日付も色々と大変だろう。
人間に合わせてぐるぐる回り続けているだけなのに、回るたびにどんどん色々な荷物を背負わされて。
汚名を着せられた日付なんて、運が悪いったらない。
日付は、悪いことは何もしていない。
人間が、日付に沿って悪いことをしているのだ。
けれど、ことあるたびに、人は日付を使って悪いことがあったことを記憶しようとする。
記憶を引き出す際に、日付は利用される。
もちろん、悪いことばかりじゃない、良いことだってある。
良い記憶が刻まれている日付が回ってくれば、人は喜ぶ。
同じ日付に、良いことも悪いことも、両方が刻まれることもある。
同時に起きたり、何周か置いて、別々に起きたりする、良いこと・悪いことは、とりあえず同じ日付として記憶される。
人によって、その日付が好きな人、嫌いな人がいる。
日付は、どう思うだろうか。
ときには無数の人々の誕生と死を刻まれて、
ときには世界のたくさんの人々に忌み嫌われて、
ときには熱心な信者たちに崇め奉られて、
ときにはあまり熱心でない信者たちも幸福に包んであげて、
自分が近づくことで得をする人や、自分が近づくと損をする人を見て、
自分が近づくと泣く人を見て。
そしてその記憶の刻みつけは、突然に起こることが多い。
日付も突然の自身の立場の変化に驚きを隠せないだろう。
人間は勝手だ、そう思われてしょうがない。
たとえたくさんの汚名を着せられても、日付は回り続けている。
それは、自分に刻まれた悪い記憶を辿って、人間がその歴史を反省してくれているのだと考えるからだろうか。
それとも、たとえ多くの汚名を着せられたとしても、その中に同時に、彼の好く人の誕生した記憶も刻まれているからだろうか。
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