弟は悩んでいた。折角作った朝食もノドを通らない。幾日ぶりかの雨も手伝って、夏も近い言うのに、どこか薄ら寒い気分だった。兄はまだ起きてこない。弟はまだ、自分の出した結論を納得する事が出来ていなかった。もしかしたら、もしかしたら兄が書いたのかもしれないじゃないか。既に自分の中ですら、ありえないと否定している考えに、どうしてもすがっていたかった。 「だって、いくらなんでも…。机に座って、ペンを握ってたわけじゃない。僕は寝ていたんだぞ！？それに、何だ、この展開は…」 ――――― アカは、自分の絵本に、こう書いていた。 「ある朝、人間の弟は、自分たちの原稿にいたずら書きがされているのを見つけます。それは、実は弟が寝ぼけて書いたものでした。しかし、弟がそれを消してしまおうとする様子はありません。なぜなら、いつもお兄さんが酔っ払って教えてくる、お話の先よりも、こっちの方が、面白くなりそうな気がしたからです。だから、お兄さんを説得してでも、このまま書き続けたいと感じたのでした。つまりは、今こそ自分の才能をお兄さんに見せつけるチャンスだ、そう思ったのです。 でも、 文章はそこで途切れていた。代わりに、兄と弟とがけんかをしている絵が、挿入してあった。 ――――― 全てが変だ。アカは一体、何をしようと言うのか。…これを書いた自分は、何をしたかったと言うのか…。 「…僕は、そんな事少しも考えちゃぁいない。兄さんが起きる前に、さっさと消してしまおう…」 弟は文章を削除する際、普段は二重線を引くか、用紙そのものを捨ててしまうかするが、自分の無意識の文章に限り、パン等で完全に消し去る事にしていた。でなければ、何かの拍子に、兄の目に入ってしまう可能性があるからだ。昨晩が正にそうだった。手元に適当なパンが見当たらなかった為、しかたなく立ち上がる。…直後、急に目眩がしたかと思うと、昨夜と同じく、頭の中に異質なイメージが現れた。 ――――― …自分だ。深夜、ランプの灯りを頼りに、一生懸命絵本を作っている。ちょうど挿絵を描き終えた所らしい。予想通り、アカが物語を書いている絵だった。ただ、一つだけ、予想外の部分があった。アカの原稿用紙に、今度は自分が絵本を作っているその姿が描いてあるのだ。今朝の原稿用紙に付け足してあった例の文章には、兄弟二人が仲良く絵本を作っている、と言う描写があった。さっきは、二人がけんかをしている挿絵を見た。今度は、自分一人。しかもその表情は固く、驚くほど険しい。それを描いているアカの表情は、対称的に、とても明るく、楽しそうだ。そして、さらにそのアカを描いている、イメージの中に最も大きく現れている自分の表情は…ランプの灯りが眩しく、背中ごしだったので、よくわからなかった。

イメージの自分が、物語を書き進めている。

さらにその物語の中で、アカが文章を書き連ねる。

『その醜い嫉妬心を、いつまで理性と言う布で隠し続けられると言うんだい？』

アカの絵本の中の自分もまた、必死に何かを書いているようだ。何を書いているのか、姿が小さすぎてよくわからない。

『君がその才能を、狂気のような本能をさらけ出さない限り、僕は絶対に負けはしない』 　　『僕の住むこの世界を、「本物」にする。そう、君が僕たちの世界を創り出すんじゃない、僕が、君たちの世界を創り出すんだ』

次の瞬間、アカのすぐ近くに、巨大な黒猫が現れた。

『…！？そうか、「この世界」の僕は、すでに負けていたのか…。なるほど、なかなかやるじゃぁないか。だけど、まだだ。現実の君が目覚めない限りは、僕は常にその上を行ってみせる。僕の言葉は既に君に操られているけれど、その君もまた、上にいる僕に操られているんだ。僕が思うに、今、互いの世界は並行している。さぁ、決着をつけようじゃないか』 　　『生きるのは、人か、ネズミか。どちらが本当の作者なのか』

直後、アカは黒猫に襲われた。目玉が潰され、四肢が引きちぎられ、内臓がえぐり出される。かすかに、ギュゥ、と言う声がした。その綿密な描写は全て、自分によるものだった。そしてその時弟は初めてわかった。目の前の自分が、アカ以上に、不気味な笑みを浮かべている事に。

『本当はもう少しゆっくり、じわじわとやっていくつもりだったんだけど、何分ネズミの寿命は短くてね。「本物」を手に入れた瞬間に死んでしまったら、元も子もないだろう？だから、こうして焦ってやっているんだ。わかってくれるかな？』 最後のアカの言葉は、自分のすぐ隣から聞こえた気がした。 ―――――

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