「やぁ、アカ。今日もブンゲイカツドウかい?よくくたびれないねぇ」 「やぁ、クロ。これが僕の生きている証だからね。止めるわけにはいかないし、別段止めたいとも思わないよ」 「また小難しい事を言うなぁ」 天気のいい昼下がり、変わらない会話。変化する物は、アカの物語の内容だけ。 「それじゃ、今日も聞くかい?さっき書き上げたばかりの新作だよ」 アカは、今日もまたクロに物語を聞かせた。今回の話は、働き者のネズミが、隣に住む怠けネズミに様々な悪口を叩かれつつも、がんばって働き、最後には大金持ちになる、と言う物だった。クロは、働き者のネズミに同情し、怠けネズミを散々罵っていた。今回もよく出来たな、と思いつつアカは読み進めていたが、最後の段落に入った途端、クロの表情が変わった。そして物語を読み終えた時のクロの表情は、面白くなかった時に見せる、口を半開きにした無表情だった。 アカは疑問に感じ、クロに聞いてみた。 「どう?面白くなかったかい?」 「…アカ、『オカネ』って何だい?」 「えっ!?あ、あぁ、そうか…。お金って言うのはね、まぁ…大きなチーズみたいなものだよ」 なるほど、そうだったのか!と、クロは両前足を叩いた。見ると、口の周りによだれが溢れて出している。どうやら、巨大なチーズに埋もれる自分を想像しているようだ。 「そうだね、分かり難い表現だったね。よし、お金の部分はチーズに変えとこう」 「そうした方がいいよ。アカは物知り過ぎるからなぁ」 明日はもっとわかりやすくて、面白いやつを書くよ。そう言うと、アカは家路についた。 アカは自分の家のドアを開け、目の前にあるベッドにどっと腰を下ろすと、大きなため息をついた。…お金と言う概念は、この世界には存在しない。自分だけが知識として持っている事だ。何故か。それは、この家に人間の書物が存在し、そしてそれを自分が読む事が出来るからだ。一体どうしてそんな事が?自分が特別である事は理解している。だが、何故そうであるのかがわからない。綺麗に整頓された書物が、アカを取り囲む。この家にある書物―恐らくはこの世界に存在する全ての―は、全て読み尽くしてしまった。そして今は、自分で新たな書物を作り出している。そうする事で、自分の追い求めている謎の答えが、少しわかってくるような気がしたからだ。だが、相変わらずこれといった答えは出ないまま…今日もまた、一日が終わろうとしている。 (明日は一体、どうやって生きたらいいんだろう?今のままで、いいんだろうか…?) そんな事を考えつつ、アカはゆっくりと眠りについた。 ――――― ドサッ。 アカの寝ているすぐそばで、一冊の本が、棚から落ちた。アカはその音で目を覚まし、本に気がつくと、それを手に取った。 ――――― 「こんな感じでどうかな、兄さん」 ソファーに腰掛け、ワインを飲んでいた兄に、弟は書き上げたばかりの文章を見せた。 「ん?どれどれ…?」 兄はワイングラスを置き、原稿用紙を受け取ると、簡単に目を通した。 「あー?何だ、こりゃ?」 「え…何か変だったかな?」 弟はキョトンとして、すぐに兄の持つ原稿に目をやった。最後の部分。アカの寝ているそばに本が落ちる、とある。兄は弟に対し、こんな事は言っていない。兄の説明はかなり大雑把ではあったが、それは今までもそうであったし、弟は直感で、兄の持つイメージを崩す事無く、形に現してきた。中には少しアレンジが加えられていた場合もあったが、どれも許容範囲内のものであった。自分の物語に手を加えられる事を極端に嫌う兄から、絶対の信頼を寄せていると言う事は、弟にとって最大の誇りであった。しかし、今回はそれとは少し違う。たった二行ではあるが、明らかに兄の説明した部分を越えて、文章が添付されている。 「誰がここで本を落とせなんて言った?」 「あ…ごめん」 弟はマズイ、と思った。今日の兄はアルコールが入っている。兄の酒癖の悪さは、周囲にこそ知られていないものの、それは酷いものだった。下手をすれば殴られてしまう。弟は必死に言い訳を考えた。…実は、弟がこの文章を付け加えたのは、ほとんど無意識だった。兄から聞いたこれからの展開を想像する内に、自然と手が書き加えていたのだ。これまでにもこのような事はあった。だが、それら全て、弟は兄に見せる前に消していた。何故今回に限り、そのまま見せてしまったのだろう?こうなる事はわかっていたのに…。 「何黙ってるんだ、バカッ!すぐ消しとけ!」 「痛っ…ごめん、うん、わかったよ。…ごめん」 兄が寝てしばらく後、弟は殴られ少しこぶが出来た頭をなでつつ、その文章を消していた。どうして、こんな事をしてしまったのだろう?頭の中は、その疑問でいっぱいだった。この物語を書き始めてと言うもの、どこか自分に違和感を覚えてしょうがなかった。 突然、頭の中に鋭いイメージが浮かび上がった。それは、アカが落ちた本を拾い上げ、熱心に読んでいる姿だった。 (もう本は全部読んだろうに、何をそんなに一生懸命に見ているんだろう…?) 弟はイメージと向かい合う。集中すると、イメージは徐々に鮮明に映し出されてきた。同時に、アカの読んでいるその本の内容を、なんとなく理解する事が出来た。 (…どこかの兄弟が、絵本を、『ネズミのえほん』と言う絵本を、描いている話…) …………?まさか。弟はイメージを振り払い、原稿を整理してから寝床に就いた。 その晩遅く、弟は、アカが本を読み終え、大きな笑い声をたてている夢を見た。 ――――― 「やぁ、アカ。今日もブンゲイカツドウかい?よくくたびれないねぇ」 「……」 「また小難しい事を言う…なぁ?」 その日は、少し曇っていた。 「少しずつだけど…わかってきたよ」 それまでいつになく熱心に机に向かっていたアカが、不意に口を開いた。だが、クロはその言葉の意味を理解する事が出来なかった。 「そりゃ一体どう言う意味だい、アカ?」 特に何を気にするともなく、クロはアカに問いかける。 「君はとても素直だね、クロ。君のような存在が、この世界には必要なんだよ」 また、クロには理解する事が出来ない言葉だった。ただ、どうやら今日はまだ、物語は出来ていないと言う事はわかったので、つまらなくなったクロは、そのままその場を立ち去った。アカはクロの背中をしばらく見届けると、また、新たな物語の作成に取りかかった。今回の作品には、珍しく挿絵がついていた。 ………二人の兄弟が、仲良く絵本を作っている絵だった。 ――――― |