最後の想い-3-




午後9時過ぎに伊豆に着いた。
これから速水真澄に会わなければならない。
彼を目の前にして、泣いてしまうなんて事は決してしてはならなかった。
彼が診断をされてから、7時間が経つ。
彼からかかって来た電話は伊豆に行くという一言だけだった。
病状の説明も、何も聞かされなかった。
嫌な予感がした。
彼からの電話の後、直ぐ医師にかけた。

そして、聞いた言葉は"末期の肺癌"体中に転移していて手の施しようがなかった。
医師は彼に痛み止めだけを渡した。一月もすれば、彼はベットから起き上がれなくなる。
速水真澄は延命を望まなかった。
彼がこの世に何の未練がない事は知っていた。
ある時から、彼は生きる抜け殻のようになってしまった。
仕事以外の事になると、何もないのだ。
今一番何をするべきか、悩み、考えた。
彼に延命措置を取ってもらいたかったが、末期癌患者の苦しみは想像の枠を越える程の苦痛だと聞いた事がある。
生きる時間が延びれば、それだけ痛みに耐える時間も増えるのだ。
できるだけ痛みを取り除き、穏やかに逝かせるのが最善の方法だと医師は言っていた。
涙が零れそうになる。あの速水真澄に死が訪れるなんて、考えられなかった。

今、彼にしてあげられる事は・・・。

記憶の片隅に北島マヤが浮かぶ。
最後に彼女とサンタモニカで会った時、別れ際に彼女を振り返ったら、二歳ぐらいの女の子を抱えていた。
彼女は私が振り返った事は知らず、腕の中の女の子に何か話しかけていた。
あの時は何も感じなかったが、今になって何かが引っかかる。
まるで我が子に向けるような表情が記憶に擦りついているのだ。
一瞬見ただけだが、あんな穏やかな彼女は見た事がなかった。
「・・・まさか・・・」
確信に近い何かが、私にある番号にかけさせた。
「聖さん、水城です。至急調べて欲しい事があるんです」
彼への電話をかけた後、私は伊豆へと車を走らせた。




「青木さん、いえ、今は橘さんですね」
結婚して12年。旧姓で呼ばれたのは随分と久しぶりだった。
顔を上げると、見覚えのある男性が立っていた。
「あなたは、確か速水社長の・・・」
演劇スクールでの講義後、彼は私を待っていたようにレッスン室の外にいた。
私が学校で演劇を教えているのは週に二回だった。
月影千草の教えを多くの人に伝えたくて、今は講師として演劇の世界に携わっている。
「聖です。お久しぶりです」
彼は昔とは変わらぬ凛とした姿だ。
「どうされたんですか?」
いつになく、深刻な様子に嫌な予感がした。
「少し、私に付き合って頂けませんか?」
この後の予定は入っていたが、ただならぬ緊迫感に断りの返事をする事ができなかった。
「わかりました。着替えて来ますので、ロビーで待ってて下さい」
更衣室に行き、呼吸を整えた。
何の用件で彼が現れたか、どこかでわかっていた。
北島マヤからの大事な預かり物。彼女の娘の事だろう。
遠い記憶に糸を手繰り寄せると、幸福そうな彼女の姿があった。




「子供が産まれるの」
マヤがロスに行ってから半年、彼女に呼ばれて訪れた。
半年ぶりに見るマヤは少しふっくらとしていたが、妊娠がわかるような感じではなかった。
「・・・まさか、速水社長の子?」
咄嗟に浮かんだ名前を口にすると、彼女は驚いたように目をパチクリとさせた。
「麗ったら。何て事を・・・。違うわ。何で私が速水さんの子を産まなきゃならないの。
彼は結婚している人よ。それにいつも私をちびちゃんってバカにしてて・・・私、あの人の事は忘れたの」
確かに速水真澄の子にしては妊娠の周期と照らし合わせても違っていた。
「こっちの人よ。日本人だけどね」
彼女が視線を向けた先には長身の男性が立っていた。
どこか風貌が速水社長に似ている気がした。
「私のエージェントをしてくれてるの」
嬉しそうに彼の事を話す彼女は幸せそうだった。
あんなに辛そうに速水真澄を想っていた面影はなかった。
「この子が授かったってわかった時から、私、穏やかな気持ちになれたの」

八ヶ月後、彼女は無事に女の子を出産した。
妹のような存在の彼女が心配だった事もあり、年に三ヶ月はロスに滞在する生活を送った。
真依子と名付けられた赤ちゃんは、会う度に大きくなっていた。
「真依子、麗お姉ちゃんだよ」
二歳になった真依子は話し掛けると、嬉しそうに笑う。
「れい。だっこ」
子供の成長というのは本当に早いと思う。
この間、会った時はやっと自分の足でよちよちと歩いていたのに、今は元気に走り回っている。
「だっこか。よし」
抱き上げると、しっかりとした体重が腕にかかる。
「真依ちゃん、真依ちゃん、真依ちゃん」
名前を呼ぶと喜ぶので、いっぱい声を掛けた。
「ふふふ。すっかり重くなったでしょう」
マヤは娘の成長が嬉しかった。
「このまま行くと将来はお相撲さんかな」
冗談めいて言うと、ケラケラと明るい彼女の笑い声がした。
マヤは育児に少しも疲れた様子を見せなかった。
女優を続けながらの子育ては大変なはずなのに。
「もう、明日の準備はできたのか?」
明日からマヤは映画のプロモーションの為、真依子の父親と一緒にオーストラリアに旅立つ。
まだ小さい真依子は私が預かる事になっている。
「えぇ。大丈夫。麗こそ大丈夫?」
心配そうに真依子と私を見る。
「今回は5日も留守にするけど・・・」
今まで真依子を長く預かっても1日ぐらいだった。
「大丈夫。麗お姉さんに任せなさい。ねぇ。仲良しだよね、私たち」
真依子を見ると、言葉の意味がわかったのか、大きな頭を頷かせた。
「ありがとう。本当に助かる」
翌日、真依子と共に空港にマヤたちを見送った。
まさか、それが最後の別れになるとは思ってもみなかった。




目を開けると、陽が丁度傾きかけていた。
胸の辺りに息苦しさと痛みを感じる。
自分の命が僅かだという事がわかる。

「・・・マヤ・・・」

無意識に開いた口から、その名が零れ出た。
耳に入った自分の言葉にドキリとさせられる。
彼女が亡くなってから15年が経過していた。飛行機事故だった。
旅客機が墜落し、多くの犠牲者の中に彼女の名前もあった。
最後に彼女と会ったのは、もう18年も前の事だった。
大都芸能の社長室で、彼女の手を強く握り、逢いに行く事を約束したが、結局果たせなかった。
それ以来、連絡も取らず、彼女の事故死を知るまで、記憶から無理矢理追い出していた。
なぜ、自分はロスに行かなかったのだろう。なぜ、この気持ちを伝えなかったのだろう。
自分の立場を守る為、絡みつく糸を断ち切る事ができなかった。
彼女を幸せにする自信がなかった。

「・・・結局、俺は自分を守る事しかできなかった・・・」

煙草を口に銜え火をつける。細い白煙がゆっくりと天井に上っていった。
この胸の痛みは彼女を傷つけた代償なのかもしれない。
自分を守る事しかできなかった愚かな男への罰なのだ。
どんなに、好きだ。愛している。と思っても、俺は一人の人間も幸せにはできなかった。
そう、別れた妻さえも。自分のただ一人の子供にも。
義務感だけでした結婚。作った子供・・・。
自分が最低な人間のように思える。

「天国へはきっと、行けないだろうな」

夕陽が部屋を赤く染め、それがこの世とあの世の境目のように見えた。




何気なく、携帯に目をやると、留守電のマークが出ていた。
伊豆まで車を運転していたので、どうやら着信に気づかなかったようだ。
すぐにセンターに問い合わせ、預けられていたメッセージを聞いた。

「調査の件、まだ最後の確認はとれていませんが、ロサンゼルスでマヤ様は確かに女子を出産しています。
マヤ様の死後、ある方がその女子を日本で養育しているようです」
電話の声は聖 唐人だった。
社を出る前に頼んでいた調査結果だった。
その報告に胸が高鳴る。
私は留守電を全部聞くとすぐに彼の携帯にかけた。
何度目かのコール音の後に、彼は電話に出た。

「水城です。今、留守電聞きました」








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