最後の想い-8-





「君が生まれる前、お母さんをここに連れて来た」
そう言い、速水さんが連れて来てくれた場所からは夜空が良く見えた。
小高い丘からは180℃星を見渡す事ができる。
空の真ん中に浮かぶ、大きな月がとても印象的だった。
彼は懐かしむように、一言、一言母の事を話し始めた。
そして、私は彼の話しに耳を傾けた。


「わぁ。星が綺麗」
マヤはそう言って大きな瞳をこれ以上ない程見開かせた。
彼女と一緒にこの場所に訪れたのは紅天女の試演の前だった。
恋の演技ができないという彼女を黒沼龍三に無理矢理頼み込まれ、マヤを伊豆に連れて来た。
彼女の為に速水真澄として何かできるという事が内心は嬉しかった。
伊豆でのんびり、一日中恋人のような時間を過ごした。
朝から夕方まで海で遊び、夜は気軽なフレンチイタリアンの店で食事を済まし、最後に星が良く見える場所に連れて来た。
俺にとってもお気に入りの場所だった。
「さすが速水さん、いい所ご存知ですね」
白いワンピースが月灯かりに透けて見え、思わず、彼女にドキリとした。
何気ない表情、何気ない仕草に今日一日中何度となく、理性を奪われそうになった。
まるで、十代の青年のようなときめきに感情を持て余す。
いい年して、11歳下の彼女に何を・・・と、幾度も自分を戒めた。
「そういえば、前にプラネタリウムでこうして星を見ましたね」
懐かしそうに彼女が瞳を細める。
「速水さん、とても分かりやすく星の名前教えてくれましたね」
速水真澄として初めて彼女と望んだデートだった。
自分の想いに区切りをつけたかったが、今も自分の心は彼女の物だ。
「そんな事もあったな。あの時は、本当に楽しかった」
素直な気持ちを口にする。
「そうですね。楽しかったです」
笑顔を浮かべ、彼女は俺を見た。
「・・・このまま時間が止まってしまえばいいのに」
そう告げ、彼女は俺の背に腕を回し、胸に顔を埋めた。
甘い香りがする。
「・・・マ・ヤ」
思いがけない彼女の行動に、どうしていいのかわからなかった。
頭がボーッとして、胸が苦しくなる。
「・・・どうした?俺は君にとって憎い相手だろ?」
彼女を見下ろし、口にする。
彼女は俺を見上げた。視線が交差する。
瞬間、雷が全身に落ちたような衝撃が走った。
気づくと、彼女の体を抱き締めていた。
柔らかな彼女の温もりが伝わる。彼女の息遣い、胸の音が聞こえてくる。
自分が衝動的になっている事はわかっていたが、せき止められていた想いはもう、俺の理性を越えていた。
彼女が目を閉じ、そして、俺は唇を重ねた。
貪るように幾度も幾度もキスをし、彼女の唇を味わう。
呼吸が乱れ、互いの荒い息が聞こえた。
「・・・速水さん・・・」
熱っぽい瞳で彼女が俺を見る。

駄目だ。駄目だ。このまま突っ走っては・・・。
駄目だ。駄目だ。自分の立場を忘れるな。
理性の声は再び俺に語りかけた。
「・・・マヤ、どうした?君が熱い想いを傾けるのは一真だろう?俺じゃない」
俺の言葉に彼女は寂し気な表情を浮かべた。
「俺も君も少し頭を冷やした方がいい。今日の雰囲気に飲まれてしまったようだ」
彼女を車に乗せると、東京まで送った。
車内での会話はなかった。
別れ際の彼女はいつものマヤになっていた。
この時程、彼女の気持ちを知りたいと思った事がなかったが、結局俺は何も聞けなかった。




「この場所を案内したのは君で二人目だよ」
最後に彼はそう付け加え、私を見た。
彼の表情は少し、寂し気に見えた。
「どうして、速水さんは母の気持ちを確かめなかったんですか?」
話しを聞き終わり、私はその疑問を口にせずにはいられなかった。
彼は空を見上げた。
考えるように瞼をゆっくりと閉じ、再び空を見た。
その仕草にドキリとする。
哀愁という言葉はこういう時に使うのではないかと思う。
彼の表情はまさにそれだった。
過去を見るような遠い瞳が、胸を切なくする。
「マヤは、君のお母さんは夜の海が恐いと言っていたよ。
まるで全てを覆い隠してしまうような黒い海原に捕まってしまいそうだと」
彼の視線は丘の下に広がる海を見ていた。
彼が何を言いたいのか、子供の私には分からなかった。
しかし、それ以上は聞いてはいけない気がした。
「寄り道をさせてしまって悪かったね。水城君が待ってる。行こうか」
彼に促されるように、車に乗った。
窓の外に黒い海原が広がる。母が恐いと言った気持ちが少しわかる気がした。
母は速水さんの事を本当の所はどう思っていたのだろうか?
麗から母は彼を愛していたと聞いたが、それなら、どうして彼の側を離れ、私を産んだのか。
どうして、父と一緒になったのだろうか。
母の気持ちを理解する事ができなかった。
「君はお母さんの舞台を見た事があるのかな?」
車が走り出して、10分ぐらい経った時、何かを思い出したように彼が言った。
「いえ。ありません。母の事は本当に今まで何も知らずにいましたから」
「見たいとは思わない?」
彼の問いに沈黙を置いた。
母の舞台を見る。女優としての母を見る。それは今まで思ってもみなかった事だ。
麗の舞台や、映画、テレビドラマなら何度か見たが・・・、それとはまた違う次元の話しだと思った。
「・・・わかりません」
それは素直な気持ちだった。
「そうか。まぁ、見たいと思ったら言ってくれ。用意してあげるから」
彼の別荘に着くまで、それから何も話さなかった。



「こんばんは」
別荘に着くと、水城さんが出迎えてくれた。
時計はもう午前0時を回ろうとしていた。
「すみません。突然、こんな遅い時間にお邪魔しまして・・・」
「いいのよ。訪ねて頂けて嬉しいわ」
リビングで私と速水さんはコーヒーを口にした。
「麗さんにはここにいる事連絡しといたわ」
水城さんにそう言われ、ハッとした。麗には何も言わずに出て来てしまったのだ。
「すみません。色々お気遣い頂いて」
恐縮した思いでいっぱいになった。
「そうだ。真依子ちゃん、お土産があるんだろう」
立場をなくしている私を気遣って速水さんが言う。
「えっ、あっ、はい。つまらない物ですが・・・」
コンビニの袋ごと、シュークリームを渡した。
「すみません。こんな物しかなくて」
「あら。嬉しいわ。私、甘い物大好き。それに真澄様もああ見えて、結構甘い物好きなのよ」
「ああ見えては余計じゃないのかね」
軽く咳払いをするように速水さんが言う。
その瞬間、場が和むように、私は笑う事ができた。
そして、二人も笑っていた。
「部屋は水城君に案内して貰ってくれ。今日は疲れた。俺はそろそろ休むよ」
そう言い、速水さんはリビングを出た。
私は二階にあるゲストルームに連れて行ってもらった。
部屋は十畳程で、シャワーとトイレも設備としてあった。
「パジャマはこれをどうぞ」
着心地の良さそうな綿の白いパジャマを差し出してくれた。
「何から、何まで本当にすみません」
私は深く頭を下げた。
「いいのよ。あまり気を遣わないで。本当にあなたに来て貰えて嬉しいのよ。私も、真澄様も」
女性らしさが漂う優しい笑顔で彼女はそう言ってくれた。
「それじゃあ、おやすみなさい」



その夜、ベットに入っても中々寝付けなかった。
一時間毎に時計を見た。
寝心地の良い柔らかなベットに慣れていないせいだろうか。
何度目かの寝返りで、私はベットから起き上がった。
時計は午前3時を指していた。
何となく、部屋から出て、廊下を歩いてみた。
突き当たりは吹き抜けになっていて、玄関が見えた。
部屋は四つ程で廊下の中腹には上に行く階段があった。
ふと気になり、階段の正面で立ち止まっていると、音が聞こえてきた。
好奇心から階段に登ってみた。
階段の突き当たりにはドアが一つあり、そのドアは微かに開いていた。
自然と視界に部屋の様子が映し出される。
それは大きなスクリーンと、音響機器、そしてソファに座る速水さんの後ろ姿が見えた。
スクリーンに映し出されていたのは、何かのお芝居だった。
生き生きと舞台上を動き回る役者たち、そして取り分け一人の少女が目立っていた。
顔をよく見ると、それは・・・母だった。
驚きのあまり、私は小さく声をあげた。
「誰?」
私の声に彼が気づく。
金縛りになったように私は動けなかった。
「・・・真依子ちゃん・・・」
ソファから立ち上がり、彼は戸口に立つ私の前に立った。
「・・すみません。あの、物音がしたので、気になって・・・」
絞り出すようにして何とか口にした。
自分でもわかる程、私の声は震えていた。
「一緒に見るかい?」
彼の問いに、私はコクリと頷いた。
ソファは二人掛けになっていた。
彼の隣に座り、スクリーンに目を向ける。
「これは君のお母さんが中学生の時の作品だ。そして、俺が初めて見た彼女の舞台『若草物語』」
彼はそう告げると、スクリーンを再生させた。
動いている母を見るのは初めてだった。今の私より幼いが、母は魅力的だった。
気づくと、私は母の演技を夢中になって見ていた。
母のセリフの一言、一言に感情が同調する。全てに圧倒されるようだ。
「この時、彼女は40℃の熱があったそうだ」
彼が口にした一言に、私は胸が打たれた。
最後まで見終わった時、涙が流れた。劇に感動してなのか、初めて動く母を見た事に対してなのか・・・。
とにかく、熱いものが込み上げてきた。
「・・・彼女の芝居をもっと見たかったと素直に思うよ。ファンとして」
彼の瞳には大きな喪失感があった。
そして、私の心にも初めて母を失った喪失感が流れた。
「・・・私が産まれなかったら、母は今も舞台に立っていたのかもしれない。母はきっとあなたの側にいたと思う」
ずっと、引っかかっていた事だった。
もしも、ロスに行かなければ、父と逢う事もなく、私も産まれなかった。そして、飛行機事故に合う事もなかった。
破滅的な考え方だと思うが、そう思わずにはいられないのだ。
日本にいれば、きっと速水さんの側で、母は芝居に打ち込んでいたのだ。
「ごめんなさい。私が、私が母を奪ってしまった。あなたから母を・・・」
胸が苦しかった。自分の存在が疎ましかった。
母の最期の二年間は私に使われてしまった。それが、心苦しい。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私が、私が・・・」
その後は涙で声にならない。
「・・・真依子・・・何を馬鹿な事を」
彼はそう言い、私の涙を拭い、腕を掴むと引き寄せるように抱き締めた。
「俺は君に逢えて良かったって本当に思うんだ。彼女が君を残してくれた事に感謝さえしている。
二度とそんな事は口にするな。君は俺にとっても、他の人にとっても大事な存在なのだから」
叱るような彼の言葉は優しく私の胸を包む。
この人が好きだ。とても、とても好きだ。
初めて自分の中の感情に気づいた。



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