任は俺が取る・・・」




「・・・ちびちゃん・・俺だ?わかるか?」
速水が病室を訪れると、真っ暗な部屋でぼんやりと窓の外を見つめている彼女がいた。
その姿が酷く痛々しい。
マヤは速水の問いには何も答えず、夜空に浮かぶ月を見つめている。
その瞳はうつろでまるで何も見えていないようだった。

俺がこの子を壊してしまった・・・。
俺が・・・。

自分の犯した罪の大きさに真澄は強い罪悪感に襲われた。

「・・・ちびちゃん・・・すまない・・・何と言って謝れば君は元に戻ってくれるんだ?許してくれとまでは言わない・・・。
だが、このままでは君は女優として命を失う事になる」
マヤの顔を覗き込み、告げるが、やはり何の反応もない。
「・・・俺は君の舞台が好きだ・・・。君もそうだろ?演じるのが何よりも好きだったんじゃないか?」
瞳を見つめ、心からの言葉をかける。
「・・・マヤ・・・頼む。戻ってきてくれ・・・俺は・・・俺は・・・」
たまらず、ギュッと華奢な彼女を抱きしめる。
真澄の瞳から涙が溢れていた。
「・・・君の紅天女が見たい・・・」
真澄は一晩中涙を流し続けた。
罪の色に染められた涙を・・・。

大都芸能の社長としてではなく、それは一人の人間としての涙だった。



「もう、あなたにお願いするしかない」
アクタ−ズスク−ルを訪れ、真剣な表情で月影を見つめる。
「・・・あの子を・・・マヤを助けてやって下さい」
深々と頭を下げる真澄に月影は驚いていた。
決して頭を下げる事のない冷血漢とさえ言われている彼が今、これ以上ない程、自分に頭を下げるのだ。
「・・・真澄さん、あなたが頭を下げるなんて・・・」
さすがの月影も言葉を失いそうになる。
「私はあなたからお預かりした大切な才能を壊してしまった。情けない話・・・もう、私ではどうするべきかわからないんです」
いつも自信に満ちている真澄が不安そうに月影を見る。
「お願いです。あの子を元に戻してやって下さい。もう、あなたしか頼める方がいない」
すがるような瞳で月影を見つめる。

「・・・真澄さん、わかりました。マヤに会わせて下さい・・・」
月影は心を決めたように告げた。




これが本当に・・・マヤなの?
病室で眠るマヤは随分と痩せ細っていた。
元気そうだった面影はどこにも見当たらない。
月影は自分の育て方が間違ったのではないかと・・・胸を痛めた。

「・・・マヤ・・・こんなに痩せて・・・」
眠る彼女の頬にそっと触れる。
「マヤ、わかりますか?私です。月影です」
静かに問い掛ける月影の言葉に一瞬、ピクリとさせ、瞳をあける。
「私がわかりますか?」
月影の言葉にマヤはコクンと頷いた。
誰が何を言っても反応しなかったのに、初めてマヤが応えた瞬間だった。
その様子を見守っていた真澄の心に熱いものが過ぎる。
「・・・先生・・・私・・私・・・」
月影の姿を確認すると、唇を震わせ小さな声で口にする。
その瞳には涙がとめどなく流れていた。
「・・・先生!!!!!!」
マヤは月影の胸の中に飛び込み、生まれたばかりの赤ん坊のように泣きじゃくった。
頼るものを失い・・・これからどうしたらいいかわからない・・・そんな涙だった。

マヤ・・・。

その姿に罪悪感がこれ以上ない程溢れる。
真澄はたまらず、病室を出て、人知れぬ場所で涙を流した。

それから一週間、マヤは何とか健康を回復して退院した。
しかし、退院した彼女にもう舞台の仕事はなかった。
事実上、彼女は芸能界を失脚させられたのだ。

大都が用意したマンションでぼんやりと一日を過ごす。
これから自分がどうするべきなのか、マヤには全くわからなかった。
心の底にあった演劇への炎も今は消えてしまいそうな程だ。
考える事は母親の事ばかり・・・。
何かを演じようと思ってもすぐに母への想いが浮かび、仮面が被れないのだ。

「マヤちゃん、ドライブにでもいかない?」
一日一度は水城がマヤを心配してマンションに訪れていた。
「えっ・・・ドライブ?でも、水城さん、私、そんな気になんか・・・」
積極的に外に連れ出そうとする水城に暗い表情を浮かべる。
「もう、三日も閉じこもりっぱなしじゃない。駄目よ。たまには外に出ないと」
半ば強引に水城はマヤを連れ出した。



水城がドライブに選んだのは海岸線沿いのコ−スだった。

窓を開けると、潮の香りが心地よく薫り、沈みきっていたマヤの表情を少し明るくさせた。
「綺麗・・・」
真正面に広がる鮮やかな海にマヤは瞳を見開いた。
「フフフ・・・。ここね。私のとっておきの場所なの。何か辛い事とかあると車を走らせて海を見つめるの。
雄大な海を見ていると私の悩みなんて小さなものなんだなって思える気がしてね」
クスリと笑い水城は海を見つめた。
「・・・水城さんでも悩みとかあるんですか?」
以外そうに水城を見る。
「そりゃ、私だって人間ですからね・・・悩みの一つや二つあるわよ」
苦笑を浮かべ、チラリとマヤを見る。
「・・・そっか。水城さんにも悩みってあるんですね」
納得したように素直に答える。
そんなマヤが可笑しくて、水城きまた笑みをこぼした。
「・・・ねぇ、マヤちゃん辛い時はいっぱい泣いていいのよ。
でも、泣いただけで終わっては駄目。そこから立ち上がらないとね。いつまでたっても前には進めないわ」
優しい声でそっと囁く。
「・・・水城さん・・・」
水城の言葉にマヤの胸はじ−んと熱くなった。
「あなたのファンだって、待っているわ。あなたが笑顔を浮かべられるようになる日を」
水城の言葉に紫の薔薇の花束が浮かぶ。
入院中も何度となくマヤの病室にそれは届けられていた。

「・・・会いたいな・・・紫の薔薇の人に・・・」

ポツリと呟き、マヤは目の前の海を見つめた。
その表情が何とも寂しさうで、できる事なら、水城は彼女に会わせてあげたかった。

しかし・・・それは無理な話。
紫の薔薇の人の正体はマヤが世界で一番憎んでいる速水真澄なのだから。

「・・・マヤちゃん、社長の事・・・どう思う?」
水城の言葉に一瞬にして彼女の表情が辛そうになる。
「顔もみたくない・・・あんな人!できる事なら、この手であの人を殺してしまいたい」
憎悪を表情に浮かべた彼女は、ゾッとするような瞳を浮かべていた。

・・・マヤちゃん・・・。

水城はどうしようもなく広がってしまった真澄とマヤとの溝にやりきれない思いに駆られた。




「・・・殺してしまいたい・・・か・・・」
水城の言葉に真澄は苦笑を浮かべた。
「俺と彼女は一生・・・交わる事はないのだろうな・・・」
煙草を口にし、白い煙をはく。

いいさ・・・憎め。
君が俺を憎むのなら、俺は徹底的に憎まれ役になってやる。
君を再び舞台に戻すためにな。

真澄はマヤへの今後の態度を心に刻んだ。
「社長、これから彼女をどうするつもりですか?」
水城の問いに真澄は覚悟を決めたように口を開いた。
「・・・舞台に立たせる。何があってもな」





「やぁ、ちびちゃん、久しぶりだ」
社長室に現れたマヤは予想通り、憎いとでも言わんばかりに速水を睨んでいた。
「・・・何ですか。私に用って」
これ以上、真澄と一緒にいるのも耐えられないというように嫌悪感を露にする。
「仕事だ」
ポンと机の上に台本を投げつける。
「そろそろ君には働いてもらわんとな。うちは所属タレントにただ飯を食べさせる程甘くはないんでね」
いつも以上に冷たい言い方で告げる。
真澄の言葉にマヤは憎しみを込めた眼差しで彼を見た。
「私、暫く舞台に立つ気はありません!どうぞ、私を解雇して下さい」
マヤの言葉に真澄はクスリと笑った。
「解雇だと?君にいくら元手がかかっているか知っているのかね?君との契約はまだまだ残っている。
今、やめさせる気はない。まだ元を取っていないからね」
煙草取り出し、煙をフ−ッとマヤに吹きかける。
「まぁ、君が違約金を払ってくれるのだと言うなら考えてもいいがな。君に払えるかね?」
冷笑を浮かべ、マヤを見る。
「じゃあ!私にどうしろと言うんですか!!」
耐え切れず、声を露にする。
「・・・舞台に立て!大都との契約が残っている限り君には舞台に立ってもらう」
マヤの瞳を真っ直ぐに見つめながら言い放つ。
「・・・無理です!今の私には無理です!」
泣き出しそうな瞳で真澄を見つめる。
「・・・そんな泣き事聞く程、俺が甘くないのは君も知っているだろう」
そう言うと、マヤのか細い腕を掴む。
「何するんですか!」
「決まってる。これから舞台の稽古場に行くんだ」
ジタバタと暴れるマヤを一気に抱えあげ、真澄は社長室を出た。

「この人でなし!!」
マヤの叫び声が廊下に響く。
「・・・社長、一体・・・」
水城がその騒ぎを聞きつけ現れる。
「今からこの子を舞台の稽古に連れていく。車を表にまわしといてくれ」
それだけ言うと、真澄はマヤが叫んでいるのもお構いなしにエレベ−タ−に乗り込んだ。
社内にいる社員たちはこの騒ぎに、誰もが言葉を失っていた。



「・・・遅れました。北島です」
真澄はマヤを抱えたまま稽古場に現れた。
演出家は大都芸能の社長自らが来た事と、真澄の腕の中で暴れている北島マヤにあっけにとられた。
「放して!!私はもう舞台には立たないのよ!!!」
稽古場に着いた今もマヤの態度は変わらない。
「いい加減にしないか!」
パンっとマヤの頬を叩き、黙らせる。
マヤは驚いたように真澄を見つめた。
「君もプロの端くれだろ?プロなら俺に意地を見せてみろ!」
真澄の言葉にマヤの中の何かが奮い立たされた。
「台本下さい」
真澄の腕から開放され、演出家に言う。
マヤの中の闘志が演じる事求めていた。

ちびちゃん・・・。

真澄はその様子にホッとため息をつき、その日はずっと彼女の稽古を見つめていた。
そして、そのまた次の日も、次の日も・・・マヤが逃げ出さないように真澄はつききっりで稽古場を訪れた。
当然、社長業の方には大きな穴が空く結果となった。
だが、真澄は睡眠を削る事でそれをカバ−した。
ほとんど、一睡もしないでマヤに付き添い、仕事をこなす。
そんな事が一月以上も続き・・・とうとう、真澄は倒れた。



「えっ!速水さんが・・・」
稽古場に行く時間に真澄ではなく、水城が現れ、マヤはその事実を知った。
連日のように真澄に悪態をつき続け、いつの間にか、マヤの中の気持ちは変わっていた。
「睡眠も取る暇がなかったから・・・」
水城の言葉に改めて真澄が自分のためにどれだけの時間を割いていてくれたかがわかる。
「・・・そんな・・・まさか、私のせいですか?速水さん忙しいのにずっと私についていたから・・・」
その言葉に水城は静かに苦笑を浮かべた。
「・・・社長はあなたに立ち直ってもらいたかったのよ・・・あなたの母親を奪ってしまった事に誰よりも責任を感じてね」

あの冷血漢が・・・?

水城の言葉が信じられなかった。
真澄がそんなふうに責任を感じるなんて彼女の中のイメ−ジの中の彼とは全く結びつかない。
ここ一ヶ月マヤを監視するようにいた彼は、やっぱり冷たくて、マヤが少しでも弱音を吐くと、傷つけるような事を平気で言い、彼女を傷つけたのだ。
その度にマヤは悔しくて、見返してやる!!という思いに駆られていた。
「・・・嘘!速水さんが責任を感じていたなんて・・・。あの人はただ、私を舞台に立たせたかっただけよ」
水城の言葉を否定するように言う。
「社長があなたを舞台に立たせた所で何の得があると思う?冷たい言い方だけど、今のあなたは商品としての価値は全く0に等しいのよ。
あなたがただの商品だったら、社長はここまであなたに関わらないで、さっさと契約を破棄させたわ」
マヤは信じられないというようにじっと水城を見つめてた。
「だって・・・だって・・・じゃあ、どうして?どうして私なんかの為に・・・速水さんが・・・倒れるまで・・・」
「マヤちゃん、あなた最近泣かなくなったわね」
暫くの沈黙の後に水城が何かを思い出したように呟く。
「えっ」
水城の言葉の意図が読めなくて不思議そうな表情を浮かべる。
「だって・・・泣いていると・・・速水さんが私を怒らせるような事を言って・・・あっ」
そこまで口にしてマヤは真澄の気持ちに気づいた。

速水さんが私についていたのは逃げないように監視していたんじゃなくて・・・私に悲しみを忘れさせるため・・・。

「社長はね。あなたのファンなのよ。それも並大抵の想いじゃないわよ」
水城の口から出た”ファン”という言葉に心の中の何かがひっかかった。
「まだ、社長の事が殺したい程憎い?」
そう聞かれ、不思議と以前感じていた憎しみがいつの間にか違う想いに変わっていた事に、マヤは驚いた。
「・・・わからない・・・速水さんを憎んでいるのか・・・。でも、会いたいです。今すぐ速水さんに会いたい」
マヤの言葉に水城はにっこりと笑い、彼女を真澄が入院している病院に連れて行った。





「・・・稽古はどうした?」
意識を取り戻した真澄は病室にマヤが入ってくるなり、冷たい表情で言い捨てた。
「相変わらずですね」
真澄の想いを知ってしまうと、そんな言葉がくすぐったく思える。
「大丈夫です。もう逃げ出したりなんてしませんから。それより、速水さんこそ、体調の方どうですか?」
自分を心配するマヤの言葉に真澄は目をパチクリとさせた。
「・・・珍しいな。君が俺の事を心配するなんて」
苦笑を浮かべる。
「私だって、人並みの優しさは持っています!」
真澄のいつもの態度につい、言葉を荒げる。
「ははははは。そうだったのか。それは知らなかったよ。君にはいつも怒鳴り散らされているからね」
可笑しそうに笑い声をあげる。
「その様子だと・・・もう、大丈夫そうですね」
「あぁ。まあな。君にとっては残念だろうがね」
「・・・残念だなんて・・・。ホッとしてます。速水さんが大した事じゃなくて。もう、誰かが突然いなくなってしまうなんて嫌ですから・・・。
例えあなたでも・・・いなくなってしまったら私、今度こそ立ち直れません」
不安そうな瞳を向ける。

・・・ちびちゃん・・・。

真澄はマヤの言葉が信じられたなかった。
「君は変な事を言うな・・・。俺を殺したい程憎んでいるんじゃないのか?いいんだぞ。無理をしなくて・・・。
俺は取り返しのつかない事をしてしまった。一生君に許される事はないと思っている・・・」
初めて心の中にある罪の意識を口にする。
そんな真澄の瞳が今まで見た事のない辛そうなものに見えた。

速水さん・・・。

この時、マヤは初めて真澄がどれだけ辛い思いをしていたか知った。
ずっと、母親を亡くして苦しいのは自分だけだと思ってきた。
彼がまさかそんなふうに思っていたなんて夢にも思わなかった。
「・・・ごめんなさい。私、あなたばかり責めていた。誰かのせいにしたくて・・・そうする事が一番楽だったから。
でも、本当は一番いけないのは私。母さんを捨てて芝居を選んだ私がいけないの。ごめんなさい。速水さん。ごめんなさい」
いつの間にかマヤの瞳からは涙が流れていた。
「・・マヤ・・・」
そっとマヤを抱き寄せ、真澄はその涙を受け止めていた。





「舞台、観に来て下さいね。初日はあさってです」
すっかり回復して、社長業に復帰した真澄にマヤがチケットを渡す。
「・・・そうか。もうそんな時期か・・・」
思えばマヤを無理矢理稽古場に連れて行ってから三ヶ月が立っていた。
この三ヶ月互いに辛い思いをしてきた。
彼女を何とか舞台に立たせたくて、真澄はありとあらゆる事をしてきた。
今、目の前でくったくのない笑顔を見せるマヤが眩しく思える。
「是非観に行かせてもらうよ」
優しい瞳を向ける。
「・・・それから、速水さん、一つお願いがあるんです」
真剣な表情を浮かべる。
「何かね?」
「・・・この舞台が終わったら、私を大都から解放してはくれませんか?私、自分一人の力でやってみたいんです。
大都の中にいれば、あなたに甘えてしまうから・・・一人では立っていられなくなってしまいそうだから・・・。
だから、もう一度、大都ではない所で女優としてやっていきたいんです」
マヤの言葉に寂しさを感じるとともに、女優としてしっかりと立ち上がろうとする彼女の姿が嬉しかった。
「いいのか?大都から離れれば、君は舞台には立てなくなるのかもしれないぞ。覚悟はできているのかね?」
彼女の覚悟を探るように厳しい視線を向ける。
「はい。できています。どんな事があろうと私は舞台に立ってみせます」
真っ直ぐに真澄の瞳をとらえ、言い切る。
「・・・そうか。いいだろう。だが、一つだけ条件がある。君が立つこの舞台で俺を納得させろ。今までで一番いい演技をしてな・・・」
マヤは真澄の条件に鮮やかな笑顔を浮かべた。
「はい。必ずあなたを納得させる舞台を見せます」
そう言いきると、彼女は社長室を後にした。



雛鳥はいつか成長し遥か遠くへと羽ばたくものだ・・・。
傷を癒し、俺の元から飛び立とうする君が嬉しくもあり・・・寂しい・・・。
マヤ、どこまでも羽ばたけ・・・。
俺の手の届かない遠くへ・・・。
俺は何があっても君を見守り続けるだろう。
例え、手が届かなくなっても・・・。

真澄は窓の外を見つめ、羽ばたく鳥を見つめた。




「・・・彼は君の事が本当に好きなんだね」
舞台の始まる前に演出家の神埼が口にした。
「えっ」
マヤはその言葉にきょとんとした表情を浮かべる。
「社長様だよ。大都芸能の」
そう言い、神崎は顎で廊下の向こう側を歩いている真澄を示す。
「・・・速水さんが私を好き?」
「あぁ、速水真澄と言えば厳しい人だと聞いていたが、君に向ける瞳には深い愛情を感じる。
君の事が好きじゃなければ、連日のように君の稽古に付き合ったりなんかしないさ。まぁ、最初の一月だけだったが・・・。
あんな忙しい人が時間をとるなんてね・・・みんな驚いていたよ。君は速水社長に愛されているんだね」
神崎の言葉にマヤは何だか自分以外の事を言われているようだった。
「・・・速水さんが私を愛している?やだ、先生、何言ってるんですか。あの冷血漢がこんな子供の私にそんな事思う訳ないでしょ」
「恋愛に年齢なんて関係ないさ。惹かれる者はどんなにいがみ合っていても、自然と結びつく・・・」
神崎の言葉になぜか胸の奥がざわめき出していた。
「変な先生。私と速水さんはそんな関係じゃありませんよ。ただの喧嘩相手です」

「誰が喧嘩相手だ?君、また人の悪口言ってるだろう?」
廊下の向こう側にいた真澄がいつの間にかマヤの前に立っていた。
「きゃっ!」
突然話し掛けられ、マヤは驚いた。
そんなマヤの態度に苦笑を漏らす。
「そんなに驚かんでもいいだろう?俺は幽霊か?」
急に真澄の存在に胸が高鳴り出していた。
「・・・ゆ、幽霊の方がまだ可愛げがあります」
よくわからない気持ちを閉じ込めたくて、いつも以上に冷たい態度をとる。
「やれやれ、君は相変わらずだな。神崎さん、このお転婆を宜しくお願いしますよ」
二人のやりとりに神崎はクスリと暖かい笑みを浮かべた。
「えぇ。大切なあなたのお姫様です。腕によりをかけましたよ」
「それは結構。舞台が楽しみです」
神崎にそう言うとマヤに優しい視線を向ける。
「ちびちゃん、見てるからな。しっかりな」
ポンと頭に触れ、真澄は微かな笑みを浮かべた。
それはマヤが稽古に行く時にもいつも彼がしていたものだった。

”俺は君を見ているからな”
そう言い、いつもポンと頭を撫でる。
いつの間にかそうされる事で心が軽くなっていた。
真澄が稽古を見なくなってからはそれは途絶えていたが、久々の真澄の言葉と大きな手の感触に胸が熱くなった。

マヤは何も言えずただ俯いていた。





マヤの舞台は素晴らしいものだった。
とても女優生命を断ち切られそうになったものとは思えない鋭い演技、熱い表情。
舞台上の彼女は母親の死を完全に乗り越えたように見えた。
今日の彼女の役は主役とまではいかなかったが、準主役の位置だった。
観客たちは最初、北島マヤの姿にざわめき、中には野次を飛ばすものも出たが、舞台が進むに連れて、皆彼女の演技に引き込まれていった。
そして、幕が下りる頃には皆、席を立ち心の底から拍手を贈っていた。

真澄は改めて彼女の計り知れない才能に感嘆の声を漏らした。
今日の舞台はこれまで観たどの舞台よりも完璧なものだった。

「・・・ちびちゃん、君と別れるのが少し辛いな・・・」
真澄はマヤとの契約書をじっと見つめていた。




「北島さん、届いていましたよ」
楽屋に行くと、スタッフが紫の薔薇の花束を抱えて持ってきた。
「わぁ!紫の薔薇・・・」
抱きしめるように薔薇を持ち、マヤはその香りを吸い込んだ。

”舞台復帰おめでとうございます。
今日のあなたの舞台、今までのどの舞台よりも素晴らしかったです。
これからのあなたの活躍を楽しみにしています。

                         あなたのファンより”


「・・・紫の薔薇の人、来てくれたんだ・・・」
カ−ドを見つめ、嬉しそうに笑う。

コンコン・・・。
マヤが余韻に浸ってると扉を叩く音がした。
「はい。どうぞ」
返事を聞くと、真澄が楽屋に入ってきた。
薔薇を愛しそうに抱えている彼女に思わず、優しい瞳になる。
「・・・邪魔だったかな」
真澄の視線が紫の薔薇にある事に気づくと、マヤは照れくさそうに薔薇をテ−ブルの上に置いた。
「・・・いえ」
「紫の薔薇の人か・・・確か君のファンだったな」
真澄の言葉に自然と笑顔になる。
「はい。ずっと私を見ていてくれて・・・高校にまで行かせてくれる人です。今日もこんな素敵な薔薇をくれて・・・。
私、女優になって良かったなって。今、思えるんです。ちょっと前までは演じる事が苦痛だったけど。今はとっても楽しいです。
こうして、私を気にかけてくれる人と出会えた事が、とっても幸せに思えるんです」
幸せそうな笑みを浮かべ、マヤは薔薇を見つめた。
「そうか。きっと、君のファンもその言葉を聞けて喜ぶと思うよ」
「そう思って頂けるといいんですけどね」
無邪気な笑みで答える。
「・・・ところで、今日の舞台は本当に素晴らしかった。約束だ」
そう言い、契約書をマヤに見せる。
マヤは真澄の手の中にあるものをじっと見つめた。
「・・・本当にいいんだな。大都を離れれば、君は無防備になるぞ?盾になるものが何一つなくなるんだぞ?」
マヤの瞳を見つめ迷いがないかを確かめる。
「・・・誰かに守ってもらえなくちゃ、舞台に立てないのなら、私はきっと紅天女を掴む事はできません。
自分の手で必ず、掴みたいから、大都を出るって決めたんです」
マヤの心の中には何の迷いもなかった。
とても晴々とした表情を浮かべている。
「・・・そうか。わかった。これは俺が破棄する」
そう言い、彼女の目の前で真っ二つに契約書を破りすてた。

さよなら・・・ちびちゃん・・・。
僅かだったが君が俺の元にいてくれて・・・俺は嬉しかった・・・。

一瞬、切ない思いを瞳に浮かべ、マヤを見る。

「これで君は自由だ・・・」
真澄の口から出た言葉にマヤも彼と同様寂しさに襲われていた。

速水さんありがとう・・・。
私はあなたのおかげでまた舞台に立つ事ができた・・・。
少しだけど、あなたの真心を知る事ができた。

「さて、自由になった記念にディナ−でも付き合わんか?」
このままマヤと離れてしまう事が寂しくて、つい真澄の口からそんな言葉が漏れていた。
「えっ」
思いがけない誘いに小さく口開く。
真澄も出てしまった言葉に少々驚いていた。
「今日の君の舞台のご褒美だ。いいもの食べさせてやるぞ」
マヤもこのまま真澄と離れてしまう事が何だか後ろ髪を引かれるように名残惜しかった。
「私、いっぱい食べますよ」
おどけたように言いクスリと笑う。
「あぁ。君が大食いなのは覚悟の上だ」


それから二人は海の見える見晴らしのいいレストランを訪れた。
着いた頃には日が傾きかけ、海面に夕日が反射し、何とも言えぬ自然の美しさを作り出していた。
マヤは落ち着いた店のム−ドと、優美な景色に心が癒されているくのを感じた。

「さっきから、静かだな。どうした?疲れたか?」
ぼんやりと窓の外を見つめているマヤを気遣うように話し掛ける。
「・・・綺麗だなぁぁと思って・・・何だか、夢の中にいるようで胸がいっばいになっちゃって」
クスリと笑い、真澄が選んだ軽いアルコ−ルが入ったワインを口にする。
それはとても甘くて、口当たりがよかった。
「速水さん、よくこういう所でデ−トするんですか?」
マヤの質問が唐突だったのか、真澄は口にしたワインにむせそうになった。
「・・・女性を連れて来た事はないな。ここは一人になりたい時とか、疲れを癒す為に偶に来るんだ。誰かを連れて来たのは君が初めてだよ」
クスリと笑い優しい瞳で見つめる。
その瞬間、胸の鼓動がドキッと大きく音を立てていた。
店内の照明は落ち着いた雰囲気を出すため、少し薄暗く、マヤがこれ以上ない程赤くなっているのは真澄にはわからなかった。
「いいんですか。そんな大切な場所なんかに私を連れてきて」
赤くなった頬を隠すように俯く。
「・・・ご褒美だって言っただろ?ここの料理は最高に美味しいんだ」
そう真澄が言った瞬間、タイミング良く前菜が運ばれてきた。
料理はどれも美味しく素直に食事は楽しいものだったが、マヤはいつもと違う優しい真澄の表情に落ち着かなくて、本当の所、味の半分もわからなくなっていた。

「フフフ・・・。しかし、本当に好きなんだな」
「えっ」
そう言われて、なぜかドキっとする。
「ケ−キだよ」
幸せそうにデザ−トを食べているマヤに笑みを零す。
「女の子はみんなこういうの好きなんですよ」
ケ−キを食べる手を止め、真澄を見る。
「なるほどねぇ。君もかわいい女の子だったという訳か」
クスクスとからかうようにいつもの笑みを浮かべる。
「あぁ!酷い!速水さんやっぱり、私の事を女の子として見てないでしょ」
いつもと変わらない会話に悪態を付きながらも、何だか楽しかった。
さっきまで真澄を目の前にして緊張しきっていたものがようやく解け始めていた。

「さて、そろそろ送って行こう」
食事を終え、時計に目を向けると午後9時を回っていた。
真澄の言葉に離れたくないという思いがさっきよりも強くなる。

「・・・あの、せっかくここまで来たんですから、帰る前に浜辺を歩いてみたいです」
咄嗟に目に入った海を見つめ、口開く。
「えっ・・・だが、海に行っても、もう真っ暗だぞ」
「・・・駄目ですか?」
甘えるような視線で問い掛ける。
その表情が愛しくて、真澄の胸をギュッと掴んでいた。
「・・・駄目とは言わんが・・・まあ、君がそんなに望むなら、行くか」
真澄の言葉にマヤの瞳はパッと明るくなった。


二人はレストランを出ると真澄の運転する車で少し行き、浜辺のある所で降りた。
白い砂浜に浮かぶ夜の海は少し寂しそうに見えたが、真ん丸に浮かび上がる月が眩しい程の光で海を照らしていた。
「わ−!月がよく見える。それに・・・星も!」
目を輝かせ、マヤは夜空を見上げた。
真澄も久しぶりに見る月や星に見とれていた。
「・・・本当に、よく見えるなぁぁ」
そう言った瞬間、冷たい雫がかかる。
少し、驚き雫が投げられた方を見ると、悪戯心を出したマヤがいつの間にか海面の低い所に入り、真澄にかけていたのだ。
「ふふふ。速水さん驚いた?」
真澄の表情がよほど面白かったのか、クスクスとマヤが笑い転げていた。
「やったな!」
マヤを捕まえるべく、真澄も海の中に入った。
互いに海水を掛け合い、追いかける。
何だか子供に戻ったように真澄も無邪気な笑みを浮かべていた。
「おい!それ以上行くとびしょびしょになるぞ!」
マヤが深い所へ逃げると、立ち止まり注意をする。
「何だか、泳ぎたくなっちゃった!」
そう言うと、マヤはそのまま海に飛び込み、洋服を着たまま泳ぎ始めた。
「・・・嘘だろ・・・」
マヤの予想外の行動に苦笑を浮かべる。
「気持ちいいですよ!速水さんもどうです?」
「・・・遠慮しとくよ」
そう言い、真澄がマヤを見た瞬間、彼女の姿が忽然と消えていた。
「・・・まさか・・!」
嫌な予感が走る。
真澄は上着とネクタイを浜辺に投げ捨てると、海に潜った。
「・・・マヤ!どこだ!!マヤ!!マヤ!!」
彼女がさっきまでいた時点に辿りつくと、水中に潜る。
案の上そこには意識を失いかけているマヤの姿があった。

速水さん・・・。

真澄の姿を見つけると、ドキリとした。
見た事のない真剣な表情で彼女を見つめ、唇に彼の唇が触れ空気が流れ込む。
空気の流れとともに、マヤの意識も回復しだしていた。

真澄はしっかりと彼女を抱きしめ、海面に上がった。

「しっかりしろ!もうすぐ浜辺だからな」
マヤに話掛けながら、真澄は彼女を抱きかかえたまま浜辺に向かって泳いだ。


「ごほっ、ごほっ!」
浜辺に上がると、マヤは座り込み、せきとともに飲み込んだ海水を吐き出した。
真澄は彼女の背中を叩き、全ての海水を出させた。
「・・・大丈夫か?」
心配するように何度も問いかける。
「・・・はい・・なんとか・・・」
ようやく落ち着き答える。
「全く君は少し無防備すぎるんだ!」
真澄は呆れたようにマヤをしかりつけた。
「・・・すみません。速水さんのス−ツも濡らしてしまって」
真澄が怒っている事を知ると、怯えたように答える。
「別にス−ツの一枚や二枚濡れたって構わないさ。俺が怒っているのは君の行動だ!どうするんだ。もし俺が助ける事ができなかったら・・・。
夜の海で泳ぐのは危ないって事ぐらい君でもわかるだろ!」
真澄の言葉に返す言葉もなく、マヤはしゅんとしていた。
さすがにその姿を目の当たりにして真澄はこれ以上何も言えなくなってしまった。
「まぁ、とにかく。もう少し考えて行動しなさい」
マヤの肩に上着をそっとかけ静かに言う。
「・・・はい・・・すみませんでした。本当に・・・ッハクション!」
そう口にした瞬間、ゾクっとした寒さが体中に響き、マヤは大きなくしゃみをした。
「・・・不味いな。このままでは風邪をひく・・・どこかで服を乾かさないと・・・」
真澄はこの際仕方がないかと、自分に言い聞かせ、近くのホテルにマヤを連れて行く事にした。



ホテルで部屋を取れたのはよかったが、生憎一部屋しか空いておらず、しかもそこはダブルベットだった。
意識するつもりはなくても、そのベットを目にした途端、マヤとの甘い夜を想像してしまう。

ちびちゃん相手に何を考えているんだ。

理性で必死に欲望を押さえ込む。
「速水さん?」
シャワ−を浴びて出てきたバスロ−ブ姿のマヤがぼんやりとダブルベットを見つめている真澄を不思議そうに見つめる。
「えっ・・・あぁ。もう出たのか。じゃあ、使うぞ」
極力マヤの顔を見ずにそう口にすると、真澄はバスル−ムへと消えた。
「・・・速水さん、何を見つめていたんだろう」
さっきの真澄の視線を思い出し、自分も同じ方角を見つめる。
すると、見えたのは大きなダブルベットだった。
でも、マヤには真澄がベットを凝視する理由が全くわからず、
「わ−!大きなベット!」
と勢いよく飛び込みその感触を楽しむ事ぐらいしかできなかった。

一方真澄はシャワ−を浴びながら、自分の中にうずく大人の欲求と戦っていた。

はぁぁ・・・。

何度もため息を漏らし、理性が固まった所で、バスル−ムから出た。

「・・・服が乾いたら帰るぞ」
そうマヤに話し掛けるが返事がない。
「・・・ちびちゃん?」
ベットの上で気持ち良さそうに横になっている彼女に近づく。
小さな寝息が聞こえていた。
マヤは完全に夢の世界に入っていた。
その無防備な寝顔に笑みがこぼれる。
「・・・本当に幸せそうに眠るな・・・」
ベットの端に座り、額にかかるマヤの髪をかき分け寝顔を見つめる。
その寝顔を見ていると何だか毒気を抜かれ、さっきまであんなに動揺していた自分が可笑しくて、苦笑を漏らした。


「・・・う・・・ん・・・」
数時間後、マヤが目を開けると部屋の中は真っ暗だった。
いつもと違う寝心地と部屋に自分がどこにいるかを思い出す。
「・・・速水さん?」
ベットサイドの電気をつけて、彼を探すが部屋にはいないようだった。
時計に視線を向けると、もう午前4時近くを指していた。
急に一人きりにされた事に不安になる。
ベットから起き上がり、部屋の電気をつけるが、やはり真澄の姿はどこにもなかった。

「・・・速水さん、どこに行っちゃったんだろう・・・」

ふと、窓の外を見つめると、浜辺を歩いている真澄の姿が目に入った。



「速水さん!」
そう声をかけられ、海から視線を移す。
「・・・ちびちゃん・・・」
そこにいたのはバスロ−ブを着たままのマヤだった。
「そんな格好で!風邪ひくぞ!」
上着を脱ぎ、彼女の肩にかける。
「・・・だって・・・速水さんがどこにもいなかったから・・・不安になって・・・」
ジワリと涙を浮かべ、訴えるように真澄を見る。
「ははは。まさか、俺が君を置いていくと思ったのか?」
苦笑を浮かべ彼女を見る。
「・・・だって・・・こんな時間に速水さん、どこにもいないんだもん。どこにいったか心配になるじゃない!」

あまりにも無防備に眠っているマヤを襲いそうになったから、ここに来た・・・とはとても、言えないだろうな・・と、真澄は心の中で苦笑を浮かべた。

「・・・余計な心配をかけて・・・すまない」
珍しく素直に謝る真澄を以外そうに見る。
「何だ?変な事言ったか?」
「だって・・・速水さんが素直に謝るなんて・・・いつもと違うから」
「俺はひねくれ者か?」
真澄の言い方が可笑しかったのか、マヤはその言葉を聞いて笑い出した。
ケタケタと楽しそうに笑うマヤを自然に瞳を細めて見つめてしまう。
「何だか、いつもと逆だな。俺が君に笑われている」
「・・・本当だ。いつもは速水さんが笑っているのに」
マヤはこうして真澄と一緒にいる事が楽しかった。
「朝の海・・・綺麗ですねぇ・・・」
空には薄っすらと月が浮かび、空は白み始めていた。
「・・・あぁ・・・そうだな」
そっとマヤの肩を抱きながら答える。
大きな真澄の手を感じて、マヤの胸はドキリと音を立てて鳴っていた。
「そろそろ部屋に戻るか?ここだと体が冷えてしまいそうだ」
真澄の問いかけにマヤはコクンと頷いた。


「はぁぁ・・・寒い!」
すっかり体が冷え切ったマヤは部屋に戻るとベットに飛び込み毛布に包まった。
「そんな格好でいるからだぞ」
クスクス笑いながら真澄が言う。
「だって・・・服、まだ乾いてなかったし・・。あっ、でも、速水さんの服は乾いているんだ」
真澄がス−ツ姿なのにやっと気づく。
「ははは。君の服だって乾いているよ」
そう言い、クロ−ゼットからマヤの服を取り出す。
「・・・気づかなかった・・・」
「そういう所、君らしいな」
愛しむようにクスリと笑う。
「・・・もっと、わかる所に置いて下さい!もう、こんなに寒くなったの速水さんのせいですよ!速水さんが浜辺なんかにいるから!」
赤くなった頬を隠すようにワザと怒ってみる。
「何だ?それを言ったら、君が浜辺を歩きたいなんて言い出さなかったら、とっくに今頃は東京に帰っていたんだぞ」
少しムッとしたように言う。
「・・・だって・・・・だもん」
消えそうな小さな声でマヤが呟く。
「えっ」
「・・・だから、速水さんと・・・離れたくなかったんです・・・」
顔中を真っ赤にしてさっきよりも少し大きな声で口にする。
マヤの言葉に真澄まで赤くなりそうになる。
「・・・君の口からそんなセリフが出るとは・・・雪が降るぞ」
照れ隠しに素っ気無く言う。
「・・・もう、いいです!」
真澄の態度にマヤは怒ったように彼とは反対の方を向いた。
そんな彼女が堪らなく愛しくて、真澄はクスリと笑った。
「・・・お姫様のご機嫌を損ねてしまったか・・・仕方がないな・・・」
そう言い、そっとベットに近づく。
ベットに真澄の重みがかかり、ドキッとする。

・・・速水さん・・・?

「君の体を冷たくさせてしまったお詫びだ」
耳元に真澄の声がかかり、次の瞬間、背中に温もりが伝わる。
真澄は毛布に包まっているマヤを背中から抱きしめた。
「・・・速水さん・・・」
逞しい腕にスッポリと収まってしまい、これ以上ない程体中の脈が早く打ち出す。
「・・・寒くないだろう?」
耳まで真っ赤にしているマヤに悪戯っぽく囁く。
「・・は、はい・・・温かいです・・・とても・・・」
マヤの体が緊張して硬くなっているのがよくわかった。
「とって食ったりはしないぞ。もう少し力を抜いたらどうだ?」
苦笑気味に真澄が言う。
「・・・だって・・・男の人に抱きしめられた事って・・・あまりないから」
その言葉から真澄の事を男性として意識している事がわかり、何だか嬉しかった。
「・・・かわいいなぁぁ・・・君は本当に・・・」
真澄から出たとは思えない言葉にマヤは大きく瞳を開けた。
「か、からかわないで・・・下さい」
赤い顔をこれ以上ない程、真っ赤にする。
「・・・からかうつもりはないがな・・・思った事を口にしただけだ」
「・・・何か、そう言う事言うの速水さんらしくありませんよ。いつも見たいにからかってくれた方が落ち着きます」
「今日はいじめっ子はお休みだ。君とはもうお別れだからな」
真澄の言葉に大都から離れた事を思い出す。
もう、今までのように彼と顔を合わせる事がないのかと思うと、胸が切なくなる。
「・・・速水さん、これからも私を見ていて下さい。まだ、紅天女を演じられる程の役者じゃないけど・・・いつか、演じられるようになってみせます。だから・・・その時は・・・」
そこまで口にし、真澄の方を振り向く。
一途に真澄を見つめる。
「・・・その時は・・・私に紫の薔薇を下さい・・・」

えっ・・・。

マヤの言葉に真澄の瞳が大きく見開かれる。
まさか、気づいているのか?紫の薔薇の人の正体を・・・。

「・・・ちびちゃん・・・」
その言葉の意味を聞くべきかどうか迷う。
二人は互いの思いを探るように暫く見つめ合っていた。
「・・・あぁ・・・君が望むなら・・・何でもやろう」
真澄は深くは聞く事はやめ、クスリと笑みを浮かべた。
真澄の言葉にマヤは幸せそうな笑みを浮かべた。



それから四年後・・・・。

マヤは見事に紅天女を演じられるまでの女優として成長していた。
そして、約束通り、彼女の元に紫の薔薇が届く。

「・・・おめでとうございます」
そう言って届けたのは速水ではなかった。
「・・・聖さん、ありがとう・・・」
薔薇を受け取り、愛しそうに見つめる。
一年前に亡くなった速水の想いを伝えるように薔薇は美しく咲き誇っていた。
この一年、マヤにとって辛い日々だった。
しかし、速水との約束が彼女を紅天女に駆り立てた。

彼が何よりもマヤが舞台に立つ事を望んでいたから・・・。彼女は速水の死を乗り越えた。

「・・・速水さん、観ていてくれましたか?」
薔薇を見つめ呟く。

”俺はずっと君を見ている”
不意にそう言われ、かつて彼がよくしたように頭をポンと触られた気がした。

「マヤさん、どうかしましたか?」
驚いたように瞳を見開いているマヤに聖が問い掛ける。
「・・・いいえ、その・・・今、速水さんの声を聞いたような気がして・・・」
マヤの言葉に聖は優しく微笑んだ。
「・・・あの方はいつもあなたのお側にいます。例え、魂だけになっても・・・誰よりもあなたを愛していたのですから」
聖の言葉に胸が熱くなる。

速水さん・・・。見ていて下さい・・・。
私、あなたに喜んでもらえるような役者になってみせます。

マヤは薔薇を抱きしめ、晴れやかな表情を浮かべていた。




  THE END







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