紅 天 女 -3-



   私にはわかる。
   あなたがどこに行ったのか・・・。
   マヤ、必ず、見つけてみせるわ。

   亜弓はハミルと共に梅の谷に向かっていた。
   亜弓の中で確信めいたものがあった。
   マヤが必ずいるという・・・。

   「アユミ、疲れないかい?」
   車を運転しながら、助手席の彼女にハミルが聞く。
   「いいえ。大丈夫よ。ハミルさんこそ、ずっと運転で疲れない?」
   彼を気遣うように見つめる。
   「・・・嬉しいね。アユミ。僕の事を心配してくれるのかい?」
   ハミルの言葉に一瞬、亜弓の頬が赤くなる。
   「だって、ずっと・・・ハミルさんが運転しているから・・・」
   照れたように口にする。
   「・・・ありがとう。大丈夫だよ」
   ハミルはそんな亜弓を優しく見つめた。




   「先生、僕はマヤちゃんを探しに行きます」
   もう桜小路はマヤがいなくなってから、いてもたってもいられなくなっていた。
   「駄目だ」
   黒沼が怖い表情を浮べる。
   「・・・どうしてですか?このまま待っているだけだなんて僕には耐えられない」
   苦しい気持ちを吐き出すように言う。
   「今、おまえが抜けたら芝居に穴が空く。天女だけじゃなく、一真までいなくなったら、基盤を失う。
   それに、これは北島の問題だ。おまえが彼女を見つける事ができたとして・・・その後、どうするつもりだ?」
   じっと、桜小路を見つめる。
   「・・・どうするって・・・彼女の悩みを聞いてやるんです」
   「北島がおまえに言うと思うのか?だったら、失踪する前に言っているはずだろう。
   それに、悩みを聞いた所でおまえに何ができる?優しい言葉をかけてやるだけじゃ、あいつの為にはならないんだぞ」
   黒沼の言葉が桜小路の胸に刺さる。
   「・・・でも、僕は・・・何かしたい!彼女の為に・・・」
   「だったら、おまえは完璧な一真を演じるんだ。北島が戻ってきた時に足を引っ張らないようにな」
   桜小路は自分の無力さを知った。
   彼女にとって自分の存在は何なのか・・・この時、初めて真剣に考えるようになった。




   「真澄様・・・お顔色が悪いみたいですが・・・」
   紫織が心配そうに彼を見つめる。
   「・・・そうですか?」
   いつもの笑顔を見せる。
   だが、その笑顔もどこか無理をしているように見えた。
   「・・・真澄様、何かあるなら話して下さい・・・私は、あなたの妻になるんですよ」
   一途な瞳で真澄を見つめる。
   「・・・紫織さん・・・」
   じっと、彼女を見つめる。
   本当に真澄の事を心配しているのだと、わかる表情だった。

   この人は・・・俺を心配してくれる。
   この人だけが・・・。

   「・・・少し、疲れただけです。いろいろな事に・・・」
   真澄はそう言い、紫織にもたれかかるように身体を預けた。
   「・・・真澄様・・・」
   紫織はいつになく弱気な彼を抱きしめた。

   マヤ・・・。
   どこにいるんだ・・・。
   君がいないと俺は・・・。

   紫織の温もりを感じながら、真澄の意識はどこか遠くへ行っていた。




   速水さん・・・会いたい・・・。

   今夜も梅の谷は満天の星空だった。
   梅の谷に来て、一週間。
   マヤは速水と過ごした社務所で何とか生活をしていた。
   朝から晩まで、速水の事を想い、紅天女の恋を考えて過ごしていたのだった。
   切ない想いは日々、募る。
   苦しくて、辛くて、身を切るような想いに駆られる。
   気持ちだけが大きくなっていくようだった。

   「・・・はぁぁ・・・本当、私、何しているんだろう」
   自分がここまで情けなくなるとは思わなかった。
   速水からの紫の薔薇がないといつの間にか、何もできなくなっているのだ。
   そんな自分が嫌で仕方がない。

   「・・・マヤさん」
   突然、誰かの声がした。
   「えっ」
   声のした方を振り向くと、驚いた事に亜弓が立っていた。
   何と言ったらいいまかわからず、マヤは黙ったままだった。
   「・・・やっぱり、ここにいたんですね」
   ゆっくりと、亜弓がマヤに近づいてくる。
   「・・・探したわよ・・・」
   マヤの目の前でピタリと止まり、優しい表情を浮かべる。
   「・・・亜弓さん、どうして・・・ここに?」
   おどおどと彼女を見つめる。
   「・・・あなたなら、ここにいると思ったの」
   亜弓は見えていない瞳でマヤを見つめた。
   神経の全てを研ぎ澄まし、彼女の動きを計る。
   何としても、今はマヤに自分が目が見えないという事を悟らせたくはなかった。
   「ここは、本当、梅の木が綺麗ね」
   梅の香を便りに木々を見つめる。
   「私も暫く、ここにいようかしら」
   クスリと笑う。
   そんな亜弓の表情は空気に透けるように美しかった。

   敵わない・・・。

   亜弓を見つめ、強く思う。
   誰が紅天女にふさわしいかマヤにはわかった気がした。
   「・・・私、紅天女、降ります」
   ここに来て、ずっと思っていた事を口にする。

   パシッ!

   その瞬間、マヤの頬を亜弓の手が掠めた。
   「・・・亜弓さん・・・?」
   不自然な殴り方に不思議そうに彼女を見つめる。
   「・・・許さないわよ!!降りるなんて・・・」
   厳しい表情でマヤを睨む。
   「・・・亜弓・・さん・・」
   「・・・あなたは私と紅天女を競うのよ!」
   ただならぬ様子で亜弓が言う。
   「でも、・・・私、紅天女が演じられなくて・・・自分の中の紅天女がわからなくなって」
   不安そうな表情を浮べる。
   亜弓の右手が再びマヤに向かって振り上げられる。
   今度こそ、間違いなく叩かれると思い、マヤは身構えた。
   しかし、亜弓の手はマヤの頬に触れるどころか、宙を掠めた。
   それはまるで、マヤの存在が見えていないようだった。
   「・・・亜弓さん・・・まさか・・・目が・・・」
   亜弓の視線がマヤを捉えていない事にやっと気づく。
   「・・・私だって・・・まだ、紅天女を掴めていない・・・。でも、それでも降りるなんて事は絶対にしないわ!」
   亜弓の瞳に薄っすらと涙が浮かんでいた。
   「・・・毎日、焦りだけが募って・・・苦しいのよ。辛いのよ。でも、それでもあなたと競いたいから、私は・・・」
   亜弓の言葉が胸にしみる。
   気づけばマヤの瞳にも涙が溢れていた。

   弱い自分が心底恥ずかしいと思った。
   簡単に紅天女を投げ出そうと思った自分が恥ずかしかった。

   「・・・あなたは私のライバルでしょ・・・降りるなんて、そんな悲しい事を言わないで・・・」
   涙声で亜弓が訴える。
   「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」
   マヤは涙に声を詰まらせながら、何度もそう呟いた。




   「・・・マヤの居場所がわかったのか!」
   社員がほとんどいなくなった時間、社長室で、真澄は聖からの報告を受けていた。
   「はい。マヤ様は今、梅の谷にいるようです。2,3日前に街に買出しに出た時の目撃証言を受けました」

   マヤ・・・無事だったか・・・。

   ホッと胸を撫で下ろす。
   「いかが致しましょうか?彼女と接触してお連れしますか?」
   聖の言葉に真澄は考えるように黙った。
   「・・・嫌、そのままでいい。彼女が無事ならいいんだ・・・引き続き、彼女の様子を報告してくれ」
   「はい。承知しました」
   真澄の言葉を聞くと、聖は早速、任務に取り掛かるべく社長室を後にした。

   「梅の谷か・・・」
   一人、呟き、煙草に火をつける。
   マヤと過ごした一夜の想いが胸に溢れる。
   寒くて、震える彼女をしっかりと抱きしめた。
   彼女の体はとても、華奢で、冷たかった・・・。
   そして、甘い香がした。

   「・・・馬鹿だな・・・俺は・・・」
   紫織との結婚を間近に控えていても、尚も彼女を恋しく思う自分が酷く諦めが悪く思えた。
   どうして、こうなる前に彼女に手を伸ばさなかった・・・。
   未練が残るなら、無理矢理にでも抱いてしまえば良かった・・・。
   行き場のない想いがそんな事を思わせる。
   「・・・そんな事、俺にできる訳ない・・・か・・」
   煙を吐き出し、自分の考えを否定するように口にした。




   「・・・こうしていると、落ち着くわね」
   亜弓はマヤと一緒に大地に横になり、満天の星空を見つめていた。
   星は見えないが、何かを感じる事ができていた。
   「・・・亜弓さん、目の事、聞いていいですか?」
   マヤが遠慮がちに口にする。
   「・・・切っ掛けはちょっとした事故だったのよ・・・。気づくと、何も見えなくなっていた」
   何でもない事のように、マヤの方を見ながら答える。
   何も見えないという言葉がマヤの胸に響く。
   今の彼女は誰がどう見ても目が見えないなんて信じられなかった。
   「・・・亜弓さんって、強いんですね」
   ポツリと口にする。
   「強い?私が?」
   驚いたように言う。
   「・・・だって、私なら、見えなくなったら、きっと、紅天女とかも放り出して、見えない事に泣いていると思うから」
   「・・・あなたがいるからよ。あなたと一緒に競えるから・・・だから、私は諦めない・・・例え、見えなくてもね」
   亜弓の言葉にマヤはハッとした。
   「・・・亜弓さん・・・」
   「・・・マヤさん、自分が本当に欲しいものは諦めてはいけないのよ。悪あがきだろうが、
   何だろうが、最後まで追いかけるべきだと思うわ・・・。
   でなければ、きっと未練が残る。自分の納得のいくようにやれるだけやるのよ」
   力強い亜弓の言葉にマヤの中の何かが動き出すのを感じた。




   「北島マヤの居所がわかったんだってな」
   速水と一緒にいつもの屋台で飲みながら、黒沼が口にする。
   「えぇ。彼女は今、梅の谷にいるようです」
   コップに注がれた酒を口にする。
   「で、どうするんだ?」
   黒沼の疑問に、真澄はドキッとした。
   「・・・何がですか?」
   白々しく答える。
   黒沼はその様子に本当に素直じゃないなぁと苦笑を漏らした。
   「嫌、別に深い意味はないさ」
   とぼけるように答え、おでんをつっつく。
   「あいつがどうして、紅天女を演じられないか・・・あんた、わかるか?」
   ボソリと黒沼が口にする。
   「・・・さぁ」
   少し、考え呟く。
   「・・・好きな男がいるからだよ。それも生半可な想いじゃない・・・」
   真澄はその言葉に思わず、手にしていたコップを落としそうになる。
   「・・・あの子が・・・恋をしていると言うんですか?」
   真澄の頭のに、紫の薔薇の人宛てに送られてきた紅天女の台本が浮かぶ。
   「・・・あぁ。そうだ・・・」
   真澄の顔を見つめ、ハッキリと黒沼が言う。
   「・・・あいつが紅天女を演じられるようになるのはその男にかかっているんだよ」





   「・・・アユミ、迎えに来たよ」
   一晩マヤと二人きりでいたいと言う想いを叶え、ハミルは別の所に泊まっていた。
   「・・・ハミルさん・・・」
   ハミルの顔を見ると、なぜかホッとした。
   「・・・マヤさん、私、帰るわ。昨日はあなたといろんな事を話せてスッキリしたわ」
   にっこりとマヤに笑顔を見せる。
   「・・・亜弓さん、待って、私も一緒に帰るわ・・・」
   マヤの言葉に亜弓は大きく瞳を見開いた。
   「・・・本当に!マヤさん・・・じゃあ、紅天女を・・・」
   「えぇ・・・。私、紅天女を演じるわ。そして、自分の問題に区切りをつける」
   表情は見えないけど、マヤの声から、彼女の強い意気込みを感じた。


 




                                         

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