リスタート


ともかく人間の適応能力というのはたいしたもので、人類が突然身に着けてしまった瞬間移動能力は、国家間の緊張や、グローバル経済や、科学的論証などをすべて置いてけぼりにして、ただただ定着していった。いやむしろ飛び立ったの言うのが正しいか。

始まりは日本の大学生だった。彼は想い人に無下に扱われたショックを内に溜め切れず、夕暮れ映える海辺にてどこの言語とも判別できない発音で叫んだところ、夢か現かヴェネツィアの水上カフェに立っていたという。彼は何より帰らねばならず、移動の原因はあの叫びではないかと仮定し、記憶を遠心分離させ、幾度もの失敗の末、ついにその呪文を抽出したのである。それはまさしく、瞬間的に移動する魔法の呪文であった。

しかし困ったことに、どれだけ意識を集中させても、まっすぐ帰りたい場所へ移動できるわけではないらしい。今でこそ周知の事実だが、この能力は行き先を指定することができず、ただただ「地球上の人がいるところ」に飛ぶのである。272回もの挑戦の末、やっとこ彼は、手持ちの残金でアパートへと戻れる場所へと飛ぶことができた。それは偶然にも彼の想い人の自室であり、そこで何が起きたかは定かではないが、今では彼も2児の父だ。

それはそれとして、とんだ能力を手に入れてしまったと当時の彼は興奮した。実は何十年も経過しているのではないか。海の中へ移動してしまったらどうするのか。回数制限はあるのか。反動、あるいは契約上の理由で記憶や体組織が失われてしまうのではないか。ほら、振り返れば自身の影がニヤリと笑いながらこちらを眺めて代価を求めている…。
始めのうちこそそういった疑念が止むことはなかったが、7日間1366回もの実験を経て、彼は何の問題もないことを確信した。我輩は超人類である。特定の場所へ帰巣することは難しいが、帰属意識を捨て去ればこれほど優雅な旅行者もいまい。腹が減ればどこぞの食卓へ、金が欲しければ立派な金庫へ、風呂に入りたければ温泉へ、雨が降ったなら晴れの地へ、「当たり」が出るまで飛び続ければ良いのである。

しかして先述の通り彼が一家の主としてやけに落ち着いてしまったのには当然、訳がある。それは2つの誤算であった。1つ目は、所有「物」は平気だが、「人」は同時に飛べない点であった。思春期と青年期の狭間で素朴なマイホームパパにほんのりとあこがれていた当時の彼にとって、何が起きたかは定かではないが、さる偶然から同じレールを歩むことを誓い合った想い人なくして世界旅行などあり得なかったのである。

そして2つ目は、誤算も誤算、大誤算。同じ呪文を発するだけで、彼だけでなく誰もが同様の能力を使用できてしまったのである。彼の1500回以上の実験は世界中で目撃者を生む結果となり、インターネット上での情報交換によって「呪文」が解析され、1人また1人と飛び立って行った。中でも決め手となったのは、うっかり話してしまった想い人が彼の眼前から突如消え去ったことであった。後から聞くに原住民の村で神の使いと崇められたまでは良かったが危うく何かの幼虫料理を施されかけたそうで、呪文を思い出すのが先か、体に虫の魂を宿すのが先かといった状況だったらしい。潔癖症かつベジタリアンの想い人は息も絶え絶え帰宅し、その後何が起きたかは定かではないが、彼は能力を自制することにした。



だが全人類が彼のように自制できるかと言うとそんなはずもなく、人々はこぞって目に入り鼻が利き声が届く範囲での生活を捨て地球規模の日常を手に入れた。国家間の緊張や、グローバル経済や、科学的論証などをすべて置いてけぼりにして、人々は自己責任の名の下に究極の平等、自身のモラルのみが基盤となる世界に酔いしれ、快感に打ち震えながら暴走した。

この能力が、気づかなかっただけで元々全人類に備わっていたものなのか、彼が発音したタイミングで全人類に同時に与えられたものなのか、あるいは彼から何らかの形で伝染していったのか、それは誰にも分からなかったし、目下把握し解決すべき問題でもなかった。人類の歴史を1から繰り返しても釣りが来るほどの破壊と混乱が繰り返され、国家と呼ばれていた統治機構の大部分がその意味をなくす中で、瞬間移動能力という革命に最後まで抵抗し続けたのはエネルギー利権者であった。しかし、やがてエネルギー工場の働き手たちがその職務を放棄し、それと同時に電力をエネルギー源としていたネットワーク機能も停止した。元々距離概念を飛び越えた仮想空間で経済活動を行うためのものであったネットワークは、すでにその必要性が失われていたのである。そしてそれは、人種と経済が生み出した悪夢の歴史の幕が閉じられ、自由意志による漂流が真に可能となったことを意味した。この間1年。権力者はスイッチを押す暇すら与えられなかった。さらに、ジェスチャーと絵文字を中心とした共通言語が曖昧なレベルではあるが普及するまでに、3年しか要さなかった。

ところで彼は想い人とやがて生まれくる新しい命のために自家栽培をはじめ、時折訪れる空腹の旅人を無農薬野菜でもてなした。その都度、幾分狭くなった地球と、ずい分歩幅の広がった人類のうわさを聞いた。どうやら人口、出生率、食料となる動植物は軒並み減少を続けていること。けれど正確な数値は誰にもわからないこと。彼らのように自家栽培を始める者も多いが、飽きて放棄したり荒らされたりなどであまり上手くいってはいないこと。あらゆる場所を知ろうとして、やがて地球の膨大さに打ちのめされ狂ってしまう精神病が流行っていること。食料と武器を集めるだけ集めて、シェルターの中で終末思想を語る集団がいることなど。けれど、まだ人類の多くは漂流者で、カバン1つで飄々と、現地にとどまる者や他の旅人との物々交換などで食料を調達し、気ままな生活を送っているということであった。



彼が2児の父となり、帰巣先を求めて彼の周囲に定住を始めた者が10人を越えたころ、彼と想い人は今更のように式を挙げた。

「どうして結婚なんか?」

式場にたまたま居合わせた漂流者が彼に聞いた。

「今まで忙しかったからさ」

「いや、そうじゃない。所帯を持つ必要がないって言ってるんだ。
 生命維持が結婚に左右されるような時代じゃないだろう?
 娯楽の1つとして、恋愛を楽しんでれば十分じゃないか。
 信仰も経済も、血縁も伝統も失われた地球で、
 よくそんな、古臭い契約の真似事ができるな。
 ごっこあそびって訳でもなさそうだし」

「昔からの約束だったんだ。
 それに、まぁ、子どもが2人もできちゃったことだし」

「子どもは大事だが、関係あるかい?」

「子どもは、縁の産物だからさ」

「縁?」

「縁さ。意味のある偶然のつながり。
 俺が能力を発見してしまったのも、
 何があったかは言えないけど彼女と付き合うことになったのも、
 結果的に子どもが生まれたのも、
 今日あんたとであったのも、まぁなんか、縁があったのさ」

「偶然に意味を見出すのは、夢に意味を見出すようなもんだ。
 要するに意味はないんだよ」

「そうかもなぁ。
 でもせっかくだから、あんたも祝ってくれよ」

「しょうがないな。
 周りのやつらの笑顔を見たら、俺もそんな気になってきたよ」


そうして彼らは乾杯をした。



 




本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース