永久(とわ)の想い−7−
「・・・離婚して欲しい・・・」
結婚して一年・・・ついに、速水はその結婚生活に耐えられなくなり、口にした。
紫織はその言葉にあまり驚かなかった。
結婚してから彼の心は日ごとにどこかへ飛んで行ってしまったようだった。
ついに、二人の家庭は暖まる事は一度もなかったのだ。
「・・・わかりました・・・」
紫織の方もこれ以上彼と結婚生活を送る事に限界を感じていた。
決して、自分の方を振り向かない夫に嫌気をさしていたのだ。
結婚してから一年・・・。
こうして速水と紫織の結婚生活は破綻した。
フフフ・・・。
自分がこんなに感情に弱いとはな・・・。
真澄は自分が可笑しかった。
冷血漢の自分にあまりにも似合わないと思えた。
マヤが日本を発ったと聞いた時、彼は死んでしまいそうだった。
体中から力が抜け、彼の心の中には大きな穴が空いてしまったようだった。
できる事なら、すぐにマヤを追いかけたかった。
しかし、立場がそうさせる事を許さない・・・。
大都芸能の速水真澄である事が許させない・・・。
自分の心に素直に生きる事は彼には許されない事だった。
彼に全てを捨てる事はできなかった。
彼の肩には数千人の社員と、数万人の大都グル−プの社員がのっているのだ。
幼い頃から経営者になる事だけを叩き込まれてきた。
それは今、呪縛となって彼をキリリと縛りつける。
見えない縄に縛り付けられ、彼は身動きがとれなかった。
所詮、叶わぬ恋なのだ・・・。
忘れるしかない・・・。
彼女が日本を出たという事は彼から離れたかったのだ・・・。
追いかけていっては彼女の決心を踏み潰してしまう。
そう思う事で、真澄は留まっていた。
「社長、会議の予定ですが・・・」
水城がいつものように一日の予定を口にする。
真澄は無表情でそれを聞いていた。
まるで、心をどこかに置き去りしてしまったように・・・。
水城は毎朝彼に会う度に胸が痛んだ・・・。
もう彼女にさえ彼は感情を見せてくれない。
あるのは機械的に仕事をする真澄だった。
「・・・失礼します」
予定を言い終わると、水城は社長室を出た。
真澄はいつものように机に置かれた、新聞、雑誌に目を通す。
と、そこにある見出しが目に入る。
”ジョン・ハウザ−再婚”の文字がイギリスの新聞に大きく書かれていた。
そして、その見出しの下にある写真にはウェデイングドレス姿のマヤがジョン・ハウザ−とキスを交わしていた。
マヤ・・・。
久しぶりに目にするその姿と真澄にとってのショッキングな内容に心から血が出たような気がした。
彼女を抱いたのはもう二年以上も前の事なのに・・・その時の想いが込み上げる。
激しい嫉妬で心が千切れてしまいそうだった。
怒りをぶつけるように、真澄は側にあった灰皿を投げた。
ガシャ−ン!
ガラスでできた灰皿は壁にぶつかり無残に崩れる。
まるで、真澄の心のようだった。
「・・・真澄様!」
物音を聞きつけ、水城が社長室に入ってくる。
「・・・何でもない・・・」
いつになく、蒼い顔をした彼がいた。
「・・・暫く、一人にしてくれ・・・」
真澄の言葉と表情に水城は何も言えなかった。
もう、君は俺の手に届かない・・・。
どうして・・・俺はあの夜に気持ちを口にしたなかったのだろう・・・。
どうして・・・追いかけなかったのだろう・・・。
どうして・・・手放してしまったのだろう・・・。
誰よりも愛しい存在なのに・・・。
誰よりも恋しいのに・・・。
マヤ・・・君に会いたい・・・。
会いたくて・・・会いたくて・・・仕方がない・・・。
抑えていた感情が溢れ出し、気が狂ってしまいそうな想いが胸を締め付ける。
マヤ・・・。
気づけば、真澄は涙を浮べていた。
「話がある」
そう言われ、真澄は自宅に戻ると、英介の部屋にいった。
「何ですか?」
感情のない声で話す。
真澄の言葉に英介は写真を投げた。
「・・・これは・・・」
見ると、それは見合い写真だった。
「離婚してから一年以上が経つ・・・再婚しろ・・・真澄。今度の相手は鷹宮以上に有益な相手だ」
英介の言葉に真澄の中の何かがキレる。
真澄は大きな声で笑い出した。
「・・・気でも違ったか?」
尋常ではないその様子に英介は何か恐ろしさを感じる。
「・・・とことん自分が速水の人間でいる事に嫌になったんですよ。俺は一生結婚する気はない。
もし、こんな下らない話を持ってきたら・・・あなたを裏切りますよ」
それは脅しにも近い言葉だった。
鋭い瞳で英介を睨む。
その言葉は本気だとわかった。
背筋にゾクッとするものが流れる。
「おまえ誰にそんな口を聞いている!」
必死で真澄に飲まれないようにその言葉を口にする。
「あなたですよ。知っていますか?大都グル−プの株を誰がどれくらい持っているか?株主と私がどれぐらい親密か・・・。
もう、あなたに実権はない!ただのお飾りなんですよ!」
ゾッとする程の冷たい表情で口にする。
英介はもう真澄を操る事はできないと実感した。
「明日から出張に出る」
出社すると真澄が告げた。
「今度の大都での舞台に使いたい俳優がイギリスにいる。それに、ずっと保留中だったロックグル−プとの商談もあるしな」
空ろな表情で真澄が話す。
「社長自らが交渉に行くんですか?」
水城は不思議そうに見つめた。
いつもこういう事では彼は動かなかった。
彼が動くのは契約が纏まった最終段階で契約書を交わす時だけだった。
「・・・俳優の名前はジョン・ハウザ−だ。俺が行く必要がある」
水城はその名前にピクリとした。
ジョン・ハウザ−と言えば三か月前にマヤと結婚した相手だった。
マヤは幸せだった。
ハウザ−に愛され、愛しい娘の成長を見守る事ができて・・・。
それに、芝居の方でも彼女の活躍は世界中に広がった。
今ではイギリスが誇る女優の一人になっていた。
「マヤ!愛が!!」
ハウザ−の声が聞こえる。
「えっ」
ハウザ−の方を振り向いた瞬間・・・。
愛が立っていた・・・。
よちよちと公園内の芝生の上をゆっくりと歩く。
その姿はどんな光景よりも神々しく見えた。
「マ−!」
楽しそうにマヤを呼ぶ。
「愛ちゃん!!」
自分の側まで来た愛をギュッと抱きしめる。
愛しくてたまらない。
そんな様子をハウザ−は瞳を細めて見つめていた。
「マ−!」
腕の中の愛はキャハハハハと声を立てて笑う。
「マヤ、そんなに強く抱きしめたら、愛が苦しがるよ」
「だって・・・かわいくて・・・」
愛を見つめ、その小さな額をコツンとあわせる。
「愛ちゃん、良くやったわ。さすが私の娘!偉い偉い!」
マヤの際限ない笑顔に、ハウザ−も笑みを浮べる。
「愛ちゃん、パパの所においで」
ハウザ−が何の気兼ねなしに言った言葉に、マヤは驚いたように彼を見た。
「・・・僕たち、結婚したんだ・・・。いいだろ?愛のパパになっても。愛は僕にとって実の子だと思っている」
ハウザ−の言葉が嬉しかった
「・・・ジョン・・・」
薄っすらと涙を浮べるマヤにハウザ−は大袈裟だなと笑った。
速水はイギリスを訪れた。
この国にマヤがいると思うと胸がさわぐ・・・。
マヤが渡英してから、彼はこの国には来なかった。
でも・・・。
今回は違った・・・。
どうしても自分の目でジョン・ハウザ−という男を確めて見たくなった。
マヤを幸せにできる程の男なのか見極めたかった。
そうする事で彼の中の辛い恋も終わる気がしていたから・・・。
「・・・エリザベス・・・もう一度言ってくれないか?」
ハウザ−は自分の耳を疑った。
「大都芸能の社長が交渉しに来ると言ったのよ」
エリザベスは不思議そうにハウザ−を見つめた。
「・・・キャンセルできないのか?」
ハウザ−の表情が曇る。
「・・・無理よ。あなたも知っているでしょ。大都芸能の大きさを。日本に進出するなら願ってもない相手だわ」
エリサベスは当然というばかりに言葉を続けた。
「どうしたの?大都が交渉に来る事は先月伝えておいたじゃない」
確かに、その話は聞いていた。
その名前を聞いて、抵抗はあったが、大都は無視できるような相手ではかった。
それに、まさか、社長自らが交渉に来るとは思わなかったのだ。
「来るのは本当に・・・速水真澄なのか?」
動揺の混じる声で口にする。
「えぇ・・・間違いないわ。明日の午後来る事になっている」
「・・・マヤ・・・」
ハウザ−はその夜、家に戻ると、彼女を抱きしめた。
「ジョンどうしたの?」
片時も離れない彼を不思議そうに見る。
「マヤが恋しかったんだ」
「まぁ、しょうがない旦那様ね」
クスリと笑う。
「君は恋しくないのか?」
不安そうにマヤを見つめる。
「・・・もちろん。あなたに会えなくて恋しいわよ」
そっとハウザ−の唇にキスをする。
「さぁ、離して、愛が呼んでいるわ」
その言葉にハウザ−は仕方がなく腕を解いた。
マヤ・・・。
僕が君を思う程・・・君は僕を愛していない気がする。
それは気のせいなのか・・・。
無言でマヤの背中を見つめ、そんな事を思った。
「おはよう」
ハウザ−が愛を抱えてオフィスに現れる。
「あら、愛ちゃん・・・どうしたの?」
驚いたように言う。
「今日はマヤが仕事なんだ。いつものベビ−シッタ−が足止めを喰ったらしくて、来るのが遅れてね。
愛を家に残していく訳にはいかないから・・・連れて来た。午後には来ると思うから・・・それまでだ」
「わかったわ。愛ちゃんは私が見ているから、ジョン、脚本家のミッシェルが会いに来ているわよ」
ハウザ−はすまなさそうに愛をエリザベスに渡した。
「何かあったら、すぐ呼んでくれ。愛のご機嫌の取り方は誰よりも知っているからね」
おどけたように言う。
「大丈夫よ!あなたこそ私と愛ちゃんとの楽しい一時とらないでね」
エリザベスの言葉にやれやれという表情を浮べて、ハウザ−は応接室へと向かった。
その日、速水は午前中はロックグル−プとの商談を纏めあげ、昼はイギリスの企業家たちと昼食を取り、
ハウザ−のオフィスに向かった。
そこはオフィス街に位置しており、近代的にビルの一角にハウザ−のオフィスがあった。
「大都の速水ですが・・・Mr.ハウザ−はおられるますか?」
イギリス英語を使い、受付の女性に告げる。
速水の使う英語は上品なアクセントで上流階級の者がつかうものだった。
「ロビ−で少々お待ち下さい」
そう言われ、真澄は側にあった座り心地の良さそうなソファ−に座った。
さすが貴族が構えるオフィスだけあって、オフィス内の調度品からは高貴さが伝わってくる。
時計を見つめ、少し早く来すぎた事に後悔した。
急に落ち着かなくなる。
「キャハハハ」
真澄がぼんやりとしてると子供の声がした。
「愛ちゃん、ちょっと待って!」
ブルネットの女性が困ったようにちょこまかと歩く、小さな子供を追いかけていた。
「・・・すみません。その子捕まえてください」
そう言われ、真澄は少し、驚き、自分の方に駆けてくるその子を捕まえ、ひょいと抱き上げた。
「おちびちゃん。あんまり困らせちゃ、駄目だぞ」
優しい表情を浮かべ、その子を見つめる。
うん?
真澄は子供と目を合わせた時、何かを感じた。
何だか暖かい気持ちが込み上げてくる。
そして・・・誰かに似ているような・・・。
懐かしさに似た不思議な気持ちが胸をざわつかせた。
エリザベスは驚いていた。
初対面の人に抱き上げられれば、愛は必ず泣き出すのに、それ所か笑っている。
長身の日本人に無邪気な笑顔を浮べている。
「・・・ありがとうございました」
真澄の側に行き、愛を受け取る。
「中々活発なお子さんだ」
クスリと笑い、愛を見つめる。
「あの、Mr.速水ですか?」
エリザベスは受付から彼がロビ−で待っていると聞いていたのだ。
「えぇ。Mr.ハウザ−とお約束があるのですが」
端正な顔立ちとどこか憂いが浮かぶ瞳にエリザベスはドキッとした。
「ハウザ−は只今、接客中でして・・・もう少し、お待ち下さい」
エリサベスはそう言うと、愛を連れてオフィスの奥の方へと進んだ。
愛はエリザベスに抱きかかえられながら、じっと速水を見つめていた。
そして、速水も・・・。
「ジョン、Mr.速水がお待ちよ」
彼のオフィスに行き、告げる。
その言葉に覚悟したようにハウザ−は椅子から立ち上がった。
「彼を通してくれ」