ホテルマリーン―4―








「・・・マヤちゃん、良かった。待っていたのよ」
今日も速水のために花束を持って来たマヤに声がかかる。
「・・・水城さん」
「社長、あなたからの花束とっても喜んでいたわ」
水城の言葉にマヤは嬉しそうに表情を綻ばせる。
「・・・良かった。速水さん喜んでくれたんですね」
「えぇ。それで・・・社長があなたに会いたいって言うの」
水城の言葉に胸が時めく。
「・・・マヤちゃん、社長に会ってくれるかしら?」
ようやく訪れた機会にマヤは涙が浮かびそうだった。
「・・・はい。もちろん。喜んで」




「紫織さん。すまないが、今日発売の"News Weekly"を買ってきてくれないか?」
いつものように速水の病室で何か用をしている紫織に、速水は口を開いた。
「えっ・・・」
今まで速水が何かを欲しいと言った事はなかった。
「何だか、急に読みたくなってね。病院内を探したんだがなかったみたいだ」
速水に頼られた事が紫織には嬉しかった。
「・・・はい。わかりました。すぐにご用意しますわ」
そう告げ、紫織は病室を後にした。
そして、速水もガウンを羽織ると、少し間を置いてから病室を出た。




マヤは病院の中庭で、速水を待っていた。
ベンチに座り、彼を待つ事、5分。
ホテルマリーンで彼を待っていた時のように胸がドキドキと高鳴り、落ち着かない。

速水さんに会える。でも、会ったら何を言ったらいいんだろう。

そんな事を考えていると、見覚えのある長身の男が彼女から10M程離れた所に立っていた。
男は快晴の空を見上げ、久しぶりに吸う外の空気に笑みを浮かべた。

「・・・速水さん・・・」
思わず彼の姿にその名を口にする。
しかし、彼はマヤの姿に気づかず、どこか遠くを見つめていた。

「マヤちゃん、実は社長に会う前に一つ知っておいてもらいたい事があるの」
水城との先ほどの会話が過ぎる。
「・・・実は社長は・・・今、記憶がないの。事故にあった後遺症らしいんだけど、ご自分の事も周りの人間の事も覚えていないの。
だから、きっと、マヤちゃんに会っても社長はわからないと思うの。それでも、会って下さる?」
マヤは水城の言葉に迷う事なく頷いた。

「私から、速水さんに話しかけなきゃ」
意を決して、マヤはベンチから立ち上がった。




「・・・いい天気ですね」
彼が空を見つめていると見知らぬ声がかかる。
声のした方を振り向くと、あどけなさがまだ残る女性が立っていた。
「・・・こんな日はお布団を干すと、お日様の香がいっぱい染み込んで気持ちいいんだろうなぁぁ」
穏やかな少女の笑みに彼の心も和むようだった。
「・・・確かに、気持ち良さそうだ」
自然と笑みを浮かべ、彼女を見る。
彼女はその視線を受けて、彼が自分の事を誰だかわかっていない事を気づいた。

速水さん・・・。やっぱり、私がわからないの?
不安気な表情を浮かべる。

「・・・どうかしましたか?」
急に笑みが消えた彼女に声をかける。
「・・・いえ。何でもないんです。ちょっと入院している人の事を思い出して」
「・・・どなたかお知り合いが入院しているんですか?」
「えぇ。大切な人が交通事故にあって入院しているんです」
そう告げ、思いのこもった瞳で一瞬、彼を見つめる。
「・・・でも、その人に会えなくて・・・。毎日お花を持ってきているんですけど、中々会わせてもらえないんです」
ため息を一つつき、マヤは地面を見つめた。
彼女の表情が急に大人びて見え、なぜか彼の胸も切なくなる。
「・・・ごめんなさい。私。何だか暗い話しましたね」
笑顔を浮かべ、彼を見る。その笑顔に胸がドキリと時めく。
「・・・あの、これ良かったら受け取って下さい」
そう言い、彼女は彼の為に持ってきた小さなブーケを渡した。
「・・・それじゃあ、私、そろそろ行かないと」
「あっ、待って」
背を向ける彼女に声を掛ける。
「・・・えっ」
彼の声に立ち止まる。
「・・・君の名は?」
彼の問いに彼女はゆっくりと振り向く。
「・・・北島マヤ・・・」
にっこりと微笑み、告げると、彼女は今度こそ彼の前を後にした。

「・・・北島・・・マヤ・・・」
その名前に引っかかるものを感じる。
一人になり、彼は渡されたブーケを見つめた。
「・・・あっ!・・・紫の薔薇!」
一輪の薔薇を見つけ、彼女が会いたかった人物だと気づく。
そう思った瞬間、体中に熱い血が流れる。
気づけば、彼女を追いかけて彼は走り出していた。
しかし、もうどこにも彼女の姿はなかった。




「大丈夫ですか?」
運転席の聖が今にも泣き出してしまいそうな彼女に声を掛ける。
「・・・速水さんの無事な姿を見たら、何だかホッとしちゃって」
指で薄く浮かぶ涙を拭う。
「・・・あの人は私の事を覚えていなかったけど・・・でも、私、無事だって自分の目で確認できて嬉しいんです」
「・・・マヤさん・・・」
彼女の健気な想いを感じ取り、聖は切なかった。
「・・・来週には速水さん退院できるって、水城さんに聞きました。私、そろそろ東京に戻ります」





「・・・北島マヤ・・・彼女について知っている事を話してくれないか?」
病室に戻り、速水は水城に口開く。
「・・・お会いになったんですか?」
「・・・あぁ。だが、俺は彼女に名前を聞くまで気づかなかった」
自分を責めるように自嘲的な笑みを零す。
「・・・北島マヤはあなたが上演権を欲しがっていた紅天女候補の女優です。私が話すより、ご覧になった方がわかるでしょう」
そう言い、水城はマヤの公演を録画したビデオを数本、速水の前に差し出した。
「・・・紅天女・・・」
その言葉に胸の痛みを感じる。
「・・・私はそろそろ失礼しますわ」
水城は今は彼を一人にさせた方がいいと判断し、病室を後にした。

そして、一人速水は、今会った少女の事を考えていた。





「・・・真澄様?」
紫織はここ数日、速水の様子が変わったような気がした。
何か物思いに耽っていると思うと、大きなため息をつき、紫織の話など、まるで上の空のようだ。
「・・・何か言いましたか?」
紫織の声にようやく、反応し、彼は彼女の方を見た。
相変わらず彼を心配するような不安な表情をしている。
入院してから11日、ずっと紫織は彼の傍にいた。
しかし、そんな表情に彼は段々息がつまる思いを感じていた。
「・・・いえ、あの・・・ここ2、3日何だか元気がないような気がして」
躊躇うように口にする。
「・・・いえ。そんな事は。ただちょっと考え事を。それより紫織さん、入院している僕よりあなたの方が元気がなさそうに見える。
いいんですよ。いくら婚約者だからって、毎日僕の病室に来なくても、世話をしてくれる人間なら速水の屋敷から何人か来ています」
速水は胸の内にずっと思っていた事を口にした。
その言葉に、紫織は見放されたような気がする。
「・・・真澄様は私が邪魔なんですか?」
ポツリと小さな声で口にする。
「私はあなたに早く良くなってもらいたいから、来ているんです。それに、あなたが事故にあったのは私のせい」
そう言い、紫織は手首に巻かれた包帯を見えるように左腕をかかげた。
「・・・あなたのせい?」
紫織が包帯を巻いていた事は気づいていたが、それがどうしてなのか速水にはわからなかった。
「私はあなたが事故にあった日、手首を切ったのです。あなたに振り向いて欲しかったから。そして、あなたはその知らせを聞き、
車をいつもよりも急がせて・・事故に・・・」
紫織の言葉に何かが過ぎる。事故にあったあの日の記憶が一瞬、頭の奥を強く刺激する。
「・・・うっ・・・」
突然の激痛に、彼は包帯の巻かれた頭を抑え、意識を失った。




つづく




2002.6.2.
Cat



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