最後の想い-1-



「率直に申し上げます。末期の肺癌です」

そう告げられた瞬間、心の中が真っ白になった。

時計を見ると午後2時。この後は社に戻り、重役会が待っていた。

「最近、胸が痛むんだ」

秘書の水城君に告げた一言が、まさかこんな結果を知る事になるとは、夢にも思っていなかった。




雨が降っている。

ポツポツと・・・、雨音がする。

建物に伝わる雫の音が地面に吸い込まれる。

雨が道路を黒色に染めてゆく。
雨の景色など、数え切れない程見ているはずなのに、初めて見る気がした。
こんなふうに、感傷的に雨を感じた事はなかった。

ぼんやり視線をのばすと、赤い傘を持った少女が目に入る。

通りの向こうに少女はいた。まるでこちらを見ているように。

「・・・社長」

声を掛けられ、ハッとする。

隣に立つ、運転手が傘をさしていた。

「あぁ」

小さく呟き、運転手がさした傘の中に入り、車までの道のりを歩いた。


秘書の前で”胸が痛い”と何気なく口にした事を後悔した。

あれから彼女は病院に一度行くべきだと、顔を合わせる度に言う。


「病院なんて、もう何年も行っていないし、行く暇なんてない事は君が一番よく知っているだろう」
俺の言葉を聞くと、彼女は俺の目を真っ直ぐに見た。

「時間ならあります。今日のスケジュールに組んでおきました。予約は12時半です。
私の知り合いの医師なので、それなりに融通は利かせてもらいました。
スッポカスなんて事をしたら、私の顔が潰れます」

彼女はそこまで告げると、一呼吸した。

もう何十年も俺の側にいるだけあって、よく俺の事知っている。

逃げ道のない言葉に、俺は苦笑を浮かべるしかできなかった。

「・・・わかったよ。水城君。その代わり、病院へは一人で行く。君の付き添いはいらない」
きっと、この後、彼女の口から出るであろう言葉を断った。






医師から検査結果を聞かされ、「これからどうしますか?」と聞かれた。

意味は二つだ。最後まで治療を受け、できるだけ延命する事。

もう一つは、最低限度の治療で痛みを抑え、そのまま死を迎える。

もって後、半年・・・。それが俺に残された命の時間だった。

「すまないが、伊豆へ行ってくれないか」

運転手に行き先を告げると、俺は思考を止めるように瞼を閉じた。





「そうですか。ありがとうございます」

社長を診た医師から電話を貰った。思いがけない結果に他の言葉が出なかった。

心の内とは反対に妙に落ち着いた自分の声に驚いた。

速水真澄の下で働くのはもう二十年以上になる。

今の彼の心境を思うと心苦しいものがある。秘書としてではなく、友人として私は彼が心配だった。

「室長、水城室長、水城秘書室長」

不意に人の声がした。振り返ると、秘書の一人が立っていた。

「社長の予定は全て空けてちょうだい。もう、今日はお戻りにならないわ」

それだけ口にすると、秘書室を後にした。

速水英介が逝ってから10年。彼は大都グループ総帥として全てを引き継いだ。

忙し過ぎる程の毎日の中で何を思い、何を感じていたのだろう。
彼の表情は日々厳しいものになっていた。

地下駐車場に降り、自分の車に乗り込む。エ
ンジンをかけようと、鍵を指した瞬間、目の前が涙で曇った。
知らず、知らずのうちに嗚咽が零れる。抑えようと思えば、思う程に感情が溢れ出す。
・・・近い未来に訪れる速水真澄の死が重く胸を締め付ける。
思っていたよりも彼の存在は私の中で大きかった。





「・・・君はもう帰っていい」

そう運転手に告げると別荘に入った。一人になりたかった。

誰もいない場所で。

窓を開けると、波の音が聞こえた。

穏やかだ。とても。こんなに静かな場所に来たのは一体何年ぶりだろう。

医師から命の期限を知らされた時、確かに落胆し、動揺した。

しかし、自分はもうこの世に未練はなかった。

もう何年も前から心は死んでいた。愛した人は随分前にこの世を去った。

死ぬ事もできずに、今まで生きていた。ようやく自分の望みが叶えられるのだ。

・・・愛した人の元に逝ける。

そう思うと、死は恐ろしくなかった。





北島マヤ。紅天女の後継者だった。彼女は天性の才能で女優として花開いた。

気取った所がなく、いつまでも少女のような彼女は大衆から愛され慈しまれた。

最後に彼女に会ってから、かれこれ15年以上が経つ。

速水真澄は彼女が好きだった。彼がこの世で唯一心を許したのは彼女だけだ。

彼女がハリウッドへ渡ってから3年後、私も映画買い付けの為ロスに行った。

交渉は順調に行き、予定よりも早く契約を交わす事ができた。

チャイニーズシアターの前を通りかかると、ふと彼女の顔を見た。

それは来月から公開される映画の看板だ。

日本にいた頃よりも大人びた表情をしていた。

「・・・会うべきか会わぬべきか・・・」

バックの中から一枚のハガキを取り出す。

それは数ヶ月前に彼女がロスからくれた物だ。

住所は書かれていない。

速水真澄に自分の居場所を知られたくないからだろう。

今回の仕事の他にもう一つ、社長に頼まれていた事があった。

彼女が元気でいるかという事だ。
無理に会う必要はないが、もし、彼女に会う機会があったら、どんな様子でいるか
見て来て欲しいとの事だ。

社長がその気になれば、彼女の行方など簡単に見つける事ができた。
まして、彼女はこっちでも女優として活躍しているのだ。
芸能関係者に当たれば一時間もかからずに住所と電話番号を知る事ができるだろう。
しかし、既に結婚している彼にそれはできなかった。
速水真澄は北島マヤを棄てたのだ。

Trrr・・・。Trrrr・・・。

バックの中の携帯が鳴る。

「Hello」

電話の相手は北島マヤのエージェントからだった。

買い付けた映画の交渉人が偶然にも知っていたのだ。
北島マヤの事を話すとエージェントと話しを付けてくれると言っていた。

「Thanks for calling」

彼女の居場所を聞くと、電話を切った。

彼女は今、サンタモニカで雑誌の取材を受けていた。
このまま、日本に帰るか、会って行くべきか・・・。
迷うままに、タクシーに乗り込んだ。






桟橋からはパシフィック・パークにある観覧車が見えた。
海から吹く風が心地よく肌を掠める。
今日は比較的、観光客が少なかった。

あの観覧車に乗れば遠くまで海を見渡す事ができるんだろうな。

と、そんな事を思った時、誰かに呼び止められる。

「・・・マヤちゃん」

私をそんなふうに呼ぶ人は数少ない。声の主が誰かはすぐにわかった。
振り向くと、昔から変わらない見事なスタイルの彼女が立っていた。
「水城さん」
ここ何日か、予感はあった。いや、予感というよりは胸騒ぎだ。
今週は懐かしい人に会える気がしていた。
「お久しぶりです」
日本を発つ前日に、水城さんは私と速水さんが逢えるようにお膳立てをしてくれた。
最近、あの人の事を考えなくなった。
ロスに来た頃は、毎日のように泣いていた。
気候に慣れ、言葉に慣れ、人に慣れ・・・気づいたら、何も感じなくなっていた。

「元気そうね」
腰まである髪を珍しく上げている彼女は、印象が違って見えた。
「まだお仕事中かしら?」
「いいえ。終った所です」
笑顔を浮かべ、彼女を見る。
「そう。じゃあ、良かったらお茶でもどう?」
近くのコーヒーショップを見る。
「水城さん、コーヒーよりも、あそこに行きませんか?」
そう言い、私が示したのは、見つめていた観覧車だった。




なぜ、こんな事を思い出すのだろう。
運転しながら、北島マヤとの会話を思い出した。
あの日彼女と乗った観覧車。もう、15年以上も昔の事だ。
あの時、どうして彼女は観覧車に乗りたがったのだろう。
まさか、あの時が彼女との最後になるとは思わなかった。
あの日から一年も経たない内に、彼女は飛行機事故でこの世を去ったのだ。










-NEXT-



本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース