知人からもらった柿が熟れてきた。
これは、誰に育てられた柿だろうか。
柿の木と、梨の木と、みかんの木を、みんなで育てることになった。
僕は柿を育てることにした。
一緒に柿を育てる人も、他の木を育てる人も、考え方は様々で、
自分の木だけに心血を注ぐ人もいれば、
他の木のことも心配する人もいるし、
あるいはこっそりさぼって街へ出かける人もいた。
僕は、柿も梨もみかんも好きだったので、全部について良い育て方を考えた。
けれどやがて、梨が一番性に合う気がしてきて、
梨のことばかりに目を向けがちになってしまった。
他の人から苦言を呈されることもあった。
僕自身、柿ももっとちゃんと育てないと、とは思っていた。
それでもつい梨に手がいって、育てる人に成り代わり育てた。
自分が一番梨に向いていると思っていた。
他の人の中にも、僕のように他の木に浮気する人はいた。
けれど、そういった人たちは、
そうは言っても自分の木をしっかり育てているように見えた。
僕だけは、宿り木そのものを代えてしまった気がした。
そうして、梨ができ、柿ができていく。
みかんはまだもう少し。
収穫された梨はとても良質だった。
ふと、梨を育てていた顔ぶれを見渡して気づくのは、
僕の他にも、ずいぶん梨に熱心な人は多くいたんだな、ということ。
もしかしたら、梨にとって、必ずしも僕は必要でなかったのかもしれない。
そう思うと、少し寂しくなった。
みかんは、柿の人も梨の人も目をかけて、大事に育てられているようだ。
決して良い土壌だとは言えないけれど、
これから美味しい黄色が実るように思えた。
みかんに深く関われなかったことは、残念ではあった。
柿は。
苦しい状態にあった。
元々育て方に詳しい人が少なく、僕も含め人数が減ってしまっていたので、
周囲の助けを受けながら、少しでも多くの実を成そうと努力していた。
もちろん、僕がそれを知ったのは最近のことではない。
どの木の様子もちゃんと見ていたから、徐々にそうなりつつあるのは気づいていた。
けれど、手を出さないでいた。
いずれ、その内、きっと、僕が、
柿を立派に育ててやるんだ、と、思っては、いた。
しかし実際には、いまさら柿を、という空気を僕自身が作り上げてしまっていた。
柿は、他の人の手を借りながら育っていった。
僕の考える育て方とは違う手法になっていっても、
もはや僕には、あまりに柿から離れすぎて、
あまりに他の柿を育てる人から離れすぎて、
どの手法が正しいのかわからなくなっていた。
だから余計に、何も言えなくなってしまった。
他の人が僕に求めているものも、大してないように思えてきた。
僕は梨を立派に育てた。
けれど、もしかしたら僕がいなくても立派に育った。
僕はみかんにはあまり関わらなかった。
けれど、もしかしたらもっと関わっていたらより良いものになった。
僕は柿から遠ざかった。
けれど、もしかしたら今より良いものを。
むしろ、今からだって、まだこれから。
待って。僕は柿から遠ざかった。けれど、
そもそも僕は必要とされていたか?
今の育て方で立派なものができるのであれば?
僕が追求した育て方をしていれば?
柿の望んでいたものは?
僕は梨を一生懸命に育てた。
本当に、一生懸命に。
だからこそ、柿が、
美味しくても、不味くても、
きっと後悔する。
後悔の実は、何をどれだけ一生懸命がんばっても、不思議と必ず立派に実る。
そうであるなら、どうせなら、質の高い後悔を収穫したい。
自分なりの一生懸命がもたらした結果を、噛み締めて、また種を植える。
知人からもらった柿を見て、そんなことを思う。