ホテルマリーン―5―









泣き顔が見える。
その少女の瞳からは大粒の涙が浮かんでいた。

「私、あなたの事をもう、恨んでなんかいません。それどころか感謝しています。あなたはいつだって私を見ていてくれた。
私を支えてくれた。・・・だから、行かないで下さい」

大きな瞳が彼を見つめ、そう告げる。
胸の中に言い尽くせぬ想いが広がる。
そして、彼は少女を抱きしめた。
愛しく思う気持ちが体中に駆け巡る。

あぁ。そうだ。俺は彼女を愛しているんだ。彼女だけをずっと見つめて来たんだ。
彼女をだけをずっと・・・。

そこで、彼は目を覚ました。
目を開けると見慣れた病院の天井が視界に入る。
鈍く頭が痛むとともに、彼は自分が泣いていた事に気づく。

「・・・行かなければ、あの場所に、彼女がいるあの場所に」
体中から湧き上がる想いに彼はベットから起き上がると、パジャマから外出着に着替えた。




「・・・真澄様・・・」
紫織が病室に行くと、パジャマが脱ぎ捨ててあり、物家の空だった。
嫌な予感が胸を過ぎる。
まだ真澄は外に出られる程ではなかった。
「・・・一体・・・あんな体で・・・どこに・・・」
紫織はすぐに人を呼び彼を探させた。





「タクシーをお探しですか?」
病院から1km程離れたタクシースタンドで、彼は声をかけられた。
前髪の長い彼と同じ年齢程の男が立ったいた。
その顔に見覚えがある気がする。
「・・・君は・・・」
男の顔をじっと見つめる。
「あなたの部下です。あなたが望む場所にお連れします」




「はぁぁぁ。今日でこの海ともお別れか」
マヤは伊豆に来てから毎日のようにホテルマリーン近くにある浜辺を散歩していた。
真っ青な海や、波の音に耳を澄ませ、思う事は彼の事だけだった。
三日前に会った元気そうな彼の姿を思い出し、微笑む。
「・・・よかった。速水さんが元気で・・・」
例え記憶を失っていても、彼である事は変わりない。
水城に記憶がないと言われた時、正直会うのは怖かった。
しかし、彼女を呼びとめ、名前を聞いた彼はマヤの知っている優しい瞳をしていた。
「・・・きっと、いつか私の事も思い出してくれますよね」
清々しい程の空を見つめ、呟く。
彼女の心はとても穏やかだった。




「・・・俺は・・・思い出したんだ。事故に会ったあの日、大切な人にあった事を」
聖が運転する車の後部座席に乗り、あの日と同じように窓の外に広がる海を見つめる。
「ずっと、ずっと彼女の事だけを思ってきた。舞台に立つ彼女を見るのが好きだった。だから・・・俺は・・・」
そこまで告げ、彼の脳裏に紫の薔薇の存在が浮かぶ。
「・・・そうだ。俺は紫の薔薇を・・・彼女に贈ったんだ。もう、何年も贈り続けていたんだ」
曖昧だった記憶の一つ一つが結びつく。
「いつも俺の心の中には彼女がいて・・・。その想いは段々大きくなって・・・。それで、俺は・・・」
ズシリと強い痛みが再び頭の奥でする。
思わず、速水は苦しそうに頭を抱えた。
「・・・真澄様!大丈夫ですか!」
彼の様子をルームミラーで見ていた聖は心配するように声をかける。
「・・・大丈夫だ。少し頭痛がしただけだ。後少しで全てを思い出しそうなんだ。後、少しで・・・」
頭を抱え彼は今にも思い出しそうな何かを思う。
「・・・大丈夫。きっと、あの方があなたを助けて下さるでしょう」
聖は落ち着いた声で告げる。
「・・・あぁ、そうだな。彼女に会えば・・・きっと・・・」
速水は静かに瞳を閉じ、夢の中に出てきた少女の姿を思い描いた。





「・・・真澄様はまだ見つからないのですか!」
速水を捜索させてから、二時間が経っていたが、何の連絡もなかった。
段々紫織の気持ちに余裕がなくなり、不安だけが彼女の心を締め付ける。
「・・・もしも、真澄様に何かあったら・・・私は・・・私は・・・」
そう呟き、紫織はある物を思い出した。
「・・・お嬢様?」
紫織とともに付き添っていた彼女の乳母が彼女に声を掛ける。
紫織は乳母の声など聞いてはいなかった。
速水のクローゼットを開け、事故の時に着ていた上着を取り出す。
「・・・きっと、真澄様はここにいるわ」
上着のポケットから取り出したのは301と書かれたどこかのホテルの鍵だった。





聖に連れて来られたその場所は確かに見覚えがあった。
ホテルの外観をじっと見つめ、痛む頭を抑えながら、何かを思い出す。
「・・・あなたは事故に会われた日、ここであの方とお会いしたのです」
佇む速水に聖が言葉を投げかける。
「・・・紫の薔薇の人として・・・思いを伝えるために」
「・・・思いを伝える・・・」
聖の言葉に拳を強く握り、速水はホテルの中へと入った。
あの日と同じように白百合の間へと伸びる広い廊下を歩く。
彼の中の記憶が重なる。
あの時の思いが胸を締め付ける。
歩みを進めるごとに鼓動が早くなる。

そして・・・彼はドアを開けた。

部屋の中には誰もいない。
面影を追いかけるように彼女が座っていたソファを見つめる。
確かにここで彼女と会い、腕の中に抱きとめた。
彼女の体はとても華奢で、小さかった。

「・・・マヤ・・・」
彼の口から自然と、その名が毀れる。
愛しさが胸をつく。
彼女が座っていたソファに触れ、彼は瞳を閉じた。
不意に、潮風がどこからか、流れてくるのを感じる。
再び、瞳を開け、彼は窓を見つめた。
窓は開けられ、誰かがテラスに出ていた。
まさかという思いが胸に過ぎり、彼はテラスに向かって歩いた。





彼女はホテルを離れる最後に速水と会った白百合の間に来ていた。
ここから感じる潮風が彼女は好きだった。
いつも瞳を閉じて、風を感じ、彼を思う。
彼女にとってあの日、紫の薔薇の人として彼が目の前に現れた事は何よりも嬉しかった。
もし、このまま彼が自分の事を思い出す事がなくても、彼に気持ちを伝える事ができなくても、それだけでいいと思った。
ほんの一時だったが、確かに速水と気持ちを通い合わせた。
彼の腕の中で素直に自分を解放する事ができた。
だから、もう未練はなかった。このまま東京に戻っても、また頑張る事ができる。
紅天女を演じる事ができる。

「・・・マヤ・・・」
突然、誰かの呼ぶ声がした。
それはとても聞き覚えのある低い声。
「・・・えっ・・・」
ゆっくりと瞳を開け、振り返る。
彼女はこれ以上ない程、瞳を大きく見開いた。
そう、そこに立っていたのは今、思っていた彼だった。
「・・・速水さん・・・」
二人の時間が止まり、そして、あの日に戻る。
「・・・マヤ・・・!」
速水は彼女に駆け寄り、その小さな体をきつく抱きしめた。
「・・・そうだ。君だ。君なんだ。俺がずっと会いたいと思っていたのは・・・」
掠れる声で彼が囁く。
「・・・会いたかった。会いたかった・・・」
彼の言葉に彼女の中にも同じような思いが浮かび上がる。
「・・・私も、あなたに会いたかった・・・」
嘘偽りない気持ちを口にし、彼と視線を重ねる。
思いの篭った瞳で二人は言葉なく見つめあい、そっと唇を重ねた。

その夜は二人にとって永遠に忘れられないものになった。



つづく






【後書き】
はぁぁ・・・。やっと甘甘路線にもってこれた(笑)さぁ、今日は後何話アップできるかしら♪(←えっ?もう無理?(笑))
注:書けたら即アップという突貫工事(笑)をしているので誤字脱字が沢山あると思いますが・・・
お許し下さいませ。後日直します(笑)

2002.6.2.


【後書き追加】
身の程知らずというか・・・はははは。挿絵つけてみました(笑)(しかも、似てないぞ・・・。誰だこれは 爆)
やっぱり、色塗りが荒くなってしまう。う・・ん。お絵描きの道はまだまだ続くのね←まだ書くのか(笑)
見てしまった方・・・温かい目で見守ってやって下さい(笑)

他のバ−ジョン・・・こっそり例の所にアップしてあります(ぼそっ 笑)

2002.6.9.
Cat



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