永久(とわ)の想い−5−
その夜、マヤは中々寝付けなかった。
亡き妻、ステラの事を話すハウザ−の顔が離れなかった。
愛する者を追い詰めてしまった事への後悔と罪の意識に彼の心にはまだ涙が溜まっている気がした。
優しい瞳の奥にある悲しみを知って、胸がざわめき始める。
何だか落ち着かない気持ちになりマヤはゲストル−ムを出た。
ステラ・・・。
君は僕を一生許さないのだろうな・・・。
ハウザ−は10年ぶりに訪れた城内にあるステラの部屋に足を踏み入れた。
そこは主がなくなっても変わらず彼女の帰りを待っているように見えた。
彼女と過ごした時間が胸に蘇る。
毎日がウキウキとして楽しかった。
彼がどんなに遅く帰って来ても彼女は紅茶を入れて、出迎えてくれた。
彼が俳優として有名になるまでは・・・穏やかな時間を過ごした。
どうして不安定な彼女の気持ちに気づかなかったのだろう・・・。
どうして、あの時、彼女に愛している事を告げ、抱きしめなかったのだろう・・・。
そんな想いが胸に過ぎる。
ふと、窓の外を見つめた。
空にぽっかりと悲しそうに三日月が浮かんでいる。
ステラはこの部屋からどんな想いで月を見ていたのだろうか・・・。
「・・・マヤ・・?」
中庭に視線を落とすとパジャマ姿の彼女がいた。
月を見つめると、マヤはいつも速水の事を思い出す。
彼に抱かれたのは丁度今夜のような月が出ていた。
違う国の空なのに思い出さずにはいられない。
恋しくて・・・恋しくて仕方がなくなる。
「風邪ひくよ。マヤ」
後ろから声がした。
振り向くと、ハウザ−が立っている。
「・・・月が綺麗だったから・・・」
彼女の言葉にパ−ティ−で会った時を思い出す。
月を愛でるように見つめ視線がとても悲しそうに見えた。
普段は明るくてそんな事微塵も思わせないのに・・・。
「はい。コレ」
マヤの肩にパシミ−ルをかける。
「少しは暖かいだろ?」
「・・・うん。暖かい」
月を見つめていたのとは別の顔で答える。
いつものマヤだった。
「・・・一つ聞いていいかい?」
躊躇うように口にする。
「何ですか?」
「・・・愛ちゃんの父親とはどうなっているんだい?」
マヤから父親については何も聞かされていない事が気になっていた。
彼の質問に瞳を伏せる。
「・・・いや、言いたくないなら、いいんだ・・・すまない」
やはり何かがあるのだと感じると彼はそれ以上は聞かない事にした。
「明日は愛ちゃんと遊びたいな。少し早めに城を出て、君の家に行くって言ったら、迷惑かい?」
愛という言葉にマヤが笑顔を浮かべる。
「いいえ。そんな事ないです。愛もきっと喜ぶと思います」
子供のように見えてもやっぱり、母親なんだなと思ってしまう。
なぜか彼女と一緒にいると落ち着く・・・。
ハウザ−はマヤと一緒に月を見つめていた。
「誰を連れて来ると思ったら、ハウザ−伯爵じゃない」
マヤの下宿先についてハウザ−は不思議な偶然に出会った。
「ドクタ−・ウォルス!」
マヤは二人の様子をきょとんと見ていた。
「そうか。マヤがこの間言っていた失礼な演劇スク−ルの講師って、伯爵の事だったのね」
知子が納得したように言う。
「・・・えっ、知子さん・・・」
その言葉にマヤは慌てた。
ハウザ−はそれを聞くと、可笑しそうに笑い出した。
「随分と騒がしいな」
玄関口にでの話し声にロバ−トが愛を抱きしめたままやってくる。
「愛!」
愛の姿を見て、マヤが駆け寄る。
無理もない、愛が生まれてから初めて一晩離れたのだから・・・。
ロバ−トから愛を受け取り、しっかりと抱きしめる。
「愛ちゃん!」
頬をスリスリと寄せ、ギュッと抱きしめる。
どんなにマヤが我が子を愛しているかわかる光景だった。
「愛よりもマヤの方が恋しがっていたみたいだな」
ロバ−トの言葉に皆が笑い出した。
「天気がいいから散歩に行ってくれば?」
という知子の言葉に昼食をとった後、マヤは愛を連れて、ハウザ−と一緒に外に出る事にした。
休日の街を歩くのはそれなりに楽しかった。
曇り空が多いイギリスにしては珍しく今日は快晴だ。
「あっ、かわいい」
マヤはド−ルショップの前に立ち止まった。
「入ろうか」
ハウザ−の言葉にマヤは愛を連れて、お店に入った。
そこには妖精や、天使等の人形が並んでいる。
どれも表情の一つ一つが違い、マヤの眼を楽しませた。
「わ−!これもかわいい!!きゃ−!これもかわいい!!あ−!これも!!」
とマヤの声があがる。
ハウザ−はベビ−カ−の中にいる愛を抱き上げて愛にも人形達を見せた。
母親と同じような表情を浮かべ、”きゃははは”と無邪気に笑う。
「本当に親子だな」
ハウザ−は二人を見比べと可笑しそうに笑った。
「何か気に入ったのはあるかい?」
マヤに優しい視線を送る。
「えっ・・・これなんかかわいいかなと思って」
天使の人形をマヤが指す。
「よ−し、じゃあ、それを貰っていこう」
ハウザ−は店員に声をかけた。
「えっ・・・いや、でも・・・これちょっと・・・値段が・・・」
マヤが苦笑を浮べる。
「いいから、いいから」
クスリと笑い、ハウザ−が財布を出す。
マヤはまさか買って貰うとは思わなかったので驚いた。
「あの・・・そんな・・・悪いです」
申し訳なさそうに言う。
「僕の為に週末を空けてくれたお礼だよ。愛ちゃんにはこれがいいかな」
さっきからクマの妖精を手放さない愛に言う。
ハウザ−はそれも購入した。
「・・・何だか・・・すみません」
ド−ルショップから出てマヤが言う。
「ママだけじゃズルイからね」
と言って、愛を見る。
愛は嬉しそうにその人形を手にしていた。
マヤは何だか、愛と同じレベルに扱われるているという気がした。
やっぱり・・・ハウザ−伯爵から見たら子供なんだな・・・私。
「そうだ。来週はシェイクスピアの芝居を観に行かないかい?」
ハウザ−は思いついたように言った。
「えっ」
「シェイクスピアの生まれた街にはまだ行ってないだろう?きっと、君も愛ちゃんも楽しめると思うよ」
ハウザ−の言葉にマヤの眼が輝く。
「うん!行ってみたい!私、イギリスに来て、まだあんまりお芝居観ていないの」
愛も何がなんだかわからず、笑っていた。
「よし。決まり!」
マヤは思わぬ約束にうきうきしていた。
そして、一週間後・・・。
「ここがシャイクスピアの街だ」
ハウザ−はマヤと愛をストラドフォード・アポン・エイボンに連れて来た。
街の中にはシェイクスピア由来のものが沢山あり、観光客の姿が見えた。
「わ−!」
マヤは歓声を漏らしながら、ハウザ−の解説に耳を傾けた。
そして、テディ・ベアの博物館に気づく。
「かわいい!!!」
博物館に入るなり、マヤの黄色い声があがる。
それは愛も同じで、二人してはしゃいでいた。
ハウザ−はそんな二人を見ているのが好きだった。
「よし、次は芝居だ!」
そう言い、今度はサザークのGLOBE座に二人を連れて行った。
そこは円形の青空劇場になっていた。
「ここからでシェイクスピアの劇はよく上演されたんだ。言葉がわからなくても、ム−ドだけで十分面白いよ」
愛を抱きかかえ、マヤの手を取り、ハウザ−は劇場の中に入っていった。
今日上演されいてたのは”ロミオとジュリエット”だった。
古典英語を使っているので、マヤにとって理解するのは難しかったが、活気のある舞台、俳優の動きにマヤは目が離せなかった。
愛も生まれて初めて見る芝居に興味津々の様子だった。
さすが、血は争えないな・・・。
クスリと笑う。
「・・・切なかったです」
舞台が終わり、マヤの瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。
ハウザ−は劇を見つめるマヤの横顔をずっと見つめていた。
場面、場面によって素直に感情を表情に表すマヤからなぜか目が離せなかったのだ。
「あっ、愛ずっと抱きっぱなしで疲れません?」
ハウザ−の腕の中にいる愛を見つめる。
「いいや。これぐらい。どうって事ないさ。愛ちゃんを独占できると思うと嬉しいよ」
愛しそうに愛を見つめる。
「・・・ちゃんと、返して下さいよ。愛は私の娘なんですから」
ハウザ−の表情を見て少し心配そうに言う。
「今日一日愛ちゃんを独占させてくれるなら、いいけど」
おどけたように口にする。
マヤはハウザ−言葉に小さく笑った。
マヤとハウザ−と愛はまるで本物の親子のような一日を過ごした。
「・・・お忙しいのに、案内して頂き、ありがとうございます」
助手席に座るマヤが運転中のハウザ−に言う。
「・・・いや。僕もとっても楽しかった。こんな時間を過ごしたのは随分久しぶりだ」
穏やかな表情を浮べる。
「愛もとっても喜んでます」
マヤの腕の中で眠る愛を見つめる。
「愛って・・・英語で”Love”という意味に当たるって、この間日本人の友人に聞いたよ」
何かを思い出すように話し出す。
「・・・君は本当に愛を愛しているね・・・。ずっと一緒にいてそんな思いが伝わる」
瞳を細め、ちらりとマヤを見る。
「・・・この子・・・私にとって宝物なんです。決して結ばれるはずじゃない人との子だから・・・。愛する人との子だから・・・」
切なそうに愛を見る。
「でも、私、母親として失格なんだろうな。この子に私は父親が誰か教える事ができない。そして、会わせる事も・・・。
きっと、これから先、この子が大きくなって父親のいない寂しさを味わせてしまう・・・私と同じような・・・」
マヤは愛しそうに愛の髪を撫でた。
「大丈夫。君ならしっかりと愛を育てられるよ。愛情いっぱいにね」
暖かい笑顔を浮かべる。
その笑顔はマヤの心の中も温かくした。
それから3人は週末になると、時間が合う限り、いろいろな所へと出かけた。
穏やかな時が3人を包んでいた。
マヤにとってハウザ−は大切な友人だった。
ハウザ−もマヤに前では俳優ジョン・ハウザ−としての仮面を脱ぎ、素顔で彼女と付き合っていた。
しかし・・・。
そんなある日、週刊誌が彼らの様子を取り上げた。
「・・・マヤ!これ」
知子は驚いたようにその記事を彼女に見せる。
”ジョン・ハウザ−の新しい恋人”と見出しされ、内容は彼らの付き合いが親密なものだと言う事だった。
火がついたようにそのスキャンダルは飛び移り、新聞や週刊誌を騒がせた。
記者はマヤを朝から晩まで追い回し、その加熱ぶりは以上だった。
「・・・マヤ・・・ジョンからの伝言を持って来たわ」
エリザベスがマヤの所を訪れる。
マヤの表情は沈んでいた。
「ジョンが心からあなたに謝りたいって・・・それから、極力あなたに会わないようにするって言っていたわ。
彼、今週からハリウッドで撮影があるから・・・きっと、一月もすれば静まるわ」
ハリウッド・・・。
その言葉にマヤの心に冷たい風が吹く・・・。
「・・・ハリウッドって・・・どれくらい行っているの?」
崩れそうな感情を抑えながら口にする。
「・・・長くて・・・一年ぐらいかも・・・。それからステラの台本の件も、
もういいって・・・これ以上あなたを関わらせる訳にはいかないって・・・」
その言葉にマヤの中の何かが弾ける。
「リズ!ハウザ−伯爵は今どこ?」
凄い勢いで言い寄る。
「えっ、彼なら今、オフィスで映画の打ち合わせ中だと思うけど・・・」
マヤは上着を手に飛び出した。
ロンドンのオフィス街にある彼のオフィスの前では記者が沢山はっていた。
マヤの姿を見ると、得ダネを掴むべくよってくる。
「・・・通して・・・下さい・・・」
記者をよけながらビルの中に進んでいくがマヤは今にも押しつぶされそうだった。
「あなたとハウザ−氏がつきあっているというのは本当なんですか?」
「ハウザ−氏の前妻の事はご存知ですか?」
「一緒にいた子供はハウザ−氏の子供ですか?」
容赦ない質問が彼女を包む。
だが、ここで怯む彼女ではない。
マヤはイギリスに来て、強くなっていた。
「私とハウザ−伯爵はただの友人です。それ以上の関係はありません!」
きっぱりと記者に言い返す。
その迫力に一瞬、静まる。
「それにしてはよく会っていませんか?」
心ない質問が再び飛ぶ。
「私は今、ハウザ−伯爵から亡き奥様が書いたシナリオを渡されているので・・・その解釈について彼と話しているだけです」
キリリと睨み言葉にする。
「というと、ハウザ−氏から仕事のオファ−があったという事ですか?」
「そうです。今もその事について話にいくので、通して下さい」
マヤはそう言い、やっとの事でエレベ−タ−に乗り込んだ。
ドンっ!
ハウザ−が数人のスタッフと打ち合わせをしていると、凄い勢いでマヤがドアを開けた。
「・・・マヤ・・・」
その姿にハウザ−が驚く。
「どういう事ですか!ステラさんの台本を諦めるって!!」
凄い剣幕でマヤが口にする。
勢いにハウザ−は圧倒されそうだった。
「私はあなたの奥様に対する思いにうたれて、引き受けたんです。台本だって、やっと半分読み込んだのに・・・」
真っ直ぐな彼女の瞳にハウザ−の胸がドキリとする。
「・・・それを、そんなたかがスキャンダルの為に・・・諦めていいんですか・・・」
段々マヤの表情が涙で埋まる。
「・・・私、このお芝居やってみたいんです。今の私には背伸びしすぎかもしれないけど・・・やってみたいんです・・・だから・・・」
涙で声を詰まらせる。
ハウザ−は気づくと、彼女を抱きしめていた。
「・・・すまなかった・・・ただ、僕は・・・君に迷惑をかけたくなかったんだ・・・」
腕の中の彼女に声をかける。
「・・・迷惑だなんて・・思っていません・・・私は、一緒にあなたとお芝居がしたい・・・」
一生懸命な彼女の瞳に彼の中の何かが決心させる。
「わかった。やろう。ハリウッドはキャンセルする」
ハウザ−はマヤの事を友人以上に思う自分の気持ちに、この時初めて気づき始めていた。
そして、マヤの中にもそんな想いがあった。
それから一月後・・・。
ステラの舞台を上演するべく稽古が始まっていた。
「違うマヤ!そういうアクセントだとおかしい」
セリフを読み合わせている時にハウザ−が俳優の顔をし、指摘する。
マヤはそう言われ、何度も何度も直すが中々、上手くいかない。
無理もない・・・まだイギリスに来て、一年半程だ・・・そう、できるものではない。
俳優ジョン・ハウザ−のしごきは月影を上回る程厳しかった。
朝から晩まで彼に注意をされっぱなしで・・・・マヤの中の役者としての自信が小さくなり始める。
今回の芝居にはハウザ−は演出家として参加していた。
この芝居でマヤは二役を演じる。
役の違いを異なったアクセントで演じ訳なければならなのだ。
この役は英語を母国語とするイギリス人の俳優にとっても難しかった。
稽古は一日10時間以上にも及んぶ。
そろそろ他の俳優たちもマヤのミスにうんざりしてきた。
「・・・彼女では無理です」
ハウザ−に向けて誰かが言う。
「どうするんですか?公演は一月後なんですよ・・・」
マヤはその声を廊下で聞いていた。
悔しくて涙が浮かぶ。
近頃ではハウザ−はマヤに対して笑いかけてくれなくなった。
それ所か、彼女とは個人的な話は一切しなくなり、冷たい表情ばかりを浮べる。
マヤはハウザ−に女優として見放されたのだと思った。
「・・・やっぱり、私じゃ、駄目なのかな・・・」
ハウザ−は悩んでいた。
どうしようもなく彼女に惹かれている事を・・・。
気づいてしまった気持ちは日々大きくなっていった。
ただでさえ、マヤと毎日顔を会わせるようになったのだ。
ここで、気持ちを抑えなければ、女優としての彼女を潰してしまう。
この劇で彼女が演じられるかどうかは彼の指導にかかっていた。
「・・・ハウザ−伯爵・・・」
他の俳優が帰った後、スタジオにいると、か細い声がかかる。
振り向くと、マヤがいた。
彼女と二人きりだという事に心が騒ぎ出す。
「・・・どうした?」
冷たい表情で答える。
マヤはその表情に悲しくなる。
「・・・今まで、ご指導頂きありがとうございました。伯爵の希望に答えられなくて、残念ですが、この役、降ります」
深々と頭を下げ、マヤは決心を口にした。
あまにも唐突な事に、ハウザ−は言葉を失った。
「・・・失礼します」
そう言い、彼女が部屋を出て行こうとした時、涙の雫が見えた。
・・・マヤ・・・。
咄嗟にハウザ−は彼女を追いかける。
「どうしたんだ、急に」
しっかりと腕を掴み、涙を浮べる彼女を自分の方に向かせる。
「・・・私、自信がないんです・・・役者として・・・演じきれるかどうか・・・それに・・・あなたが・・・」
そこまで言い、ハウザ−を見つめる。
二人の視線が重なった。
駄目だ・・・もう、耐えられない・・・。
彼の中の抑えがたい衝動にハウザ−はマヤの唇を奪った。
驚いたようにマヤの瞳が見開く。
「・・・君が・・好きだ・・・」
唇を離し、華奢な彼女を抱きしめる。
マヤはハウザ−の言葉に何と言ったらいいのかわからなかった。