真っ赤な夕日が、西の山に沈もうとしている。
俺は、ふと空を見上げた。 風もなく、ゆっくりと流れてゆく、赤みを帯びた雲たち。 のどかな風景に心を休めている俺を尻目に、村人たちはどこかそわそわしている。 その怪鳥とは、そんなに恐ろしいものなんだろうか。 そんなことを考えていると、 「で、出た…出たぞぉ!」 村人の一人が、俺と同じように空を見上げて、そう叫んだ。 少し視線をずらし、村人たちが見ている方を見てみる。すると―― ―なるほど。はるか上空に、確かに大きな鳥が、弧を描くようにゆっくりと飛んでいた。 「早く家の中へ!」 「旅の人、なにをしてるんです!先ほどお話ししたでしょう! あれが『ユウヤミ』です!!さぁ、早く私どもの宿の中へ!!」 俺は少し困惑していた。『ユウヤミ』という怪鳥が、今まさにこの村に降りてこようとしている(らしい)。 しかし、しかしだ。あの鳥が、そんなに怯えるべき存在なんだろうか? 大きさは…大体トビくらいか?頭に比べて羽が大きいことから、村人の言う「フクロウに似た」やつだと容易に想像できる。 あいつが、一体何をするというのだろう。通過する際に、人の頭をもぎ取って行くとでもいうのか? それでもあの程度の大きさなら、猟師たちの鉄砲で、十分対応できるんじゃないだろうか。 まさか、鉄砲玉を弾き飛ばすわけじゃぁあるまい。それとも、怪鳥と呼ばれるくらいだから、火でも吹くのか…? その時。 ―――――フッ。 「…え?あれ?」 ゆっくりと上空を旋回していた『ユウヤミ』が、突如姿を消した。 「な、なんだ!?妖術でも使うっていうのか!?」 「違います。よく御覧なさい。ほら、あそこにいますよ。」 俺が中へ入るのを待っていてくれている宿の主人が、そうつぶやいた。 「あそこって…あ…」 『ユウヤミ』は、何事もなかったかのように、同じ場所をゆっくりと回っていた。 「え、でも、今確かに…消えた…。そ、それじゃ、まさか!!」 空を飛んでいる鳥が、突然消え、そして再び現れる。考えられることは、一つ――― 「雲の上を、飛んでいるのか…?」 信じられない。ここから、ハッキリと姿かたちの認識できる鳥が、雲の上だって? そうすると、俺はとんでもない勘違いをしていたことになる。 トビどころの大きさじゃ、ないぞ…こりゃあ…。 数倍、数十倍…?なんにしろ、俺の想像できる域を軽く越えていることは確かだ。 「!!!旅の人!早くおいでなさい!!来ますよ!!」 俺も気がついていた。『ユウヤミ』の身体が、だんだんと大きくなってきたのだ。 「さぁ、早く!いそいで!!飛ばされますよ!!!」 だが、俺は動けなかった。それどころか、上を見上げたまま、その場に しゃがみこんでしまった。果たしてこの世に、こんな大きな鳥、いや、生き物が存在するのだろうか? はじめて味わう恐怖感、そして、それをいつまでも認識しきれない混乱のせいで、俺は宿に走り込むことを忘れてしまっていた。 ゆっくり、本当にゆっくりと、『ユウヤミ』は旋回しつつ下界へと降下してきた。 こいつは一体…どこから来たんだ…?何の為に、生まれたんだ…? 俺は、そんなどうでもいいようなことを考えていた。 一度「もうだめだ」と感じてしまったばかりに、生きることを諦めてしまったようだった。 そしていよいよ、怪鳥の、異常にふくれた腹の、模様一つ一つが確認できるほど近づいた時――。 ――スゥッ―――。 なにを思ったのか、『ユウヤミ』は旋回をやめ、まっすぐに沈む夕陽へ向かって行った。 「なんだ…?何が起きた?」俺はぼうっとそれを見ていた。 しかし。宿の主人は、俺とはまったく別の反応を示した。 「ど、どこかにつかまって!!あいつはいつも夕陽を背にして、一気に突っ込んでくるんです!!」 その言葉よりも早いか遅いか、辺りが急に暗くなった。 『ユウヤミ』が、その巨体を大きく広げて、日の光を全てさえぎってしまったのだ。 そして、くるりとこちらへ振り向くと―――、 ――――ドン!!!! その巨体からは想像もつかない、いや、あの巨大な羽だからこそ繰り出される すさまじいほどの速さで、この村へと突進してきた。 宿の主人は、もうこれ以上は無理と、ひどく悪そうな顔をしながら、バタンと戸を閉めた。 俺は四つん這いのまま、よたよたと、近くのイチョウの木にしがみついた。そして―――。 バアアアァアァァァアアアァァ!!!!! 今までに体験したことのない、手足が引きちぎられそうなくらいの突風が、身体を突き抜けた。 ガタガタガタ…バキィッ! 「っぐぁ!!」 どこかの家の戸が、こちらに吹き飛んできた。幸い、イチョウにさえぎられて直撃は避けられたが、それでも十分過ぎるほどの痛みが全身を駈け抜ける。 ミシミシッ… イチョウの木が、少しづつひび割れていく。 普段なら耐えられるのかもしれないが、まだ小さめの木だ。俺の体重が負担になっているのだろう。 ついにイチョウは限界に達し、俺ごと後ろの民家に突っ込んだ―――。 ―――俺は気を失っていた。というより、意識はあるものの、動くことができなかった。 目に浮かぶのは、村に突っ込んでくる直前の、俺の見た、やつ――『ユウヤミ』の顔。 笑っているようだった。鳥に表情はないというが、少なくとも、俺にはそう見えた。 あいつは一体…どこから来たんだ…?何の為に、生まれたんだ…? 俺は、また、そんなどうでもいいようなことを考えていた――――――――。 ――夕闇の村――終。 |