泣くこと。



 そういえば、ある友人が、「普通の人なら泣いててもおかしくない状況なのに、泣けない」と言っていた。ずい分昔に感情的になって目頭が熱くなったことくらいで、これまで一度も泣いたことがないそうだ。

 僕も涙腺が強い方で、思春期(?大体小学校高学年くらいから)、中学校時代まではほとんど泣いたことがなかったと思う(思い出せるのは、中1か2の時のテニスの練習中。先生にミスをひどく怒られて、ダブルスのペアだった友達に申し訳なくなってきて、思わず泣いてしまった覚えが。それ以外は多分ない)。
 泣くことがひどく気恥ずかしいものに感じられて、抵抗してしまうのはよく分かる。周囲や、自分に相談事をしてくる相手が泣いているときに、自分にそういう感情が全く感じられないことがよくあって、そのたびに「俺は冷めすぎてんじゃないか」と思っていた。

 「泣きたいときに泣けない」人間にとって、「泣くことのできる」人間は、時にすごく羨ましい存在に見える。それは、自分が「どんなときでも泣かない、強い人間」なのでなく、「強くもないのに泣けない、半端な人間」なのだと知っているからだ(とりあえず僕自身の話)。「どっか感覚が欠けてんじゃないか」とか、「冷徹だと思われ避けられるかも」とか、いつまでも「泣けない」自分に、少なからず不安を感じていた。また、友達に愚痴ったりはしても、それでも募るばかりのフラストレーションに対し、「泣きさえすればスッキリするかもしれないのに」とか思ったりもしていた。
 自分の記憶にある限りでは、高校に入って初めて泣いたのは、2年の冬、Coccoがミュージックステーションで「焼け野が原」を歌ったときだったと思う。このときは、「泣くこと」を強く意識していた。それまでにも、様々なシチュエーションで感動し、目頭が熱くなることはあったわけで、でも泣けなかったのは、どこかに「恥ずかしい」「かっこわるい」「弱そうに見える」といった考えがあり、抑えてきていたのだ。なので、無理矢理にでも泣いてみようと思い、がらにもなくかなり集中して、わざと嫌〜な思い出とかを思い出してみたり、Coccoのバックにある物語を想像したりしてみた。それで最後、Coccoが走り去るシーンを見るころには、大粒とまではいかなかったけど涙を流すことが出来た(ちなみに、2001年4月20日の話。しかしこの日記、本っ当にバカやなぁ…。そういや、更新停止宣言とかもしてるね。あらあら)。

 「一度泣けば、涙腺は弱くなる」ってのはどうも本当の話らしく。それからはちょくちょくと、泣きたいときには泣けるようになってきた。今でも、なかなか抵抗があって泣けないことはあるけど(特に人前じゃぁ泣かないなぁ。かといって一人で男泣きかというとそれも変な気がする)、それでも何か、妙な表現だけど「泣くときは泣けるという自信」がついたというか。涙を流すことで、自身に人間味が感じられて、ちょっと自分が好きになった。

 分からない人には全く分からない話かもしれない。普通に泣ける人は「何だそりゃ」だろうし、泣かないことが強いことで、大事にしている人は「そんなの必要ないのに」だろう。自分でも「ひねくれてんなぁ」と思う。でも、「泣け(い)た」という事実で、自分を少し変えることが出来た僕としては、その友達には是非、無理矢理にでも泣いてみてほしいのだ。嫌〜なことでも思い出して。


 「最近、泣いたことありますか?」って、すごくいい問いだと思う。



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