高 校 生 の 吐 き 溜 め 。


僕は、自分のことについて、隠し事があまりできない人間だ。
他人と約束した秘密とかじゃなくて、自分のことだから、誰かに迷惑をかけるわけじゃない。そうすると、なんだか別に、何を言ってしまってもいい気がする。逆に、より多く知ってもらおうと、言い過ぎたり書き過ぎたりするくらいだ。とりあえずバラして、ネタにしてしまう。一つくらい、絶対秘密!ってのがあってもいいのになぁ、と思ってみても、どうにも誰かに言ってしまう。
さらに、僕は忘れっぽい人間だ。人の名前とか、顔とか、すぐに忘れてしまう。
大事な用件も簡単に忘れてしまう。これは、色んな人に実際迷惑をたくさんかけているので、どうにかして気をつけなければ、と思う。
こうしてみると、僕は、自分の中で「情報の大切さランク」みたいなものがちょっと壊れてるんじゃないのかしら、とか思えたりする。
実際、こういう話は公開すべきじゃないのかもしれない。でも別にいいか。と。



「さっきまであんなに泣きじゃくってたのに、なんで今こんなに笑えてるんだろう」 って、思うこと、ありませんか。


まるでスイッチが切り替わるみたいに、その時自分を支配する感情が入れ替わる。
どれだけ辛いことがあっても、そうやってすぐ忘れたように別の感情に変わってしまう。
僕は、長い時間落ちこむとか、沈みこむとか、そういうことがあまりない人間だ。
何かあってもすぐに楽しいことを思いついて笑えてしまう。
文頭に示したことが、おおかた関係してるんだろう。
倫理の教科書によく書いてある、青年期特有の感情「何か一つに夢中になることができない」ってのも、もちろんある。
どこか、別の自分が冷たい目で見てる気がするんだよな。
「何熱中しようとしてんの、お前」みたくツッコんできたり。


でも、どこからどう見ても自分は自分で一人なわけで。
精神が分裂でどうたらとか言った所で、身体が一つだからしょうがないわけで。
おかげで、「んじゃさっき落ちこんでたのは何だったんだ。嘘かよ」とか自分で疑ってかかったりする。
僕が荒れるのは、本当に考えこまされることがあったときと、
それをすぐに忘れてしまった自分自身を問い詰めているとき。


ある友人と話していたとき、僕は「この性格が好きだ」と言った。
相手も似たような部分を持っていて、その相手は「(自分のことが)嫌いだ」と言った。
「んじゃ、俺とお前の違いはそこだな」僕はそう結論付けた気がする。


でもそれは、果たして本当だったろうか。
確かに、嫌なことをすぐに忘れられる、笑いのネタにできる、ってのは便利だ。
でもやっぱり、僕だってこんな、自分を「薄っぺらい」と思わされるようなもの、いらない。
じゃ、僕は何で自分を好きでいられたのか。
違ったのは、その友人の敏感さ、僕の鈍感さなんじゃないだろうか。
友人は繊細で、僕は、その対義語が何か知らないけど、まぁ、その対義語だ。
僕は相手の気持ちを汲み取るのが苦手で、その行為を放棄してしまいがちだから、
結果、簡単に人を、都合のいい方向に信じられてるだけなんじゃないのか。


突然だけど、僕は妄想癖を持つ人間だ。
誰でも想像の一つや二つするだろうけど、僕はその度が強いタイプだと、自分で思う。きっかけがなくとも、すぐ白昼夢に浸ることができる。ファンタジー系の話は、中ニのとき思いついて以来、今十個以上の話がある。もちろん現実にあったことを思い返して「もしもあのとき…」を考えることだってある。考え出したら本当に止まらない。でも面白いから続けてしまう。
「もしも…」を妄想することを「先読み」だと考えたとすると、それはいわゆる「計算高さ」というやつで、無意識の内に、「これを言ったらこう返されて、こうしたらこうだから、こういう方向に持っていける」と考え、実行に移していく。
それが、上手くいけばいくほど、「なんで自分はこんなヤツなんだろう」と思ってしまうことがある。他人を自分のいいように動かしてる感じがするっていうんだろうか。友人は、それをひどく嫌がっていた。僕も納得した。


でも、一つ疑問が浮かんだ。
僕の先読みは、そんなに当たっているか?
答えはノー。というか、基本的にはずれてます。
過去の事例を出して、顧みればみるほどその事実が明らかになっていく。僕は自分の錯覚に溺れていただけなのだ。そこで改めて僕が鈍感だということに気付く。先読みなんてのは、他人の心を掴み取れて初めてできるもんでしょう。
ということで、僕のは誰にも無害なただの思い込みだった。ということは、だ。


自分を好きでいられた理由って、「俺は嫌われてない」って思い込めてたからじゃないのか。
そして、「それで上手くやっていけている」。だったらいいじゃないか、それで。


去年の終わり頃、今までに増して大雑把なモノの言い方をする、テンションの高い自分が生まれた。
機嫌だってすぐに変わる。でも、明るくなるんだからそれでいいじゃないか。
友達と話をして楽しくなる。楽しい発想をして楽しくなる。
落ちこんでる自分を見て「おいおい、落ちこんでるよコイツ!」とツッコんで楽しくなる。
「世の中バカばっかりだ。俺が頂点だけどもね」
楽しくなる。


でもそうしてる内、夢を見た。起きた時に吐き気を覚えたのは、多分これが初めてなはず。


――――――――――
学校の自習室へ行ってて、疲れたから部屋を出た少し先にある渡り廊下で寝てた(休日で、渡った先のドアにカギがかかってて、誰も通らないから、寝れた)。でも、床がごつごつして冷たかったからイマイチ寝つけなくて、うつらうつらしてたんだけど、ふと、仰向けのまま目の前を見たら、友人がこっちに歩いて来るのが見える。黙ってそのまま見てたら、向こうもこっちを見てて、そのまま歩いて来る。どうしたんだろ、って思って、まばたきした途端、友人が消えた。どうも夢だったらしい。
あー夢だったのか、珍しいなぁってまたうつらうつらしてたら、さっきと別の友人がこっちに歩いて来た。んー、これも夢かなぁって思ってたら、案の定消えた。はぁ、やっぱり。なんとなく、また見そうな気がして、床も冷たいし、風が出てきたから起きようとすると、また、誰か歩いて来る。今度は顔がわからない。何、これも夢なのか?起きようとする自分は夢の自分か?って、少し混乱して。
で、目が開かない事に気付いた。まぶたを開く筋肉の動かし方を忘れた、そんな感じ。気がつけば誰か歩いて来て、身体を動かそうとしたら消えて、でも身体は動かない。目が開かない。兄や誰かから聞いた「かなしばり」の話を思い出しつつ、必死に「開け!」とか念じたら、やっと目が開いた。渡り廊下。後を振り返っても、もちろん誰も歩いてこない。ちょっと怖くなったから、そのまま帰った。
―――――――――――
で、家に着いてから。疲れてたからまた寝た。今度はぐっすりのはずだったんだけど、なんか、近所を走り回る夢が始まった。神社の前、横道、小中学の頃の通学路付近…で、走り疲れて家に戻って、冷蔵庫の横の、普段お菓子がしまってある戸棚を開く。ありゃ、何も入ってないや。
そこで目が覚める。ベッドの上。なんだ、夢かい。で、眠れないなぁと思いつつまた目を閉じる。そうしたら、スポーツカーに男2、女2で乗ってぶっとばす夢だった。「乗れ!」みたいな感じで誘われて、乗ったんだけど、みんな知らない人。とばしてると、BGMがかかりだす。全く知らない歌。曲名が車体に書いてあった気がするけどわからなかった。
そこで目が覚める。ベッドの上。あー、知らん人とか知らん歌とか、珍しかったなぁと思いつつ、居間へ行って、お菓子の戸棚を開く。ありゃ、何も入ってないや。
そこで目が覚める。ベッドの上。昼間学校で見た夢を思い出す。…まさか、起きれなくなるとか…なんとなく開いたお菓子の棚には、今度はポテトの袋が入ってた。おっ。
そこで目が覚める。ベッドの上。ベッドから降りようとする。
目が覚める。ベッドの上。怖くなる。
目が覚める。ベッドから降りようとする。
目が覚める。泣きたくなる。
目が覚める。
…それから、ベッドから降りるシーンを何度繰り返したかわからない。
本当に目が覚めた時も、全く現実味がわかないで、息ばっかり荒くて、涙目で、急いでお菓子の戸棚に走った。ポテトの袋はなかった。しばらく部屋に戻るのも怖くて、何も出来ないで立ち尽くしてた。吐き気がした(吐かなかったけど)。
――――――――――
(今ワードを確認したら、もう一つあった)
――――――――――
教室で誰か殺したんだけど、なんだか合法というか許されていたらしく、メッタメタにしたんだけど特に何も言われなかった。でも、放課後、以前好きだった女子が僕の机を探ってた。目が合うと、ものすごく無表情で、冷たい目で見つめられた。
「だって、(人殺しなんだから)何もってるか、怖いじゃん」って言って、友達とどこかにいった。
その後、人殺しの罪で追われ、逃走して最後海で自殺することに決めるんだけど、先に自殺した友人が最後に遺した彫刻とかを見てる内に敵に囲まれて、戦おうって所で、起きた。直後に正午のサイレンが鳴ったりして、なんとなく「ありがとう」とか言ったりした。
――――――――――


特に、二つ目。これを見たときに、本当に今、自分危険なんじゃないかって、でもどうしたらいいかわからなくて、とりあえず塾へ行って勉強して、夜、ずっとパソコンをつけてて、目を、まぶたを閉じた瞬間眠れるくらいにまで疲れさせてから、寝た。ごく普通の夢を見たと思う。
それから、自然とテンションは戻ってきて、改めて、色々考えるようになった。



中学の頃、前に書いた「先読み」について、「どんどん先読みしていって、今の自分の行動もきっと計算されたことで、こうして書いていることも、『誰かに見られること』『その人がどう考えるか』を考えた上での行動で、一体どこまで僕は妄想し続ければ気がすむんだ!」とか、考えたことがあった。まぁ、今でもそうなんだけど。
例えば、この文章を書き上げたとしよう。それをネットで公開する。誰が見るだろう。親類、小中学時代の友達、高校で出会った友達、ちょっと他とは違った関係の人、ネット上の知り合い…その人達がこの文章を見て、きっとこう思って、掲示板にはこんな書きこみがされて、次に顔を合わせたときこんな顔をされて…と、どんどん妄想していくわけだ(でも実際にはそれははずれるんだけど、それはまぁ置いとくとして)。
そして行き着いた考えが、「全て自分の妄想によって収めることができる(いや、ホントは全然できてないよ?)」。こりゃ大発見だ、と思ったんだけども。
ところがどっこい。
国語の模試の評論文で、「パンセ」が使われてて、そこにまったく同じ表現が。弁証論?おいおい、パスカル〜。
話によると、「ソフィーの世界」ってのも、似たような感じらしいじゃない。
「エヴァンゲリオン」のテレビの最終話もなんか、なぁ。
駄目押しで、「東京大学物語」って究極と名のつくアホ漫画の最終回が、「自分は誰かの妄想の中に生きているのではないのか」みたいなオチ。ま、まじかよ!頼むぜ!
結局、悔しいから書いたのが「この世界で生きる事が、大好きなあなたへ。」なんだけど。


なんとなく、「俺は裸一貫(読書をしないで)でパスカルまで追いついた!」って感じもあるんだけど、それよりもまぁ、「そんな昔の人がそこまで考えてたのか!」って驚きがあって。
(注:上の文章と下の文章で、約一年の時が経過しています。多分、ここが問題だったんだ!)
よく考えてみたら、というか、ちょろっと本を読んでみれば、今の自分の悩みだのなんだの、全部書いてあるじゃないか。例えばそう、倫理の教科書に。しかもばっちり研究され済みだ。「アイデンティティ論」ってそういうことだったのか!


そして思った。
こんなにみんな同じ目にあって、同じように悩んで、しかもデータすら出されていることを、いつまでも悩んで、時にちょっと自慢気になったりしてたのか。
なんだよちくしょう!その程度か、今までの俺!


とにかく、それで、すごく落ち着いた。



今は、微力ながらも人の気持ちを考えようと努めるし、自分のことについても、ずいぶんと冷静に見れるようになった。
改めて、自分の性格、負けず嫌いだったりやけにあっさり負けを認めたり、熱中したりすぐ冷めたり、露出狂の如く自分の過去をばらしてみたり、みんなに好かれたいとか思ってるわりにはこっちはすぐ人を嫌ったり、そんなのを全部ひっくるめて、自分を見れるようになったというか。
そうしたら自然と、相手のことも、相手の(自分が見れる所)全部をまとめて見れるようになった。
世界を、色眼鏡の上に色眼鏡をかけて見てたようなもんだったなぁ、とか、一つくらい外せて見れるようにはなったかなぁ、とか、思ったりしてる。



自分の思考をまとめる力の無さにちょっとダメさが漂うのは、あんまり変わってない。
元々、考えがまとまらない内に口に出したり、書き出したりするクセがあった。
ダメフォローにダメフォローを重ねていって、本当に言いたかったことが何なのかすらわからなくなる。
だから、「俺には確固たる主張はないのか!?」と思えてくる。舌がよく回るのが厄介だ。
文章で書くに当たり、これは相当なデメリットなんだけど、もしかしたら、よく考えてみたらあんまり意味がなかったり、内容が同じで表現が違うだけなことを、何度も早口で繰り返す僕の話し方を、気に入ってた人がいるかもしれない。
その人は、僕が一生懸命知的さ見せようと奮闘する姿を見て、微笑ましく思っていたりしたんじゃないか。
そう考えると恥ずかしくてやれない。


いや、いないとは言い切れないから。
だって、そうじゃなければ、みんな僕の「早口一見納得気味な言葉たち」に騙されてきたことになる。それはないだろー。
あな恥ずかしや。


♯僕のこの話し方を楽しみにしてくださる方々
ごめんなさいもうしばらくできません。


もっと、考えて、まとめられるようになって、ずばっと相手を感動させるようなモノの言える人間になったら、また早口でモノ言ってやるさ。
それはきっと、自分にしたらいい変化だ。



隠し事をしないことを書いた。
忘れっぽいことも書いた。
感情が切り替わりやすいことも書いた。
妄想癖のことも書いた。
夢のことも書いた。
まとまった言葉を作のるが苦手なことも書いた。


長文癖のことも書いとこうか。


いや、これ、本当は「腕時計。」って書きこみ宛ての苦情の返事のつもりだったんだよ、実は。長文にして長文癖を説明しよう。

===============
腕時計。 投稿者:とむやん  投稿日: 2月19日(火)03時41分26秒


いつ買ったのかよく覚えてないんだけど(多分3年前くらい?の誕生日)、
買って以来、ずっとつけていたナイキのスポーツウォッチが、今朝電池切れちゃって。
昨日、寝る時に見たらもう表示画面が点滅してて、少し前からバックライトもほとんどつかなく
なっちゃってたから、あぁもうダメだなぁ、とは思ってたんだけども、案の定、起きたら消えてた。

僕は、服とかにはあんまり気を使わないくせに、クツと、時計だけはやけにこだわるタイプで。
こいつは、本当に好きだった。
買う1年くらい前に、ファミ通のグッズ紹介ページで見て、(ナイキってあんまり好きじゃないのに)一目惚れして。
たまたま靴屋に行ったら、レジのカウンターに飾ってあって、「やった!」って思って買った。
それ以来、ずっと一緒。

携帯使い出すまでは、こいつで起きた。
校長の長話は、こいつで計測した。
壁で擦っても、キズがつかないのに驚いた。
溝にたまった汚れ(垢、かなぁ?)を出すのが、結構好きだった。
好きな体育の先生が同じタイプのを持ってて、嬉しかった。
「A.I.」の父親が同じタイプのを持ってて(ほんと!)、嬉しかった。
友達も一人、同じタイプのを持っていて、嬉しいというか、面白かった。
部活の時もマラソンの時も、ずっとつけてた。
学校に来る途中、忘れてきたのに気付いた時、たまらなく不安だった。
左手首が、やけに軽い。本当に軽くて、涼しい。足りない。うん、足りない感じ。

今、机の上にある。
いつもの場所に置いてある。
画面いっぱいに表示される文字がウリだった。
今は何も映してない。
彼は、僕に買われてから、僕としか目を合わせていないけど、満足だったろうか。

一応、明日電池交換に行ってみようと思うんだけど、外国産だから、電池が合うかどうかわからない。
買う時、店の人に「電池交換も、修理もできないけど、いいですか」て言われたし。
大丈夫かな。

タイミング良すぎる。贅沢言えば、ちょっとフライング気味だけど。
ちょうどクツも、いい加減ボロボロだ。
買って行こうか、行って買おうか。

今日、役目を終えた彼を、いつも通りつけて学校に行ったのは公の秘密。
無意識に袖をまくって、白い画面を見て、苦笑いしたのも、公の秘密。

「モノより、思い出」って、CM。
まさか!モノからだって、思い出はもらえるじゃねぇか!
本当は、花より団子って意味なんだろうけど。
勘違いでもいい。そう思った。
===============


「どうしてモノの思い出でここまで語るかな」という苦情がね。苦情ってもんでもないけど。
これが、まとめになる気がする。


まず、やっぱり「自分をさらけ出したい」っていうんだろうか、見せたい、って思うから。
次に、「言いたいことが言いきれない」から、単純にまとまらないだけ。
で、三つ目。
多分、「今の感情」の存在を、後から目に見える形で残して置きたいからだ。
ほら、忘れっぽいし。
実際、あの時計が止まったときの感情は、掲示板に書きこんだ後、ジョジョを読んでたら消えた。
文鳥が死んだとき、どうだったろうか。
部活で引退してしまったときは?


そのとき自分がどう感じていたのか、それを断片的にでも思い出すための、メモ。
それが「日記」なんだとすれば、まったくもうその通り。
忘れっぽくて、悔しい気持ちが大きい分、より正確に、多くの情報残そうとするんじゃないだろうか。


そしてそれは、僕の書く文章全体に言えはしまいか。
作品と位置付けていたとしても、きっと思いついた楽しい感情をメモした、日記なんじゃないか。
読み返したとき「よく思いついたなぁ、俺」って考えることを、「このとき俺はこの感情を、確かに持ってた」って確認することを、無意識に、すごく大切にしてきたんだろう。
当たり前のことだけど、改めて、僕が文章を書きたがる理由がわかった気がする。


当たり前。
ずっと、当たり前であることを、拒み続けてきたんだよなぁ。



本をまるで読まなかったのもいけない。これは非常に反省してる。
読書をしなかったことが、余計に悩みを深くしたのだ。と、思う。
とりあえず、今本が読みたくてたまらない。
そう、どこまで今「当たり前」なのか、論じられているのかを知らないといけないし。



他人の喜びを純粋に嬉しがる人に、結局それは自己満足だ、と言えるか。
例え言いきってしまったとしても、それがどうした?ってことになるはずだ。
みんな喜んでるんだから、いいじゃねぇか。
そこは止まるべき所じゃない。



自分の事を考えるに当たって――
当たり前の事を否定したがる。
折角出かけた答えが、すでに教科書に載っていたのと同じだったばかりに、捨ててしまう。
みんなと一緒だったばかりに、考えを改めようとしてしまう。
こういう感情があることすらも、すでに昔の人が実証済みだ。
何千年も前から、みんな青年期に同じ悩みを経験してきてるわけだ。
哲学ぶってみた所で、著名な文献の引用で全部解決してしまうのが関の山。
悔しいながらも、いよいよ人間は面白く、心は軽く。
そうしてまた、人は新しい世界を開拓してきたんだ。


僕はどうしようか。


とりあえず、みんなの記憶に長く食い込んでるような、バカであり続けたいです。


出会ってしまったことを後悔するくらい、笑わせてやりたいなぁ。


それだけは、ずっと変わらないし、忘れないかもね。




以上、高校生の吐き溜め、終わり。


二月二十日、水曜日。午前5:05。 

トムヤン こと たくろう。



追記(02/02/20 17:36):
書きたりないこともたくさんあるけども、というか「どうせ読み直して書き直したくなるんだろうな」とは思ったけども、この追記だけで留めておきましょう。ラーメン食って塾りましょう。



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