永久(とわ)の想い−3−
アカデミ−主演男優であるジョン・ハウザ−は週に一度シェイクスピア演劇学校で講師をしていた。
そして、そこで彼は面白い素材を見つけたのだ。
「・・・今日は笑いについての演技です。皆さん、笑ってみて下さい」
そう言った瞬間、誰もが大きく声をあげて笑い出す。
しかし、一人だけ口元を微かに緩め、声も出さず笑っていた人物がいたのだ。
その表情はまるで愛しいものを見つけるような笑顔だった。
たった少しの表情の変化で見事にその想いを伝えてくる。
「・・・君、その表情の意味は?」
東洋系の小柄な少女の前に立ち止まり、質問をする。
「・・・えぇ・・と、それは・・・私にとって大事なものを見つけた時の笑顔です」
たどたどしい癖のある英語で彼女が言う。
「なるほど・・・君、こっちに来てくれる?」
そう言い、壇上に彼女を立たせる。
生徒達が一斉に彼女に視線を向ける。
「今度は笑顔で喜怒哀楽を表現してみて」
ハウザ−の言葉を聞くと、彼女は瞬時にそれを表現してみせた。
楽しそうな笑顔。悲しそうな笑顔。怒りの中にある笑顔。嬉しいそうな笑顔。
どの表情からも真っ直ぐな感情が伝わってくる。
その高度な演技力にハウザ−は目を見張った。
「・・・あの・・・」
ハウザ−が黙ったまま見つめていると、不安そうな表情を向ける。
さっきまでの表情とは全く違う素の彼女は恥ずかしそうに俯いていた。
そのギャップに何だか可笑しくなり、気づけば大きな声を上げて笑っていた。
彼女の頬は益々赤くなるばかりだった。
「・・・いや、失礼・・・あまりにも素の君と違うから・・・」
何とか笑いを抑え、ハウザ−が口にする。
「・・・もういいよ」
その言葉に顔を赤くしたまま彼女は壇上から降りた。
「・・・Thank you very much indeed・・・.」
労うように言葉をかける。
「キャッ!」
次の瞬間、彼女は何かに躓いたようにコケた。
何だかそのコケかたがまた可愛くて、ハウザ−は再び笑いこけていた。
「何か面白い事でもあったのか?」
ハウザ−のエ−ジェントであるトム・コリンズが口にする。
その言葉にハウザ−は演劇学校で見つけた東洋系の少女を思い出した。
「・・別に、何もないさ」
俳優ジョン・ハウザ−の顔を作り、答える。
「・・・それより、例の件はどうなった?」
ハウザ−の問いにコリンズの表情が曇る。
「その分じゃ、まだ見つけていないようだな」
表情を読むように言う。
「・・・あぁ。何でも、おまえが見た舞台を最後に彼女の行方はわからないようだ」
「・・・そうか・・・」
ジョン・ハウザ−は今、一人の女優を探していた。
あれはそう、1年半前に日本にいた時に観た舞台だった。
彼は三十数年の人生の中で衝撃的な体験をしたのだ。
その舞台に立つ女優は将に”celestial maiden”だった。
その表情は神秘的で切なく今でも彼の眼に焼きついていた。
気づけば夢中で舞台上の彼女を追っていた。
胸に熱い想いが滾り、呼吸ができなくなる。
まるで、恋にでも落ちたようなそんな苦しさが胸を襲った。
「彼女ならきっと・・・あの役を演じられると思ったんだがな・・・」
ハウザ−の言葉にコリンズは一瞬、悲しそうな言葉を浮べた。
「・・・まぁ、そのうち見つかるさ・・・おまえが心惹かれる程の演技の持ち主だ。
舞台に立てばきっとわかる」
コリンズの言葉に何かひっかかかるものを胸に感じた。
「・・・どうした?」
何かを考えるように黙ったハウザ−を見る。
「・・いや、何でもない・・・」
あぁ!!もう!!何なのアイツ!!!
人の事あんなに笑って!!!
演劇スク−ルからの帰り道、彼女は今日会った講師に苛立ちを募らせていた。
おかげで今日はさんざん笑われっぱなしだ。
演劇スク−ルに通いだしてから一週間、今日の事で彼女はかなり学校内で有名人になってしまったのだ。
「・・・はぁぁ・・・やっぱり、難しいなぁぁぁ」
立ち止まり、どんよりと曇った空を見つめる。
イギリスの空はいつもそうだった。
まるで、今の彼女の心境を現しているみたいだった。
「・・・駄目だな・・強くなったと思ったのに・・・」
イギリスに来て一年と数ヶ月、何だか久しぶりに彼女は日本が恋しくなった。
今日のあの講師の笑い方に・・・ある人物を思い出してしまったのだ。
彼女にとって最愛の人・・・。
そして、忘れなければならない人・・・。
「・・・しっかりしなきゃ!Cheer up!」
自分に言い聞かせるように口にして、彼女は再び歩き出した。
「ハウザ−伯爵、お久しぶりです」
彼が主催するパ−ティ−で、懐かしい人物と再会する。
そこにいたのは彼の母親を診ていた女医だった。
「ドクタ−・トモコ・ウォルス。お久しぶりです」
そっと手を取り、その甲に軽く唇を寄せる。
「母の事では本当にお世話になりました」
「お母様の事、医師として残念でした」
本当に残念そうな表情を浮べる。
彼女は最後の最後まで彼の母親の為に手をつくした。
しかし、その努力は実る事なく彼の母親はこの世を去ったのだった。
「・・・今日はご主人と一緒で?」
「えぇ。後、家に下宿している日本人の女性とも一緒なんですよ」
「ほぉぉ。それはお会いしてみたい」
ハウザ−の言葉に知子は一緒に来たはずの彼女の姿を探した。
「・・・どこかで迷ったみたいです」
苦笑を浮かべる。
「探して来ますわ。では、また」
軽やかな笑みを浮かべ、知子はその場を後にした。
はぁぁ・・・やっぱり、苦手だなぁぁぁ・・・。
彼女は一人中庭に出て、月を見つめていた。
偶には気晴らしにこういう所に来てみるのも面白いわよと言われて、言われるまま、ドレスを着せられてついて来たが、
城で開かれた格調高いパ−ティ−に気後れする部分があって、どうも馴染めないでいた。
まあ、昔からこういう場は苦手であった事は変わらないのだが・・・。
招待されているものは各界の著名人などで、一度は名前を耳にした事がある人物ばかりが集まっていた。
外の空気は少し冷たくて彼女の胸を切なくさせた。
「あれ?ハウザ−伯爵は?」
パ−ティ−の席で誰かが言う。
「さっきまではいらしたみたいだけど・・・」
ハウザ−はそっとパ−ティ−会場から抜け、中庭に出ていた。
彼にとって、今日のパ−ティ−はあまり楽しいとは思えなかった。
とりあえず、主催者として顔つなぎ程度の挨拶が終わったので逃げて来たのだ。
煙草を取り出し、火をつける。
疲れを癒すように彼は月を見つめた。
薄く雲がかかりどこか神秘的に見えた。
そして、ふと、左側を向くと、彼と同じように月を見つめている少女がいた。
月明かりが照らす彼女横顔はとても切なそうに見えた。
何だか、ドキッとする光景である。
つい、じっと見つめてしまう。
彼はその表情に何かを思い出した。
「・・・クレナイテンニョ・・・」
彼女の耳にその言葉が入る。
「えっ」
驚き、声のした方を見ると、優しい瞳で誰かが見つめていた。
その瞳に誰かが重なる。
彼女にとってとても愛しい存在である・・・速水の姿が重なった。
「・・・速水さん・・・」
随分久しぶりに口にするその言葉に彼女はハッとした。
よく見れば、速水とは全然違う。
目の色も髪の色も全く違うのに・・・なぜかそう思ってしまった。
「あっ!君は!」
彼の方を振り向いた彼女に演劇スク−ルで見た東洋人が重なる。
彼女はそう言われ、あの失礼な講師を思い出した。
途端に表情が硬くなる。
「奇遇だね。こんな所で会うとは」
穏やかな表情で話し出す。
「・・・そうですね」
無愛想に答える。
よっぽど彼女に嫌われたのだと思うとまた笑いたくなってくる。
「この間は失礼した。素顔の君と演技中君があまりにもギャップがあったから、つい」
申し訳なさそうに言う。
「・・・いえ・・・」
急に謝れてどうしたらいいのかわからなくなる。
それから何を話したらいいのかわからなく、無言になってしまう。
「・・・悲しそうな瞳だ・・・」
不意に彼が口にする。
「えっ」
その言葉に心の中を見透かされているようだった。
「・・・いや、何でもない・・・お嬢さん、パ−ティ−を楽しんで」
にこやかに笑顔を作ると、彼は城の中に戻った。
「ここにいたのね」
知子が彼と入れ替わるように中庭に現れる。
「・・・知子さん」
「ハウザ−伯爵と一緒だったみたいだけど、何話してたの?」
「えっ、ハウザ−伯爵?」
きょとんとした表情で知子を見る。
「あら、知らなかったの?今、あなたが話していた人物よ。今日のパ−ティ−の主催者であって、
イギリスで今人気のある俳優のジョン・ハウザ−よ」
ジョン・ハウザ−・・・。
なぜかその言葉が彼女の胸に響いた。
悲しい瞳を持つ少女・・・。
ハウザ−の心の中に月に照らされた彼女の横顔が浮かぶ。
胸を掴まれたような気持ちになった。
彼女がなぜあんなに悲しそうなのか知りたかった。
「どうかしましたか?」
ぼんやりとしていると彼のマネ−ジャ−であるエリザベス・パ−カ−が話し掛ける。
「・・・昨夜、ちょっと、印象深い女性にあったんだよ」
エリザベスはその言葉に少し呆れたようにため息をついた。
「ジョン、ゴタゴタはよしてよ。ただでさえ、プレイボ−イの名がついて回っているんだから」
友人の顔になり、小言を口にする。
「別に・・そんなつもりじゃないさ。リズ。ただ、気になっただけだ」
「スキャンダルになるような事はしないでね。あの女優との噂も消えていないんだから」
「知ってるだろ。僕は本気になる事はない・・・。彼女とも1回きりの関係さ」
さらっと口にし、ハウザ−は曇った空を見上げた。
ジョン・・・。
彼の言葉にエリザベスは彼の傷がまだ癒されていない事を悟った。
「いってきます」
ベビ−カ−を手に知子に声をかける。
「あら、どこいくの?」
家にいた知子が口にする。
「今日は珍しく太陽が見えるからケンジントン・パ−クまで行くつもり」
我が子を見つめながら、口にする。
「気をつけるのよ」
知子に送り出されて、彼女はベビ−カ−を愛しそうに引きながら出かけた。
思った通り、今日はとてもいい天気だった。
ベビ−カ−の中の娘も気持ち良さそうな笑顔を見せる。
彼女はその笑顔に幸福を感じた。
娘の存在は今の彼女にとっての全てだった。
ふと、この国に来た時の事を思い出す。
お腹の中にはまだ娘がいて、毎日が不安だった。
語学学校に通い、何とか日常会話までは話せるようになった。
不安な彼女をウォルス夫妻は支えてくれた。
そして、娘が生まれる。
愛した人との子供・・・。
何よりもかけがえのない宝。
「・・・愛ちゃん。着いたよ」
ケンジントン・パ−クに着くと、ベビ−カ−の中の娘に話し掛ける。
彼女の顔を見ると嬉しそうに笑う。
広大なパ−ク内は季節の植物で賑わっていた。
ゆっくりと緑を楽しむにはとっておきの場所だ。
暫く歩いた後、手近にあったベンチに座り、娘を見つめる。
「・・・あの人に似ているのかな・・・やっぱり」
最近、顔立ちがはっきりとわかるようになってきて、彼女は感じていた。
確かにあの人との子供だと・・・。
しっかりと彼の遺伝子が受け継がれているのだ。
それが嬉しくもあり、切なくもあった。
「・・・忘れようと思ったのに・・・」
急に想いが溢れる。
いくら忘れようと思っても、忘れられない彼の姿が浮かんだ。
彼女を愛してくれた時の熱い瞳・・・優しい愛撫・・・重なった唇・・・。
涙がじわりと溢れてくる。
その時、突然、愛が泣き出す。
「エェェェェェ−−−ン!!!」
「What’s up?」
ハウザ−がパ−ク内を散歩していると、どこからかとてつもない大声で泣く、赤ちゃんの声がした。
視線を向けて見ると、あの女性がいた。
思わぬ偶然に瞳を見開く。
子供を抱きしめ、必死であやしている彼女の姿が眩しく見えた。
「大変だね。ベビ−シッタ−かい?」
そう声をかけれて振り向くと、ジョン・ハウザ−がいた。
ドキっ・・・。
なぜか、胸が高鳴る。
「かしてみて。僕こういう事得意なんだよ」
にこやかに、腕の中の愛を見つめる。
「えっ・・・あっ」
彼女がぼんやりとしていると、彼がいつの間にか、愛を抱き上げていた。
「あっ!その子・・・人見知りが激しくて・・・」
彼女は愛が泣き叫ぶのを覚悟し、耳を塞いだ。
しかし・・・。
「キャハハハハハ」
ハウザ−の腕の中で楽しそうに笑い出す。
「えっ・・・」
呆然とその光景を見つめる。
「いい子だねぇぇ。名前は?」
「えぇ・・・と、愛です」
「愛ちゃんかぁぁ。かわいいなぁぁ」
表情をこれ以上ないという程綻ばせる彼に彼女は急におかしくなった。
「うん?」
不思議そうに彼女を見る。
「あっ、すみません。何か随分と印象が違って見えたから・・・学校で会ったあなたと、パ−ティ−で会ったあなたと・・・」
「・・・そうかい?」
クスリと笑う。
「・・・君もまた印象が違って見えるよ」
彼女を包み込むような優しい瞳で見つめる。
また、彼女中の何かがざわめき出す。
「とっても、この子の事が好きなんだね。まるで実の子をあやしているようだったよ」
愛を見ながら、口にする。
「・・・あの・・・実の子なんですけど・・・」
ハウザ−の言葉にたじたじになりながら答える。
「えっ!!!!」
驚いたように彼女と腕の中の愛を見比べる。
そう言われて見れば・・・確かに似ている。
でも、彼女どう見ても子供を持つ年には見えないよな・・・。
「・・・そんなに以外ですか?」
黙ったままのハウザ−に言う。
「・・・君、一体、いくつなんだい?」
素直な疑問が口から出る。
「・・・23ですけど・・・」
更に、ハウザ−の中で驚きが大きくなる。
「ハハハハハハハハ」
驚きが可笑しさに変わって、ハウザ−が笑い出した。
「もうっ、そんなに笑わなくても」
赤くなり、彼を見る。
「いやぁ、失礼・・・以外な事が重なったから」
笑いを何とか堪え、言葉にする。
「あなた一体、私がいくつに見えたんですか?」
彼女の言葉に一瞬、考えるように黙る。
「・・・15,6かな」
ポツリと呟いたその言葉に彼女は何だか落ち込んだ。
「・・・どうせ・・・童顔ですから・・」
いじけたように呟く。
「いやぁ、すまない。ほら、東洋人は若く見えるから」
誤魔化すように口にする。
「いいんです。この国に来て、さんざん子供扱いされましたから」
ふてくされたように言い、二人は視線を合わせると笑い出した。
久しぶりに彼女は心の底から笑った気がした。
それからベンチに座り、二人はいろいろな話をしていた。
彼女も彼もすっかりと打ち解けたような表情をしている。
「あっ、もう、こんな時間」
腕時計を見つめ、彼女が口にする。
「えっ」
そう言われて時計を見てみると、二時間以上が経っていた。
「私、そろそろ帰らないと」
「そうか。楽しかったよ。君から日本の事いろいろ聞けて。愛ちゃんとも会えたしね」
彼女の腕の中で眠ってしまった愛を見つめる。
「それじゃあ、また」
愛をベビ−カ−に寝かせ、歩き出そうとする彼女に言う。
「えぇ。また。ハウザ−伯爵」
彼女の口から彼の名前が出たのを聞いて、彼女の名前を聞いていなかった事に気づく。
「あっ、待って、名前を聞いていいかい?」
彼女の背中に言う。
立ち止まり、彼の方を再び向く。
「・・・マヤです。北島マヤ」
にっこりとそう言うと彼女はその場を去った。
キタジマ・マヤ・・・。
その名前に彼はハッとした。
「・・・どうして、気づかなかった・・・」
その名前は彼が探していた女優の名前だった。