WORLD_2 【マールボロとすれ違った彼のために】 |
このライターは2ヶ月前、電車で1時間ほど行った街の雑貨屋で買ったものだ。レジの横に何気なく置いてあったトランプ柄――銀色に光るダイヤのジャックだ――のそれは、会計待ちをしていた僕の手を引き寄せるに十分なデザインだった。 ところが彼には不幸なことに、僕は煙草を吸わない。なので、実のところ持っていても使い道があまりなかった。夏の花火かバースデーケーキ用のロウソクか…きっとそのくらいだ。しかし、元々ライターを持ち歩く習慣のない僕は『そのくらい』へのチャンスもことごとく逃してきた。徐々に埃をかぶっていく姿を想像すると不憫なので、とりあえず机の一番上の引き出しの中にしまっている。 …こうして、僕と彼との関係はどうともなく進み廃れようとしている。 もし僕がヘビースモーカーであれば、あるいはそこまで行かずとも、心癒されたいときにたしなむ程度の喫煙者であれば、両者の関係はもっと違うものになっていただろう。しかし僕は喘息持ちの嫌煙者なので、彼との関係改善に向けてマールボロやハイライトを買いに行く気にはなれない。
深夜2時の外気は、9月の始めにしては思ったよりも涼しかった。僕はほどなく近いコンビニの前まで行くと、入り口のすぐ前にある溝蓋の真ん中に彼を置いた。そして僕は店内へ入る。雑誌コーナーから窓越しに彼を確認すると、彼は銀色の鎧で店内の照明を目一杯反射していた。
そして『運命的』にも、自動ドアが開き外に出た僕と『彼』は出会ってしまったのだ。入出時に鳴るコンビニ特有のチャイムが祝いのファンファーレだった。 シルバーに輝くダイヤのジャックは僕を魅了してやまない。僕は嫌煙者であったが、運命的に出会った彼とは、単に新しく手に入れた魅力ある物を他人に見せたいという欲もあり、いつも行動を共にした。
その後、夏の大三角と3つの流れ星を見つけた彼女とは、何か機会がある度に食事――学食や近所の喫茶店、あるいはファミリーレストランといった程度だが――を共にした。そしてこの日も、帰省に向けて学割を申請しに学生課へ行った際に、アルバイト募集の掲示を熱心に見ていた彼女を見つけ、そのまま喫茶に誘い快く承諾を得た。 いやおう無しに身体を汗ばませる白い日差しを避けるように店へ入り、馴染みのマスターに挨拶をする。僕はハムサンドウィッチとアイスカフェモカを、彼女はコーヒーフロートを注文し、しばらく冷房に身を委ねた。
『運命的』とは、やはりどこまでも運命的であった。
しかしこの共生はけして上手くはいかない。僕は喘息持ちの嫌煙者で、彼女は1日にマールボロを2箱空にするヘビースモーカーだったのだ。『彼』は水を得た魚のようにその力を存分にふるったが、僕と彼女は『彼』ほどには大きな炎を灯すこともなく――けれど最後まで『運命的』で――『彼』の力が尽き果てるとほぼ同時に、僕らの関係も改善されることなく終わってしまった。
そんな彼も、今日ついにガス切れしてしまった。僕自身は暇つぶしに何度か点火しただけだったのだが、どうやらレジの横に裸で置いてあったのが災いして、僕の手に入る以前に何度も点けられていたらしい。それはそれで、レジの横での彼の人気ぶりを証明するかのようで、やはり僕が手に取ってしまったのは彼にとっての不幸だったのだと思わせる。 僕と、机の一番上の引き出しの中にしまわれている彼との関係は、どうともなく進み廃れようとしている。一度くらい何かに灯してやればよかった。そうすれば運命は変わったかもしれないのに。 こうして誰かに彼の悲運を語ることで、僕はお詫びに代えたいと思う。
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