最後の想い-4-



「真依、どうしたの?」
ぼんやりと空を見つめていると、知美の声がした。
たいていは学校が終ると、寄り道もせず家に帰った。
偶に、中庭のベンチに座ってぼんやりとしている事もある。
私立の学校という事もあり、贅沢にお金をかけられた場所は庭というよりは公園のようになっている。
草木はいつも綺麗に手入れされ、置かれているベンチも古びた物は一つもない。
広大な庭の奥には温室もある。そこでは薔薇が育てられていた。
緑化委員の肩書きを持つ私は、権限で自由に温室に入る事ができた。
鍵をかけてしまえば、誰も入って来る事はできない。
温室の中で過ごす時間も好きだった。
花たちに水をやり、ベンチに座って好きな本を読む。
幸いな事に温室の存在は一部の学生しか知らず、鍵をかけなくても、ほとんど貸し切り状態だ。
「別に」
素っ気ない返事をし、ベンチから立ち上がる。
「温室?」
学校の中では比較的一番よく側にいる知美には私の行動が読めた。
「4時だしね。水をあげに行かないと」
そう言い、歩き出すと、知美もついて来た。
アルバイトのない日は、彼女も一緒に水を蒔く事を手伝ってくれる。
その代わりに私は、彼女の話を聞かされる羽目になるが。
だいたいは愚痴に近い内容だったり、学校の話だったりする。
最初はよく喋る子だと思っていたが、最近ではラジオのような存在だ。

「真依はあまり自分の事話さないね」
水をあげ終わると、ベンチに座りながら知美が言った。
温室内の薔薇は六割が赤、三割がピンク、一割が紫の薔薇だった。
代々の緑化委員が植えて来た物だ。
どうして、薔薇しかないのか疑問に思うが、それが伝統というものらしい。
「話す事がないから」
初めて温室に足を踏み入れた時、一際私の目を奪ったのは紫の薔薇だ。
ただ単に数が少ないから目だっただけだと思うが、見る度に懐かしさを感じさせる。
「違う。人に心を許してないんだよ」
いつもとは違う、真剣な声色で知美が言葉を繋げる。
その言葉に、振り向くと、哀しい目をした彼女がいた。
「何があったか、私には話してよ。私は友達だと思ってるんだよ」
そう、確かに"何か"あった。昨日、家に帰ると、母代わりをしている人に言われたのだ。
「・・・麗に言われたんだ。逢って欲しい人がいるって」
私の両親は物心つく前に事故で亡くなっていた。身寄りのない私を引き取り、育ててくれたのは麗だった。
そんな複雑な親子関係を舞台女優橘 麗のファンである知美も当然知っていた。
「どんな人?」
「・・・母が愛した人・・・」
確かに麗はそう言っていた。私にとって、母は写真でしか見た事のない対象だ。
今更、母の愛した人に会って欲しいと言われても、ただ混乱する。
とりわけ、十代の多感な時期なのだ。大人になりきっていない自分の部分が強く反発をしていた。

「これはお願いよ。真依子がどうしても嫌だと思うなら、もうこの話は忘れていいから」

麗は慎重に私の様子を観察しながら話した。
母の事はあまり考えた事がない。ずっと、麗が自分の母だと思っていたから。
"母の愛した人"そう言われた時、麗と自分が他人だという事を再認識させられる。
「嫌だなんて言ってない。いいよ。会う」
子供に思われたくない小さなプライドが私にそんな言葉を口にさせていた。






「お目覚めですか?」
いつの間にか、朝になっていた。
朝日が眩しく目に入る。
「・・・水城君・・・」
いつもと変わらぬ様子の彼女が立っていた。
昨日、伊豆に来てから一晩が経っていた。
「いつ来たんだ」
「昨夜。社長がお眠りになっていたので、客室のベットで仮眠を取らせて頂きました」
テキパキとした様子で告げると、部屋のカーテンを閉めてくれた。
カーテン越しに柔らかな光が射し込む。
「社長の予定は全て空けさせました。代理人を高間社長にお願いしています」
高間は大都グルーブの中で実力ではNo.2になる人物だった。
「・・・そうか」
会社の心配はなかった。きっと、自分以上に上手く切り盛りをしてくれるだろう。
水城の判断はさすがという程的確だ。自分は仕事では良い部下に恵まれたと思う。
「朝食は召し上がりますか?」
そう言われ、少し小腹がすいていた事に気づいた。
昨日の朝食を最後に何も食べていなかった。
「あぁ。頼むよ」
「すぐに用意します」
その言葉の通り、ちょっとの時間でダイニングテーブルの上に朝食が用意された。
焼きたてのクロワッサン、ブルーベリーソースのかかったヨーグルト、サラダ、スクランブルエッグにオレンジジュース。
最後に目の前に置かれたのは挽きたてのコーヒーだった。香りがよく、穏やかな心地になる。
時間を気にせず、のんびりと食べた。
いつもは食べる事に関心はなく、ただ詰め込むだけの食べ物が今日は美味しいと思える。
こんな風に感じる余裕さえどこかに消えていた事に気づかされた。
「・・・ご馳走様。美味しかった」
彼女に言葉をかけると、緩やかな微笑を口元に見せた。
「お粗末様でした」
食後は軽くシャワーを浴び、浜辺を歩いた。
海の匂いに潮風が気持ちいい。
何年ぶりかの休息の時間・・・。
自分が長い間休んでいなかった事を知る。
「・・・最後になって、こんな気持ちになるとはな」
浜辺に座り込み、青々した海をずっと見ていた。





「橘 真依子さんですね」
普段利用する事がない某有名ホテルのロビーで、そう声を掛けられた。
物腰の優しそうな紳士だった。
「はい」
返事をすると、彼は安心感を与えるような笑顔を向けてくれた。
「はじめまして。聖です。あなたをある方の元へお連れするのが私の役目です」
とても丁寧な感じのする人だと思った。
年齢は四十代ぐらいだろうか・・・、綺麗な顔立ちをしている。
あまり男性に対して、胸がときめくという事がなかった私でも、彼に声を掛けられた瞬間、ドキリとした。
香るコロンは上品なものだった。少しも嫌な感じがしない。
「橘 麗から話は聞いています」
会うと言った日から3日が過ぎていた。今日は土曜日で学校はなかった。
「突然のお願いを聞いて頂きありがとうございます」
彼は深く頭を下げた。
「・・・いえ」
つられて私も頭を下げる。
「では、行きましょうか」
一通りの挨拶が終ると、地下に降り、車に乗った。
あまり車の種類を知らない私でも、高そうな物だという事はわかった。
彼の運転で車が動き出す。
沈黙が流れる。聞きたい事はいっぱいあったはずなのに、何も言えなかった。
「・・・あの」
車に乗ってから30分後、初めて口開く。
「どちらへ行くんですか?」
車は高速に乗っていた。遠くに連れて行かれる事だけしか今はわからない。
「伊豆です」
聞いた時、思いもよらない地名に少し驚いたが、何も言えなかった。
「そんな心配そうな顔しないで下さい。大丈夫、私は人さらいじゃありませんよ」
ルームミラー越しに私の表情を見たのか、彼は冗談めいてそんな事を言った。





この3日、静かな時間を過ごしている。
私は東京へは戻らず、真澄様の側にいるつもりだった。
私がここにいる事について彼は何も言わなかった。
「・・・水城君、行って来るよ」
夕方になると彼は浜辺を散歩していた。
「お気をつけて」
玄関まで見送ると、彼は可笑しそうに少し笑った。
「・・・何だか、君が一瞬、自分の妻のように思えるよ」
その言葉に、胸が痛くなる。
彼に対し、今まで認めようとしなかった気持ちが確かに私の中にはあった。
軽く笑みを浮かべると、彼は外出した。
ため息を溢し、リビングのソファに座った。
今日は聖さんが彼女を連れて来てくれる。
予定ではもう、着く頃だが・・・。
果たして、真澄様にあの子を会わせて良かったのか、直前になって迷う。
北島マヤに娘がいると知った時、何としても会わせるべきだと思った。
口に出してはいないが、真澄様が誰を想っていたかはわかっていた。
せめて最後の時ぐらい彼に人間らしい時間を過ごさせたかった。
空虚な彼の心に温かな想いを思いおこさせて欲しかった。
出過ぎたマネだという事は十分承知の上だが、そんな事を言っている暇はない。
これで良かったのだ。きっと・・・。
そう思った瞬間、玄関の呼び鈴が鳴る。

「お連れしました」

ドアを開けると、聖さんと、高校生ぐらいの女の子が立っていた。
私は女の子の顔をじっくりと見た。間違いなく、北島マヤの娘だ。




浜辺を30分ぐらい歩くと、いつもの特等席に腰を下ろし、海を見ていた。
自分の心の中は空っぽだった。
このまま自分は死んでしまうのか・・・。そう思うと、空しくて仕方ない。
結局、何もなかった人生。自分の願望は叶う事なく、残っているのは後悔だけだ。
まるで燃え残った木炭の欠片・・・それが今の自分だ。
目を閉じると、彼女の姿が見える。
今まで、できるだけ考えないようにしてきた。
忘れたかった。だから、仕事に没頭した。
会社の利益だけを考えて生きて来た。
「・・・くだらないな・・・」
憎んで来た速水英介の息子になった日から、自分はつまらない人間になっていた。
その養父も、もういない。
最後まで許す事ができなかった。
しかし、結局自分は思い通りに生きられなかった事を速水英介のせいにしてきた。
本当は違う。もっと、自由に生きられたはずなのに、勇気がなかった為できなかったのだ。
泣きたい気持ちというのはこういう事を言うのだろうか・・・。
目を開けると、海に陽が沈んでいた。

そろそろ戻ろうと、立ち上がった瞬間、目にとまる。
それは白いワンピースを来た少女だ。
「・・・まさか・・・」
胸の中に封じ込めていた想いが、ドクドクと込み上げる。
少女は自分に向かって歩いていた。
金縛りになったように動けなかった。
距離が縮まる。
大きな黒い瞳に、長い黒髪。愛したままの彼女がそこにいた。

「・・・マヤ・・・」

思わずその名を口にしていた。







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