紅 天 女 -17-
「えっ!先生が!」 マヤが月影千草の死を知ったのは、退院した翌日だった。 「とても安らかな死に顔だったよ」 ここは大都芸能の社長室。 今日は紅天女関連の契約を結ぶため、マヤは大都に来ていた。 彼女は月影の死を待ち構えていたマスコミから聞かされた。 社長室を訪れた時、マヤは泣き出しそうな表情をしていた。 彼女が知ってしまった事を悟り、真澄は月影の最後について口を開いた。 マヤは真澄から出る一言、一言を胸に刻み込むように聞いていた。 瞳を閉じ、夢の中に現れた月影を思い出す。 とても、穏やかな表情をして、マヤに”思う通りにしなさい”と言ってくれた。 「・・・そうですか」 速水の話を一通り聞き終わると、涙も見せず、そう告げた。 沈黙が二人の間に落ちる。 真澄は何て言葉をかけたらいいのかわからなかった。 何を言っても彼女の事を慰める事はできないと知っていたからだ。 「どうする?紅天女の話はまた後日にするか?」 何とか言葉を捜し、彼なりの誠意を込めて口にした。 マヤはその言葉に一瞬、驚いたように彼を見つめた。 そして、一つ間を置き「いえ」と力強く口にした。 「早く紅天女が演じたいんです。それに、先生も望んでいた事でしたから」 「そうか」 それから二人は事務的な話をした。 時折、彼女の様子を心配するように真澄は注意深く見たが、いつもと変わりはなかった。 「後は速水さんにお任せします。私こういう事って良くわからないから」 必要な署名をすませると、マヤは真澄に言った。 「君にそんなに信用してもらえるとは、以外だな」 いつもの調子で真澄が言う。 「・・・紅天女に関しては、速水さんが一番信用できる事は知っていますから」 無表情に口にし、マヤは座り心地の良さそうなソファから立ち上がった。 「いろいろありがとうございました」 一礼し、速水に背を向ける。 「ちびちゃん」 彼女を引き止めるように、真澄が呟く。 「何か?」 歩みを止め、真澄の方を振り返る。 「・・・いや・・・その・・・。紅天女、楽しみにしているよ」 真澄の言葉に表情を変えず、マヤはお辞儀をすると、今度こそ社長室を出た。 なぜか彼女らしくない気がした。 最初、社長室に現れた時の彼女を除いて、今日、ここにいたマヤは冷静で、とても落ち着いていた。 月影の死を知ったばかりなのに・・・。 いつもの彼女だったら、きっと、泣き叫んでいたかもしれない。 「俺が知らない程、、彼女は大人だったのか・・・?」 煙草を口にし、自分に問いかける。 知らない一面を目にし、真澄の心の中は複雑な気持ちだった。 「麗。先生、亡くなったんだってね」 速水から月影の死を聞いた二、三日後、ごく普通の会話の流れの中でマヤは口にした。 「・・・マ・・ヤ・・・」 思いがけない一言に麗の瞳が大きく見開かれる。 マヤは悲し気な笑みを浮かべた。 「・・・心配しないで、私は大丈夫よ。ただ、ちょっと、悲しくて、寂しいだけだから。麗と同じくらい悲しいだけだから」 マヤの声が微かに涙に濡れだす。 「・・・さてと、そろそろ稽古に行かないと、紅天女の本公演も決まったし」 溢れ出しそうな涙を寸前で止め、無理に笑顔を作る。 「ここで、めそめそめ泣いていたら、天国から先生にお説教されるわ」 クスリと笑う。 「あぁ。そうだな」 「じゃあ、いってきます」 麗がアパ−トから出て行くマヤを見たのは、それが最後になった。 その日、マヤは夜になってもアパ−トには戻らなかった。 連絡も何もなく、突然、彼女は消えたのだ。 「稽古場にマヤがいない?」 水城からの報告に胸さわぎがする。 まさか、また、彼女の身に何か・・・。 紫織の顔が浮かぶ。 「水城くん、後の予定は全てキャンセルだ」 上着を手に真澄は社長室を出た。 行く先は鷹宮家。 真澄にはそれしか考えられなかった。 「・・・お待たせいたしました」 紫織が応接室に現れる。 体調が悪いらしく、ここの所、紫織は寝たきりだった。 表情からは生気が抜けている。 まるで、散り行く花のような儚さが今の彼女にはあった。 「そのご様子だと、結婚式のお話をしに来たのではありませんのね」 真澄とテ−ブルを挟んで座る。 「・・・あなたの大切な方に、また、何かありましたの?」 紫織の言葉に真澄は動揺を隠せなかった。 「・・・どこにやったんです。あの子を。公演が近いんです。こんな小細工はいい加減にやめて頂きたい!」 怒りを表すように真澄はテ−ブルの上に拳を振り下ろした。 部屋中に乾いた音が響く。 数瞬置いて、紫織が突然笑い出す。 「何が可笑しいんです!」 冷静な彼とは程遠い声だった。 紫織はあざけ笑うかのように尚、笑みを湛える。 「紫織さん!!」 耐え切れず、叫び声をあげ、彼女を睨む。 「・・・まぁ、お怖い顔。初めて見ましたわ。あなたのそんな表情・・・」 寂しそうに目の前の真澄を見つめる。 「思えば、あなたはいつも心を私に見せてくれなかった」 立ち上がり、彼に背を向けるようにして、窓の外を見つめる。 「怒りであれ、憎しみであれ、今、初めてあなたに本物の感情を向けて頂けて、嬉しいですわ」 真澄は紫織が何を考えているのかわからなかった。 今、考えられる事はマヤの安否、それだけだ。 「・・・真澄様。もし、私があなたの大切な人と引き換えに、今、愛して欲しいと言ったらどうしますか?」 静かな落ち着いた声で、紫織が告げる。 「・・・なっ」 さすがの真澄もこの質問には即答できなかった。 「・・・あなたの女優の命が私の手の中にあると言ったら、どうしますか?」 問うように真澄の方を振り向く。 彼の表情は困惑に満ちていた。 「・・・唇に、キスして下さい・・・」 真っ直ぐに真澄を見つめる。 その瞳はどこか危機迫るものだった。 紫織が本気だという事を感じると、真澄はゆっくりと立ち上がり彼女に近づく。 真澄は何も言わず、そっと唇を重ねた。 紫織の唇が震える。 そして、次の瞬間、真澄の頬を紫織の平手が直撃した。 「・・・残念です、真澄様。あなたにそんなふうに見られていたなんて」 驚いたように見つめる真澄に微かに震える声で呟く。 「私は鷹宮の娘です!!!あなたに振り向いてもらう為に弱味をたてに要求するような女ではありません!!!」 プライドを振り絞り、全身から告げる。 その瞳には気高さが見えた。 「・・・じゃあ、彼女は、マヤは今、どこに!」 華奢な紫織の両肩をきつく掴み、揺する。 「あなたじゃなければ、誰なんです!!」 そう口にして、真澄はハッとした。 紫織の瞳から涙が溢れ出す。 今まで、見た事のない悲しそうな表情で紫織は真澄を見つめていた。 「・・・婚約は解消しましょう・・・」 彼女の口がゆっくりと開く。 「祖父には私から言いますので、ご安心を。あなたの仕事のお邪魔はさせませんから・・・」 「・・・紫織さん・・・」 真澄はただ、目の前の彼女を見つめているしかできなかった。 「・・・あなたの大事な人の事は、今回私とは関係ありません。お疑いになるのなら、気の済むまでお調べてになって下さい」 真澄に背を向ける。 「お帰りなって下さい。そして、もう、二度と私の前に現れないで下さい」 紫織の肩が微かに震えている。 「・・・紫織さん、僕は・・・」 何かを告げなければならないと思い、言葉を口にするが、申し訳なさがいっぱいで何も出てこない。 「・・・恋はいつか終わりが来るものです。そして、終わらない気持ちは愛に変わると、昔、ある人に言われました。 これ以上、私を惨めにしないで下さい。辛すぎます。今、あなたから優しい言葉をかけられれば、私はまた、愛と恋の区別ができずに 自分の愚かな恋に溺れてしまう。もう一人相撲は沢山!・・・早く、お帰り下さい」 それは紫織の本心だった。 もうこれ以上、真澄と一緒にいる事は彼女にとっては苦痛にしかならない。 どんなに欲しがっても手に入らない存在。 だからこそ、より欲しくなる。 しかし、彼女の手は永遠に届く事はないのだから・・・。 「・・・すみません・・・」 彼女の背中に一礼をし、真澄は出ていった。 彼の気配が消えた瞬間、紫織はその場に崩れるようにして泣いていた。 とても大きな声で、小さな少女のように・・・。 さよなら、真澄様・・・。 「・・・マヤちゃん、いい加減に帰ろう・・・」 一日中窓の外を見つめたままの彼女に桜小路が口にする。 ここは梅の谷に近い旅館だった。 滞在して一週間が経つ。 マヤは梅の谷に行こうとはしなかった。 部屋の中で一日を過ごし、どこか遠くを見つめていた。 最初は月影の眠る墓参りをして、すぐに帰るつものだったが、マヤが行こうとはせず、その上帰りたがらないので、桜小路も一緒に残る事にした。 今のマヤを一人にさせるのは危険だと思えたからだ。 「・・・紅天女の本公演もそろそろ近いんだし、みんな心配しているよ」 桜小路の口から出た”紅天女”という言葉にマヤがの瞳が一瞬、大きく見開かれる。 「・・・私にはできない。やっぱり、できない・・・」 頭を抱え込み、小さな声で告げる。 「じゃあ、だったら、先生に会いに行こう。そのつもりで来たんだろう?」 彼女の側に駆け寄り、肩を抱いてやる。 「・・・駄目、先生に会えない。先生が死んだなんて・・・私、私・・・」 後はもう涙で声にならなかった。 桜小路は小さな子を宥めるように泣き崩れるマヤを抱いていた。 「・・・北島の事なら、大丈夫だ」 いつものおでん屋で酒を飲んでいる時、黒沼が告げた。 「えっ」 その言葉に、真澄の動きが一瞬、止まる。 「・・・居場所はわかっている」 おでんをつっつきながら、口にする。 「黒沼さん!それは、どこです!!彼女はどこにいるんですか!」 感情的に声をあらげる。 「まぁ、そう熱くなるな。若旦那」 「別に熱くだなんて・・・。私は、ただ、興行主として心配なんです。念願の紅天女が上演できると思ったら、 主演は失踪中。それも、一真まで・・・」 そこまで口にして、真澄はハッとした。 「まさか。桜小路と一緒なんですか?」 桜小路までがいない事を知ったのは、今日稽古場を訪れてからだった。 黒沼がちょっとした用でいないだけだと告げたので、その場は気にもしなかったが、今になってその言葉の意味がわかった。 「・・・あぁ。あいつなら、北島を任せられると思ってな」 マヤが桜小路と一緒にいる事を知ると、落ち着かなくなる。 もう、失踪してから一週間になる。 その間もずっと二人が一緒だったなんて、真澄には考えたくもない事だった。 「・・・どこなんです。どこに彼女はいるんですか・・・」 感情を抑えた低い声で問う。 黒沼は考えるように真澄を見つめた。 「・・・月影さんの所だよ・・・」 長い沈黙の後に黒沼がやっと口を開く。 真澄は一万円札をテ−ブルの上に置くと、立ち上がった。 「・・・失礼します」 無表情に黒沼に言う。 「迎えに行く気か?」 「えぇ。興行主としてはこれ以上、彼女に勝手なまねはさせられませんから」 真澄の言い回しに黒沼は苦笑を浮かべた。 「・・・興行主か・・・。あんた、そろそろあいつを受け止めてやったらどうだ?あんたが素直にならなきゃ、あいつは絶対に帰っては来ないよ」 黒沼の言葉に足を止める。 「受け止める?どうして、私がそんな事を・・・」 感情を隠すように黒沼を見る。 「・・・その意味を一番わかっているのはあんただろう?その覚悟がないのなら、行くべきじゃない。あんたが行けばあいつを追い詰めるだけだ」 黒沼は釘をさすような視線を向けた。 二人の視線が重なる。 「・・・さぁ、何の事だか・・・」 苦笑を浮かべ、真澄は黒沼に背を向けた。 「・・・素直じゃないな・・・。本当に・・・」 酒を一気に煽り、黒沼は一人、呟いた。 |