最後の想い-9-



「・・・何ですって・・・!」
それは鷹宮紫織の言葉だった。偶然彼女の耳に速水真澄の事が入ったのだ。
彼が会社の経営の全てから手を引き、人に任せ、東京の自宅から姿を消した事は意外な出来事だった。
あんなに仕事一筋だった彼に一体、何があったのか・・・。
元夫の事が今でも気になるが、彼女にはどうする事もできなかった。
もう、他人なのだから、関係ないと、この十年彼の存在を抹消していたが、突然の知らせに、まだ心が彼にあった事を悟った。
彼女は電話を置いた。
余計な事を知らせる人がいるものだと思いつつも、その知らせで頭の中はいっぱいだった。
「奥様?」
使用人の声がかかる。
彼女は今、紫織に用を伺っていた最中だった。
「あっ、ごめんなさい。何だったかしら」
半ば上の空の彼女に不審に思いながらも、使用人は言葉を続けた。
「ですから、明日一時帰国する真一様に出すお料理はどうしましょうか」
紫織はイギリスに留学中の息子の事を思い出した。
2年ぶりの帰国を嬉しく思い、この一週間はその準備で忙しかった。
「そうね。日本食を食べたいと言っていたから・・・」
紫織は次々と彼の好きな料理の名前を上げていった。


翌日、空港まで迎えに行くと、長身の彼が目についた。
遠くから彼の姿を見て、紫織はドキリとした。
2年という年月は息子を逞しくし、そして、父親に似させた。
「真一さん、お帰りなさい」
真一はそう、声を掛けられ、着物姿の母を見つけた。
「ただいま」
母の姿を懐かしく思い、そして、母が小さくなった気がした。





いつの間にか、寝てしまい気づくと、真依子は客室のベットの上にいた。
瞼が重い。
目が乾燥しているようだ。
昨夜の出来事を思い出す。速水真澄の胸で心の底から泣いた事。
彼がずっと抱き締めてくれていた事。
それらがギュッと胸を締め付けた。
気づいてしまった彼への想いに、どうしたらいいのかわからなかった。
とりあえず、顔を洗い、着替えを済ますと、リビングに降りて行った。
「おはよう」
彼女の姿を見つけ、水城が声を掛ける。
「おはようございます」
「よく眠れたかしら?」
「はい」
「お腹はすいてない?すぐに食事を用意するわ」
気遣うように水城はそう言い、台所に行った。
真依子はソファに腰をおろすと、ぼんやりと部屋の様子を眺めた。
十五畳程のリビングは広過ぎず、部屋の調度品も落ちける色の物が多かった。
ふと、彼女は水城の事を思った。彼と一緒に生活している彼女は一体、どんな存在なのだろうか。
二人の会話を聞いていると、夫婦という感じではなかったが、他人という仲でもない気がした。
彼女は彼の事を『真澄様』と呼び、彼は『水城君』と呼んでいた。
一見他人行儀な呼び方だが、二人の呼び方には親しみがこめられている気がした。
人が人を呼ぶ時、その呼び方に対するイントネーション、声質には全て呼ぶ方と呼ばれた方の関係が反映されていると思った。
二人にとって互いの呼び名は慣れた言葉だった。きっと、随分と長い付き合いなのだろう。
「どうしたの?」
食事の準備を終え、ダイニングに真依子を呼びに来た水城の顔をまじまじと見つめていると、
そんな言葉が聞こえた。
「いえ。何でも・・・」
真依子は水城が用意した食事に手をつけた。
出された物は全て残さず食べた。中々量があり、すっかりお腹は膨れた。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
食後のアイスコーヒーを飲みながら、そう言うと、水城は笑顔を浮かべた。
「お口にあって良かったわ」
今までサングラスで気づかなかったが、彼女はとても上品な綺麗な顔をしていた。
なぜ、美貌を隠すようにサングラスをかけているのだろう・・・。
ふと、そんな疑問が脳裏を掠めた。
それと同時にやはり、速水真澄と彼女の関係が気になった。
「何か私に聞きたい事でもあるのかしら?」
勘の鋭い彼女はさっきから自分に投げかけられる真依子の視線に気づいていた。
「・・・あの」
そう言われ、ドキッとし、真依子は聞いていいのか迷う。
「答えられる事なら何でも答えるわよ」
「・・・あの、水城さんと速水さんは・・・その、ご夫婦なんですか?」
思い切って口にすると、水城は一瞬、驚いたように目を大きくした。
そして、失笑が零れる。
「・・・いえ、違うわ。私は真澄様の秘書よ。もう二十年以上になるかしらねぇ」
水城は遠い目をしてそう答えた。
"秘書"という言葉が真依子には今一つピンとこない。
「・・・そうですか。てっきり、ご夫婦かと・・・」
二人の間に流れる空気がただの仕事上の関係だけには思えなかった。
「ふふふ。付き合いが長い分、そう見えるのかしら。安心して。真澄様が今でも愛しているのはあなたのお母様よ。
私なんて入る余地はないわ」
水城は真依子に笑顔を向けたが、その表情の中に一瞬の寂しさが浮かぶように見えた。




真澄はいつものように海を眺めていた。
日ごとに病魔に侵されているはずの体は真依子と出逢ってから不思議と苦痛は感じられなかった。
自分の命が尽きようとしいるとは思えない程、彼は元気だった。
昨夜の真依子を思い出す。泣き顔にマヤの姿が重なった。
どうしようもない程の愛しさを感じる。
まだ逢ってからそんなに日が経ってないというのに・・・。
一日、一日、心が彼女で満たされていく。
彼女の純粋さを知る度に抱き締めたくなる。
しかし、本当はわかっていた。
自分が惹かれているのは彼女ではなく、彼女を通してマヤを見ているのだと。
惹かれる全てがマヤへと繋がっていた。
「・・・真依子」
振り向くと、白いワンピースを着た彼女が立っていた。
水城がそろえた物だ。
真澄の言葉に反応するように、真依子は彼の隣に立った。
「あの、昨夜はご迷惑をおかけしました」
頬を赤らめそう口にする彼女が可愛く見える。
「君と一緒に観れて良かったよ」
真澄は砂浜に腰を降ろした。
それに倣うように彼女も隣に座る。
「私、初めてなんです。女優の母を見たの」
「感想は?」
「・・・圧倒されました。私よりも幼い年齢の時にあんな風に舞台に立っていたなんて・・・」
「君のお母さんは、いつも一生懸命だったよ。直向で。
一体あの小さな体にどうしてあんなに情熱が詰まっているのか、いつも不思議だった」
「・・・速水さんは、そんな母だから好きになったんですか?」
真澄は彼女の言葉に考えるよう、海を見る。
「・・・そうだ。俺にはないものだからな。あんなに情熱的に何かに打ち込む事。
彼女の舞台を初めて見た時、俺は女優北島マヤに恋をした。
そして、その想いは信じられない程俺の中で大きくなり、気づいた時には愛していた」
「それなら、どうして、母と結婚しなかったんですか!」
彼の言葉に苛立ちが募る。それは母に対する嫉妬と、自分の存在に対する葛藤だった。
速水は真依子の瞳を見た。そこには大きな感情の揺らぎがあった。
「・・・どうして、母を一人でアメリカに行かせたんですか・・・」
絞り出すような彼女の言葉は速水の胸を抉る。
「俺には二十歳になる息子がいる。真一というんだが・・・。妻と真一をどうしても見捨てられなかった。
それに会社を投げ出す勇気がなかったんだ。マヤの事は諦めた方がいいと何度も自分に言い聞かせて妻と結婚し、子供まで設けた。
俺はそういう男なんだ」
最後の言葉が酷く自虐的に聞こえる。
真依子には速水がわからなかった。なぜ、母ではなく別の人と結婚したのか・・・。
「・・・私にはあなたがわからない。後悔だけを背負って生きているあなたが・・・」
真依子の言葉に、速水は静かに瞳を閉じ、そして、再び海を見た。
それから二人は暫く沈黙の中に身を置いた。

「私、帰ります。学校がありますから」

最後にそう速水に言葉をかけ、真依子は立ち上がった。
彼は何も言わず、真依子を見る。
その瞳が真依子には哀しそうに見えた。
数瞬、二人は視線を交わらせる。
突然、激しい情感が彼女を襲った。
身が焦げつくような想い、早鐘のような胸の鼓動・・・。
それらはどれも初めて感じる物だった。
冷静ではいられない。目の前の彼がどうしようもなく、胸を焦がす。
そんな真依子の表情に知ってか、知らずか速水は自分も立ち上がると、手を掴み自分に引き寄せた。
そして、アッという間に真依子は彼に抱き締められた。
「・・・君に何て言ってあげたらいいのかわからない。俺が愛しているのは君の母親だ。
俺がこうして抱き締めているのは、君ではなく、君の中のマヤなのかもしれない。でも、それでも、君が・・・」
そこまで口にすると、速水は迷ったように言葉を飲み込んだ。
眠っていた彼の中の想いが溢れ出す。唯一人にそそいできた情熱が、目の前の少女へと向けられる。
昨夜、真依子の涙を見た時から、彼もまた彼女に恋に落ちていた。
それは突然の想いだった。

「・・・速水さん・・・」
驚いたような彼女の視線とぶつかる。
彼はハッとし、彼女を抱く腕を解いた。
「・・・すまない・・・」
自分の立場を思い出す。親子程の年の差。彼女が北島マヤの娘だという事。そして、自分が長く生きられない事。
今ここで彼女を抱き締める資格など彼にはなかった。
「・・・気をつけて帰りなさい」
彼はそう口にすると背を向け、歩き出した。
彼女はただ、ただ彼の背を見つめていた。
胸にはまだ激しい想いが募る。
好きになるべき相手ではない事はわかっていたが、走り出した気持ちは誰にも止める事ができなかった。












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